235・神々の御言葉1
第235話になります。
よろしくお願いします。
まぶたを焼いていた白い光が、ゆっくりと消えていった。
(……う?)
僕は、恐る恐る目を開ける。
周囲は、腰の辺りまで真っ白い煙に包まれていて、それが地平の果てまでも続いていた。
……え?
地平の果てまで?
(どこだ、ここ?)
自分がカリギュア霊峰の山頂にいないことを、ようやく自覚する。
と、
「う、う~ん」
すぐ近くから、そんな声が聞こえた。
慌てて振り返ると、すぐそこの白い煙の中に、ラプトがうずくまっていた。
「ラプト」
「お? マールか?」
彼は、軽く頭を押さえながら、立ち上がる。
彼の額からは、2本の角が生えていた。
(神体モードだ)
ちょっと驚いていると、
「ナーガイア、大丈夫?」
「ポーは、問題ない、と答える」
後ろの方から、そんな声が聞こえてきた。
見れば、レクトアリスとポーちゃんも、煙の向こうに立ち上がっていた。
「レクリアリス、ポーちゃん」
「自分ら、平気か?」
「マール、ラプト」
「…………(コクッ)」
僕とラプトは、2人のそばに向かう。
(…………)
レクトアリスの額には、第3の眼が開いていた。
ポーちゃんも、柔らかな金髪から竜の角を生やしていて、手足も鱗に覆われている。
えっと、
「みんな、なんで神体モードなの?」
思わず、訊ねた。
3人はキョトンとしながら、自分たちの姿を見る。
「お?」
「あら、いつの間に?」
「ポーは驚いた」
……3人とも自覚がなかったみたいだ。
え……まさか。
そこで思い至り、僕は、急いで自分の頭とお尻を触ってみた。
「わ、生えてる!?」
僕も、耳と尻尾が伸びていた。
な、なんで?
別に『神体モード』を発動した覚えはないし、不思議と『神気』を消耗している感覚もなかった。
なんていうか、自然体。
自然のままに、神体モードでいられるんだ。
(!)
そこで気づいた。
着ていたはずの『妖精鉄の鎧』や『旅服』がなくなっている。
代わりに着ているのは、かつてアルドリア大森林・深層部で目覚めた時に着用していたのと同じ、白い半袖シャツとズボンの布服だ。袖や襟には、金糸の刺繍が施されている。
(どうなっているの?)
混乱しながら、僕の手は布の服を触っている。
と――その時、白く光る煙に包まれた世界に、甘やかな風が吹いた。
空が輝く。
太陽の光が強くなった、そう思った。
でも、違った。
(あ……)
輝く光は、僕らを照らしながら、大きな人の姿へと集束する。
3人も硬直した。
輝く光をまとわせて、
『――よく来ましたね、愛しい子らよ』
美しい巨人の女性が、僕らを見下ろしていた。
◇◇◇◇◇◇◇
(愛の女神モア様……)
心の中で、その名前が弾けた。
きっと、僕の中にいるアークインの記憶だ。
身長10メードもある光の女神様は、とても美しくて、可憐で、人が体現することのできない美を宿していた。
彼女自身の放つ光が、僕ら4人を照らしている。
(……あ?)
頬に違和感があり、指で触れる。
指先が濡れた。
泣いていた。
女神様の姿を見ているだけで、僕はいつの間にか泣いてしまっていたんだ。
「モア様……」
「あぁ……」
「……っ」
3人も泣いていた。
いつも無表情なポーちゃんでさえ、顔をクシャクシャにして涙をこぼしていた。
光の女神様は、微笑んだ。
『――おかえりなさい』
柔らかな声。
甘やかな香りと共に伝わる慈愛の心に、僕は震える。
大きな光る指先が伸ばされて、僕らの濡れた頬を優しく拭ってくれる。
『――貴方たちのことは、ずっと見てきましたよ』
あぁ……。
『――数多の試練を乗り越え、よくぞ、ここまで辿り着きましたね。ラプト、レクトアリス、ナーガイア、そしてマール』
その瞳は3人を見つめ、最後に僕を見る。
「モア様……」
僕は、彼女を見返した。
僕のことを『アークイン』ではなく、『マール』という名前で呼んだ。
それが、アークインとしては悲しくて、マールとしては嬉しかった。
ずっと見てきた……。
(その言葉に嘘はないんだ)
グイッ
僕は、泣いてしまった目元を、乱暴に腕で拭う。
「モア様、会えてとても嬉しいです。でも僕らには、まだやることがあります」
強い覚悟で告げた。
3人がハッとした顔で、僕を見る。
すぐに3人も涙を拭って、10メードはある光の女神様を見上げた。
僕は問う。
「僕らを呼んだのは、なぜですか?」
女神様は、僕を見つめる。
それから、柔らかな髪を揺らして頷いた。
『――さすがは『神狗の魂』を宿せし者、立派な戦心ですね』
優しい虹色の声。
そして、
『――貴方たちを我が愛の聖域に呼んだのは、他でもありません。人界にて戦う貴方たちに、伝えたいことがあったのです』
女神モア様は、そう続けた。
◇◇◇◇◇◇◇
(伝えたいこと……)
僕は、女神様を見つめた。
光る巨人の女神であるモア様は、
『――私たち神族は、300年前に人類が犯した過ちを忘れてはおりません』
と告げた。
(!)
心が震える。
偉大なる存在からの断罪の言葉は、人でもある僕にも突き刺さった気がした。
女神様は続けた。
『――我が子らを殺された私たちは、今、人界を襲う『災厄の種』の芽吹きを静観することにしていました。それは神族としての人の子らへの罰でもあります。しかし、一部の神族の子らは、それでも人への愛を忘れず、その身を地上へと降ろしていきました』
その視線は、僕ら4人に落とされる。
…………。
怖い、と思った。
でも、僕らは4人とも目を逸らさずに、女神様の視線を受け止めた。
(もう……覚悟はできてるから)
強く、静かに見つめ返す。
しばらく視線を交わして、女神モア様は困ったように微笑んだ。
『――本当に頑固な子らですね』
小さな吐息。
『――その意志を、その戦いを、私たちは見守ってきました』
(…………)
『――魔の手によって傷つき、殺されていく子らもいました。それらを全て、私たち神々は、そして、神界に残った子らは、この目に見続けてきたのです』
殺された子ら……。
あぁ、そうだ。『闇の子』に殺されたという7人の同胞のこと、僕は忘れていない。
3人も悔しそうな、悲しそうな顔だ。
それでも。
それでも僕らは、目を逸らさない。
ずっと戦ってきた。
僕も、アークインとしての記憶をなくして地上に来てから、何度も辛い目に遭った。
邪虎に手足をかじられ、盗賊に矢で射られ、スケルトンに斬られ、多くの戦いで傷だらけになって、大迷宮では心臓だって止まってしまった。
それでも、
(止まるわけにはいかない)
僕の守りたいものが、この世界にはあるから。
このマールの手が届く限り。
みんなを守る――そう決めたんだ。
『…………』
女神モア様は、僕の真っ直ぐな青い瞳を見つめる。
やがて、
『――神の力を失い、人の肉体に身をやつし、その魂を穢されて尚、貴方は人のために戦うのですね、神狗アークイン』
悲しげな声。
女神様は大きな瞳を、伏せる。
それから数秒後、長いまつ毛を震わせ、ゆっくりとまぶたを持ち上げた。
『――その愛に、私たちの心は動かされました』
(……え?)
『――マールの魂と献身に報いて、人の罪を赦し、私たち神族は400年の時を経て、再び人界への干渉を行うことを決めたのです』
気高き女神の声が、そう驚愕の事実を伝えた。
◇◇◇◇◇◇◇
(人界への干渉……?)
それって、まさか、
「神様がたが、再び地上に降臨されるっちゅうことですか!?」
僕ではなく、ラプトが叫んだ。
レクトアリスとポーちゃんも、その瞳を驚愕で見開いてしまっている。
神の降臨。
それは、400年前の神魔戦争の再現だ。
僕ら4人の視線を受けて、
『――その通りです』
愛の女神モア様は肯定なさった。
――――。
(あ……)
気づけば、手足がブルブルと震えていた。
レクトアリスは、両手で口元を押さえて、また泣きそうになっている。
僕は思わず、
「ほ、本当に?」
と訊ねてしまった。
「おい、マール!」
ガッ
ラプトに肩を強く揺さぶられる。
(え……あ!)
僕は今、女神様を嘘つきだと疑うような発言をしてしまったんだ。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて頭を下げ、謝る。
「すんません、女神モア様! マールも悪気はあらへんのや」
ラプトが口添えしてくれる。
ポーちゃんもコクコク頷いている。
10メードはある光の女神様は、けれど、穏やかな表情のまま、
『――えぇ、本当のことですよ、マール』
と微笑んでくれた。
(あ……)
安心感。
それから、その言葉の期待感に心が揺らされる。
表情を輝かせる僕に、けれど、女神モア様は片手を上げて、
『――しかし、それは容易く成せることではありません』
(……え?)
『――そして私は、その方法を伝えるために、貴方たちを呼んだのです』
と続けたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
『――私たちが人界に顕現するためには、巨大な〈門〉が必要なのです』
門?
それは、えっと……僕が目覚めた石の台座みたいなもの?
そう思ったけれど、
『――いいえ』
愛の女神モア様は否定なさった。
それから教えられたのは、『神様』たちは、『神の眷属』などとは比べ物にならない存在熱量を有した存在なんだって。
だから、神様が神界と人界の移動するには、それ相応の大きな力の『門』が必要になるそうなんだ。
(そっか)
400年前の門は、古代タナトス魔法王朝の魔法技術の粋を凝らしたものだったんだ。
現在の魔法技術で、同じものを造れるとは思えない。
「じゃあ、どうしたら?」
『――神霊石です』
女神モア様は言った。
『――かつて、私たちを通した門の核となった魔法石です。それを見つけ出すのです』
(神霊石?)
一度、神々が通り抜けたことで神威を宿した魔法石……それさえあれば、現在の魔法技術でも『門』は造れるとのこと。
そ、そうなんだ?
ただ、それは神魔大戦の折に、7つに砕けてしまったそうで、
『――それを集めなさい』
と女神モア様はおっしゃった。
僕ら4人は、頷いた。
(7つの神霊石……それを集めれば)
この世界に神々が降臨して、魔から人々を守れる。
『――ただし、それは容易い道ではないでしょう』
女神モア様は、そう警告した。
女神様の大きな手のひらが、僕ら4人に向かって、たおやかに振られた。
(う……?)
頭の中に、情報が流れ込んでくる。
な、なんだこれ?
世界地図のようなイメージ。
そこに7つの光る点がある。
シュムリア王国に2つ。
1つは、大きな砂海だった。所々に、突き立つような岩山が生えている。
(これは、ケラ砂漠?)
もう1つは、海のような広い湖だ。湖の上には、光るお城が建っている。
……あぁ、これはよく知っている。
(王都ムーリアの湖だ)
その砂と水の底に、『神霊石』があると伝わってくる。
そして3つは、アルン神皇国。
太古のお城、かな?
1つは、古びたお城と魔法陣の描かれた広場が視える。でもそこには、たくさんの不死人たちが蠢いていた。
(幽霊城……)
そんなイメージだ。
2つ目は、森林だ。
ジャングルみたいな樹々の世界の奥地を示している。
(樹海の奥、か)
3つ目は、巨大な崖だ。
まるでトグルの断崖みたいで、崖下は靄に包まれて見えない。その断崖絶壁の中腹に、洞窟の穴が開いていた。
その奥に、『神霊石』があるみたい。
(でも、まず、その洞窟まで行くのが大変そうだね)
そして、1つはドル大陸だった。
大きな巨木たちに包まれた都市がある。
樹々が家になった不思議な街だ。
その中で、一際大きな樹のお城。その奥の宝物殿にて、『神霊石』が安置されていると伝わってくる。
これは、
(エルフの国だ!)
前に、旅エルフのナタリアさんに見せてもらった絵とそっくりだった。
――ここまで6つ。
そして最後の1つは、海を越えた遥か別の場所。
明確な映像はない。
ただ、暗く、黒く、不気味な闇を感じさせるイメージが伝わってくる。
(……暗黒大陸)
なぜか僕は、そう気づいた。
これで、7つ。
愛の女神モア様は、愁いを帯びた瞳で僕らを見つめる。
『――これら7つの神霊石を集めた時、私たち神族は、人類の救済に動きましょう』
「……はい!」
僕は、大きく返事をした。
女神様は、ちょっと驚いた顔をする。
それから微笑んだ。
確かに『7つの神霊石』を集めるのが大変なのはわかった。
でも、
(それがどうした!)
今までだって苦労はあった。
でも、みんなで乗り越えてきたんだ。今回だって、やり遂げてみせる!
僕の青い瞳は、女神様を強く見つめ返す。
女神モア様は、嬉しそうに頷いた。
『――さすがは神狗、さすがはマール。その愛の強さを誇りなさい』
僕も頷く。
ラプトやレクトアリス、ポーちゃんは、そんな僕の横顔を、なぜか眩しそうに見つめていた。
◇◇◇◇◇◇◇
『――貴方たちに伝えたいことは、もう1つあります』
女神モア様は、そう言った。
その美しい表情は、少しだけ険しさを宿していて、
『――それは〈悪魔の欠片〉に関すること。貴方たちが〈闇の子〉と呼ぶ存在についてです』
と続けた。
(闇の子……?)
『――それは』
『――それは、ワシから伝えよう』
突然、雷鳴のような声が女神様の声を遮った。
え?
ガガァアン
次の瞬間、女神様のすぐ横の空間に、晴れ渡った空から落雷が落ちた。
(!?)
気がつけば、そこに巨人が立っていた。
身長30メードはある大巨人。
白い衣装をまとった、長い髭を携えた逞しい男性の神様だった。
ラプトとレクトアリスが、同時に叫んだ。
「「アルゼウス様!」」
男神様は、優しく笑った。
正義の神アルゼウス様。
愛の女神モア様と同じく、神魔戦争において中心となった3柱の神の1柱だ。
大いなる畏敬の念。
それと同時に、とてつもない安心感が湧いてくる。
そんな男神様だった。
アルゼウス様は、大きな指を伸ばして、自らの眷属であるラプトとレクトアリスの頭を撫でる。
2人は、とても嬉しそうだった。
『――アルゼウス』
『――モアよ、ここから先は、ワシが伝えよう』
正義の神アルゼウス様は、そう女神様に言う。
女神モア様は、自分の3倍はある男神様を見上げて、やがて小さく息を吐いて『――わかりました』と頷いた。
そして、アルゼウス様の巨大な顔は、僕らへと向いて、
『――あの〈悪魔の欠片〉は、〈悪魔〉への進化を目論んでいるのだ』
と逞しい声が、恐ろしい事実を告げた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、3日後の月曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




