251・トグルの断崖、再び
第251話になります。
よろしくお願いします。
背の高い木々に覆われた、森の世界を歩いていく。
土の地面は、起伏があって、街中などの平らな地面を歩くよりも大変だ。
でも、
「スー、ハー」
深呼吸すると、空気は美味しい。
葉の隙間から落ちてくる早朝の木漏れ日は、とても幻想的で綺麗だった。
懐かしいアルドリア大森林。
深層部との境界である『トグルの断崖』までは、3日かかるという。
『魔血の民』であるイルティミナさんたちならば、体力があるから、走り続ければ2日で着いてしまうけれど、さすがに僕はついていけない。
急ぐ旅なら、かつてのように抱っこされて移動するのが早い。
けど、今は急いでいるわけでもないので、僕のペースに合わせてくれているんだ。
ザッ ザッ
落ち着いたペースで、4人で歩いていく。
(ん……?)
ふと風の中に、臭いを感じた。
そちらに視線を向けると、遠い木々の間に、黒い影たちが数匹、集まっている。
「邪虎だ」
思わず、名を呟いた。
猿のような身体と、狐のような顔をした体長1メードぐらいの魔物だ。
3人も、そちらを見る。
「ふむ、本当じゃな」
「…………」
「しかし、こちらは4人いる。邪虎は基本、臆病じゃ。この人数相手には、そう襲ってはこぬ」
(そっか)
僕は、警戒して『妖精の剣』の柄に当てていた手を離す。
その時、ソルティスが、ふと思い出した顔をして、
「そういや1年前に、マールを死にかけのボロ雑巾にしたの、あの魔物だっけ?」
と聞いてくる。
僕は苦笑しながら「うん」と頷いた。
カシャン
「倒しましょう」
イルティミナさんが真顔で呟き、白い槍の翼飾りを開放した。
わわっ?
「だ、大丈夫だよ。1年前の話だし」
「ですが……」
「それより、ほら、先を急ごう? まずはトグルの断崖を目指さないとね」
グイグイ
過保護なお姉さんの背中を、僕は、両手で押していく。
イルティミナさんは少し不満そうだったけれど、槍の翼飾りは、またカシャンと閉じた。……ホッ。
キルトさんとソルティスも、苦笑する。
背中を押しながら、僕は振り返り、
(君たち、命拾いしたんだぞ?)
遠い魔物たちに、心の中で話しかける。
もちろん邪虎たちは理解した様子もなく、森の中を歩いている人間たちのことを、遠巻きに見送っているだけだった。
◇◇◇◇◇◇◇
アルドリア大森林には、猟師も訪れる。
そんな猟師さんたちの利用する森小屋の1つを見つけて、僕らは森での一夜を明かした。
チュンチュン チチチッ
早朝の森に、鳥たちの鳴き声が響く。
その中で、
「さぁ、今日も行くぞ」
「うん」
「はい」
「へ~い」
僕らは、森での2日目の移動を開始した。
数時間ほど歩いていくと、森の木々が倒れている空間に出くわした。
1~2本ではない。
何十本と大きな木々が倒れて、広い空地になっていた。
木々には、強引にへし折られた痕跡があって、一部は、焼け焦げて黒くなっているものもあった。
近くには、崩壊した森小屋もある。
(ここは……)
「赤牙竜ガドと戦った場所だ!」
気づいた僕は、声をあげてしまう。
あの時は、夜で真っ暗だったけれど、昼間だとこんな感じの場所だったんだね。
他の3人も、感慨深そうに周囲を眺めていた。
「……あの時、マールが、キルトやソルを連れて来てくれなければ、私は、ここでガドに殺されていたのでしょうね」
イルティミナさんが呟く。
キルトさんは頷いた。
「わらわたちも、マールがいなければ間に合わなかった」
「……まぁね」
ソルティスは唇を尖らせながらも、それを認める。
僕は笑った。
「僕だって、イルティミナさんがいなければ、深層部から出られなかったし、キルトさんやソルティスに見つけてもらわなければ、きっと、この森の中で死んでいたよ」
正直に、そう言う。
僕ら4人は、お互いの顔を見つめた。
きっと、このアルドリア大森林で、僕ら4人の運命は交差したんだと思う。
そして、お互いを助け合ったんだ。
それは、今も続いていて、
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
僕らは、なんとなく笑い合った。
そうして僕ら4人の冒険者は、再び森の中を歩きだす。
――この先も、この関係がずっと続いていけばいいな、と、そう願いながら。
◇◇◇◇◇◇◇
2日目の夜も、森小屋で過ごした。
(明日には、到着だね)
真っ暗な室内で、イルティミナさんに抱き枕として背中から抱きしめられながら、そんなことを思う。
ギャオッ キィキィ
森小屋の外、深い森の奥からは、時折、魔物か野生動物の声が聞こえてくる。
…………。
ヤーコウル様の祝福って、なんだろう?
(行けば……わかるか)
そう息を吐いて、まぶたを閉じた。
背中に、彼女の温もりを感じながら、2日目の夜もゆっくりと更けていった。
そして3日目。
天気が崩れることもなく、僕らは順調に森を進んでいく。
(あ……)
やがて、森の木々が途切れた。
目の前には、青い空が広がっている。
僕らは、とても高い崖の上にいて、眼下には地平線の先まで続いている大森林が見渡せた。
大森林の果てには、青い山脈が霞んで見えている。
これがアルドリア大森林・深層部。
そして、この優に100メードを越えている巨大な崖が、深層部との境界である『トグルの断崖』だ。
この巨大な断崖も、左右の地平の果てまで続いている。
ヒュォオオオ
吹きつける風が、僕らの髪をなびかせる。
「ここがそうか」
キルトさんは、黄金の瞳を細めながら呟いた。
ソルティスも、恐々と崖下を覗き込みながら、
「うひゃあ……噂には聞いていたけれど、とんでもない断崖ね」
と、呆れたように言う。
背筋が震えるような高さから見下ろす森は、どこまでも広がっていて、一見、上層の森と変わりがないように思える。
(でも、それは昼間だけだ)
僕は、それを知っている。
同じように知っているイルティミナさんは、無意識なのか、僕の右手をキュッと握った。
その横顔を見上げる。
「……戻ってきましたね」
「……うん」
前を向いたまま呟くイルティミナさん。
僕は頷き、同じように断崖からの景色を、しばらく眺めた。
◇◇◇◇◇◇◇
雄大な自然の景色を眺めたあと、僕らは動きだした。
「あ、あそこだ」
僕の小さな指は、左側を指差す。
『トグルの断崖』の遥か遠方、1~2キロは離れた場所が、大きく崩落しているのが見えていた。
1年前の僕とイルティミナさんは、そこから深層部を脱出したんだ。
キルトさんは頷いて、
「ふむ。まずは、あそこに向かうか」
「うん」
「はい」
「わかったわ」
僕らは移動を開始する。
20分ぐらい歩いて、崩落した現場へと辿り着いた。
崩落したのは、幅30メードほど。
垂直方向に、50メードほどの崖になっていて、その下側に崩落した瓦礫や土砂が堆積して、緩やかな坂のようになっている。
他の場所に比べて、降りるのは半分の距離で済みそうだ。
(ま、それでも50メードもあるけど)
他の3人も、崖下を覗き込む。
「うむ。ここから降りれば、よかろう」
「ですね」
大人2人は、頷き合う。
ソルティスは、その後ろを通過しながら、トコトコと崖ギリギリまで歩いていく。
「ひょええ……」
前屈みになりながら、下を確認する。
吹く風が、柔らかそうな紫色の髪を揺らし、少女の白い喉がゴクンと鳴った。
と――その時だ。
ガコッ
(!?)
彼女の足元の地面がひび割れ、崩れた。
「へ……っ!?」
突然のことに、ソルティスは間抜けな顔をしながら、前方へと落ちていく。
(って、ちょっと!?)
慌てる僕だったけれど、
ガシッ
「危ないの」
キルトさんが素早く、少女の手首を掴んで、自分の方へと引き寄せていた。
ポフッ
キルトさんの胸に抱かれる形で助かったソルティス。
ちょっと呆然とした顔だ。
「あ……ありがと、キルト」
突然すぎて、まるで夢を見ていたような声。
キルトさんは、
「うむ」
と笑顔で応じている。
(よ、よかった……)
びっくりし過ぎて、こっちは、ちょっと心臓が痛いよ。
キルトさんは少女を抱きながら、
「どうやら、想像以上に岩盤が脆いようじゃ。降りる時は、気をつけねばならぬな」
と崖の方を見つめて言った。
それから、
「イルナも、よくこのような脆い崖を登れたの」
と声をかける。
イルティミナさんは苦笑した。
「私も苦労しましたよ」
「そうか」
「特に最後は、マールの助けがなければ、登り切れませんでした」
そう告げて、真紅の瞳は、優しく僕を見る。
う~ん。
(でも、僕が役に立ったの、本当に最後だけなんだよね)
ちょっと複雑。
なので僕は、曖昧に笑顔を返す。
ソルティスは、ようやく落ち着いたみたいで、自身の小さな胸を手で押さえながら、大きく息を吐いていた。
◇◇◇◇◇◇◇
それから僕らは、近くの2つの大木に、ロープを2本かけて崖を降りることにした。
2本にしたのは、もしものための予備だ。
「まずは、わらわが行く」
そう言って、荷物を地面に降ろしたキルトさんがロープを掴んだ。
シュルルル
慣れた感じで危なげなく、50メードの高さを降下していく。
(さすが、キルトさん)
やがて彼女が降り切ったら、今度は、4人全員の荷物を順番に降ろしていく。
その次が僕とソルティスだ。
腰にはもう1本、命綱となるロープを巻きつけて、イルティミナさんがそれをしっかりと握った状態で、僕から先に50メードを降りていく。
(よっとっと……)
風が吹くたびに、結構、揺れる。
なるべく両足を壁面に触れさせながら、慎重に下へ進んでいく。
ゆっくり、確実に……。
そう心に言い聞かせた。
やがて、無事に50メードを降下完了だ。
「ふぅ」
「よくやったの」
クシャクシャ
(わ?)
キルトさんに褒められるように、頭を撫でられてしまった。
続いて、ソルティスだ。
「うぅ……」
さっきの出来事があったからか、元々高いところが苦手なのか、なんか唸りながら降りてくる。
(が、がんばれ~)
見ていて、ハラハラする。
最後はキルトさんが両腕を伸ばし、小さな身体を抱き留めるようにして到着だ。
「うひ~、もうやだ!」
地面に座り込んで、そんな風に不満をこぼす。
あはは……。
「お疲れ、ソルティス」
「うっさい」
ペシッ
労ったのに、平手で叩かれてしまった。
これには、キルトさんも苦笑している。
そして最後は、イルティミナさんだ。
シュルル ストン
妹と違って、姉の方は何の問題もなく、20秒ほどで降りてきてしまった。
さすが、何でもできるお姉さん。
「お待たせしました」
なんて微笑む余裕もあるぐらいだった。
やがて僕らは、それぞれの荷物を背負い直して、立ち上がる。
「……帰る時、大変そうね」
ソルティスは恨めしそうに背後にそびえる大断崖を見上げて、そんな言葉を漏らした。
僕は、そんな彼女を見て、
「帰りは、僕が運んであげるよ」
「え?」
キョトンとするソルティス。
僕は言った。
「だって、僕、空を飛べるし」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「だったら、今も最初から飛びなさいよ! この馬鹿マール!」
ドゲシッ
(アイタッ!?)
いきなり蹴られました。
慌てて、キルトさんとイルティミナさんが僕らを分ける。
涙目で怒れる少女を押さえながら、キルトさんが言う。
「待て待て。そう怒るな」
「う~!」
「マールが空を飛べることは、わらわも知っておる。しかしの、それに慣れてはいかんのじゃ」
諭すような静かな声。
「そなたは、まだ若い、ソル。今は経験と能力を積み上げる時じゃ。安易な道にばかり頼ってはいかぬ」
「…………」
「のう?」
「……わかったわよ」
頬を膨らませながらも、頷くソルティス。
でも、僕と目が合うと「……ふんっ」とそっぽを向いてしまう。
すると、
「ごめんなさい、マール。どうか、ソルを許してあげてくださいね」
イルティミナさんが妹の代わりに謝ってくる。
(まぁ、ソルティスの癇癪は、いつものことだしね……)
僕は笑って、
「うん、大丈夫。気にしてないよ」
正直に言う。
イルティミナさんも安心したように、「ありがとう」と微笑んでくれた。
◇◇◇◇◇◇◇
50メードを降りてきても、地上まで、まだ50メードの高さがある。
森の木々を見下ろす高さだ。
「あ」
その緑の世界で、僕は、頭1つ高い三角形の人工物を見つけた。
僕の声で、3人も気づく。
「マールの暮らしていた塔というのは、あそこか?」
「うん」
キルトさんの問いに、僕は頷いた。
「……懐かしいですね」
ほんの1年前のことだけど、イルティミナさんも真紅の瞳を細めている。
ソルティスも「ふ~ん」と呟く。
異世界に転生した僕が、なんとか生き残れたのも、あの塔を見つけたからだ。
…………。
なんだか不思議な気分。
ポン
感傷に浸りながら眺めていると、キルトさんに背中を軽く叩かれた。
「では、行くとするかの」
そう笑う。
「うん!」
僕も笑って、元気よく返事をした。
そうして僕ら4人は、崩落した土砂の坂道を下って、ついにアルドリア大森林・深層部へと入っていった――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




