256・森からの帰還
第256話になります。
よろしくお願いします。
ヤーコウル様が去ったあとの神殿の広間は、とても静かだった。
僕とイルティミナさんは抱き合ったままで、キルトさんとソルティスは、光の粒子となったヤーコウル様が去っていった天井の穴と、その先の青い空を見上げていた。
やがて、キルトさんは吐息をこぼす。
それから、
「身体の方は大丈夫か、イルナ?」
と声をかけながら、僕らの方へと近づいてきた。
僕とイルティミナさんは、身体を離す。
「はい」
イルティミナさんは立ち上がり、頷いた。
そして、自分の両手を見つめながら、
「女神ヤーコウルの祝福……確かに、この身の奥に大きな力を感じます。望めば、それを開放できるという感覚も」
と告げた。
それから、彼女は心配するキルトさんに微笑んで、
「ですが、それ以外は、今までと何も変わりません」
「そうか」
キルトさんは安心したように頷いた。
ソルティスも、遠慮がちに近寄ってくる。
気づいたイルティミナさんは、優しく笑って、妹を抱きしめた。
「心配は要りませんよ、ソル」
「……うん」
姉の腕の中で、ソルティスはホッと息を吐く。
そんな姉妹の様子に、僕とキルトさんは、ついつい微笑んでしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
目的を果たした僕らは、森に隠された古代都市を去ることにする。
ヴォオン
来た時同様、僕は4枚の翼を生やして、その内の2枚で3人を抱え、残った2枚で古代都市の上空へと浮かび上がった。
「……このまま帰るの、勿体ないわね」
森の都市を見下ろして、ソルティスはため息をこぼした。
(うん……)
未発見の古代都市。
ここにはきっと、たくさんのお宝も眠っているかもしれない。
今までに知られていなかった古代タナトス魔法王朝時代の真実も、見つかったかもしれない。
時間があれば、ゆっくり探索したかった。
でも、
「仕方なかろう」
キルトさんは言う。
「夜になれば、骸骨王どもが闊歩する。そして、この都市の中が安全地帯とは限らぬのじゃ」
「…………」
「その前に、あの塔に戻らねばの」
「……わかってるわよ」
少女は唇を尖らせる。
太陽は、中天を過ぎて西に傾き始めていた。
(暗くなる前に、着かないとね)
イルティミナさんが慰めるように、妹の髪を撫でる。
その様子を眺め、
「…………」
それから僕も、足元にある都市を見る。
そして、
「……この都市は、どうして滅んだんだろうね?」
ポツリと呟いた。
姉に髪を撫でられながら、ソルティスが答える。
「やっぱり、神魔戦争でしょ」
「…………」
「この地には『闇のオーラ』が満ちているわ。つまり、このアルドリア大森林は、神魔戦争で『悪魔の暴れた戦場』になったってことだもの」
「……そっか」
神魔戦争で滅んだ都市……か。
思わず、4人で、その森に沈んだ都市を見つめてしまった。
…………。
この都市に住んでいたのは、何万人の人々だったのかな?
骸骨王は、人の骨でできている。
あの夜の森に蠢く骸骨王の数を考えると、もしかしたら、この都市の亡くなった人々の骨が……?
(…………)
想像しただけで震えが来た。
ブンブン
僕は、強く首を振る。
それから気を取り直したように、
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
と、3人に声をかける。
「うむ、そうじゃな」
「はい」
「……ん、わかったわ」
キルトさんとイルティミナさんが頷き、ソルティスは、眼下の都市を、まだ名残惜しそうに見つめながらも頷いた。
ヴォン
翼を輝かせ、僕らは夕暮れの空を飛翔する。
その古代の都市は、後方に流され、森の木々に隠れて、あっという間に見えなくなってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
塔に戻ってから、一晩を明かした。
翌早朝、礼拝堂の窓からは、キラキラと眩しい朝日が差し込んでいる。
「…………」
僕の前には、女神像があった。
イルティミナさん、キルトさん、ソルティスも、僕と一緒に立っている。
僕ら4人の手には、木の器があった。
女神像のたおやかな手からこぼれる『癒しの霊水』――その輝く流れを、木の器で受け止める。
光る水面を見つめ、
「色々とありがとうございました」
ゴクッ
感謝を口にしてから、その光る水を喉に流し込んだ。
ゴクッ ゴクッ ゴクッ
3人も同じように、光る水を飲む。
飲み切ったあとは、みんなで、女神像を見つめた。
狩猟の女神ヤーコウル。
幻影ではあったけれど、その御姿を直接、目にして、3人も色々と思うことがあったみたいだ。
再びの塔からの旅立ちの前に、こうして光る水の朝食を摂ることを、みんな、反対はしなかった。
「…………」
「…………」
「…………」
僕は、隣のイルティミナさんの横顔を見上げる。
ヤーコウル様は言った。
信徒の子孫である巫女だって、彼女のことを。
(やっぱり、イルティミナさんの先祖は、ヤーコウル様に仕えていた信徒だったんだね)
前に、イルティミナさんの過去の世界で知ったこと。
それが真実だったとわかった。
(もちろん、それで何が変わるってわけでもないんだけどね)
僕は、僕。
イルティミナさんは、イルティミナさんだ。
僕の視線に気づいて、彼女がこちらを振り返る。
艶やかな、長い深緑色の髪が揺れた。
優しい微笑みで、
「どうかしましたか、マール?」
「ううん」
訊ねるイルティミナさんに、僕は笑いながら首を横に振ったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
光る水の朝食を済ませたあと、僕らは塔を出発した。
『トグルの断崖』では、僕がまた背中に『神武具の翼』を生やして、3人を上まで運んだ。
そこからは、また徒歩でメディスを目指す予定だ。
断崖の上で、3人を降ろす。
すると、キルトさんが深層部の森を振り返って、
「あの古代都市には、もう誰も行けぬかもしれぬな」
と呟いた。
(え……?)
思わず、3人で彼女を見つめる。
「塔から古代都市まで3万メード、とても半日で往復はできぬ」
「…………」
「…………」
「…………」
「夜になれば、数千、あるいは万を超える骸骨王に狙われる。あの都市から生きて帰ることは不可能であろう」
そう言って、僕を見た。
「マールのように翼がなければ、の」
(……そっか)
深層部の奥地にあるあの古代都市は、徒歩では到達不可能な場所だったんだね。
だからこそ、これまで未発見だったのかな?
と、
「いいじゃない」
ソルティスが急に言った。
「それって、私たち以外、誰も行けないってことでしょ?」
うん。
「なら、他の連中に荒らされることもないわ。色んなことを終わらせたら、時間を作って、また行きましょ? そして、お宝ガッポガッポよ♪」
小さな両手を握り、清々しい笑顔での宣言だ。
(……さすが、ソルティス)
呆気に取られ、僕とイルティミナさんとキルトさんは、つい顔を見合わせる。
それから、4人で大笑いしてしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
それから僕らは、また3日をかけて、メディスの街へと帰還した。
「おかえりなさい、皆さん」
宿屋の店主アルセンさんが、柔和な笑顔で出迎えてくれる。
そうして僕らは、9日ぶりの美味しい食事とフカフカ布団を堪能した。
(幸せ~♪)
前は葉っぱ布団で平気だったのに、僕も贅沢になったもんだ。
そして、
「うひひ、高値で売れたわ~♪」
ソルティスは、メディスにある道具屋に『ある物』を売って、儲けていた。
ある物……それは、『癒しの霊水』だ。
抜け目のないこの子は、なんと空の皮水筒を3つも用意していて、『癒しの霊水』をちゃっかり持って帰ってきてたんだ。
コップ1杯で10万円もする魔法薬。
それがだいたい3リオン、つまり3リットルで150万円ほど。
販売価格ではなく買取価格なので、100万円ほどになったそうだけど……。
「ソルティスって、本当に凄いね……」
呆れながら、僕は言った。
姉であるイルティミナさんは額を押さえて、ため息をこぼし、キルトさんは苦笑している。
1万リド硬貨を財布にしまうソルティスは、
「何よ、文句あるの?」
と唇を尖らせる。
僕は、首を横に振った。
「ううん、ただしっかりしてるなって」
「……ふん」
ソルティスは鼻を鳴らした。
「ま、お金で苦労したことのないマールにはわからないでしょうけどね。こういうコツコツした小さな積み重ねが、貯蓄には大事なのよ」
(ふぅん?)
確かに、僕は異世界に来てから、あまりお金で苦労していない。
借金はあったけれど、した相手がイルティミナさんたちだったから、無利子、無催促、無担保だったしね。
…………。
僕は、目の前の少女を見つめながら言った。
「きっと、ソルティスはしっかり者のお嫁さんになるね」
「…………」
「旦那さんも、お金の管理をちゃんとしてもらえるから安心だよ」
「…………」
うんうん。
僕は1人頷いていたんだけど、
「……アンタって、本当、無自覚だわ」
ソルティスが、なぜか睨んでくる。
え?
思わず見つめ返すと、彼女はそっぽを向いた。なぜかわからないけれど、顔が赤くなっている。
(たくさんお金が入って、興奮してるのかな?)
首をかしげる。
「ふん、この馬鹿マールっ」
……な、なんでだよぅ?
◇◇◇◇◇◇◇
そんなこんなで、のんびりした1日を過ごしたあと、僕らはメディスの街を出発した。
今は、王都に向かう竜車の中の人である。
ゴトゴト
「美味しいねぇ」
揺れる車内で、僕らは、アルセンさんがお土産に持たせてくれたお弁当を食べている。
中身はフィオサンドなんだけど、味は絶品だ。
昨日は不機嫌だったソルティスも、
「最高だわ~♪」
と、ご満悦だ。
美味しいサンドイッチに舌鼓を打つ僕ら年少組に、2人の大人たちは笑っている。
そしてキルトさんは、
「あと2週間もすれば、暗黒大陸への出陣式じゃ。そなたらも覚えておけよ」
と言った。
(2週間後か……)
「出陣式って、何をするの?」
「国民へのお披露目ですね」
お披露目?
「騎士団や冒険者、総勢400名の顔見せをするのです。もちろん、マールたちもですよ」
「ぼ、僕も?」
「はい」
そういうの苦手だなぁ。
「……気が重いわ」
モグモグ
頬をリスみたいに膨らませた少女も、そうぼやく。
キルトさんは苦笑した。
「400人の1人として参加するだけじゃ。そう気にするな」
「はい。ただ立っているだけですよ」
イルティミナさんも、そう優しく笑う。
考えたら、2人は『金印』の就任式で、主役として大勢の人の前に立ってスピーチまでしたんだもんね。
(それに比べたら、気が楽かなぁ)
そう自分を慰める。
「本番は、そのあとの暗黒大陸へ行ってからじゃからの」
「うん」
「そうですね」
「ま……そうね」
僕らは頷く。
そしてキルトさんは、
「王都に着いてからも、10日は休める。その間に、しっかりと英気を養うが良いぞ」
労わるような声で、そう付け加えた。
10日間の休養か。
そのあとは出陣式。
そして、暗黒大陸を目指して、海へと出航だ。
(うん、がんばろう!)
僕は気合を入れながら、手にしたフィオサンドに噛みついた。
――そんな僕ら4人を乗せて、竜車は一路、王都ムーリアへの道を進んでいった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、3日後の月曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




