018・アルドリア大森林にて
第18話です。
よろしくお願いします。
針葉樹の木々の中を、僕らは進んでいく。
深層部じゃない方の『アルドリア大森林』は、けれど、『トグルの断崖』の下の森の景色と、まるで違いのない風景だった。
のどかで平穏で、これで天気も晴れていれば、森林浴でもしたくなるぐらいだ。
あれだけ苦労して登頂したから、正直に言えば、ちょっと拍子抜けしている。
(でも、同じ森だもんね。仕方ないか)
たかが標高100メートルの差で、そこまで植生に違いはでないんだろう。
そんな僕を抱えるイルティミナさんの健脚は、今、足元の草木を散らしながら、小走りぐらいのペースで森を移動している。
さすがに走ったりしないのは、今日の移動距離が長いためだと思う。
(それでも、僕の全速力と、同じぐらいの速さだけどね)
そんな彼女に、僕は問いかける。
「イルティミナさん、疲れてない?」
過酷なクライミングのあとだ。少し心配でもあったんだ。
けれど、彼女は小さく笑って、
「心配してくれて、ありがとう、マール。でも、大丈夫ですよ」
「そう」
半分予想通りの答えだ。
だけど、言っておく。
「疲れたら、ちゃんと教えてね? 僕は、いつでも降りて、自分で歩けるから」
真紅の瞳は、驚いたように丸くなる。
それから、彼女は嬉しそうに笑った。
「わかりました。では、その時は、お願いしますね」
「うん」
でも、きっと彼女は、疲れても言わないんだろうな。
だから、注意して様子を見て、僕の方から言ってあげないと。
いつも一方的に世話をかけてる僕だけど、せめて、それぐらいは気をつけてあげたいと思うんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
代わり映えのない森の景色には、時々、イルティミナさんと赤牙竜ガドとの戦闘の痕跡が現れる。
「うわ、ここでも戦ったんだ?」
「そのようですね。闇雲に逃げながら、戦っていたので、あまり覚えていませんが……」
驚く僕と、苦笑するイルティミナさんの前には、なぎ倒された木々がある。
そこには赤い鱗の破片や、紫の血痕が残されていたりする。
それらの倒木を、トントンと跳躍しながら乗り越えて、僕らは先へと進んでいく。
でも、その方向は、戦闘の痕跡が続いている方とは、別だった。
「あっちじゃないの?」
「いえ、メディスの街があるのは、こちらです。向こうは、ただ戦っただけの場所ですから」
そう言って、白い指が上を示す。
「ほら、太陽の位置を見てください?」
見上げれば、雲の向こうに、薄っすらと丸い日光の輝きが見えている。
(ふむふむ?)
「正午の太陽は、ほぼ南の位置にあります。そして、今はちょうどお昼時です。なので、メディスのある北の方角は――」
「なるほど。こっちだね?」
「はい、正解です」
よくできた生徒を褒める顔で、イルティミナ先生は笑う。
僕も笑顔を作る。
でも、内心では、別のことを考えていた。
(ここでも、日本と同じ地理的な方位なんだ?)
ちなみに地球の南半球だと、太陽の位置は、南ではなく北になる。
そうなると、僕らは今、北半球側にいるんだろう――もし、この異世界が惑星として、存在しているならって前提だけど。
「ん? あれ?」
その時、日本との共通点を探していた僕は、ふと大変なことに気づいた。
「あ、あの、イルティミナさん?」
「?」
「ちょっと変な質問をするんだけど……その、僕らが今、喋っているのは、なんていう言葉かな?」
「え? アルバック大陸の共通語ですが……?」
アルバック大陸の共通語……。
(やっぱり、日本語じゃないんだね?)
怪訝そうな彼女の視線を感じながら、僕は考え込む。
今更だけど、僕は今まで、日本語を話していたつもりだった。
だけど、異世界ならば、言語も違って当然だ。
なのに、当たり前に会話が成立していたから、その可能性を考えることもなかった。
けれど、意識すると、今まで喋っていた言葉は、なんだか日本語とは少し違う気もする。
(…………)
僕は、自分の手を見た。
小さな手は、前世と違う子供の手だった。
(もしかして……このマールの身体が、アルバック大陸の共通語を知っていた?)
だから、話せるのかもしれない。
僕は、いったいなんなんだろう?
この身体がマールなのか、この意識がマールなのか、よくわからなくなってきた。
「マール? どうかしましたか?」
イルティミナさんの心配そうな声に、我に返る。
今は、そんな場合じゃなかった。
難しいことは、街にでもついてから考えよう。
うん、そうしよう。
「ううん、なんでもないよ。――さぁ、メディスの街へ行こう、行こう!」
僕は、自分を鼓舞するように、大きく前方を指差した。
そんな僕の態度に、イルティミナさんは少しだけ困惑していたけれど、すぐに頷いて、何も聞かずに歩きだしてくれた。
◇◇◇◇◇◇◇
森の木々の間には、たまに動物たちが顔を出す。
巨大なヘラジカみたいな奴が草を食んでいたり、赤いリスのようなのが樹上の枝を駆けていったり、丸くて茶色い可愛いアイツ――毛玉ウサギが草むらから、僕らを円らな瞳で見ている姿があったりなどした。
(平和だなぁ)
なんだか、ほんわかした気持ちになってしまう。
そんなことを思っていたら、また1頭、見たことのない奴が現れた。
真っ黒くて、手足や尻尾が長い、猿みたいな生き物だ。
でも顔は、狐みたいに尖っている。目が黄色くて、クリッとしていた。
(あはは。僕らのことを、追いかけてきたよ)
何を思ったんだか、その猿みたいな狐は、長い手足を駆使して後方からついてくる。
イルティミナさんの速度についてくるなんて、結構、速いね?
さすがに野生動物、舐めてはいけないよ。
なんて思っていたら、木々の隙間から、木の上から、同じような猿みたいな狐が、また新しく現れた。
(おぉ?)
全部で4匹。
全員が、僕らを追いかけてくる。
たまたまパカッと開いた口には、鋭い牙が並んでいた。
うん、きっと肉食。
(…………)
僕は、クイクイと、凄腕魔狩人さんの服の襟を引っ張った。
「イルティミナさん、イルティミナさん、あの子たちは、なんでしょう?」
「はい?」
キョトンとして、彼女は僕の視線を追いかけ、後方を振り返る。
そして、すぐに表情が険しくなった。
「邪虎!」
言った瞬間から、走る速度がグンッと速くなった。
(うわわ!?)
慌てて、彼女の首にしがみつく。
でも、後方からは、猿みたいな狐――邪虎たちも速度を上げて、当たり前のようについてくる。
引き離せない。
「じ、邪虎って、何?」
「集団で襲ってくる、肉食の魔物です。群れから外れたなら、自分たちより大きな生物でも襲って食べる、凶暴な森の獣なのです」
「もしかして、僕たち、狙われてる?」
「もしかしなくても、狙われていますね」
(ひぇぇ)
イルティミナさんは、しばらく走ってから、またチラッと後方へ、真紅の視線を走らせる。
「しつこい。……引き離せませんね」
「ど、どうするの?」
「そうですね……仕方がありませんので、少し脅かしてやりましょうか」
そう言うと、彼女は走りながら、左手にあった白い槍を大きく振り被った。
翼飾りは閉じたまま、魔法石も刃も隠したままで、
「シィッ!」
ブォン バキィイイイイン
鋭い呼気と共に、振り下ろされた白い槍は、近くにあった1本の大木を打ち据えた。
破裂したような衝突音が森の空気を震わせ、反射的に僕の身体は硬直してしまう。
でも、それは僕だけでなく、追いかけていた邪虎の集団も同じようだった。
4匹は、その場で急停止して、全身の毛を逆立てている。尻尾なんて、3倍ぐらいに膨らんで見える。
揺らされた大木から、大量の葉が落ちてくる。
それは緑色のカーテンのように、僕らと邪虎たちの間を覆い尽くして、互いの姿を隠してしまう。
その間も、イルティミナさんは走り続けていて、やがて気がついたら、邪虎の集団は、どこにも見えなくなっていた。
「なんとか、振り切ったようですね」
速度を、前の小走りペースに戻して、彼女は言う。
(よ、よかった)
僕は、安堵の息を吐く。
「あんな生き物、初めて見た。……深層部の森でも、見たことなかったのに」
「そうですね。あの森には、いなかったと思います」
イルティミナさんは頷いて、でも、口調を変えて、言葉を続ける。
「ですが、邪虎は、こちらのアルドリア大森林では、よく見かける魔物の一種です。毎年、邪虎による猟師たちの被害は、報告されています」
「…………」
「マールも、どうか気をつけて。森にいる間は、決して、私から離れたりしないようにしてくださいね?」
「は、はい……」
僕は、神妙に頷く。
(そうか)
だから『トグルの断崖』を登った直後に、僕が1人で森に入ったことを、イルティミナさんは怒ったんだ。
昼は平和で、夜は骸骨王が跋扈する森と、骸骨王はいないけれど、昼も夜も邪虎みたいな生き物がいる森――どっちがいいんだろう?
(……どっちも嫌だなぁ)
自分でも気づかぬ内に、イルティミナさんの首にしがみつく手に力が入っていた。
この人がいなければ、例え、僕が1人で『トグルの断崖』を超えていたとしても、あっという間に、この森の中で殺されていたんだろう。
すがる僕を優しく見つめて、
「大丈夫ですよ。マールは、この私が守りますから」
柔らかな声で頼もしく、僕の美しい守護者さんは、そう笑ってくれるのだった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※予告・第21話に、新キャラクターが2人、登場の予定です。少しでもお楽しみにしていただければ、幸いです。