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260・パーガニアの夜

第260話になります。

よろしくお願いします。

 時が止まったようだった。


 目の前に、あの『闇の子』が立っている。


(…………)


 なんで?


 突然のことに、僕は動けない。


 声も出せなかった。


 ジャリッ


 中庭の土と石を踏みしめ、『闇の子』が前へと進み出る。


 ライトアップされた光の中へ。


 そして、また夜の闇の中へ。


 それを繰り返しながら、僕へと近づいてくる。


(……っ、まずいっ)


 宿の中だからと油断していた。


 僕は、何の装備もしていなかった。


 でも、すでに逃げれる間合いでもない。


 ジャッ


 硬直する僕から5メードの間合いで、玉砂利の石を鳴らして、黒い子供の歩みは止まった。


「…………」

「…………」


 奴の雰囲気がいつもと違った。


 いつも浮かべている不敵な、赤い三日月のような笑みが見られない。


 僕を見据える、虚無のような黒い眼球。


 そこには、


(……怒り?)


 そのような感情を感じることができた。


 ゴクッ


 僕は唾を飲む。


 そして、軋むように口を開いた。


「お前……どうして、ここに?」

「…………」


 問いかけに、奴は答えない。


 ただ僕を睨むように見つめている。


 そして、


「どうして?」


 と繰り返した。


 ブワッ


(!)


 その小さな身体から、黒い『圧』が吹き出た気がした。


 身が竦んだ。


 そんな僕へと、奴は言った。


「愚かな君を止めに来たんだよ、マール」


(愚かな僕を……止めに?)


 意味がわからない。


 困惑する僕へと、『闇の子』は怒りを秘めた口調で続ける。


「君たちは、暗黒大陸へと向かうんだろう?」

「…………」

「でも、ボクは言ったはずだ。『あの魔境には近づくな』って。まさか、忘れてしまったのかい?」


 確かな怒気。


 瞬間、僕は答えられなかった。


 …………。


 忘れてはいない。


 テテト連合国の雪の世界で出会った時、奴は確かに、そんなことを口にしていた。


 それを覚えている。


 でも、


「なぜ、僕がその言葉を守らなければいけないんだ?」


 ようやく、そう言い返せた。


(気圧されるな、マール)


 自分の心を奮い立たせ、奴へと言葉をぶつけるんだ。


「魔境だからどうした?」

「…………」

「それでも、僕には行く理由がある! ならば、行かないわけがないだろう!」


 必死の言葉。


 でも、黒い子供は表情一つ変えない。


「…………」

「…………」


 僕らの間に、冷たい夜風が吹き抜けていく。


 そして、


「死ぬよ」


 奴は言った。


「今の君たちでは、どうすることもできない。暗黒大陸に行けば、君たちは、ただ死ぬだけだ」

「…………」


 その声は脅しではなかった。


 ただ真実だけを告げようとする真摯さがあった。


 だからこそ、背筋が震えた。


 …………。


「いったい、お前は何を知ってるんだ、『闇の子』?」


 僕は問う。


 奴は、小さな肩を竦めて、


「さぁね」


 ととぼけた。


 それから、少しだけ沈黙した。


 黒い眼球が動いて、僕の顔を真っ直ぐに見つめる。


 そして、


「でも、ただ1つだけ。これだけははっきりしている。ボクはね、君に死んで欲しくないんだよ、マール」


 と言ったんだ。



 ◇◇◇◇◇◇◇



 パーガニアの街にある宿の中庭に立つ黒い子供は、僕を見つめ続けた。


 …………。


 その意味を理解するのに、数瞬かかった。


(……僕に、死んで欲しくない?)


 心の中で、繰り返す。


 奴は言った。


「他の人間どもが、『神の眷属』が何人、死のうとどうでもいい。でも、君には死んで欲しくないんだ」

「…………」

「わかってくれよ、マール」


 それは懇願するような哀切の声だった。


 意味がわからない。


 僕らは敵同士のはずだ。


(それなのに、なぜ『闇の子』が僕の心配をする?)


 僕は、混乱してしまった。


 ジャリッ


 奴は、また1歩、前に踏み出した。


「暗黒大陸に封じられた悪魔を倒したいんだろう? けれど今は、手を出す必要はないよ」

「…………」

「他に、まだ4体も悪魔はいる。まずは、そいつらを倒そう? 魔の地へ行くのは、一番最後でもいいはずだ、マール。そうだろう?」


 両手を広げ、切々と訴える。


 …………。


(そうか、コイツはまだ知らないんだ)


 僕らが行くのは、封じられた悪魔を倒すためじゃない。


『神霊石』を手に入れるためだ。


 でも、その事実をコイツはまだ知らないんだ。


(……知らないなら、それでいいや)


 勘違いさせておけばいい。


 その方が『神霊石』集めも、よりはかどるはずだから。


 僕は、そう考えをまとめる。


 それから、奴を睨み返した。


「そうかもしれない」


 僕は頷いた。


 奴の顔に、安堵と喜色が浮かぶ。


 けど、


「でも、僕はお前が嫌いだ。お前の言葉に従う理由はないよ」

「……ぁ」

「そもそも、お前の言葉を信じる理由がどこにある? それが、僕らを騙すための狂言でないと、どうして言える? 僕は、お前を信じない」


 そうはっきりと断言した。


(当たり前だ)


 少なくとも、コイツは僕らを騙した。


 悪魔になるための手法として、僕らを利用したんだ。


(もう振り回されるものか!)


 僕らの未来の道は、僕ら自身が決める。


 そう意思を込めて、青い瞳で『闇の子』を睨みつけた。


 その視線をぶつけられて、


「っっっ」


『闇の子』の表情が、何とも言えないように歪む。


 何かを言いたそうに口を開きかけ、けれど、僕を説得できる言葉が見つからないのか、それを閉じることを繰り返す。


 やがて、


「……嘘じゃない」

「…………」

「嘘じゃないんだよ、マール? ……本当に死んでしまうんだ!」

「…………」

「頼むよ、ボクの言うことを聞いてくれ」


 彼は、自分の胸を強く押さえながら、絞り出すようにそう言った。


 僕らの視線がぶつかり合う。


 僕は、答えた。


「――断る」


 黒い子供の表情は、絶望に染まった。


 その拳を握り締め、小さな身体が震える。


 ポタッ


(?) 


 奴の足元に、染みが生まれた。


 いや、あれは……血だ!


 小さな黒い拳を握り締めすぎて、そこから、紫色の血が地面に滴り落ちていた。


「そうか……」


 ビリリッ


 肌が泡立つ。


 うつむき、前髪に隠れて表情が見えない奴から、凄まじい『圧』が漏れ出していた。


(う……あ……)


 僕は、声が出せなくなった。


「止めても聞いてくれないならば……それならば……」

「…………」

「他の誰かに殺されるぐらいならば、いっそ……ボクのこの手で、今すぐ君を殺してしまおうか……っ」


 怨嗟のような声。


 その声にはらんだ狂気は、大気を歪ませ、僕の心を凍りつかせる。


(…………)


 恐怖が沸き上がっていた。


 目の前に立つ黒い子供は、強大な魔としての力を開放して、僕へと向かって、その黒い両手を伸ばしてくる。


 ――殺される。


 本気で、そう思った。


 いや、間違いなく、奴は本気なんだ。


 僕を殺す。


 その強い意志が、黒い子供の周囲に闇のオーラとなって浮かび上がっている。


(あ……あぁ……)


 僕は、選択を間違えたのか?


 コイツの言葉に従っておけば、あるいは従うふりをしておけば、


(ここで……死なずに済んだかもしれないのに……)


 後悔がよぎる。


 恐怖と絶望の黒い手が、僕の喉めがけて伸びてくる。


 あれが、触れたら、


(僕は……)


 死ぬ?


 そう思った時、僕の脳裏には、()()()の姿が走り抜けた。


 あの優しい笑顔。


 あの温もり。


 あの匂い。


 ここで死んでしまったら、()()()にはもう会えなくなる。


 何よりも、僕の死は、彼女を悲しませることになる。


 絶望させ、生きる意味を失わせかねない。


 うぬぼれかもしれない。


 でも、そう思えた。


 思えてしまった。


(っっっ)


 ガチンッ


 震える歯を食い縛った。


(イルティミナさん!)


 その名を勇気に変えて、心で叫ぶ。


 ドンッ


 同時に、僕は体内にある『神なる力』を開放した。



 ◇◇◇◇◇◇◇



 茶色い髪を押しのけて、ピンと立った獣の耳が生えてくる。


 ズボンの切れ目を割きながら、フサフサした長い尻尾が伸びていく。


 パシッ パシシッ


 放散した神気が、周囲で白い火花を散らす。


「……誰が、誰を殺すって?」


 青い瞳を殺意に輝かせ、僕は『闇の子』を睨み返した。


「…………」


 それを見て、『闇の子』の動きが止まった。


 ガシッ


 僕の手は、伸ばされていた黒い手首を掴む。


 指先が、その爪が、黒い皮膚へと食い込んでいる。


「僕は、お前の言いなりになどならない!」

「…………」

「僕を殺すというのなら、その前に、僕がお前を殺してやる!」


 そう叫び返した。


 パシシッ


 白い火花が、周囲の闇を散らす。


『闇の子』の黒い眼球と、『神狗』である僕の青い瞳が、視線を真っ直ぐにぶつけ合った。


「…………」

「…………」


 その黒い子供の口元に、赤い三日月の笑みが浮かんだ。


「悪魔殺しの『ヤーコウルの神狗』、そのただ1人の生き残り」

「…………」

「そうか……そうだね」

「…………」

「君は、そういうさがだった。それなら、仕方がないか」


 そう呟き、笑う。


 それと同時に、『闇の子』のまとっていた闇のオーラが収束していった。


「わかったよ、マール」

「…………」

「ボクの負けだ」


 奴は、そう言った。


 掴んでいる腕からも、力が抜けているのを感じる。


(…………)


 僕は、ゆっくりと指を離して、彼の腕を開放した。


 僕の爪が食い込んでいたのか、皮膚が破れて、紫色の血が流れていた。


 その傷口を押さえて、


「君は、やはり楽しいね」


 そう言いながら、後ろへと2~3歩、下がる。


 それから、僕を見つめて、


「もう止めはしないよ」

「…………」

「けれど、どうか『死なない』と約束して欲しいな。君を殺すのは、ボクでありたいんだ」


 ふざけたことを言う。


 僕は答えた。


「僕は、誰にも殺されない」


 自分自身のために、そして、あの人のために。


『闇の子』は頷いた。


 その背中に黒い光が集束して、4枚の黒い翼が生えてくる。


「それでいいさ」


 そう笑い、


 バサッ


 黒い翼が羽ばたいて、その黒い身体が宙へと浮かぶ。 


 ライトアップされた中庭の光の中に、半分だけ照らされながら、奴は言う。


「それでも1つだけ警告だ。暗黒大陸に行ったなら、には見つからないように気をつけて。には知性はなく、本能のみが支配している」


(……どういう意味だ?)


 怪訝に思うけれど、聞き返すのも癪だ。


 いや、そもそも、ちゃんと答えてくれるとは思えない。


 僕は言った。


「言葉だけは覚えておく」

「あぁ」


 奴は頷いた。


 そして、浮かべていた三日月の笑みが、ゆっくりと消える。


「……どうか死なないでおくれよ、マール」


 真摯な願い。


 その呟きを地上の僕へとこぼして、『闇の子』は黒い翼を羽ばたかせた。


 バサリッ


(うぷっ!)


 風圧が土煙を舞い上げ、僕の視界を一瞬、奪う。


 夜の風がそれを払いのけた時、すでに『闇の子』の姿は目の前になく、遥か上空の夜空に舞っていた。


 …………。


 紅白の月に一瞬、小さな影を落として、闇の中へと消えていく。


「……ふ、ぅぅ」


 僕は、長く息を吐いた。


 興奮していたからか、恐怖のためか、手足が震えている。


(……あ)


 ふと見たら、僕の右手は、奴の紫色の血で濡れていた。


「…………」


 結局、奴の真意はわからなかった。


(本当に……僕を心配しただけだったとか?)


 ……まさか。


 軽く首を振る。


 涼やかな夜風が吹き抜ける。


 それは僕の獣耳と大きな尻尾を揺らして、遠い空へと消えていく。


「…………」


 パーガニアの春の夜に起きた僕と『闇の子』の思いがけない邂逅は、こうして終わったんだ。

ご覧いただき、ありがとうございました。


※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です(^_^ゞ 『闇の子』相手に退かなかったマール。 何処に居ても油断はするな。 と云う教訓になりましたね。 [一言] 『闇の子』が退いてくれたお陰で助かったマール。 種族の違…
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