234・女神の聖域
第234話になります。
よろしくお願いします。
僕の視界に映ったのは、石造りの部屋だった。
(…………)
あれ?
見た目、さっきの部屋と変わらない。
足元に魔法陣はあるし、四隅には、魔法球の設置された台座が立っている。
壁には、1つだけ扉がある。
……本当に転移したのかな?
ちょっと疑問に思った時だ。
「なんか、寒いわ」
ブルッ
僕と手を繋いでいた隣の少女が、身体を震わせて呟いた。
そういえば……。
さっきまでは淀んだ空気だったのに、今は、妙に冷たくて澄んだ空気になっている。
「ふむ?」
キルトさんは息を吐く。
白い。
吐き出された息は、白く染まっていた。
(気温が違ってる……?)
みんなも、その事実に気づいたようだ。
ということは、
タッ
僕は、扉へと急いで走った。
さっきまで、人1人が通れる幅だけ開いていた扉は、よく見たら今、完全に閉まっている。
僕は、そこに小さな身体を押し当てた。
ググッ
(お、重い)
「手伝います」
イルティミナさんがすぐに加勢してくれて、扉は少しずつ開いていった。
ゴゴッ ゴォオン
(うっ?)
今までよりも冷たい空気が流れ込んでくる。
鼻が痛い。
でも、隙間からは光が差し込んでくる。
光だ。
さっきまで向こうは地下通路であったはずなのに、光が差していた。
(っっ)
人が通れるだけの隙間ができた。
タンッ
その瞬間、我慢できなくなった僕は、すぐに部屋の外へと飛び出していた。
◇◇◇◇◇◇◇
(う、わぁあ……)
そこからの景色に、言葉を失った。
視界のほとんどを埋め尽くしていたのは、どこまでも澄み渡った蒼い空だ。
空には、雲1つない。
真っ白な雲たちは、下方を埋め尽くしていた。
雲海だ。
青い空と雲海だけ、目の前に広がっていた。
僕がいるのは、その雲海から続いている大地だった。
土と砂利と岩、そして雪の地面。
それは下方の雲海へと、なだらかな傾斜を描いて続いている。
ヒュオオゥ……
強い風が吹く。
さ、寒い。
吐く息は白くたなびいて、青い空へと吸い込まれていく。
「これは……」
僕を追いかけてきたイルティミナさんも絶句している。
あとに続いたみんなも同じだった。
全員、その雄大な景色を呆けたように見つめていた。
やがて、フレデリカさんが言った。
「……私たちは、カリギュア霊峰の山頂付近へと転移したのか?」
かもしれない。
どう見てもここは、山の上の景色だ。
眼下に広がる雲の下は、きっと、さっきまで僕らを濡らしていた土砂降りの雨が降っているんだろう。
僕は、振り返る。
僕らのいた部屋があったのは、石造りの建物だった。
三角屋根は尖っていて、扉の上には、天使のような彫刻がある。
(神殿……?)
小さいけれど、そんな雰囲気だ。
屋根も天使も、雪を被っている。
そして、石造りの神殿から山頂方向へと向かって、石畳の階段が長く続いていた。
多分、200メードぐらいかな?
僕らは、その階段を見つめる。
やがて、
「ふむ、行ってみるかの」
キルトさんが息を白くたなびかせながら、言った。
僕らは頷く。
濡れている雨除けローブは脱いで、防寒ローブへと着替えた。
(あったかい……)
震えていた身体も、少しだけ落ち着く。
そうして準備を整えた僕らは、ゆっくりと石の階段を登っていった。
◇◇◇◇◇◇◇
「はぁ、はぁ」
歩いているのに、すぐ息が切れる。
酸素が薄いんだ。
ソルティスも、魔法用の大杖を、まるで登山用の杖代わりにして「ひぃひぃ」と歩いていた。
「滑落せぬように、慎重にな」
先頭を行くキルトさんが警告する。
石の階段は、雪が残っていて、それが凍っていたりする。
ここで足を滑らせたら、山の斜面を転がり落ちてしまうんだ。
(気をつけないと)
ゆっくり、ゆっくり。
そんな僕とソルティスのすぐ後ろには、イルティミナさんが、万が一に備えて、さりげなく控えてくれていた。
本当に優しいお姉さんだ……。
やがて、石の階段の先に、小さな建物の影があるのが見えた。
(小屋……かな?)
石造りの民家みたいだ。
驚きながら、階段を登っていく。
あと50メード。
その時、
(あ……)
石の家のすぐそばに、1人の人影が立っているのに気づいた。
みんなも気づく。
警戒で、足が止まる。
けれど、向こうもこちらに気づいているはずなのに、動く気配はない。
…………。
僕らは無言のまま、また歩き始めた。
近づくにつれて、その人の姿も、はっきりとわかるようになった。
……竜だ。
僕は、そう思った。
正確に言うと、竜が、人の体型をしていたんだ。
身長は、1メードと70センチぐらい。
竜のような顔は、けれど、人のように丸みを帯びている。
全身は鱗に包まれ、手には鋭い爪が生えている。
その竜の人は、神官衣のような真っ白な服をまとっていて、服の足元からは、長い尻尾が見えていた。
竜なので表情はわかり辛いけれど、でも、とても落ち着いた雰囲気を感じる。
「竜人か?」
フレデリカさんが呟く。
竜人?
あれが……?
確か、ドル大陸にある国の1つが『竜人の国』だったはずだ。
でも、排他的で鎖国してるとか……。
そんな情報を思い出す。
ザッ
ついに僕らは、石の階段を登り切った。
竜人さんとの距離は、10メードもない。
思わず、見つめ合う。
やがて、竜人さんは微笑んで、
「ようこそ、いらっしゃいました。女神の招きし、人と神と魔の血を宿せし客人たちよ」
と、僕らに深く一礼したんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
(この声……!)
僕は、ハッとなった。
ラプト、レクトアリスも同じような顔だ。
ポーちゃんは、変わらないけど……。
でも、間違いない。
(暴風竜に襲われていた時、僕らを助けてくれた声だ)
鼓膜と頭の中と違いはあるけれど、声そのものは同じように感じたんだ。
僕らの視線に気づいて、
ニコッ
竜人さんは微笑んだ。
…………。
キルトさんが前に出る。
「そなたは何者じゃ?」
その手は、いつでも雷の剣を抜けるように備えられていた。
それを見つめ、
「私は、エマと申します」
竜人さんは静かに答えた。
そして、
「愛の女神モア様に仕える信徒の1人、そして、この聖域の管理者でもあります」
と続けた。
(聖域の管理者?)
僕の表情に気づいたのだろう、エマさんは微笑んで、
「この地は、かつて人々と愛の女神モア様が交信するための聖なる領域でした。私は、その手助けをしていました」
と言う。
人々と女神モアが交信するための場所。
じゃあ、やっぱりここは、
「女神の神殿……」
「かつては、そう呼ばれていましたね」
エマさんは穏やかに頷いた。
あぁ……。
僕らは無事に、目的の場所に辿り着いたんだ。
(よかった……)
その事実を確認して、とても安心した自分を感じる。
みんなも、どこかホッとした空気になった。
エマさんは竜の瞳を伏せる。
「ただし、その聖域も300年前に人々が犯した大罪によって、閉ざされてしまいましたが」
(え……?)
300年前……あぁ、そうか。
人類が『神の子』らを囮にして、『悪魔の欠片』と共に砲撃したという出来事。
愛の女神モアは、それに怒ったのだ。
「女神の怒りは、竜を呼び寄せ、人々を拒絶しました」
「…………」
「それでも尚、その試練を乗り越えてきた者には、聖なる交信を許されていたようですが……この300年、誰1人とおりませんでしたね」
エマさんは淡々と告げる。
僕らは、みんな黙ってしまった。
それに気づいて、エマさんは微笑んだ。
「失礼しました」
軽く一礼して、
「皆さん、お疲れでしょう? まずは、どうぞ中でお休みください」
と、背後にある石の家を示したんだ。
僕らは顔を見合わせる。
そして、冷えた身体を温めるため、少しだけ暖を取らせてもらうことにしたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
家の中には、テーブルがあり、そこには14人分の温かなお茶が用意されていた。
(お、美味しい……)
冷えた身体が、芯から温まる。
みんなも、ホッとした顔だ。
エマさんも優しく微笑んでいた。
改めて家の中を見るけれど、あるのは、粗末な食器棚や暖炉、藁敷きの寝床など、とても質素なものだった。
奥には、小さな女神像が飾られている。
…………。
僕は、ふと訊ねた。
「エマさん、1人でここで暮らしているの?」
「はい」
エマさんは頷いた。
「もう400年になりますね」
……400年?
(え? 竜人さんってそんなに長生きなの!?)
唖然となる僕。
「馬鹿な」
キルトさんが言った。
「竜人族の寿命は、長くても150年と聞いているぞ」
エマさんは微笑んで、
「私は、この聖域の管理者であるために、愛の女神モア様に『不老の肉体』を頂きました」
(不老!?)
みんな、目を剥いて彼女を見つめる。
そんな僕らに、
「なので、こうして人とお話をするのは、300年ぶりになりますね」
と、竜人さんは嬉しそうに語った。
…………。
神の奇跡の体現者。
もしかしたら、400年前のエマさんは『聖者』と呼ばれるような人だったのかもしれない。
そんな風に思った。
なんとなく、沈黙が落ちる。
やがて、フレデリカさんが意を決したように口を開いた。
「エマ殿。私たちは、その愛の女神モア様の神託によって、この地を訪れた」
「存じております」
エマさんは頷いた。
「女神のお言葉は、私も聞いております」
「では」
「はい、皆さんを聖域にお連れすることが、私の役目」
彼女は、ゆっくりと僕らを見る。
綺麗な竜の瞳だ。
それが順番に、僕らの顔を1人ずつ見つめていく。
その視線が、僕で止まった。
「神狗様ですね」
(!)
「そして、2名の神牙羅様。それと神龍様」
ラプト、レクトアリス、ポーちゃん、それぞれの上でも視線が止まる。
…………。
まるで心まで見透かすような瞳だ。
エマさんは、神官衣を揺らして立ち上がる。
14人の僕らを見据えながら、
「女神の望みしは、我が子らとの邂逅のみ。私が案内できるのは、この4名のみとなります」
と告げた。
◇◇◇◇◇◇◇
エマさんの案内で、僕らは、石の家の裏手へとやって来た。
そこは、カリギュア霊峰の本当の山頂部分。
そこに、平らな石畳が敷かれて、小さな円形の祭壇が造られていた。
石畳には、文字が刻まれている。
(あ……神文字だ)
僕は、そう気づく。
エマさんが石畳の前で、僕らを振り返る。
「これより先は、『神の御子』たちのみが立ち入りを許されます」
厳かな声で言う。
(ここからは、僕らだけか……)
「マール」
イルティミナさんに呼ばれて、振り返った。
ギュッ
(わっ?)
イルティミナさんの両腕が、僕のことを強く抱きしめる。
「どうか、気をつけて」
「うん」
「……必ず、私たちのところに帰ってきてくださいね?」
身体を離して、僕の両手を握りながら地面に膝をついて、僕の青い瞳を真っ直ぐに見上げる。
真紅の瞳には、不安の光が揺れていた。
まるで神界に行ったまま、戻ってこないのを心配しているかのようだった。
(……イルティミナさん)
安心させようと、僕は笑った。
「大丈夫だよ」
「…………」
「僕は、イルティミナさんのマールなんだから。必ず帰ってくる」
「はい」
イルティミナさんは、しっかりと頷いた。
パンッ
キルトさんが励ますように、僕の背中を叩く。
「行ってこい、マール」
ソルティスも、
「ちゃんと女神様の話、聞いてきなさいよ」
と、唇を尖らせて忠告する。
(うん!)
僕は、大きく頷いた。
ラプトとレクトアリスも、フレデリカさんやアルンの人たちから激励をされていた。
ポーちゃんも、コロンチュードさんに頭を撫でられている。
覚悟と別れの時間を過ごして、
「お待たせしました」
「さ、行こか」
「えぇ」
「…………(コクッ)」
僕ら4人は、エマさんと向き合った。
エマさんは頷いて、
「では、この中へ」
僕らに石畳の中へと入るように促した。
素直に従う。
…………。
(ふぅ)
これから女神様に会うのかと思うと、ちょっと緊張するね。
なんとなく、前髪を直したり。
「自分、落ち着いとるなぁ」
ラプトが苦笑する。
(そう?)
僕は首をかしげた。
それを見たレクトアリスまで苦笑いしている。
そしてエマさんは、石畳の外側を回るようにして、祭壇の前に向かった。
ボウッ
祭壇に火が灯された。
『リオル・コウル・オーリア・カミシヤ・タルラン・クルラン・リオル・コウル』
竜の目を伏せて、不思議な詠唱を紡ぐ。
(……?)
お香が焚かれているのかな?
甘いような匂いがする。
そして、祭壇から煙が溢れてきて、石畳の上へと広がっていった。
結構、凄い量。
イルティミナさんたち10人の人間たちの姿も、煙の向こうに見えなくなってしまった。
『リオル・コウル・オーリア』
エマさんの詠唱は続く。
独特のリズムが耳を打ち、なんだか意識がぼんやりしてくる。
ボッ ボッ
祭壇の炎が揺れる。
煙が広がる。
『アルガ・ル・ダール・オン・モア!』
エマさんが詠唱を強め、両手を天高くに広げた。
瞬間、
ドンッ
真っ白な光が、足元の神文字の刻まれた石畳から沸き上がった。
(うわっ!?)
光が僕の全身を包む。
「んわ?」
「きゃっ?」
「っっ」
3人の驚いた顔も、光に飲まれた。
カリギュア霊峰の山頂から、僕らを飲み込んだ光の柱が立ち昇り、青い空の彼方まで伸びていった――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




