223・銀の指輪と旅立ち
第223話になります。
よろしくお願いします。
「まぁ、そんなことがあったのですか」
その日の夕方、僕は、イルティミナさんからドル大陸の公用語を教わっている時に、キルトさんが求婚されたことを話した。
ちなみに、キルトさん本人とソルティスは一緒にお風呂に行っている。
客室の中には、今、僕ら2人だけだ。
キルトさんのこと、本当は黙っていようと思ったんだ。
けど、
「? どうかしたのですか、マール?」
なぜかイルティミナさんには、隠し事をしていることがばれてしまった。
あまりに心配されて、キルトさんに口止めもされていなかったし、イルティミナさんなら大丈夫かなと思って、話すことにしたんだ。
聞き終えたイルティミナさんは、真紅の目を丸くしていた。
でも、
「キルトがそう決断したのなら、私たちから言うことは何もありませんね」
と、最終的には頷いていた。
(ふぅん?)
そういう信頼している感じは、とても大人だなぁと思ったよ。
僕は、ドル大陸の単語をノートに書き込む手を止めて、聞いてみる。
「イルティミナさんも、結婚とか考えるの?」
「え?」
彼女は、びっくりしたように僕を見る。
それから頷いた。
「私も女ですからね。もちろん、考えたことはありますよ」
そっか。
「ただ私は、子供が産めませんから」
「…………」
「それを知ってからは、あまり考えないように意識していましたね」
そう少し悲しそうに笑った。
(…………)
別に、子供が欲しくて結婚する訳じゃないと思うけど……。
でも、そう思うのは、僕が子供だからなのかな?
大人なイルティミナさんは、違う考え方なのかもしれない。
(どうしよう?)
このあと、僕はイルティミナさんに『あること』をしようと思っていたのに、ちょっと困ってしまった。
「?」
イルティミナさんが、綺麗な髪を揺らして首を傾けた。
「マール? まだ何か隠していますか?」
「うっ」
またばれた。
どうする? どうする?
(ええい、もうこのまま言っちゃえ!)
半分やけくそになりながら、僕は覚悟を決めた。
姿勢を正して、彼女の方を向く。
「イルティミナさん」
青い瞳で、彼女の美貌を真っ直ぐに見つめる。
それに何かを感じたのか、イルティミナさんも姿勢を正してくれる。
「はい」
真紅の瞳が、僕のことを見つめ返す。
僕は言った。
「実は、イルティミナさんに渡したい物があります」
「渡したい物?」
驚くイルティミナさん。
僕はポケットをゴソゴソやって、小さな布袋を取り出した。
「どうぞ」
はい、と差し出す。
イルティミナさんは受け取って、
「…………。中を見ても?」
「うん」
布袋の口を締めていた紐を解いていった。
白い指が、中身を取り出す。
「これ、は」
イルティミナさんの声が詰まった。
――彼女の白い指が摘まんでいるのは、『銀色の指輪』だった。
実はこれ、ソルティスの髪飾りを作ってもらった時に、飾り職人さんに頼んで、一緒に作ってもらった物なんだ。
ソルティスにプレゼントを用意していたら、いつもお世話になっているイルティミナさんにも、何かをあげたくなってしまった。
そんな時に、職人さんが指輪も作れるというのでお願いしたんだ。
(さすがにオリハルコン製じゃないけど)
でも、純ミスリル銀製。
この異世界での希少金属。
アーノルドさんに頼んで、僕の持っているリド硬貨を、ヴェガ国の通貨に換金してもらったんだ。
指輪の価格は、1万リドほど――つまり100万円だ。
イルティミナさんは、熱い視線で指輪を見つめる。
それから、震える声で僕に聞いた。
「マール……。その、これは?」
「えっとね」
僕は、一生懸命、自分の心の内側を言葉にした。
「あと1年と3ヶ月で、僕は、約束の15歳なんだ」
「…………」
「でも、それまで1年と3ヶ月もある」
イルティミナさんと正式にお付き合いできるまで、それは絶対に守らなければいけない時間だけど、でも、とても長い時間だと思えた。
……はっきり言う。
今の僕は、イルティミナさんにまるで釣り合っていない。
(イルティミナさんは、本当に大人で、本当に素敵な人だから……)
子供の僕では、全然、似合わなくて。
だから、彼女には、僕よりももっと相応しい人がいるんじゃないかって不安になったりするんだ。
もちろん、イルティミナさんの気持ちを疑っているわけじゃない。
僕だってがんばるつもりだ。
でも、もしも1年と3ヶ月の間に、彼女が僕よりも大事に思える人ができた時には、悔しいし悲しいけれど、それは受け入れなければいけないと思ってるんだ。
だけど、
(だけどさ……)
僕は、イルティミナさんを見つめた。
「今の僕の精一杯の気持ちは、きちんと伝えたかった。それを形にして、残しておきたかったんだ」
「…………」
イルティミナさんは、何も言わなかった。
ただ僕の顔を見つめていた。
…………。
(やっぱり、子供っぽいって思われたかな?)
でもいいんだ。
僕がイルティミナさんを好きな気持ちに、嘘は1つもないんだから。
だから、目は逸らさない。
イルティミナさんは、『銀の指輪』を見つめた。
角度を変えて、そして、ふと気づく。
「…………」
白い指が、内側に掘られた文言をなぞった。
『愛しいイルティミナへ』
僕の大切な心の内を、そこに刻んでもらった。
「……なんと言えば良いのでしょうね」
イルティミナさんは、小さく呟いた。
その顔は、笑っているようにも、泣きそうなようにも見える。
僕は答えた。
「何も言わなくてもいいけど……ただ、できれば受け取ってもらえたら嬉しい」
「…………」
「…………」
「はい」
彼女は頷いた。
美しい深緑色の長い髪がヴェールのように揺れて、美貌を隠す。
スッ
白い左手の薬指に、指輪をはめる。
(…………)
凄いドキドキしてる、僕。
イルティミナさんは、それを見つめて、小さく笑った。
「ぴったりですね」
「うん」
抱き枕になっている時に、こっそり指のサイズを確かめたもん。
彼女は、大きく息を吐いた。
「ありがとう、マール」
「ううん」
喜んでもらえたかな?
潤んだ真紅の瞳が、左手の薬指に嵌められた『銀の指輪』を見つめる。
それから、彼女はこちらを見た。
白い両手が、僕の頬に添えられて、
「ん」
(わっ?)
突然、美貌が近づいて、キスされてしまった。
長い舌が、僕の唇を割ってくる。
うわわ、気持ちいい……っ。
10秒ほどして、彼女の唇は、ゆっくりと離れた。
ドキドキ
僕の鼓動は、痛いほどに速くなっている。
蕩けそうな顔をしたイルティミナさんが、なぜか僕を睨んでいた。
「マールは酷い子です」
「え?」
「こんな不意打ち……私の理性を虐めて、そんなに楽しいのですか?」
い、いや、そんなつもりはないんだけど……?
「我慢できなくなっても知りませんよ?」
「…………」
「でも……」
「…………」
「でも、嬉しいです」
か細くて、儚い声が小さく告げた。
(……イルティミナさん)
僕の手は、無意識に彼女の頬に添えられた。
視線が上がり、見つめ合う。
もう一度、今度はお互いが顔を近づけて、唇が重なった。
チュッ アムッ
大人なキスです。
夢中になって、持っていたドル大陸の公用語が書かれたノートを落としてしまった。
(あ)
僕は問いかける。
「えっと……残りの勉強は、どうしよう?」
「今日は忘れなさい」
「…………」
うん。
苦笑する僕。
そんな僕へと、女の顔になったイルティミナさんは、また唇を求めてくる。
キルトさんとソルティスが戻ってくるまで、夕暮れの赤い部屋で、僕らは、ずっと大人なキスを楽しんでしまった――。
◇◇◇◇◇◇◇
――時は、あっという間に流れた。
ヴェガ国の『悪魔の欠片』たちを倒してから2ヶ月、『悪魔の死体』を王船に乗せることが完了したと報告が入って、僕らは最初に訪れた港町へと戻っていた。
「お疲れ様です、コロンチュード様!」
「……ん」
再会したハイエルフさんに、ソルティスは労いの敬礼である。
コロンチュードさんの横には、フワフワした金髪の幼女もいる。
僕は、そちらに近づいた。
「ポーちゃんもご苦労様。特に問題はなかった?」
「……(コクッ)」
ポーちゃんは頷く。
(そっか)
僕は笑って、なんとなく彼女の頭を撫でてしまった。
金髪は柔らかくて、とても気持ち良かった。
ポーちゃんも、水色の瞳を細めている。
『悪魔の死体』を移送するということで、今回、コロンチュードさんは大活躍だった。
重さ数トンもある『悪魔の死体』を運ぶため、20台の『獣車』が用意されていたけれど、コロンチュードさんが『重力軽減』の魔法を使ったおかげで、予定よりも早く運搬できたそうなんだ。
しかも、死体が腐らないように『時間停止』の魔法も使ったとか。
「……信じられないわ」
荷台に刻まれた魔法陣に、ソルティスは茫然だった。
時を操る魔法なんて、世界広しといえど『コロンチュード・レスタ』にしか使えないんじゃないかと彼女は言う。
それぐらい、難易度の高い魔法なんだって。
(天才少女のソルティスでも無理なんだ?)
ちょっとびっくり。
でも、14歳の魔法使いと1000歳の魔法使いを比べるのは、ちょっと酷だよね?
それでも、
「いつか私も、その境地に辿り着いてみせるわ!」
少女はやる気満々だった。
うん、さすがソルティス! がんばれ!
そうして、コロンチュードさんのおかげで、『王船』への積み込み作業も終わって、僕らは明日、ヴェガ国の港町から出港することになった。
◇◇◇◇◇◇◇
その夜、借りた高級宿の部屋で、お別れの食事会をやっていた。
「お前たちには本当に世話になった」
アーノルドさんは、獣の牙を削ったコップを片手に、そう言った。
キルトさんは笑った。
「それはお互い様じゃ。こちらこそ、世話になった」
空いている手で、固い握手を交わす。
(…………)
求婚して断られた関係だけど、2人の間にわだかまりはないみたいだった。
やっぱり大人だ。
と思ったら、
「もしも心変わりしたならば、いつでも来い。俺は、待っているぞ」
アーノルドさん、片目を閉じてそう言った。
キルトさんは苦笑する。
「待たんでよい。わらわなぞより、もっと良き女子を探せ」
…………。
本気なのか冗談なのか、よくわからないなぁ。
ちなみに、ヴェガ国国王のシャマーン陛下とは、首都カランカを出立する時に挨拶を済ませてある。
本当に、穏やかな物腰のおじいさんだった。
重荷が1つ消えて、その表情は、初めて会った時よりもより温和になっているように思えたんだ。
(素敵な王様だったな)
国を治めるには優しすぎる気もしたけれど、優しくない王様よりはいいよね。
そんなことを思い出しながら、食事をする。
と、
「美味しく食べていますか、マール?」
イルティミナさんに声をかけられた。
「これからは滅多に食べられないドル大陸の料理ですからね。今の内に、しっかりと楽しみましょう」
「うん」
笑って頷いた。
そんな僕に、イルティミナさんも微笑んでくれる。
――その彼女の白い左手の薬指には、銀色に輝く指輪がはめられている。
…………。
なんだか嬉しくて、恥ずかしい。
僕の視線に気づいて、イルティミナさんも頬を赤らめてしまい、はにかみながら、その指輪を右手の指先で撫でていた。
それにしても、
(明日からは、海の上か)
そうして2ヶ月間の航海で、シュムリア王国へと帰ることになる。
ヴェガ国に、ドル大陸に来る機会は、またあるのかな?
こっちに来てからの日々を思うと、ちょっと寂しいような気持ちになってしまった。
(うん、こっちの料理の味、しっかり堪能しよう)
そう思った。
そして、そんな風に食事をしていた時だ。
ドタドタドタ
廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。
(ん?)
そして、
ダンダンダン
部屋の扉がノックされる。
みんなの食事の手が止まった。
「いったいなんだ?」
アーノルドさんが扉を開ける。
そこは、ヴェガ国の獣人の兵士さんが立っていた。
その手には、細長い筒がある。
敬礼して、兵士さんは言った。
「失礼します。シュムリア王国より緊急の連絡が届きました」
「何?」
え……緊急の連絡?
アーノルドさんは書簡を受け取り、すぐに内容を確認する。
獅子の顔に驚きが走った。
「ほう?」
「どうした、アーノルド? 何が書いてあった?」
キルトさんが問う。
彼は、書簡を彼女に渡した。
受け取り、キルトさんの目が、それを直に確認する。
「……おぉ」
彼女も驚きの声を漏らした。
それから、見つめる僕らへと向き直って、キルトさんは教えてくれた。
「アルン神皇国より、シュムリア王国に連絡があったそうだ」
え? アルン?
「かの地で未発見の巨大遺跡を確認し、そこから、ラプト、レクトアリスの協力の元、新たな『神武具』を発見、それを入手することに成功したそうじゃ」
…………。
「新しい神武具!?」
その意味に、僕は思わず大きな声を出してしまった。
他のみんなも驚いた顔をしている。
キルトさんは頷いた。
「ついてはマール、そなたが『神牙羅』たちに貸与していた神武具を返還するため、アルンに来て欲しいとのこと」
アルンに……。
あの懐かしい『神界』の同胞たちの顔が、美しい女黒騎士さんや熊みたいな将軍さんの顔が、目の裏に浮かぶ。
ポケットに手を入れる。
そこには、3センチほどの金属球――神武具のコロがある。
3つに分かれた内の1つ。
手紙の内容は、つまりラプトとレクトアリスに渡したその内の2つを、僕に返したいってことだ。
1つに戻れば、『神武具』も、本来の性能を取り戻す。
僕は、キルトさんを見つめた。
「キルトさん」
「うむ」
彼女は大きく頷いて、はっきりと告げた。
「シュムリアに帰る予定は変更じゃ。わらわたちはこのヴェガの地より、そのままアルン神皇国へと海を渡るぞ」
ご覧いただき、ありがとうございました。
今話にて、ドル大陸編はひとまず幕となります。
次回からは、アルバック大陸のアルン神皇国がマールたちの冒険の舞台です。もしよかったら、どうかこれからも彼らの物語を見守ってやって下さいね~。
※次回更新は、3日後の月曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。
※キリが良いので、次の更新までの間に『登場人物紹介3』を投稿予定です。もしよかったら、こちらも見てやって下さいね~。




