227・空行く旅にて
第227話になります。
よろしくお願いします。
(女神様が……僕に?)
思わぬ言葉に、ポカンとなってしまう。
そんな僕を見つめて、軍服のお姉さんは言う。
「急な話ですまない。シュムリア王国へと『神武具』の件を伝えた直後に、巫女たちが神託の夢を見たんだ。おかげで連絡が間に合わなかった」
「あ、うん」
別に連絡が遅れたのはいいんだけど……。
「女神の伝えたいこととは何じゃ?」
僕の代わりに、キルトさんが問う。
フレデリカさんは、瞳を伏せて、首を横に振った。
「わからない」
「…………」
「巫女たちは、女神モアが『神の子』らと、特にマール殿と会いたがっているとしか聞かなかったそうだ」
(ふぅん?)
「神山の聖域とは、どこなのですか?」
今度は、イルティミナさんが訊ねた。
フレデリカさんは、テーブル上に大きな地図を広げた。
アルバック大陸西方の海岸線を示して、
「ここが現在地」
その指は、斜め右上に30センチほど移動して、
「そして、ここが神託の場と思われる山、カリギュア霊峰だ。400年前の神魔戦争において、愛の女神モアが初めて顕現した山として知られている」
へぇ、そうなんだ?
(カリギュア霊峰……か)
「その山を登ればいいの?」
「恐らく」
フレデリカさんは頷いた。
「山頂には、当時の人々が築いた『女神の神殿』があると言われている」
キルトさんが眉をしかめた。
「確定ではないのか?」
「すまない。実は、その霊峰には、もう長らく人が近づいていないんだ」
そうなの?
「というのも、カリギュア霊峰は別名『万竜の山』と呼ばれていてな。麓の森から山の中腹まで、多くの竜種が生息しているんだ」
(竜が……?)
「まるで『女神の神殿』を守るように万を超える竜がいると言われている。それで『万竜の山』だ」
…………。
ふと想像する。
今までに出会った赤牙竜や飛竜たちが、1万匹も集まった山や森……なるほど、誰だって行きたくない。
(長らく人が近づかないわけだ)
「でも、僕らはそこに呼ばれているの?」
「そうなる」
フレデリカさんは頷いた。
僕は、ちょっと遠い目だ。
ラプトやレクトアリスも、ため息をこぼしている。
表情が変わらないのは、ポーちゃんだけだ。
「しかも厄介なのは、そこが『愛の女神の聖域』ということだ」
え?
フレデリカさんは、神妙な面持ちで僕らに言う。
「『愛の女神』は死を嫌う。巫女たちによれば、もしも、その聖域たるカリギュア霊峰で、遭遇した竜を1体でも『殺生』してしまったら、山頂の『女神の神殿』は閉ざされるそうだ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
何それ……?
そこにいるたくさんの竜たちは、きっと僕らを襲ってくる。でも、僕らは、その竜たちを倒しちゃ駄目?
1体でも倒したら、女神様に会えなくなる?
(…………)
こ、このクエスト、条件が無茶苦茶だよっ!
「……私、行きたくないわ」
正直者のソルティスさんは、素直におっしゃいました。
僕も同感です。
「気持ちはわかる」
「…………」
「しかし、女神の呼び出しだ。それを無視するわけにはいくまい」
固い声でフレデリカさん。
彼女自身も、言っていることの大変さは理解してるのだろう。
でも、
「この呼び出しには、きっと人類にとっても重要な何かがあると思えるのだ」
と、真剣な眼差しで言った。
…………。
僕らは顔を見合わせる。
「そうだね」
僕は頷いた。
「とりあえず、やれるだけやってみようよ? やる前から諦めるのは、違う気がするもの」
「ふむ、そうじゃな」
キルトさんも同意してくれる。
「手傷を負わせて竜どもを追い払っていけば、道中、殺さずともなんとかなろう」
「うん」
「まぁ、かなり大変とは思うがの」
それは……そうだろうね。
「しかし私は、もしもマールの命が脅かされる状況になるならば、躊躇なく竜を殺しますよ」
イルティミナさんは、きっぱりと言った。
「女神の意志よりも、私はマールを尊重します」
「そうじゃな」
キルトさんは頷いて、
「マールに限らぬ。万が一、仲間の命が危険に晒されるならば、迷う必要はない。わらわも女神に背いてでも、この手を血に染めようぞ」
と力強く言い切った。
ソルティスも「当たり前よね」と口にして、コロンチュードさんも頷いている。
「ま、そん時はしゃーないわ」
「そうね」
「…………(コクッ)」
3人の『神の子』たちも理解を示してくれる。
「…………」
フレデリカさんは、初めに言い出したイルティミナさんのことを、なんだか眩しそうに、羨ましそうに見つめていた。
やがて息を吐き、
「皆の同意に感謝する。ならば、時間も惜しい。飛行船の準備ができ次第、カリギュア霊峰に向かうとしよう」
と、強い瞳で宣言した。
◇◇◇◇◇◇◇
僕らは、軍港内の離着陸場へと移動する。
そこには、全長500メードを超える巨大な飛行船が待っていた。
巨大な気嚢の下には、人の乗船する部分があり、そこから左右に翼が伸びている。その先には、また人が乗る部分があり、その先端には大きなプロペラがついていた。
(相変わらず、大きいなぁ)
近くで見ると、大迫力である。
出発準備の作業をしている船員さんたちの間を歩いていくと、飛行船の出入口の前に、立派な軍服の人が立っている。
「ハロルドさん!」
覚えのある匂いに、僕はその名を呼んでいた。
彼は笑った。
「久しぶりですな、神狗殿」
整えられた髭を蓄えた50代のナイスミドルのおじ様だ。
軍服の胸には、たくさんの勲章が提げられている。
「また神狗殿の空の旅のお世話をさせて頂きます。しばしの時間ではありますが、どうぞ、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
手袋を外したハロルドさんと、しっかりと握手。
キルトさんたちも、
「またよろしく頼む」
と握手を交わしていった。
最後にフレデリカさんが、
「では、ハロルド殿、準備が整い次第、すぐに出航を頼む」
「はい」
ハロルドさんは、アルン式の敬礼で答えた。
(おや?)
それにちょっと驚いた。
飛行船は、本来、アルン皇帝陛下の所有物だ。
それを預かるハロルドさんは、実は、かなり偉い立場の人で、けれど今のやり取りは、まるでフレデリカさんの方が上の立場みたいに見えたんだ。
飛行船内に入ってから、それを訊ねる。
「あぁ……それか」
フレデリカさんは、少し苦笑してから教えてくれた。
別れる前の彼女は、アルン軍第3騎士団第7騎士隊の隊長さんだった。
ところが、
「今の私は、皇帝陛下直轄で新設された神護騎士隊長なんだ」
とのこと。
ぶっちゃけていえば、対悪魔、対『闇の子』用に新しく作られた騎士隊なんだって。
(へ~、そうなんだ?)
・20年以上、誰もなしえなかった『大迷宮』の探索を成功させ、かつ無事に生還したこと。
・2人の『神牙羅』たちと信頼関係を結んでいること。
・神狗である僕や、シュムリア王国の『金印の冒険者』2人とも繋がりがあること。
などなどから、若くして異例の大抜擢。
皇帝陛下自ら、フレデリカさんの任命式も行ってくれたんだとか。
陛下に心酔しているフレデリカさんは、式の途中で感極まり、思わず涙をこぼしてしまったそうだ。
(凄いなぁ)
イルティミナさんも『金印の魔狩人』になっていたけれど、フレデリカさんもアルン神皇国で大出世したんだね。
僕は瞳を輝かせて、青髪のお姉さんを見つめてしまう。
フレデリカさんは苦笑して、
「とはいえ、実際は、ラプトとレクトアリスの世話係みたいなものだがな」
と言った。
それでも『皇帝陛下直轄部隊』という権力を手に入れたことで、かなり自由に、かつ迅速に物事に当たれるようになったそうだ。
その結果として、新しい『神武具』の入手もできたんだって。
そんな話を、僕らを飛行船内の客室まで案内する間に、フレデリカさんは教えてくれた。
「…………」
ちなみに、瞳を輝かせてフレデリカさんを見つめる僕の背中を、イルティミナさんは、なぜか複雑そうに見ていたんだ。
……はて?
◇◇◇◇◇◇◇
僕らが乗船して30分もしない内に、離陸準備は整った。
ゴゴォオン
係留されていた鎖が外されて、巨大な船体は、ゆっくりと空に浮上していく。
やがて、ある程度の高度に達したところでプロペラが回転して、巨大な飛行船は、海と大地と軍港を眼下に見下ろしながら、ゆっくりと北上していった。
(空からの景色って、やっぱり凄いなぁ)
離陸してからずっと、僕は、窓に張りついている。
眼下の大地はそれほどではないけれど、遠い北の方に見える大地は、まだ白く雪が積もっている。見えている山脈たちも雪帽子を被っていた。
季節はすでに、晩冬。
ヴェガ国にいる間に、冬は終わりかけていた。
う~ん。
(まるで、南国で寒い時期をやり過ごしたみたいだね?)
季節の移り変わりって早いなぁ、と思ったよ。
さて、飛行が安定してくると、僕ら9人は自然と、テーブルやソファーのある船内の共有スペースに集まっていた。
「ふぅん、ちゃんと勉強してたようね?」
「あったり前でしょ!」
レクトアリスとソルティスは、早速、勉強会を開いている。
ノートを広げる少女の隣には、もう1人、好奇心旺盛なハイエルフさんもちょこんと座り、『神牙羅』のお姉さんの授業を受けようとしていた。
一方、ラプトは、
「自分、相変わらず酒飲みなんか? もったいない女やなぁ」
「ふん、放っておけ」
「酒を飲まないキルトなど、逆に気持ち悪いですよ?」
「…………(コクッ)」
「なるほど。言われてみればそうやな」
「……そなたらな?」
キルトさんと楽しげに話し、そこにイルティミナさん、ポーちゃんも加わっている。
(みんな、楽しそうだ)
人も『神の子』も関係ない。
誰もが和気藹々と過ごしている様子に、僕は、青い瞳を細めてしまう。
と、
ゴゴン
(わっ?)
強風にあおられたのか、船体が大きく揺れた。
窓辺に立っていた僕は、思わず転びそうになってしまう。
ガシッ
「大丈夫か、マール殿?」
と、いつの間に近くにいてくれたのか、フレデリカさんが僕の腕を取って支えてくれた。
間近から、凛々しい美貌が僕を見つめている。
「あ、ありがと」
ちょっと照れながら、僕はお礼を言った。
フレデリカさんは「構わない」と優しく笑ってくれる。
それから彼女の勧めで、僕らはソファーに座った。
「そういえば」
僕は、ふと訊ねた。
「ダルディオス将軍は、元気なの?」
「父か? あぁ、元気だぞ。今回は任務で顔を出せなかったが、変わりない。年齢を考えたら、もう少し大人しくなってくれてもいいんだがな」
と、フレデリカさんは笑う。
でも、口ではそう言いながらも、活動的な父には、どこか安心もしているみたいだった。
「ふ~ん? 任務って?」
「各地で起きる反乱の平定だな」
軍服の麗人は、少し生真面目な口調で答えた。
……反乱。
「アルンが今の国土を平定してから、まだ50年と長くはない。残念ながら、そのような反乱がいまだ起きるのだ」
「……そう」
人類と悪魔の戦いがある中で、人と人の争いもあるなんて。
僕の暗くなった表情に気づいて、
「父も、今回マール殿たちに会えないことを、とても寂しがっていたよ」
と優しく言って、手を伸ばしてくる。
サラサラ
僕の髪を、労わるように撫でてくれた。
それから、フレデリカさんはハッと気づいた顔をして、慌てて手を離した。
「っと、すまない。相変わらず、マール殿は親しみ易くて、つい……。気を悪くしたなら、許してくれ」
「ううん」
僕は『大丈夫』と笑った。
フレデリカさんも、安心したように微笑む。
そして、
「マール殿は、本当に変わらないな」
「そう?」
「あぁ。……実は、貴殿らに再会するということで、私は楽しみでもあったんだが、同時に少し緊張していたんだ」
緊張……?
(なんで?)
キョトンとする僕に、彼女は苦笑する。
「なんでだろうな?」
「…………」
「もしかしたら、マール殿に置いていかれた気がしたのかもしれない」
(置いていかれた?)
「アルンにいても、マール殿の活躍の報告は、耳に入っていた。あっという間に4人目の『神の眷属』を見つけ出し、『闇の子』と接触して停戦と共闘の約定を取り付けた」
「…………」
「本当に凄いことだ」
フレデリカさんは、しみじみと呟いた。
そして、自分の左頬の傷に触れて、
「私たちも負けじと、『神武具』を手に入れることに奔走し、それに成功することができた。だが……」
「…………」
「その間に、マール殿たちは『悪魔の欠片』を倒していた」
深いため息がこぼれる。
その碧色の瞳が切ない光を宿して、こちらに向いた。
「どんなに必死に追いかけても、マール殿たちは、私たちの先を歩いていく。それが置いていかれる気持ちになったのかもしれない」
……そうなんだ。
僕は、フレデリカさんを見つめる。
彼女も僕を見つめていた。
「だが、実際に会ってみれば、マール殿は変わっていなかった」
「…………」
「偉業をなし、その剣の腕も磨かれたようだ。けれど、心の本質は何も変わらず、私の知るマール殿のままだった」
「…………」
「それが嬉しくて、本当に安心したんだ」
そう笑ったお姉さんの笑顔は、本当に魅力的だった。
思わず、目を細めてしまう。
フレデリカさんの言っていることは、正直、自覚がないのでよくわからない。でも、今の僕自身を受け入れてくれているんだなと思えて、僕の方こそ嬉しかった。
僕は笑った。
「僕だって、フレデリカさんに会えて嬉しかったよ」
「そうか」
フレデリカさんは、はにかみながら頷いた。
と、
「おや、ずいぶんと仲がよろしいことで?」
ギュッ
(わっ?)
突然、僕の首へと後ろから、白い蛇のように2本の腕が巻きついた。
「イ、イルティミナさん」
僕は、なぜかどもってしまった。
いや、やましいことは何もしてないよ?
してないはず、だよね……?
イルティミナさんは、僕を抱きしめながら、フレデリカさんを軽く睨みつける。
「この子は、私のマールですよ?」
と一言。
そんなイルティミナさんの顔を見つめて、それから、フレデリカさんの視線は、彼女の左薬指にある指輪へと向けられる。
「…………」
そして、ため息。
「貴殿は、本当に相変わらずだな?」
「…………」
「わかっているさ。……だが、人の心は移ろいやすい。せいぜい、慢心せぬように気をつけるのだな」
「ぬ……」
バチチッ
視線の火花が散った気がする。
(…………)
動けぬ僕の前で、軍服の麗人は、ソファーから立ち上がった。
「カリギュア霊峰までは、1週間ほどだ」
「…………」
「一番近い街にて、飛行船は下りることになる。そこからは、竜車で霊峰の麓まで向かう」
あ、そうなんだ?
「その街には、2名の協力者を呼んである」
「協力者?」
「『神武具』を入手する際、共に遺跡に潜ってもらったアルン在住の『金印の冒険者』たちだ」
(!)
アルンの金印!?
何か思うところがあったのか、イルティミナさんの表情も引き締まる。
「彼らとも、どうか親交を深めてくれ」
フレデリカさんはそう笑った。
それから彼女は、ハロルド船長と航路と航行予定の確認をするということで、「ではな」とこの場から去っていった。
イルティミナさんは何も言わなかった。
僕を抱きしめたまま、動きもしない。
やがて、短く息を吐いて、
「まったく……彼女も手強くなりましたね」
「…………」
「しかし、私は負けませんよ、マール?」
そう僕へと微笑みかけてくる。
うん?
よくわからないまま、微笑み返す。
そんな僕に、イルティミナさんは嬉しそうに頬ずりをしてきたんだ。
あはは、くすぐったい。
でも、しっとりした滑らかな肌が心地好くて、綺麗な長い髪も頬をこすって、いい匂いもして、なんだか幸せ。
つい彼女と笑い合う。
それから、みんなとも、また楽しく喋った。
――そうして、僕らの1週間の空の旅は、あっという間に過ぎていったんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




