176・来訪したハイエルフさん
第176話になります。
よろしくお願いします。
「コ、コロンチュード様! ど、どうしてここに!?」
敬愛するハイエルフさんの登場に、立ち上がったソルティスは、訊ねる声を震わせる。
「……色々、ね」
彼女はそう答えて、ソファーに「どっこらしょ」と声を出して腰かけた。
見た目は若いのに、動作は年寄り臭い……。
彼女と性格の合わないキルトさんは、「来たか、コロン」と、ちょっと嫌そうに呟いている。
突然のコロンチュードさんの登場に、実は、僕もちょっと混乱している。
(だって……ここ、王都だよ?)
彼女は、新しい知識を得るのが大好きで、誰にも邪魔されないように、人気のない森の中で、1人研究に勤しんでいる人だった。
こんな大勢の人が暮らす王都で会えるなんて、思ってもみなかったんだ。
イルティミナさんも、真紅の瞳を丸くしている。
「ふふっ、コロンちゃんには、幾つか用事があってね。それで、こっちに来てもらったの」
答えたのは、ムンパさん。
コロンチュードさんも「……そ、ムンムンの言う通り」と頷いて、出された紅茶をすすっている。
(……ムンムン)
複雑な目で、ムンパさんを見ちゃう僕である。
でも、彼女は気にした様子もなくて、
「あのね、コロンちゃん? しばらくなんだけど、このポーちゃんの護衛、頼んでもいいかしら?」
と、コロンチュードさんにお願いした。
ハイエルフさんの大魔法使いは、ポーちゃんを見つめる。
ポーちゃんの水色の瞳も、彼女を見つめ返した。
「…………」
「…………」
しばらくの無言。
(……な、なんだろう?)
何か、口数の少ない者同士のシンパシーのようなものが交わされている気がする。
やがて、
「……全然、オッケー」
親指をグッと立てるコロンチュードさん。
「一緒に暮らす、『神の眷属』の研究、はかどる。私は問題ない、よ?」
「そう、よかったわ」
ムンパさんは、安心したように笑った。
「ポーちゃん?」
僕は、『神界の同胞』に声をかける。
「了承」
「…………」
「人にしては、大きな力を確認。信頼する」
淡々とした答え。
(う、うん……)
ポーちゃんがいいなら、いいんだけど。
でも、研究対象として、一緒にいることになると思うと、ちょっと大変な気もする。
「……よろ、しく、ポー?」
「了承」
グッ
お互いの手を握手させる口下手な2人。
(まぁ、いいか)
意外と似た者同士みたいだし、あとは、コロンチュードさんを信頼しよう。
それに、このハイエルフの大魔法使いさんなら、相手が『闇の子』であったとしても、早々後れを取ることはないと思う。
ポーちゃんも『神龍ナーガイア』の力を、一部、使えるんだし、この2人ならなんとかなる、と思えるんだ。
無事、契約が成立したことに、ムンパさんはニコニコだ。
キルトさんは、仏頂面だったけれど、文句は言わなかった。
僕とイルティミナさんは、成り行きに任せ、
「……いいなぁ」
ソルティスは、指を咥えながら、羨ましそうにポーちゃんを見つめていた。
◇◇◇◇◇◇◇
「それで、コロンちゃん? 例の報告は本当なの?」
話が一段落したところで、ムンパさんが真面目な表情に戻って、そう声をかけた。
「……ん」
コクッ
コロンチュードさんは頷いた。
(報告?)
キョトンとなる僕らに気づいて、ムンパさんは教えてくれる。
「今回、コロンちゃんが来てくれたのはね。大きく2つの理由があるの」
「2つの理由?」
「そう。1つ目はね、『闇の子』の能力に対抗するための術式が見つかったっていう報告があったから」
(えっ!?)
「それって」
「うん。『人を魔物にする能力』への対処法」
そう口にするムンパさんは、実に楽しそうな笑顔だった。
きっと、僕らを驚かせたかったんだろう。
まんまと、その目論見に乗ってしまった僕と姉妹に、彼女は、とても満足そうだった。
「ほ、本当なの、ムンパさん?」
「それを確かめるために、呼び出したの。……で? 本当なんでしょ、コロンちゃん?」
「もち、ろん」
えっへん。
意外と大きな胸を反らして言うコロンチュードさん。
そして彼女は、肩から提げた大きな鞄から、円筒形のガラス容器を取り出した。
その中には、液体が満たされていて、なんと人の手が浮かんでいる。
そして、その手には、あの『魔の眷属』たちと同じ刺青が刻まれていた。
「…………」
見ているキルトさんの表情が、しかめられた。
……うん。
(これ、キルトさんの手だね)
前に『闇の子』に襲われた時に、自分で切断したんだ。
確か、ギルドから王立魔法院経由で、その特別顧問であるコロンチュードさんが受け取り、研究素材にしていたはずだった。
「……見てて」
コロンチュードさんは、30センチほどの玩具みたいな魔法の杖を手にする。
ピカッ
先端の魔法石が光る。
すると、ガラス容器の蓋が開いて、濡れた手が空中に浮かび上がった。
メキッ
封印が解かれたからか、刺青が輝き、キルトさんの手だったものが変形していく。
メキメキ……メキッ
硬質な竜の手みたいな、黒い異形の手指だ。
コロンチュードさんは、魔法の杖を、クルンと回転させる。
ピカッ ピカッ
また魔法石が光った。
(……あ)
刺青の青い光が弱くなった。
まるで蒸発するように、黒い煙となって、刺青が肌から消えていく。
そして、その部分が人の肌を取り戻していった。
残されたのは、切断されたキルトさんの手そのもの、だった。
「……以上」
チャポン
手は、再びガラス容器の液体に沈んで、蓋がパタンと閉じる。
僕らは、呆気に取られていた。
「凄い、凄い凄い、凄いです、コロンチュード様! いったい、どういう原理なんですか!?」
信奉するソルティスは、凄い剣幕で訊ねた。
僕もびっくりしていた。
あのキルトさんも、さすがに今の現象には、感心したように「むぅ」と唸っている。
コロンチュードさんは言った。
「魔の反転。精神作用の逆流現象から、抗体を外部から流入させて、魔素を分解、生成、作用の手順を――」
…………。
「ふんふん」と頷いているのは、ソルティスのみ。
僕は、お願いした。
「えっと……ごめんなさい。もっとわかり易く、説明できます?」
「…………」
コロンチュードさん、ちょっと寂しそう。
(ご、ごめんなさい)
ソルティスにも睨まれた。
でも、口下手だけど優しいハイエルフさんは、僕のお願いに応えてくれる。
「……要するに、『人が魔物になる』というのは、病気と同じ」
「病気と?」
「そう。『闇の子』は、病原菌となる魔法の呪詛を、人の体内に流し込んでいる。それは、人の精神にある負の感情と、深く反応する。負の感情が強いほどに、その病原体は活性化する。そして、『人』は『魔物』になる」
ふむふむ?
「私が創ったのは、抗体」
「…………」
「『病原菌』と『人の精神』の結びつく部分を、抗体が塞ぐの。結果、病原菌は活性化できずに、衰弱して死滅」
細い指が、ガラス容器を示す。
そこにあるのは、元に戻った人の手だ。
「病状、回復」
コロンチュードさんは、そう締め括った。
説明は、とてもわかり易かった。
でも、
「勘違いしないでよ!? 言ってることは簡単に聞こえるけど、やってることは、滅茶苦茶、難しいことなんだからね!」
ソルティスが必死に訴える。
うん、わかるよ。
(多分、とんでもないことなんだよね?)
魔法と人の精神、そんな目にも見えない繋がりに、どうすれば作用できるのかなんて、普通は想像もできない。
そして、その想像もできない世界の現象を、目の前にいるコロンチュードさんは、現実世界の中で何とかしちゃったわけなのだ。
さすが、金印の魔学者。
大魔法使いと言われるハイエルフさんだ。
イルティミナさんは、ガラス容器を見つめ、それから、キルトさんの顔を見る。
そして、コロンチュードさんに訊ねた。
「つまり、『魔物』になる人の心には、何かしらの負の部分があると?」
…………。
その言葉に、思わず、みんなでキルトさんを見てしまった。
キルトさんは、それに驚き、でも、すぐに生真面目な顔になって頷いた。
「当然じゃ。わらわにも、人を憎む心はある」
「…………」
幼少期のキルトさんは、とても辛い経験をした。
それを思えば、仕方がないことなのだとは思う。
(……でも、少し悲しいね)
その表情に気づいて、キルトさんは笑って、頭を撫でてくれる。
「無論、この心は、それだけではないがの」
「うん」
僕は頷く。
コロンチュードさんは、何だか眠そうな顔で、こう説明を続けた。
「……人は誰でも、負の感情はある。……嫉妬、羨望、渇望、欲望、大小の差はあっても、全員、ある。……だから、『人が魔物になる』のは、誰でも当たり前」
「…………」
「……ただ負の感情が強いほど、活性化。……より強い魔物に変身するよ」
なるほどね。
(……でも、そう考えると、『闇の子』のそれは、本当に恐ろしい能力だね)
そして、それを防げる手段を見つけたコロンチュードさんは、それ以上に素晴らしい人だ。
ソルティスじゃないけれど、僕も尊敬の眼差しになってしまう。
「えっへん」
僕の視線に、コロンチュードさんは、また大きな胸を反らした。
◇◇◇◇◇◇◇
『人を魔物にする能力』は、防げることがわかった。
でも、『闇の子』には、もう1つの能力がある――それは、『人の目から、その姿が見えなくなる能力』だ。
僕ら『神の眷属』の目には見える。
けれど、キルトさんたち人間の目からは、『闇の子』の姿が見えなくなってしまう能力だ。
(ケラ砂漠では、そのおかげで危なかったもんね)
当時を思い出しても、寒気が走る。
そして、コロンチュードさんは、
「……それについても、対処済み」
と、驚くべき言葉を口にしてくださった。
「ほ、本当ですか?」
今日何度目かわからない、ソルティスの驚きの声。
コロンチュードさんは「……うん」と頷き、僕の顔を見た。
「実は、マールのおかげ」
(……え?)
僕のおかげ?
戸惑う僕に、彼女は言った。
「ラー、ティッド、ムーダ、その3文字で使える魔法を考えて欲しい……前にマールが言ったの、覚えてる?」
「え……あ、うん」
(……そういえば)
前に大樹の家での別れ際、コロンチュードさんに『お土産が要らないか?』と聞かれて、そう答えた記憶があった。
ラー、ティッド、ムーダ。
アルドリア大森林の塔で、イルティミナさんに教えてもらった、3文字のタナトス魔法文字の発音である。
コロンチュードさんは頷いて、
「その魔法を探している時に、偶然、見つけた」
「え?」
驚く僕の前で、彼女は再び、手にした玩具みたいな魔法の杖を持ち上げた。
「聖域たれ。――トゥー・ラティ・ダムド」
ピカッ
魔法石が光る。
瞬間、広いギルド長室に、半球状の白い光が満たされた。
直径20メードほど。
(な、なんだ、これ?)
まるで白い照明に照らされた空間みたいな感じだけれど、特にそれ以外は、何も感じない。
「……これ、この光の中だけ、魔素の流れが一定になってる?」
ソルティスが呟いた。
(え?)
コロンチュードさんは、満足そうに笑って、頷いた。
「正解」
「…………」
「推測、『闇の子』の姿が見えない。魔素によるベールで、その身を隠してる。……『神の眷属』、『神気』で『魔素』の影響を弾いている。だから見える。……この空間、疑似的な『神気の世界』、魔素のベール、作れない」
ほほぅ?
(……つまり、この半球状の光の中では、『闇の子』は姿を消せないってことだよね)
僕の確認に、
「そそ」
コロンチュードさんは、何度も首肯してくれた。
イルティミナさんもキルトさんも、呆気に取られたように、半球状の光を見つめている。
ムンパさんは、胸の前で両手を合わせ、
「凄いわ、コロンちゃん」
「えっへん」
コロンチュードさんは、また大きめの胸を反らした。
ずっと黙っていたポーちゃんが、ポツリと懐かしそうに呟いた。
「この光、神界に似てる」
(…………)
そうなんだ?
神狗アークインや、神龍ナーガイア、神牙羅のラプトやレクトアリスの暮らしていた世界は、こんな感じだったんだね。
そう思うと、この光は、なんだか暖かいような、懐かしいような不思議な感覚がした。
ピカッ
まだコロンチュードさんの杖が輝くと、半球状の光も消える。
(あ……)
ちょっと寂しい。
「マール? これで約束……果たせた?」
コロンチュードさんが、長い金髪を揺らして、首をかしげながら聞いてくる。
あぁ、そうか。
(最初に、コロンチュードさん、『約束を果たしに来たよ』って言ってたのは、このことだったのか)
今更、気づいた。
「うん」
僕は大きく頷いた。
心からの敬意と感謝を込めて、笑って答えた。
「ありがとう、コロンチュードさん! 思った以上のお土産でした」
「……そ」
彼女も、嬉しそうにはにかんだ。
残念美人のコロンチュードさんだけれど、この時の笑顔だけは、本当に美しくて、可愛らしくて、とても魅力的だった。
それは、思わず、見惚れてしまうほどで、
「…………。コホン、マール?」
気づいたイルティミナさんが、なぜか咳払いをして、僕を呼ぶ。
(ん?)
見返すと、彼女は何だか恨めしそうに僕を見ていた。
な、なんだろう?
意味がわからなくて困惑していると、彼女はやがて、諦めたように息を吐いた。
キルトさんとムンパさんが苦笑している。
ソルティスは、小さな肩を竦めた。
コロンチュードさんとポーちゃんだけは、無表情。
(???)
首をかしげる僕だったけれど、イルティミナさんは気を取り直したように顔を上げて、口を開いた。
「これで、金印の魔学者コロンチュード・レスタが、王都に来訪した理由の1つ目は、わかりました。では、2つ目は、なんなのでしょう?」
話題の転換。
僕らも、意識を切り替える。
そうだ、この報告のために、コロンチュードさんが王都に来たのならば、1つ目の理由は納得だ。
(でも、それ以外の理由って、なんだろう?)
全然、思い浮かばない。
すると、それに答えたのは、ムンパさんでもコロンチュードさん本人でもなく、
「わらわが呼んだのじゃ」
なんと、僕らと一緒のソファーに座る『金印の魔狩人』様だった。
(え?)
犬猿の仲っぽいキルトさんが?
これには、僕も姉妹も驚いた。
ムンパさんは、理由を知っているのか、笑っている。
キルトさんは言った。
「一応、慣例での。新しい『金印の冒険者』が選定される時には、同じシュムリア王国にいる『金印の冒険者』の承諾と承認が必要になるのじゃ」
…………。
(え……新しい金印の冒険者?)
突然の話に、僕らは驚く。
「おや? そんな話があったのですか」
イルティミナさんも、驚きながらも呟く。
ムンパさんが頷いた。
「えぇ。厳密に決まっているわけではないけれど、シュムリア王国の『金印の冒険者』は、代々3人だったのよ。エル君が亡くなって半年、そろそろ、新しい『金印の冒険者』を選ばなければっていう話にはなっていたの」
へ~、そうだったんだ?
ちょっとびっくりしたけれど、でも、いったいどんな人がなるんだろう? と気になった。
(できれば、会ってみたいなぁ)
素直に、そう思う。
イルティミナさんは頷いた。
「なるほど、そうだったのですね。それで、どのような人物が新しい『金印』に?」
何気なくそう訊ねた。
「そなたじゃ」
キルトさんも、当たり前のように答えた。
…………。
「……はい?」
聞き返す隣のお姉さん。
キルトさんは、その美貌を、黄金の瞳で真っ直ぐに見つめた。
「聞こえなかったか? 新しい『金印の冒険者』に選定されたのは、そなたじゃ、と言ったのじゃ」
「…………」
「…………」
「…………」
僕とソルティスは、愕然と彼女を振り返った。
その人は、目を瞬いている。
ムンパさんも、コロンチュードさんも彼女を見つめていた。
そして、キルトさんはもう一度、告げる。
「新たな『金印』となるのは、イルティミナ・ウォン――そなたなのじゃよ」
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、3日後の月曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




