203・鬼姫キルトVS神龍のポーちゃん
第203話になります。
よろしくお願いします。
太陽の光を浴びながら、木剣を手にした2人は、船の甲板で向き合った。
距離は5メード。
僕らは、少し離れてそれを見守る。
「いつでも良いぞ」
キルトさんは、木剣を肩に担いで立ったまま、そう言った。
「…………」
ポーちゃんは無言のまま、自分の手にある木剣を見て、
カラン
それを甲板に放った。
(え?)
乾いた音が響き、僕らは唖然となった。
「ポ、ポーちゃん?」
思わず、声をかける。
ポーちゃんはこちらも見ずに、こう答えた。
「必要ない」
「…………」
「ポーは、ポーの戦い方を行う」
そう言いながら、小さな左右の手を目の高さまで持ち上げ、軽く握った。
(あ……)
それは、まるでボクサーや空手家のような構え。
「ほう? 無手が得意か」
キルトさんが感心したように呟いた。
ポーちゃんは黙ったまま、構え続けている――それが答えだ。
無手の戦士。
ポーちゃんは、いや、神龍ナーガイアはそういう戦い方の眷属だったのかな?
この異世界においても、それはとても珍しいらしく、イルティミナさんやソルティスも驚いた顔をしている。
(でも、どこまでキルトさんに通じるのかな?)
ポーちゃんは、すでに弱体化している。
『神の眷属』としての肉体を失い、脳の負傷で『神龍』の能力も大半が使えないという。
更に武器も手放して、
(……大丈夫なのかな?)
正直、ちょっと心配だ。
でも、キルトさんは、それがポーちゃんの望む戦い方ならと受け入れた顔である。
落ち着いた表情で、幼女を見つめている。
と、
「キルキル」
不意にコロンチュードさんが呼びかけた。
「む?」
キルキル、つまりキルトさんは、戦いに集中しようとした意識を、変な呼び方で止められて、少し不快そうな顔をした。
それを無視して、ハイエルフさんは言う。
「ポーは『神龍』」
と。
(???)
「だから、なんじゃ?」
キルトさんも苛立ったように聞き返す。
皆の視線を集めるコロンチュードさんは、その白い手を僕の頭にポフッと乗せた。
(え?)
「神狗は群れで戦う者」
「…………」
「…………」
「神牙羅は守る者」
眠そうな声。
そして彼女の瞳は、無手で構える幼女へと向けられて、
「――神龍は殲滅する者」
そう静かに告げる。
(殲滅する者……?)
聞いている僕らは、ポーちゃん以外、困惑している。
コロンチュードさんは、ポーちゃんの守護者であり、身元引受人だ。
そして共に暮らしながら、『神龍』である彼女のことも調べている。
その中で、何かを知ったのかな?
キルトさんが真意を探るように、猫背のハイエルフさんを見つめる。
彼女は、眠そうに答えた。
「つまりね……キルキル、死なないで」
(……は?)
それは、つまりポーちゃんの心配ではなくて、キルトさんの心配をしているってこと?
唖然となる僕ら。
キルトさんも、ポカンとしている。
彼女は、コロンチュードさんに何かを言い返そうとして、
ユラリ
「!」
その寸前、ポーちゃんがゆっくりと、幼い右拳を振り被った。
「ぬっ!?」
キルトさんが何かに気づいた顔をした。
慌てたように、木剣を正眼に構える。
いや、でも2人の距離は5メード以上も離れている。拳なんて届くわけもなくて、
ヒュッ
ポーちゃんは、それでも拳を突き出した。
軽い動き。
空気が裂ける小さな音。
小さな拳の先で、白い火花が散ったように見えた。
そして、
パァアン
酷く乾いた音がして、キルトさんの手にしていた木剣が根本付近から、粉々に砕けた。
「――がっ!?」
キルトさんが苦鳴を漏らす。
(え……?)
そして、最強の『金印の魔狩人』は、甲板の床に膝をついた。
え、え?
「キルトさん……?」
キルトさんの口の端から、赤い血がこぼれていた。
「キルト?」
「え……ちょ、ちょっと、キルト!?」
イルティミナさんたち姉妹も、ようやく異変に気づく。
「…………」
ポーちゃんは、相対する人間のその姿を確認すると、構えていた両手をゆっくりと下ろした。
小さな右手の周辺で、神気の放散する光がパチパチと散っている。
いったい何が?
(まさか、ポーちゃんが何かをしたの!?)
僕は混乱していた。
キルトさんは、膝を震わせたまま、立てなかった。
あのキルト・アマンデスが完璧に負けていた。
震える声で、彼女は問う。
「ポー……そなた、何をした?」
ポーちゃんは、淡々と答えた。
「神気の弾丸」
「…………」
「ポーは、神龍の力の一部をほんの瞬間、解放した。その放たれた神気の弾が、貴方の肉体を内部から破壊した」
神気には、そんな使い方が……?
『神龍』の幼女は、跪く銀髪の美女を見つめる。
「ポーは幼い外見」
「…………」
「けれど、この世の人間の誰よりも長く生きている」
「…………」
「戦いに関しては、貴方よりも長く研鑽している。見た目で侮るなかれ」
キルトさんは目を見開いた。
自分が驕っていた事実に気づいたんだ。
(いや、それは僕らも同じだよ……)
キルトさんの強さを過信していた。
キルトさんの方が、弱体化したポーちゃんよりも強いと思っていた。
でも現実は、
「ほい、治療……終了」
ピカッ
玩具みたいな魔法の杖を光らせて、キルトさんを照らすコロンチュードさん。
キルトさんは、ようやく立ち上がった。
「…………」
手にした砕けた木剣を見つめて、悔いるような顔をしている。
ポーちゃんは言った。
「ポーも、貴方の実力を把握した」
「…………」
「ポーは、この先の共闘を頼もしく思っている」
抑揚のない声。
まるで社交辞令のように聞こえてしまう。
そして、
「ポーは、ポーを終える」
カチリ
何かが切り替わる気配がして、ポーちゃんは無表情のまま、ポ~っとなった。
海風が、ポーちゃんの柔らかな髪を揺らす。
やがて『神龍』の幼女は、コロンチュードさんを伴って、船内の部屋へと戻っていった。
「…………」
「…………」
「…………」
それを見送って、僕ら3人はようやくキルトさんに近づいた。
「…………」
キルトさんは、壊れた木剣を見つめたままだ。
僕は、恐る恐る声をかけた。
「キルトさん」
「…………」
彼女は目を閉じる。
再び開けられた時には、いつものキルトさんに戻っていた。
「やれやれ、してやられたわ」
「…………」
「…………」
「…………」
「実力を見るつもりが、逆に見られてしまうとはの。わらわも未熟じゃ」
銀色の前髪をクシャリとかき上げて、
「――完敗じゃ」
重い鉄のような声でそれを認めた。
僕は、何も言えなかった。
それに気づいて、キルトさんは笑うと、僕の頭をポンポンと軽く叩いた。
波の音が響く。
船の周囲には、青い大海原が広がっている。
その船の甲板で、キルトさんは青い空を見上げると、
「……世界は広いの」
何かを噛み締めるように呟くと、またまぶたを閉じて、空に向かって大きく吐息をこぼしたのだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「ポーちゃん」
あのあと、僕はポーちゃんを追いかけていた。
部屋前の廊下で2人に追いつく。
ポーちゃんは振り返り、僕を見つめる。
コロンチュードさんは、そんな僕とポーちゃんを眺めて「……ん」と頷くと、1人で先に部屋の中に入っていった。
気を使ってくれたのかな?
(別にいてくれても良かったんだけど)
そう思いながら、改めて、彼女に話しかけた。
「ポーちゃん。よかったら、ポーちゃんにもこれを受け取って欲しいんだ」
そう言って、ポケットから『虹色の球体』を取り出す。
『神武具』だ。
本来は3センチほどの大きさだけど、これは1~2センチほど。
そう、僕は『神武具』を2つに分けたのだ。
これは、その内の1つ。
「…………」
ポーちゃんの水色の瞳は、ぼんやりと美しい『虹色の球体』を見つめた。
カチリ
瞳の中で『何か』が切り替わり、
「ポーは答える。否、と」
(え……?)
予想外の答えに、僕はポカンとなった。
「マールの『神武具』は、すでに3分の1の性能だ。更に分割されたこれは、6分の1の性能だ」
「…………」
「そこまでの性能低下は、利点より欠点が大きくなると判断」
彼女の小さな手は、球体のある僕の手に触れた。
ゆっくり、僕の指を閉じさせる。
「ゆえに、否」
ポーちゃんは、いや神龍ナーガイアは、そうはっきりと答えた。
(…………)
僕は、困ったように閉じられた自分の手に視線を落とす。
それから、ポーちゃんの顔を見つめた。
「本当にいいの?」
6分の1でも『神武具』はかなり強力な力だと思うのに。
「いい」
でも、ポーちゃんの拒絶は変わらない。
その幼い美貌が、少しだけ柔らかく微笑んだ。
「ポーは、マールと異なり、力を失っても、戦闘技術は失っていない」
「…………」
「その分、マールは自身の生存率をあげて欲しい」
(ポーちゃん……)
その気遣いに、胸が熱くなった。
「ありがと、ポーちゃん」
水色の瞳を真っ直ぐに見つめて、お礼を言った。
ポーちゃんは頷く。
それから、ふと思い出したように、こんな言葉を口にした。
「この時代の人間は、とても優秀だ」
「え?」
「キルト・アマンデス。無意識ではあったけれど、ポーの放った神気を木剣で斬った」
え、そうなの!?
「そうでなければ、内臓破裂」
「…………」
僕は、微妙な顔になった。
「コロンチュードがいるので、治療可能。問題なし」
あっさり言うポーちゃん。
(いやいやいや)
どうしよう? ポーちゃんがだいぶ、あのハイエルフさんの考え方に毒されている……。
それとも、元々、似た者同士?
ポンポン
悩ましい僕の肩を『気にするな』と、叩くポーちゃん。
それから、
「この時代の人間たちも、本当に面白い存在が揃っている」
と、少し懐かしそうに呟いた。
…………。
400年前、人と共に戦った『神龍』。
そして、かつての人類の裏切りから、辛うじて生き残った『神の眷属』の1人。
彼女の中で、また少しだけ人間に対する印象が変わったみたいだ。
「そうだね」
僕は笑った。
ポーちゃんは頷いた。
そして、
カチリ
スイッチが切れるように、瞳の中から何かが消えた。
「…………」
そのまま僕に見送られて、部屋の中へと入っていく。
パタン
ドアの閉まる音。
僕はしばらく、そのドアを見つめた。
やがて、手の中にある『神武具』をポケットにしまうと、笑顔のまま、急いでキルトさんたちのいる甲板へと戻っていった。
◇◇◇◇◇◇◇
ドル大陸を目指す船旅は、それからも続いた。
もちろん順調な日々ばかりじゃなかった。
大雨の日や、嵐の日もあった。
強風によって生みだされる大波は、十数メードの高さにまで達して、船体を激しく揺らした。
それこそ終わりのないジェットコースターに乗っているようで、突然の傾きや落下によって、船室の中で身体のあちこちをぶつけたりした。
250メードもの巨大な王船。
けれど、それが大自然の中では、ちっぽけな存在なのだとつくづく思い知らされたよ。
嵐の海域を抜けた翌日は、僕もソルティスもグッタリしていた……。
それ以外にも、
「――撃てぇ!」
ドォン ドドォオン
接近する魔物に向かって、大砲を撃ったこともあった。
真っ赤なクラゲだった。
でも、その軟体生物は、全長100メードもあった。
それが海面をプカプカと漂いながら、こちらに接近してきたんだ。
半透明の体内には、未消化の船の残骸が幾つも見えていた。
(アイツ、他の船を襲ったことがあるんだ?)
それに乗っていた人たちは、どうなったんだろう?
最悪の想像に青くなる。
何十発も大砲を浴びせて、イルティミナさんも白い槍を何回も投擲して、最後はコロンチュードさんが「……ほい」と魔法の杖を指揮者のように動かした。
ドパァアアン
海面がドリルのように盛り上がり、巨大な赤クラゲを引き裂いた。
ほとんど2つに裂かれたクラゲは、けれど絶命することもなく、プカプカと波に揺られながら、海面を遠ざかるように去っていった。
軍服の船員さんたちもホッとする。
キルトさんも安堵の吐息をこぼし、『雷の大剣』にずっと添えていた手を離した。
ソルティスは賞賛の眼差しを、大魔法使いのハイエルフさんに送る。
「さすが、コロンチュード様!」
「……えっへん」
寝癖だらけの長い金髪を揺らして、彼女は胸を張っていた。
僕は、白い槍を手にしたお姉さんに近づいて、
「イルティミナさんもお疲れ様」
「はい、マール」
声をかけると、彼女は嬉しそうに僕を抱きしめる。
スリスリ
自分へのご褒美というように、頬ずりされてしまったんだ。
――そんな風にして、2ヶ月は、あっという間に過ぎていった。
そして、ある晴れた日の午後、
「見えてきたぞー!」
船員さんの声で、僕らは船室を出ると、急いで甲板に集まった。
甲板には、他の船員さんも集まっていた。
その中に混じって、僕らも、皆が見ている方向へと視線を送る。
360度、海しかなかった世界。
そこに、青く霞んだ大陸が見えていた。
(あれが……)
僕は息を呑んだ。
ソルティスは、そばにいた姉の服の裾をギュッと握る。それに気づいたイルティミナさんも、妹の肩を優しく抱き寄せた。
コロンチュードさんとポーちゃんは、無表情のまま、けれど視線も動かない。
キルトさんが静かに言った。
「ようやく来たの。――あれがドル大陸じゃ」
涼やかな海風が、僕らの間を通り抜けた。
それは青い空へと吹き上がっていく。
シュムリアを出国して59日目、僕らは長い航海の果て、ついにドル大陸へと到着した――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




