202・青い海の旅
第202話になります。
よろしくお願いします。
シュムリア王国を出国してから、海の旅は1週間が経った。
旅は順調だ。
最初の2日間ぐらいは、僕とソルティスは船酔いになったりして、症状が酷い時は、前に竜車で酔った時みたいに『癒しの霊水』を飲んだりしていた。
でも、身体が慣れたのか3日目ぐらいからは平気になった。
ちなみにソルティスは1日遅れで、4日目から平気になったみたいだ。
「ぐぬぬ……マールに後れを取るなんて」
って唸ってたけど。
今のところ、天気には恵まれていた。
快晴で、波も穏やか。
空は青くて、見回せば、どこまでも広がる大海原が水平線まで続いていた。
あと船の右側には、遠方に青く霞んだ陸地がずっと見えていた。
アルバック大陸だ。
何日も見え続ける陸地に、僕らのいた大陸は、本当に広大だったんだなと思い知らされた気がした。
それと、
「あの辺はもう、アルン神皇国の領地ですね」
と、イルティミナさんに教えてもらった。
どうやら、この辺の海は、前世でいう公海か排他的経済水域みたいな感じらしい。
あと2週間もすれば、陸地も見えなくなるということだった。
海って広いね。
そうそう、この1週間ほどの航海で『海って怖いな』と思うこともあったんだ。
船酔いも収まったある日、
「あ、イルカだ!」
イルティミナさんと一緒に甲板から海を見ていた僕は、太陽に煌めく波間を飛び跳ねながら泳いでいるイルカの群れを見つけたんだ。
「おや、本当ですね」
イルティミナさんも珍しそうな顔をしてた。
それから優しく笑って、
「ふふっ、あんなに遠くのイルカたちを見つけるなんて、マールは目が良いのですね」
そう褒められて、頭を撫でてもらった。
(えへへ)
嬉しくて、髪を撫でられるのが心地好くて、僕も笑ってしまった。
その時だ。
ドタドタドタ
僕らの後ろを、軍服の船員さんたちが走っていった。
(?)
どうしたんだろうと思っていると、マストの物見に立っていた船員さんが大声で叫ぶ声が聞こえた。
「左舷9時方向、クラーケンだ!」
え?
イルティミナさんの表情が引き締まり、白い槍を手にしながら、甲板の手すりから身を乗り出して海を見る。
(左舷9時って……)
ちょうどイルカのいる方向だ。
視線を向けた、その瞬間、
ドパァアン
海面を爆発させるようにして、海中からイルカに襲いかかる巨大生物が現れた。
(うわっ!?)
巨大なイカだ。
空中に弾けたイルカを何匹か、巨大イカの吸盤のついた触手が絡め取る。
ザパァン
白い飛沫をあげて、巨大イカはまた海中に潜った。
「…………」
「…………」
一瞬の出来事だった。
海面には白い泡が残るぐらいで、また穏やかな風景が広がっている。
(なんだ、あの化け物……)
遠目だったけれど、体長は20メード以上、触手も入れたら3倍ぐらいの巨体だった。
クラーケン。
前世でも伝わる海の魔物。
(こっちの世界には実在したんだね)
やがて10分ほどして、
「ふぅ……」
白い槍を投擲体勢で構えていた『金印の魔狩人』は、大きく息を吐いて警戒を解いた。
集まっていた船員さんたちも、同じ顔だ。
よく見たら、この軍船の大砲は皆、クラーケンのいた方向を向いていた。
それだけの厳戒態勢。
僕は訊ねた。
「海には、あんな大きな魔物がいるんだね?」
「はい」
イルティミナさんは頷いて、
「地上に比べて、海の魔物は巨大になる傾向があります。私たちがいるこの海の下には、あれ以上の大きさの魔物が多数生息しているそうですよ」
(そうなんだ?)
驚く僕。
「私たち『魔狩人』も、基本的には海の魔物と戦わないようにしています。それは、あのキルト・アマンデスでも同様でしょう」
「…………」
あのキルトさんも避けるの……?
イルティミナさんは、真紅の瞳を海面へと向けて、
「この広大な海の世界は、まだまだ人ではなく、魔物の支配する領域なのですよ」
と締め括った。
思わず、僕はゴクッと唾を飲み込んだ。
かつてケラ砂漠で、砂上船という船に乗って30メードのサンドウォームを討伐したことがある。
あれは突然変異の巨大な魔物だった。
でも、この海中には、それ以上のサイズの魔物たちが、当たり前のようにゴロゴロと生息しているという。
(……海って、本当に凄い)
だから、この船には大砲が積まれていたんだ。
前世の世界とは違って、この世界での遠洋航海というのは、本当に命がけの行いなのかもしれない。
「…………」
「…………」
海風に、イルティミナさんの美しい深緑色の髪がなびく。
その隣で、その時の僕は、この広くて綺麗に見える、目の前の恐ろしい海の景色を、ただただ見つめ続けていたんだ――。
◇◇◇◇◇◇◇
「まぁ、そう恐れることもない」
夕食の時、キルトさんはそう言った。
ここは船内食堂だ。
食堂内には、僕ら6人以外にも、この船の船員さんたちが思い思いの食事をしていて、ガヤガヤと賑やかだ。
キルトさんは、木製ジョッキを傾けて、
「海の魔物は、確かにサイズは大きいがの。じゃが、この『王船』に襲いかかるほどの魔物は、そうはおらぬよ」
と中身のお酒をあおる。
僕らの乗る『王船』は、シュムリア王国で最も大きく、最も速い軍船なんだそうだ。
そして、250メードの巨船。
いくら海の魔物といえど、そう簡単に襲ってきたりはしないのだそうだ。
(そうなんだ?)
ちょっと安心。
「王家の人々の移動にも使われる船じゃからの。大砲などの武装も凄まじい。絶対に沈没しないとは言えぬが、仮に襲われても、そう心配することもないであろ」
海に落ちなければの――キルトさんは、そう付け加えて、笑った。
その笑顔に、僕もつられて笑ってしまった。
「お待たせしました」
と、そこで頼んでいた料理がやって来た。
テーブルに並んだのは、刺身や魚のから揚げ、焼き魚、貝類をふんだんに使ったシチューや海藻サラダなど、海の幸山盛りだ。
(どれも美味しそうだね)
とはいえ、
「ま~た魚料理かぁ」
眼鏡少女は、そうテーブルに突っ伏した。
実は、ここ1週間、僕らは海鮮料理しか食べていない。
食欲魔人のソルティスといえど、さすがに代わり映えのないメニューに辟易しているみたいだ。
「まぁ贅沢を言って」
姉は叱る。
でも、みんな内心は同じだったかもしれない。
(僕は、そこまで嫌でもないけどな)
だって命を頂いているんだし。
そうして食事開始。
キルトさんは、酒の肴にする感じで、刺身を中心に食べている。
コロンチュードさんは、なぜか焼き魚たちの目玉をくり抜いて、先にそれだけを食べるという不思議な食べ方だ。
イルティミナさんはいつも通り優雅に。
ソルティスは、嫌そうにしながらも味はいいので、量だけは食べている。
ポーちゃんは、機械みたいにテンポの変わらない食べ方だ。
モグモグ
(うん、美味し)
僕も普通に食べている。
ふと見たら、ポーちゃん、魚の骨を綺麗にくり抜いていた。
「上手だね」
身を残さない食べ方は、好感が持てる。
「…………」
ポーちゃんは何も答えずに、無表情のまま、くり抜いた骨をコロンチュードさんに差し出した。
「……ありがと、ポー」
嬉しそうなハイエルフさん。
そそくさと持参の瓶容器に詰めている。
…………。
「な、何してるんですか?」
ソルティス、憧れの大魔法使いさんに、興味を引かれて声をかけた。
彼女は答える。
「実験材料」
(…………)
やっぱりね、と思う、僕とイルティミナさんとキルトさん。
「……骨格やその成分から、海の生物の進化の過程や、性質、分布を調べたりできるから」
「そ、そうなんですね」
頷くソルティス。
「じ、じゃあ、私も協力します!」
と言って、大量の焼き魚をムシャムシャ……と大量の魚の骨に変換した。
ケプッ
小さなゲップをする少女。
あれだけ嫌がっていたのに、ね。
(本当、君のことを尊敬するよ……)
その小さなお腹は、ポコッと膨らんでいる。
嬉々として差し出された大量の魚の骨を、コロンチュードさんは「どもども」と嬉しそうに受け取っていた。
まぁ、2人とも、それでいいならいいか。
僕、イルティミナさん、キルトさんは達観したようにその様子を眺め、ポーちゃんは1人マイペースに食事を続けていた。
◇◇◇◇◇◇◇
「そういえば、ドル大陸のヴェガ国って、どんな国なの?」
食後のお茶をしながら、僕は訊ねた。
ちなみにソルティスは「ち、ちょっと食いすぎたわぁ……」とお腹を押さえて苦しそうだった。
キルトさんは1人、お茶ではなくお酒を飲みながら、
「一言でいえば、獣人の国じゃな」
と答えてくれた。
僕らの向かうドル大陸。
アルバック大陸と並ぶ、この世界に2つだけの人の文明がある大陸だ。
そのドル大陸には、7つの国があるという。
1つは、人型の竜のような人々の暮らす『竜人の国』。
1つは、エルフのみの暮らす『エルフの国』。
1つは、人型のトカゲのようなトカゲ人が暮らしている『トカゲ人の国』。
1つは、獣人のみが暮らしている『獣の国』。
残りの3つは、3兄弟が王として治める3国で、獣人を中心に人間も一緒に暮らしている『獣人の国』。
その7つの国だ。
(エルフの国なんてあるんだ!)
と、目を輝かせる僕だったけれど、
「『獣人の国』と『トカゲ人の国』の4国以外は、人間を受け入れぬし、基本は鎖国状態じゃの」
「…………」
おう……じゃあ僕は、エルフさんの国には入れないのか……。
(地味にショック)
落ち込む僕に、キルトさんは苦笑し、イルティミナさんは複雑そうな顔をしたけれど、慰めるように頭を撫でてくれる。
「……エルフの国は……私も嫌い」
ポツッとコロンチュードさんが呟いた。
(え?)
「私、そこの生まれ……でも、退屈で変化のない国……つまらない」
なんと!
目の前のハイエルフさんは、エルフの国出身者だったみたいだ。
長命種族だからこその変化を求めない性質に、常に新しい知識を求めるコロンチュードさん自身の性格は合わなかったのだろう。
(そっか~)
思わぬ事実に、みんな驚いていた。
と、閑話休題。
「それじゃあヴェガ国は?」
僕は訊ねた。
「幸運なことに、わらわたち人間を受け入れる風土を持った『獣人の国』じゃ」
キルトさんは笑って答えた。
(よ、よかった)
鎖国の国だったら『悪魔封印の地』まで行くこと自体、困難になるところだった。
しかも、ヴェガ国は、ドル大陸の南東にあるそうだ。
おかげで往来もし易い。
もし大陸北西の国だったら、船での移動時間が更に1~2ヶ月は伸びていたんだそうだ。
ちなみに、アルバック大陸側であるドル大陸東部海岸線にある国は、皆、友好的な『獣人の国』と『トカゲ人の国』。
逆に鎖国している3つの国は、西部に集中しているそうな。
(ふ~ん?)
その国風は、人種的な性格だけじゃなくて、地理的な要因もあったのかもね。
お腹を押さえた眼鏡少女が、情報を付け加える。
「ヴェガ国はね、良質な魔法石の産出国でもあるのよ」
「そうなの?」
「そうよ。それを技術大国であるアルン神皇国に輸出して、貿易で大儲けしている国ね。だから、お金持ちも多いわよ」
(へ~、そうなんだ)
天然資源で儲ける国。
つまり、前世の世界でいう石油で儲けている国みたいな感じかな?
キルトさんは言う。
「ヴェガ国王家は、ゆえにアルン皇族とも親しい。そしてアルン皇族とシュムリア王家が縁戚であるゆえに、シュムリア王家とも友好的じゃ。わらわたちに協力もしてくれようぞ」
そっか。
アルン皇帝の奥さんは、レクリア王女の叔母さんだ。
(政略結婚って、嫌なイメージが強かったけど、こうして考えると国と国の繋がりを生みだす本当に大事なことなんだね)
もちろん、それでも無理矢理の結婚はして欲しくないなと思うけど。
「ただの」
ん?
「ヴェガ国には、まだわらわたちの情報は届いておらぬであろう」
「え?」
驚く僕。
イルティミナさんが少し考えて、
「日数の問題ですか」
と呟いた。
キルトさんは「うむ」と頷く。
(日数?)
「マールが『闇の子』の情報を手に入れたのは、ほんの半月前です」
「うん」
「ですが、シュムリア王国からヴェガ国まで、翼竜便を最短ルートで飛ばしても、恐らく1月はかかるでしょう」
……あ。
「そういうことじゃ」
キルトさんは、また頷いた。
「ヴェガ国の協力を取り付けたから、わらわたちはシュムリアを出国したのではない。協力を見込んで、答えを聞くより先に出国したのじゃ」
(そっか)
『悪魔復活が近い』という事情が事情だ。
だから僕らは急いでいた。
それで、捕らぬ狸の皮算用じゃないけれど、見込みのみで動いていたんだ。
「じゃあ、ヴェガ国に協力を拒否される可能性も?」
「ある」
…………。
「じゃが、先に話した通り、その可能性は少ないであろ。ゆえに、そんな顔をするな」
キルトさんは、そう笑った。
クシャクシャ
お酒の甘い匂いのする指が、僕の髪を撫で回す。わわ?
イルティミナさんが、そんなキルトさんの手から取り戻すように、僕のことを自分の胸元へとギュッと抱き寄せた。
キルトさんは苦笑する。
それから、
「前に一度、イルナ、ソルと共にクエストで訪れたことがある。『魔血の民』への差別もないわけではないが、そう酷くもない。シュムリアと大差ないぐらいであった。悪い国ではなかったの」
と、少し懐かしそうに微笑んだ。
(そうなんだ?)
姉妹を見ると、2人も頷いた。
ヴェガ国か。
ふと食堂の窓を見ると、外は真っ黒な海が広がり、その頭上には満天の星空が煌めていた。
とても綺麗だ。
その夜空を眺めながら、
「早く行ってみたいな」
僕は呟く。
僕を抱いていたイルティミナさんは、真紅の瞳を細めて、そんな僕の髪を優しく撫でてくれた。
◇◇◇◇◇◇◇
海の旅が続いたある日、
「今日は皆、空いている甲板スペースに集まってくれ」
と、キルトさんに呼び出された。
(なんだろう?)
そう思いながら、僕とイルティミナさん、ソルティス、コロンチュードさんとポーちゃんの5人は、呼び出された甲板へと向かった。
太陽の光に銀髪を輝かせ、青空の下の甲板で待っていたキルトさん。
その手には、2本の木剣があった。
(おや?)
もしかして、稽古でもするつもりなのかな?
ちなみに今も僕は、毎日、空いている時間にキルトさんと剣の稽古をしている。
……もちろん、勝てたことはない。
(いや、剣をまともに当てられたこともないんだよね)
前にアルン神皇国での稽古で、1回だけ1本取ったことがあったけれど、あれは夢だったんじゃないかと思えてきたよ……。
ちょっと遠い目となる僕である。
いや、そんな僕のことはさておいて、
「いったい何ごとですか、キルト?」
イルティミナさんが、パーティーリーダーである美女に問いかける。
キルトさんは「うむ」と頷いて、
「ドル大陸に到着する前に、確かめておきたいと思っての」
と答えた。
(???)
「確かめておきたいこと?」
イルティミナさんは、少し怪訝そうに眉をしかめる。
キルトさんは答える。
「ポーの実力じゃ」
と。
(ポーちゃん?)
僕らはびっくりする。
ただ名指しされたポーちゃん自身の表情には、全く変化がない。
澄んだ水色の瞳は、ポ~っとしたままだ。
それを『金印の魔狩人』の黄金の瞳は、真っ直ぐに見つめた。
「ドル大陸では、わらわたちは復活しそうな悪魔、あるいはその悪魔の産みだす『悪魔の欠片』と戦わねばならぬ。最悪は、『闇の子』の勢力ともの」
「…………」
「だからこそ、その前に、こちらの戦力の確認をしておきたい」
キルトさんは言う。
「ポー。いや、神龍ナーガイア」
手にした木剣の片方を渡そうと、柄を向けるようにして突き出して、
「そなたの実力を、このキルト・アマンデスに見せてはくれぬか?」
と願った。
(…………)
遮るもののない強い日差しが、甲板にいる僕らに降り注ぐ。
しばしの沈黙。
僕らの視線が集まる先で、ポーちゃんの水色の瞳の奥で、何かがカチッと填まる気配がした。
「ポーは、ポーの一部を開放する」
小さな透き通った声。
そして無表情は変わらずに、けれど、そこに明確な意思が宿ったのがわかった。
(あ……)
気づいた僕らの前で、強い海風が、幼女の少し癖のある短い金髪をなびかせる。
幼女はゆっくりと前に出た。
その幼い外見の『神の眷属』は、人類最強の美女を見返して、
「ポーは、汝の意思を了承した。――これより戦闘を実行する」
抑揚のない声で、そう答えたのだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、3日後の月曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




