025・予兆、そして新たな地へ
第25話になります。
よろしくお願いします。
あぁ、夢を見ているんだ――そう気づく時がある。
今の僕は、まさにそうだった。
真っ暗な世界で、僕は一人ぼっちだった。
僕の肉体は、真っ白く光っていて、男なのか女なのかもわからない。
でも、背は低いし、手は小さいし、きっと『マールの肉体』なんだと思う。
そんな僕の前には、女神像があった。
その手から、光る水を溢れさせるそれは、あの塔の礼拝堂に飾られていたのと同じ女神像だった。
何も語らず、ただ静かな眼差しで僕を見つめ続け、そこにあり続ける。
(でも……なんだか、悲しそうだね?)
不思議と、そう思った。
その時、ふと僕の周りが明るくなった。
いつの間にか、僕を取り囲むように、6人の光る人たちが倒れていた。
みんな、僕と同じような年齢の子供だった。
男の子も、女の子もいる。
それが全員、倒れていた。
ピクリとも動かない。
死んでいる……そう思った。
不意に、光る6人の子供たちは、その形を変化させていく。
そうして光が消えたあとに残ったのは、あの壊れた6つの石の台座たちだった。
ボロボロになって割れ、砕け散った石の破片たちだけが、僕の周囲に転がっていた。
ふと、足元を見た。
たった一つ、無事な石の台座が、光っている僕の足の下にある。
僕は、女神像を見上げた。
(…………)
女神像は何も語らない。
その奥で、巨大な黒い何かが動いた。
黒い靄に包まれて、詳細はわからない。
でも、それが禍々しく、そして恐ろしいものだと直感する。
僕の胸は、何かに押されているように苦しかった。
黒い山のような何かは、大きな大きな黒い手を、女神像へと伸ばしてくる。
それは紫の光をまとっていて、
――やめろっ!
僕は叫んでいた。
でも、黒い手は止まらずに、女神像を鷲掴みにする。
――女神像は、粉々に砕けた。
あっけなく、壊れた。
まるで、あの6つの石の台座みたいに。
巨大な黒い何かは、赤い三日月のような口を見せて、笑った。
恐ろしかった。
僕の仲間たちは、誰もいない。
6つの石の台座は壊れている。
女神像も消えた。
――あれはきっと、悪魔だ。
そう気づいた。
その巨大な悪魔は、僕へも、その黒い手を伸ばしてくる。
僕も、殺されるんだと思った。
恐怖で竦んで、動けなかった。
その時、ふと横を通り抜けて、誰かが僕の前に立った。
深緑色の美しい髪が、長くたなびく。
その手には、翼飾りを大きく広げて、煌めく刃と魔法石を輝かせる白い槍が握られていた。
――彼女の背中は、僕を守るように、黒い悪魔に向かって、その白い槍を構えた。
あぁ……。
僕は、泣いた。
泣きながら、その人の名前を口にする……。
小さく振り返ったその美貌は、優しい微笑みを湛えていた。
その瞬間、世界に光が溢れて、僕は――目を覚ました。
◇◇◇◇◇◇◇
「マール? 目が覚めたのですね? あぁ……よかった」
安心したような笑顔は、驚くほど近くにあった。
僕は、目を瞬き、
「イルティミナさん……?」
と、その名を呼んだ。
一瞬、夢か現実か、わからなくなっていた。
その怖さもあって、僕の小さな手は、思わず、目の前にある彼女の頬に伸ばされる。
「マール?」
驚いたような声。
でも、イルティミナさんはその手を避けずに、僕の行為を受け入れてくれた。
熱くて、そして、柔らかな肌だった。
手の甲に触れる髪は、サラサラとしていて、とても気持ちがいい。
真紅の瞳は、宝石のようで、今そこには、僕の顔だけを映している。
「あぁ……本物だぁ」
僕は、つい笑ってしまった。
イルティミナさんも優しく微笑み返し、それから、少し恥ずかしそうに付け加えた。
「マール。少しくすぐったいです」
「……え?」
あ。
わぁああ!?
ようやく我に返った僕は、慌てて、彼女の頬から手を離した。
「ご、ごめんなさい! す、少し寝ぼけて」
「フフッ、大丈夫ですよ。落ち着いて」
彼女の瞳は、どこまでも優しい慈愛に満ちている。
それを直視しているのは恥ずかしくて、僕は、誤魔化すように視線を逸らす――すると、自分たちの周囲の状況が、その目に飛び込んできた。
そこは、森の中だった。
やっぱり、アルドリア大森林なんだと思う。
でも、夜明けが近いのか、右側の遠い空が、明るい紫色に変わってきていた。
そして僕は、いつものようにイルティミナさんに抱えられている。
彼女は、僕を抱きかかえたまま、ずっと歩き続けてくれていたようだ。
(あ、そうだ!)
そこまで思い出して、僕は、意識を失う直前の出来事――赤牙竜ガドの生首にソルティスが襲われたこと、それを庇って、僕が弾き飛ばされたことも思い出した。
自分の身体を見下ろし、全身を、小さな手で触ってみる。
怪我はないみたいだ。
(もしかして……?)
恐る恐る、シャツの襟を持ち上げて、首から提げた魔法石のペンダント――『命の輝石』を覗き込んだ。
その魔法石の中のタナトス文字は、いまだ青い光を輝かせ、僕の肌とシャツを青く照らしている。
(どうやら、死んだ訳ではなさそうだね?)
安心したような、拍子抜けしたような、不思議な気持ちだった。
と、そんな一連の僕の行動を見ていたイルティミナさんは、
「大怪我をした貴方を、ソルティスが回復魔法で治したのですよ」
「え?」
僕は、彼女の顔を見る。
見返したその真紅の瞳は、スッと前方へと向けられた。
つられて、僕の視線も、そちらを追いかける。
僕らの少し前を、キルトさんが歩いていた。
その背中には、あの巨大な大剣があって、今はそこに交差するように、魔法石のついた大杖も装備されている。
あれは、ソルティスの……そう思った時、キルトさんの両手が、僕らと同じように幼い少女を抱えていることに気づいた。
「魔力切れです」
イルティミナさんは、短く言った。
柔らかそうな紫色の髪をこぼしながら、ソルティスは、真っ白な血の気のない顔で眠っていた。
(えっ? ソルティス?)
まるで死んでいるように見えて、僕は、呼吸が止まりそうになった。
直前の夢で見た、あの倒れている6人の光の子供たちを思い出してしまったから、余計に恐怖があった。
彼女の姉は、淡々と言う。
「私の捜索もあって、徹夜が続いていたそうです。そこに、連続して魔法を使う状況だったので、脳への負荷が限界を超えたのでしょう。無理を重ねるから、こういうことになるのです」
「だ、大丈夫なの?」
「しっかりと休めば、問題はありません」
(そ、そう)
少し安心した。
でも、イルティミナさんの表情は、まだ曇っている。その美貌は、今度は僕へと向けられた。
「マール、貴方もですよ?」
「え、えっと?」
「妹を庇った時のことです。折れた肋骨が肺に刺さっていて、危なかったんです。妹を助けてくれたことは感謝しますが、あまり無茶はしないでくださいね?」
「…………。ごめんなさい」
彼女が泣きそうに見えたので、僕は素直に謝った。
すると、彼女は更に泣きそうな表情になって、
「いえ……本当は、全て私がいけないのですよね?」
「…………」
「キルトから聞きました。貴方が、夜の森で魔物に襲われ、倒れていたのだと。それも、私が判断を間違えたから。妹も、私のために無理を重ねて、その結果がこれです。マールのことを叱る資格なんて、本当は……」
ペチッ
僕の両手は、彼女の両頬を押さえていた。
「マール?」
驚いた顔のイルティミナさんに、僕は言った。
「貴方は、何も悪くない」
「…………」
「イルティミナさんに言われたから、僕は、夜の森を走ったんじゃない。僕が、そうしたいと思ったから、走ったんだ。それは、僕が選んだ決断。そしてその結果は、僕の背負う責任だよ? それを勝手に、イルティミナさんが奪わないで」
「……マール」
「きっと、ソルティスだって、同じだよ」
あの子は、イルティミナさんの無事を求めてた。
それを果たすために無理をしたし、それを後悔なんてしないと思う。
「あの時、ソルティスを庇ったのは、僕の決断。そんな僕を助けるために、無理をしようと決めたのは、ソルティスの決断」
「…………」
「僕らは、僕らのしたいことを、精一杯がんばったんだ。――みんなが、無事なために」
イルティミナさんの真紅の瞳を、僕は、真正面から見つめる。
そして、笑った。
「だから、褒めてよ。僕のこと、ソルティスのこと。みんな、無事だったんだから」
「マール」
彼女は、潤んだ瞳を伏せる。
そのまま、コツッとおでこ同士をぶつけてきた。
「確かに、私も皆も、無事でした。――ありがとう、マール。よくがんばりましたね?」
「うん」
僕は、元気よく返事をする。
イルティミナさんの笑顔が、嬉しかった。
(あとで僕も、ソルティスにお礼を言わないと)
見れば、仲間の腕で眠るソルティスは、「むにゃむにゃ……」と唇を動かして、そこから、一筋の涎なんかを垂らしていた。
なんだか眠ってても、意外と元気そうだ。
ふと見れば、イルティミナさんも同じものを見たようだ。
僕らは、互いの顔を見つめて、それから、小さく吹き出すように笑い合った。
◇◇◇◇◇◇◇
「僕らは今、どこに向かってるの?」
イルティミナさんの腕の中で、僕は、ふと聞いてみた。
彼女は、右側を見て、
「マール、太陽はどちらから昇っていますか?」
「えっと……」
もちろん、彼女の見ている方角だろう。
星々の宿る黒い空は、そちら側から少しずつ明るくなっている。
つまり、そっちは東側で、僕らの針路は北に向いている。
あぁ、そういうことか。
「なるほど、メディスの街なんだね?」
「正解です」
イルティミナさん、生徒を褒める先生の顔です。
僕は苦笑しながら、
(でも、ようやくメディスに着くんだ?)
小さな感慨にふけった。
たった2日のことなのに、何日もかかったような感覚だった。
(だって、濃密だったもんね)
100メートルの断崖を超え、珍しい森の世界を歩き、夜の世界で、魔物に襲われ、イルティミナさんの仲間に出会い、闇のオーラの赤牙竜ガドを退治した。
前世のことを考えても、一番、冒険した気がする。
「メディスまで、どのくらいかかるの?」
「午前中には、着きますよ」
夜明けの空を見ながら、彼女は言う。
ちなみに今、先頭を行くキルトさんも、僕を抱えるイルティミナさんも、走ることなく歩いている。
これは、眠っているソルティスを起こさないためで、更にいうと、急がなくていいだけの余裕が生まれた証拠でもあった。
(まぁ、歩いてても、結構な速度だけどね)
熟練の冒険者2人は、どちらも素晴らしい健脚の持ち主なのだ。
(午前中かぁ)
僕の胸には、初めての人の街への期待と楽しみが、ムクムクと湧いていた。
「ねぇ、イルティミナさん? メディスって、どんな街なの?」
「そうですね……」
少し考えてから、彼女は言った。
「アルドリア大森林に接する街としては、規模は大きい方だと思います。王都ムーリアに続く街道にありますので、周辺の村などが森で採取した品々を運ぶ中継点になっていますから」
「へぇ~?」
「人口は5千人ほどで、旅人や行商人のための宿屋も多いです。多くの冒険者が、アルドリア大森林に入る際に、よく拠点として活用していますね」
「なるほど。じゃあ、イルティミナさんたちも、その冒険者の1組なんだ?」
「そうなります。あとは、森に近いせいか、エルフの旅人をよく見かける街でもありますね」
エルフ!?
思わず、心が跳ねた。
やっぱり異世界ファンタジーなら、エルフはかかせない。
「エルフ、見たいかも!」
「おや? では、街に行ったら、一緒に探してみましょうか?」
「うん!」
やったー!
両手を上げて喜ぶ僕に、イルティミナさんは、優しく笑っている。
(……ん?)
その時、前を歩くキルトさんの黄金の瞳が、楽しげな僕らへと向けられているのに気づいた。
でも、すぐに視線は外れ、彼女は前を向く。
(キルトさん、笑ってなかったね?)
胸の奥が、急に冷えた気がした。
ソルティスが疲れて寝ているのに、騒ぎすぎたかな?
でも、あの横顔にあったのは、怒りや注意よりも、憂いの表情だった気がした。妙に悲しそうな、もどかしそうな雰囲気だった。
(なんだろう?)
しばらく考えたけれど、わからなかった。
でも、妙に気になる表情だった。
銀色の美しい髪が揺れる背中は、けれど、声をかけられるのを拒絶しているように見えて、何も聞けなかった。
「どうかしましたか、マール?」
「ううん、なんでもないよ」
僕の様子に気づいたイルティミナさんに、笑顔で答える。
彼女は、不思議そうに首をかしげたけれど、僕もそれ以上、何も答えることができなかった。
そのまま、僕らは森の中を進んでいく。
やがて、朝日が差し込み、木漏れ日が美しく森の中を照らしだす。
(綺麗だなぁ……)
樹海の朝は、神々しいような世界だった。
雨上がりの水滴に、森中がキラキラと太陽の光を反射している。
そこを歩く2人の魔狩人の女たちも、美しかった。
(うんうん、絵になるよね)
時間があったら、筆と紙で、この光景を描いてみたいと思ってしまう。
そんな気持ちを我慢して、更に数時間――草木を散らし、起伏を乗り越え、枝葉を潜って、彼女たちは森の中を進んでいく。
そして、とある一つの茂みを超えた先に、
「あ……」
「見えました、あれがメディスです」
小高い丘の上から見下ろせる、城壁に囲まれた街が現れた。
あれが、メディス。
思ったよりも大きかった。
街には、三方に街道が伸びていて、城壁と接する場所では、多くの馬車が見えている。
街の中には、湖のある公園が見え、見事な尖塔の教会があり、大通りには忙しなく動く人々の姿がある。
(これから、あそこに行くんだ!)
初めての異世界の街。
知らない人々の暮らす場所。
僕は、ドキドキが止まらない。
「さぁ、行くぞ、2人とも」
キルトさんが声をかけ、僕らは丘を下り始めた。
――長い旅路の果て、僕は、ようやくメディスの街へと辿り着いたんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※アルドリア大森林での物語は、これで、いったん幕引きとなります。次話からは、メディスの街が舞台になります。どうぞ、よろしくお願いします。




