021・絶望の先に
第21話です。
よろしくお願いします。
※今回、少し残酷な描写があります。どうか、ご注意ください。
「さぁ、行きなさい、マール!」
イルティミナさんの声に弾かれるように、僕は、ランタンを片手に夜の森へと走りだす。
赤牙竜の巨体は、森小屋の正面――距離にして15メートルほどまでに、接近していた。
イルティミナさんは、白い槍を逆手に持ち、大きく振り被った。
翼飾りが解放され、中から美しい刃と魔法石が現れる。
その真紅の瞳と魔法石が光を放ち、彼女は、全力でそれを投擲した。
「シィッ!」
キュボッ
白い閃光は、狙い違わず、赤牙竜の右目を貫く。
ドパアァン
衝撃で眼球が弾けて――けれど、赤牙竜は、痛みを感じないのか、動揺することもなかった。
錆びた機械のように、首が傾き、残った左の眼球が、自分を攻撃した対象を補足する。
『グルァォオオオオオオッ!!!』
夜の闇を、咆哮が切り裂く。
大地を蹴って、赤牙竜が突進し、イルティミナさんはタンッと跳躍して、それを避ける。
ドゴォオオ
避けた先にあった丸太小屋に激突し、小屋は積み木のように倒壊する。
柱や屋根の残骸が、宙高くまで舞い上がった。
「白き翼よ、我が手に戻れ!」
右目の部分に突き刺さっていた、白い槍が、また閃光となって、空中にいた彼女の手に戻る。
彼女はそのまま、近くの木を蹴り、独楽のように回転しながら赤牙竜の頭上へと襲いかかった。
ガギィイインン
白い刃と赤い鱗が、激しい火花を生み出した。
「ちぃ……っ」
赤牙竜の上で、イルティミナさんは舌打ちする。
刃が通らない。
奴は、そのまま大地を走り、彼女を挟みこもうと大木へと激突する。
ぶつかる直前、彼女はまた跳躍し、「シィッ!」と空中から白い槍を投擲した。
ギィイン
また火花が散る。
それでも無傷の赤牙竜がぶつかった大木は、折れて地面に倒れ、激しい土埃が舞い上がった。
「…………」
遠目に見ても、魔狩人イルティミナ・ウォンと赤牙竜ガドとの戦いは、凄まじかった。
素早いスピードで3次元にヒット&アウェイを繰り出すイルティミナさんに対し、赤牙竜は圧倒的なパワーでそれを捻じ伏せようとする。
それは素人の僕が割り込む隙間なんてない、まさに高レベルの戦いだ。
(でも、不利なのはイルティミナさんだよね?)
彼女の攻撃は通用してないのに、赤牙竜の攻撃は1度でも喰らえば、おしまいだった。
(だから、少しでも早く、僕が行かないとっ!)
ランタンの灯りに照らされる大地を、僕の足は、必死に必死に駆けていく。
ドパァン ドゴォオ ズズゥン……
段々と遠くなっていく戦いの音が、怖くて、恐ろしくて、僕は祈るような気持ちで懸命に走り続けた。
◇◇◇◇◇◇◇
――どれくらい、時間が経ったのか。
「はぁ……はぁ……はぁ」
僕は、乱れた呼吸のままに、森を進む。
あれから、何度、転んだかわからない。
雨上がりの森で、僕の全身は、もうドロドロに汚れていて、転んで打った部分も痛くて堪らない。
それでも、足は緩められなくて、
(紅い月は……?)
時折、木々の隙間から、2つの月の位置を確認する。
紅い月は、僕の背中側――昼間の太陽の位置と比べれば、方角がわかるから、
「だから……北は、こっちだ」
焼ける肺に、酸素を取り込み、悲鳴を上げる心臓に鞭打って、また走りだす。
いや、走っているつもりだけど、もうほとんど歩きと変わらない。
あぁ、なんで僕は、こんな子供の肉体なんだ?
体力もなく、手足も短い。
イルティミナさんの健脚とまではいかなくても、もう少し、速く走れてもいいじゃないかっ!
(……がんばれ! もっと動いてくれ、僕の足っ!)
でも今は、その悔しい感情も、力に変えて走る。
それしかない。
『――私も、マールを信じているから、託すのです』
だって、託された僕にできるのは、それだけだから。
タッ タッ タッ
「はぁ、はぁ、はぁ」
夜の森に、僕の足音と呼吸音だけが聞こえている。
だけど、いつからだろう?
タッ タッ タッ ヒタ ヒタ ヒタ
「はぁ、はぁ、はぁ」『フッ、フッ、フッ』
それに、何か別の音が重なる。
(何かいる!? 後ろから、近づいてきてるっ?)
気づいても、僕は足を緩められない。
その間にも、違う足跡はどんどんと増えていく。
2つ、3つ、4つ……どこまで増えるの!?
恐怖を堪えながら走っていると、その内の1つが僕の横に並んだ。
「まさか、邪虎っ!?」
ランタンの灯りに照らされる姿は、紛れもない、猿のような狐の魔物だった!
驚く僕の顔を見て、奴は笑ったようだった。
次の瞬間、その黒い魔物は、僕目がけて跳躍する。
「うわっ!?」
ドンッ
激突の衝撃で、僕は地面に転がり――その左腕に、激痛が走った。
邪虎の鋭い牙で、噛みつかれたのだ。
強い痛みに脳が焼け、皮膚が破れて、血が溢れたのを感じる。
(っっっ!)
反射的に、右手で殴った。
ガツッ
『ギャッ!』
悲鳴を上げて、邪虎は離れた。
痛みを堪えて、僕は、慌てて跳ね起きる。
でも、その時にはもう、足を止めてしまった僕の周囲は、他の邪虎たちによって囲まれていた。
その数、7匹。
「やめてくれよ……今は、君たちの相手をしてる暇は、ないんだ!」
僕は、荒い呼吸のまま、懇願する。
もちろん、通じる訳がない。
邪虎たちは、ただ『お前を喰うぞ』、『喰わせて?』、『早く喰いたい、喰いたい』という感情を瞳に宿して、僕への包囲網を縮めていく。
(くそっ、イルティミナさんが待ってるのにっ!)
また一匹、飛びかかってきた。
右手で叩き落とす。
でも、その隙に、別の一匹が、足に噛みついた。
このっ!
返す右手で、また殴る。
離れた。
今度は、左から2匹同時に襲ってくる。
傷ついた左腕を振り回して、追い払った。
でも、それだけで泣きそうなほど痛い。
「はぁ、はぁ……邪魔だ!」
僕は、奴らを無視して、走りだした。
邪虎たちは、すぐに追いかけてくる。
(駄目だ、振り切れない!)
次の瞬間、背中から飛びかかられて、僕は地面へと引きずり倒された。
「あ」
衝撃で、手の中からランタンと――発光信号弾の金属筒が転がり落ちる。
慌てて、伸ばした腕を、思い切り噛みつかれた。
ガブッ
「――――」
痛みと焦りで、視界が赤く染まった。
瞬間、僕は無意識に、腰ベルトから片刃の短剣を――『マールの牙』を抜いていた。
ドスッ
刃は、驚くほど簡単に、邪虎の腹部に吸い込まれる。
重い手応え。
切り裂いた肉と刃から、邪虎の心臓の鼓動が伝わる――それが、急に止まった。
牙が離れて、噛みついた邪虎は、地面に転がった。
その口から、紫色の血液がトクトクと溢れだした。
僕の手には、紫の血を滴らせる、銀色の刃が輝いている。
――時間が、停止したようだった。
(……殺した?)
僕が、殺してしまった?
目の前に倒れている命を、僕は、奪っていた。
初めて自分のこの手で、ただ生きるために必死だっただけの生物を、その生命を食べるためでもなく、怒りに任せて当然のように消していた。
そんな自分に衝撃を受け、僕は『マールの牙』を両手で持ったまま、立ち尽くす。
けれど、嘆く暇はなかった。
仲間を殺された邪虎たちは、逃げることもなく、怒りに目を血走らせ、一斉に襲いかかってきたのだ。
「う、わ、ぁあああああっ!」
僕は、無我夢中になって『マールの牙』を振り回した――。
右から襲ってきた奴の腕を、斬り落とした。
僕の左ふくらはぎに、噛みつかれた。肉が千切られたような気がする。
斬り返す前に逃げられて、背中から飛びかかられた。逃げられないよう、左手で押さえて、その首に『マールの牙』を突き刺す。
倒れた僕へと飛びかかって来た別の邪虎に、その死体を投げつける。
ひるんだソイツへと、僕が飛びかかって、その顔面に『マールの牙』を思い切り振り下ろした。
同時に、僕の耳を、別の邪虎が食い千切る。
傷ついた左手で、殴りつけた。
避けられる。
追いかけて、その足を斬り飛ばした。
その僕の両足を、邪虎2匹が、同時に噛みついた。
泣きながら、僕は『マールの牙』を振り回して、その1匹の背中を斬り裂いた。
斬って、噛まれて、殴って、千切られて、また斬って――。
…………。
……………………。
…………………………………………。
気がついたら、僕は、血の海に一人、倒れていた。
「…………」
周りには、邪虎の死体が転がっている。
全部、殺したのか、それとも、残りに逃げられたのか、よくわからない。
(そうだ……発光信号弾を)
イルティミナさんが待っているんだ。
モゾモゾと、芋虫のように地面の上を這っていく。
転がるランタンの灯りに照らされて、金属製の筒は、キラキラと輝いている。
(あった、よかった)
僕は、それを掴もうと手を伸ばす。
そこには、人差し指がなかったけれど、気にもならなかった。
なんとか掴んで、立ち上がろうと思った。
メディスから5キロの距離までは、まだまだ歩かなければならない。
「あ……れ?」
でも、足に力が入らなかった。
寒くて、寒くて、全身から力が抜けていく。
(駄目だよ、イルティミナさんもがんばってるんだ。僕も、がんばらないとっ!)
よろめきながら、立ち上がって、
ズシャッ
転んだ。
また立ち上がろうとして、
ズシャッ
また転んだ。
何度やっても、上手く立てない。
なんでだろう?
見たら、両足ともボロボロだった。
指や肉が、全然、足りない……。
僕は泣いた。
歩けなかった。
僕はもう、これ以上、歩いていけなかった。
「……ごめん。イルティミナさん、ごめんなさい」
信じてくれた人を、僕は裏切ることになる。
キラキラした発光信号弾の筒の下側を、僕は捻った。
カシュッ
側面から、引金が飛び出した。
人差し指がなかったので、中指をあてがう。
僕は、天に向かって、それを構えた。
メディスからは、見えないかもしれない。
でも、せめてイルティミナさんには、伝えなければいけなかった――僕が失敗したことを。
この発光信号弾の光を見たら、彼女はきっと気づくだろう。
もう、僕のために足止めをする必要はない。
それに、もしかしたら彼女なら、戦いながらでも、メディスまで逃げ切れるんじゃないか? そんな甘い希望も夢見ていた。
「……ごめんなさい、イルティミナさん。マールは失敗しました」
泣き笑いで告げて、僕は引き金を引いた。
シュポッ パァアアアン
打ち上げ花火のように、光る弾丸が射出されて、森の木々の遥か高みで弾けた。
まるで、夜に生まれた太陽のように、その輝きはアルドリア大森林を照らしている。
「……あぁ、綺麗だなぁ」
状況も忘れ、そんなことを思った。
その輝きは、10分ほど、夜空に煌めいていた。
このまま、僕は死ぬのだろうか?
魔法のペンダントで復活するとしても、僕とイルティミナさんの様子を見ると、目覚めるまでには何時間もかかりそうだった。
その間に、また邪虎や他の森の魔物に襲われて、喰われてしまうだろう。
何の意味もない。
(……転生マールの人生は、ここで終了かな?)
「あはは……」
絶望と諦めに小さく笑って、僕はまぶたを閉じた――その時だった。
◇◇◇◇◇◇◇
「――あれ? なんか、子供が倒れてるよ?」
誰かの声がした。
まだ幼い、女の子の声だ。
「ほぅ? 発光信号弾を撃ったのは、この小僧か?」
また声だ。
今度は、もっと落ち着いた大人の女性の声だ。
僕は、重いまぶたを懸命に開く。
そこにいたのは、ランタンを手にして、ローブを頭まで被った2人分の人影だった。
陰に隠れて、顔は見えない。
誰だろう?
(いや、誰でもいいんだ)
小さい方の影がしゃがんで、僕の頭をツンツンとつつく。
「この子、死にかけてるね? 助ける?」
「いや、放っておけ。仮に助けても、人探し中のわらわたちに、子供を連れて歩く余裕はない。申し訳ないがの」
「そだね。――ごめんね」
影が立ち上がる。
そのまま遠くなるローブの端を、僕は、必死に掴んだ。
ガクンッ
「にょわっ!?」
転びそうになった影が、悲鳴を上げる。
振り返った2人に、僕は掠れる声で訴えた。
「お願い……助けて」
2人は、顔を見合わせた。
小さな影は、ローブを引っ張るけれど、僕は残った力を振り絞って絶対に離さない。
困ったように、大きい影を見上げる。
「どしよ?」
「ふむ。――坊主。すまぬが、わらわたちは、そなたを助けられぬ」
違う……。
「僕じゃない」
「?」
「この奥で、戦ってるんだ。……彼女を、イルティミナさんを助けてっ!」
ゲハッ
叫んだ拍子に、口から血が溢れた。
2人の影は、硬直した。
そして、背の高い方の影が、僕の前へと片膝をついてしゃがみ、頭部を覆っていたローブを外した。
銀色に煌めく長い髪が、こぼれ落ちてくる。
月光に照らされて、そこに現れたのは、イルティミナさんにも負けない美貌。
「坊主……今、イルティミナと言ったな?」
「お願い、お願いします……助けて、あの人を……お願い」
うわ言のように繰り返す。
銀髪の美女は、「ふむ」と頷いた。
「ソルティス、回復魔法をかけてやれ」
「う、うん!」
小さい影が頷き、頭のローブを外す。
こぼれ出たのは、軽くウェーブのかかった紫色の綺麗な髪だ。
まだ幼さの残る美貌は、僕と同じぐらいの年齢に見える。
彼女は慌てたように、ローブの下から取り出した杖を、両手で構えた。
彼女の身長よりも、ずっと大きく、捻じれたような木製の杖だ。
先端には、大きな魔法石があり、杖はそれに根が絡むように繋がっている。
その魔法石が、緑色に輝き始めた。
コツン
僕の頭に、その杖の先端が押し当てられる。
「アンタ、イルナ姉のこと、知ってるのね? すぐ傷を塞ぐから、全部、喋りなさいよ! ――ラ・ヒーリォム」
(……イルナ姉!?)
ドクンと、心臓が跳ねた気がした。
同時に、杖の触れた場所から、暖かな何かが流れ込んでくる。
それは、すぐに全身に行き渡って、痺れるような熱さが満ちていく。その熱さに溶かされるように、脳を焼き続けていた痛みが消えていく。
(回復魔法……これが!)
寒さが消えて、手足に力がこもった。
僕は、呆けたように身体を起こして、地面に座った。
自分の両手を見る。
失われた指が、戻っていた。
「あ、ありがとう……」
僕は、神の奇跡を見た子羊のように、彼女たちを見返した。
(まさか、この2人は……もしかして)
紫髪の少女は、両手で持った大杖を肩に預けて、得意げな顔をしている。
銀髪の美女は、その少女の肩に片手を置き、
「まずは名乗ろう。わらわたちは『冒険者ギルド・月光の風』に所属する魔狩人――名は、キルト・アマンデス」
「ソルティス・ウォンよ♪」
こんなことって、あるのだろうか?
血の海に満たされた夜の森。
その絶望の闇の中で、僕はこうして、イルティミナさんの仲間たちと出会ったのだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
ようやく、キルトとソルティスの登場です。長かった……。
次話からは、もう少し活躍してくれます。