164・ベナス防具店
第164話になります。
よろしくお願いします。
シュムリア王国の王都ムーリア。
隣国アルンの首都、神帝都アスティリオには及ばないけれど、それでも30万人が暮らす巨大都市だ。
城壁は、遥か遠方に霞んで見えるし、都市の中央には、神聖シュムリア王城まで広い大通りが貫かれ、そこを中心に広がる商業区には、たくさんの人々が集まって、様々な商店が軒を連ねていた。
そして今、僕ら4人は、その商業区に来ていた。
(相変わらず、凄い人波だね)
お祭りでもないのに、大勢の人が通りを歩いている。
迷子にならないよう、僕とソルティスは、イルティミナさんの左右で手を繋がれていた。
先頭を歩くのは、キルトさん。
有名人が、こんな人混みの中を歩いて、騒ぎにならないのか心配したけれど、
「キルト・アマンデスの名を知っている者は多くても、その顔まで知る者は、冒険者以外ではそうおらぬからの」
とのこと。
(考えたら、この世界にはテレビも写真もないものね)
国王生誕50周年式典で、大勢の前に顔を出したこともあったけれど、それも遠目だったし、珍しいドレス姿だった。
しかも今の姿は、冒険者の格好でもない、銀髪をポニーテールにしただけの普通の服装だ。
誰も彼女が、あの『金印の魔狩人』とは気づくまい。
(現に、誰も気づいてないもんね)
案外そんなものなのかと、妙に感心して思ったよ。
そんな風にして歩いていくと、並んだ店舗の中には、時折、魔力測定機の設置された店が見受けられる。それらは『魔血の民』の入店を拒否しているお店だ。
(…………)
魔血への差別。
アルンの首都、神帝都アスティリオではなかった行為だ。
けれど、『魔血の民』が入店できるお店もたくさんある。全体的には、そちらの方が7割だ。
アルン辺境であったような、町ぐるみでの町への立ち入り拒否や、生命に危険が及ぶレベルでの差別なども、少なくとも僕は、このシュムリア国内では見ていない。
差別があることは、悲しいし、悔しいけれど、
(でも、どちらかといえば、まだシュムリア王国の方がいいかな)
そう思った。
神帝都アスティリオは物価が高すぎて、暮らせる人を選ぶし、国としては、シュムリアの方がまだ暮らし易く思えるんだ。
一緒にいる3人の『魔血の民』の女性たちも、そう思ったから、この国で暮らしているのだろう。
そうして僕らは、通りを進む。
まずは、僕の装備を診てもらうために、キルトさんが懇意にしているという防具屋を目指した。
(金印の魔狩人がお世話になっているんだから、きっと凄いお店なんだろうな)
いったい、どんなお店なんだろう?
ちょっとドキドキしながら、先導するキルトさんについて行く。
だけど、彼女は、立派なお店が建ち並び、大勢の人がいる通りから外れて、なんだか人気のない路地裏の方へと入っていった。
「…………」
「…………」
「…………」
あとに続く僕らは、つい顔を見合わせる。
やがて、キルトさんの足が止まったのは、1軒の古びた民家の前だった。
(え? ここお店?)
思わず、そう思った。
それぐらい、普通の……というか、ボロい外見の家だった。よく見たら、『ベナス防具店』と手書きされた板が、扉に釘で打ち付けられている。しかも斜めに。
(…………)
正直、不安です。
姉妹も同じ表情だった。
けれど、キルトさんは特に気にした様子もなく、当たり前のように扉を開けた。
「ベナス、いるかの?」
「ぁあ?」
奥の暗い室内から、ガラの悪い声が返った。
扉の先は、民家を改造して作ったような店舗になっていた。
その狭い室内に、適当に、胴鎧、鎖帷子、手甲、足甲、兜、盾などなど、様々な種類の防具が置かれている。金属の匂いが、強く店内に満ちている。
その店の奥。
椅子に腰かける1人の老人がいた。
高齢のドワーフさんのようだ。
白髪を頭の後ろで無造作にまとめており、背は低く、けれど年齢に反して、筋肉はがっしりしていた。
ただ、その右目は白く濁り、どうやら失明しているようだった。
残された左目が、開いた扉から入ってきた僕ら4人を見つめる。
その中に、金印の魔狩人の姿を見つけ、
「なんだ、鬼姫キルト様じゃねえか。ずいぶん見ねえから、おっ死んだのかと思ったぜ」
「こうして生きておるわ」
ぞんざいな口調で語る老人に、キルトさんは苦笑する。
ドワーフの老人は、ニヤリと笑った。
「ま、キルト嬢ちゃんが、そう簡単にくたばるわけはねえわな。……で? こんな場末の寂れた防具屋に、天下の『金印の魔狩人』様が何のようだい?」
「仕事を頼みたい」
キルトさんはそう答えると、
「マール」
と僕を呼んだ。
(あ、うん)
僕は慌てて、ドワーフの老人の前に出た。
「こんにちは」
両手で、布に包んだ『妖精の装備』を抱えたまま、僕は頭を下げた。
彼の唯一見えているらしい左目が、丸くなる。
「おい、なんだ、この餓鬼は? ……まさか、キルト嬢ちゃんの隠し子か?」
「阿呆」
「なら、若い燕を飼い始めたか。なるほどねぇ」
ゴンッ
キルトさん、笑いながら近くの鎧を殴った。
……大きく凹んでいる。
う、売り物なのに、いいのかな?
「ベナス?」
「わかった。ただの冗談だ」
両手を上げて、降参の意を示すドワーフの老人さん。
「で、本当のところ、関係はなんだ?」
「新しいパーティー仲間じゃ」
「パーティー仲間? キルト嬢ちゃんの? こんな子供が?」
彼はジロジロと僕を見る。
キルトさんが、戸惑う僕へと言う。
「マール。この老人はな、ベナス・オルドルという鍛冶師じゃ。口は悪いが腕は確かで、わらわを始め、あのエルや、シュムリアの銀印以上の冒険者の何人もが世話になっている御仁じゃよ」
エルって、あの亡くなった金印の魔狩人エルドラド・ローグさんのこと?
(実は凄い人なんだね、このおじいちゃん)
僕の視線に、ドワーフの老人――ベナスさんは、「へっ」と肩を竦めた。
「ただ火と鉄で遊ぶだけの道楽者の老人さ」
「…………」
「んで? 仕事ってのはなんだ?」
あ……。
「こ、これです」
僕は慌てて、手にしていた布を解いて、中にあった『妖精の装備』を彼に見せた。
ベナスさんの左目の眼光が、鋭くなる。
「おい……こいつは、まさか……『妖精鉄』の剣と鎧か?」
節くれだった皮の厚い指が、僕の装備を手にする。
「そうじゃ」
キルトさんが頷いた。
「このマールの装備の修理を頼みたい」
「この餓鬼の装備だと?」
ベナスさんは、呆れたように彼女の顔を見た。
「おいおい、キルト嬢ちゃん。まさか本当に、若い愛人じゃねえだろうな。こんな子供に渡すような装備じゃねえぞ」
「そう思うか?」
「あん」
「本当に、そう思うか?」
淡々としたキルトさんの問いかけに、ベナスさんは顔を訝しげに歪める。
それから僕の顔を見て、再び、手にした装備を見つめる。
「…………」
「…………」
「…………」
眺める剣の刃を返し、鎧の具合を確かめる。
その間、僕もキルトさんも、後ろで待っている姉妹も一言も喋らなかった。
「ずいぶんと色んなものを斬ったな。しかも、相当な硬度の物を」
「…………」
「コイツは、本当にキルト嬢ちゃんが使ってたんじゃねえのか?」
「違う」
キルトさんは首を横に振る。
「わらわは、一度も振るっておらぬ。使っていたのは、このマールじゃ」
「…………」
「…………」
「そなたなら、わかるであろう、ベナス。この剣の伝える声から、マールの剣の腕がどれほどのものであるのかが」
ベナスさんは、もう一度、僕を見た。
今までと、少し視線が違う気がする。
「坊主。手、見せてみろ」
「はい」
僕は、両手を広げて見せた。
彼は、僕の左右の手を触り、その指の1本1本を確かめるように撫でていく。
「奇妙な手だな」
「…………」
「必要な場所にだけ、きちんとタコができてやがる。正しい腕がある証拠だ。なのに、そのタコはずいぶんと柔らかいじゃねえか。まるで年月が足りてねえ」
「…………」
「技量と経験に、差がありすぎる」
…………。
僕は驚いた。
確かに僕は、キルトさんの剣を正確に真似る技術を持っているけれど、実際に剣の修練を始めてからは、まだ半年ほどなのだ。
(ただ手を触っただけで、そこまでわかるものなのか)
「マールは天才じゃ」
「…………」
「剣の才だけならば、恐らく、このキルト・アマンデスよりもあるであろう」
え……?
(キルトさんよりも才能が上……って、キルトさん、そんな風に思ってたの!?)
あまりの高評価に、びっくりだ。
イルティミナさんもソルティスも、ちょっと驚いている。
そして、ベナスさんも唖然としたように、目の前にいる『金印の魔狩人』を見つめていた。
「嬢ちゃんが、そこまで言うのかい」
「…………」
キルトさんの表情は、変わらない。
それを確かめて、ベナスさんは頷いた。
「そうか。……坊主。いや、マール。侮って、すまなかったな」
「い、いいえ!」
僕は慌てて、首を左右に振った。
ドワーフの老人は、どこか楽しそうに笑った。
「なるほどな。鉄は嘘をつかねえ。将来が実に楽しみだ」
「…………」
「この剣の歪みは、すぐに直してやるよ。少しの間、俺に預けな」
「は、はい。よろしくお願いします」
僕は頭を下げる。
ベナスさんは「おう」と頼もしく頷いてくれた。
キルトさんも、満足そうだ。
イルティミナさんとソルティスも顔を見合わせて、『よかった』と笑っている。
でも、その凄腕鍛冶師の表情が、急に曇って、
「だが、鎧の方は少しまずいな」
「む?」
(え……?)
驚く僕らに、ベナスさんは言う。
「残念だが、この鎧はもう死んじまってるな。もう駄目だ」
「…………」
それって、
「もしかして、修理はできないんですか?」
「いいや」
彼は首を振る。
「壊れた装甲や留め具を交換すりゃ、直るだろうさ」
「…………」
「だが、俺は偏屈でね。武器や防具には、魂が宿ると考えちまう。そういう意味で、コイツはもう終わってる。マールの命を守るって役目を果たして、代わりに死んだんだ。ま、この鎧も本望だったろうよ」
僕は、何とも言えなかった。
今まで、僕の身を守るために、ずっと着ていた鎧だった。鎧は道具ではあるけれど、やはり愛着も湧いている。
だから、死んだと言われると、とても悲しかった。
(鎧さん……)
僕の表情に、ベナスさんは優しい表情だった。
「そういう顔ができる奴のために、腕を振るえるのは嬉しいね」
「…………」
「ま、安心しな。新しく生まれ変わらせてやるよ」
彼は頼もしく頷いて、
「……いや、待てよ?」
ふと何かを思い出した顔になった。
キルトさんが問う。
「どうした?」
「コイツに使われているのは、『妖精鉄』だったな。こりゃ、少しまずいかもしれんぞ」
(え?)
ベナスさんは、顔をしかめながら、僕らを見る。
「お前さんらも知ってるか知らんが、『妖精鉄』ってのは希少な金属だ。その辺の市場で、簡単に出回ってるような品じゃねえ。この剣や鎧だって、10万リドは下らん代物だ」
10万リド(1000万円)……あれ?
キルトさんは、僕に5万リドで売ってくれたんだ。
(もしかして、凄く安くしてくれてたの?)
今更、その気遣いに気づく。
ただ今は、それよりも重要なことがあって、キルトさんが言う。
「金銭の問題か? それならば、多少、高くつこうが問題はないぞ」
「そうじゃねえ」
ベナスさんは首を振り、それから口にした。
「素材自体が今、このシュムリアまで流通して来ねえんだ」
「何?」
「妖精鉄ってのは、北方のテテト連合国にある『妖精の郷』でしか採れない金属なんだ。だが、採掘量が減ってるだかで、先々月から輸出が止められてやがるんだ」
え、それって、つまり、
「これじゃ修理ができねえ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
僕らは4人とも、言葉を失った。
キルトさんがもう一度、問う。
「なんとか、ならんのか?」
「材料がなければ、俺にも、どうにもできねえよ。そもそも、妖精鉄ってのは、相当、頑丈な素材なんだ。修理のために素材を確保しておくなんてこともねえ。本来、こんな風に、穴が空いて破壊されるような代物じゃねえんだぜ」
コンコン
穴の空いた鎧を軽く指で叩く、ベナスさん。
「本当に、何があったらこんな風になるんだか……」
…………。
世界を滅ぼす『闇の眷属』との戦いで……なんて、さすがに言えない。
今まで黙っていたソルティスが、口を開いた。
「ないんだったら、仕方ないじゃない。そもそもマール、『神武具の鎧』を使ってたでしょ? あれじゃ駄目なの?」
神武具の鎧。
それは、コキュード地区の戦いで、僕の全身を包み込んだ外骨格みたいな全身鎧のことだろう。
「あれは無理だよ」
僕は言った。
「あの鎧は重すぎて、『神狗モード』じゃないと使えないんだ」
「ふぅん?」
「それに『神気』の消耗が激しすぎて、常に展開しておけない弱点もあるし、普段使いにはできないんだよ」
僕の答えに、イルティミナさんが「そうなのですね」と声を漏らした。
ソルティスも「そう」と頷いて、
「だったら、もう新しい別の鎧を買ったら?」
「…………」
新しい鎧、か。
(う~ん)
正直、気が乗らなかった。
でも、残念だけど、それしか方法はないかもしれない。
時間は待ってくれないし、これからも戦いは続いていくんだ。その戦いに、さすがに防具なしで挑むのは、無茶すぎる。
悩む僕に、けれど、キルトさんも渋い顔だった。
「だが、『妖精鉄の鎧』に匹敵するような軽さの鎧が、他にあるか?」
「…………」
「マールの肉体は、まだ子供じゃ。マールが剣技を使うには、鎧の軽さは、必須であろう。それがなくば、今の筋力では剣が鈍る」
確かに……。
(鎧が軽いから、子供の僕でも、飛んだり跳ねたり素早く動けたし、自由に剣も振れたんだ)
もし鎧が重くなったら、今の僕では戦えない。
僕らは、ドワーフの凄腕鍛冶師を見る。
「そんな素材ねえな」
彼は、はっきり言った。
「軽さだけなら、皮鎧でも対応できる。だが、防御力が違いすぎるだろ」
「…………」
「もし妖精鉄に穴を開けるような状況がまた起きたら、まず間違いなく、マールの坊主の命はねえよ」
…………。
(う~ん、これは困ったぞ)
僕らはみんなで、悩ましさに顔をしかめてしまう。
そんな僕らの重苦しい様子を眺めて、ベナスさんが口を開いた。
「どうしてもって言うんなら、テテト連合国まで直接、『妖精鉄』を買い付けに行くしかねえだろうな」
(え……?)
直接、テテト連合国まで?
「妖精の郷の鉱山に、一応、知り合いがいるからよ」
「そうなんですか?」
「あぁ、どうしてもって言うなら、紹介状を書いてやるよ」
僕ら4人は顔を見合わせた。
行けるなら行きたいけれど、今の僕らは『闇の子』に備えるために、そう簡単に他国に行けるような立場じゃなかった。
(テテト連合国か……)
確か、シュムリア王国の北にある20の小国が集まった連合国だ。
「アルン程遠くないけど、片道3週間はかかるわね」
ソルティスの呟き。
(そっか)
往復で6週間、つまり、およそ1月半だ。
キルトさんが顎に手を当てながら、思案する。
「ふぅむ……鎧がなければ、戦いが厳しいのも確かであるしの。まずは、レクリア王女に伺いを立ててみるか」
「うん」
「そうですね」
「ま、好きにして」
僕らは、それぞれに頷いた。
結局、その日は、ベナスさんに修理のため『妖精の剣』を3日間ほど預けることにして、紹介状の件も一旦、保留にしてもらった。
「おう、必要になったら、いつでも言えや」
彼は快く承諾してくれた。
ありがとう、ベナスさん。
また、一応、気休めみたいなものだけれど、何もないよりはましということで『皮鎧』と、『妖精の剣』が戻るまでの代用武器として、同じぐらいの重さの『片刃の短剣』を購入した。
(前に使ってた『マールの牙』に似てるね)
でも、もっといい品らしい。
『妖精の剣』が戻ったら、予備武器にするのもいいかなと思った。
「では、3日後にの」
「おう、任せておけ!」
キルトさんの言葉に、ドワーフの老人は、年齢に見合わぬ力こぶを作りながら、頼もしく笑った。
そうして僕らは、『ベナス防具店』をあとにする。
店前の通りで、ふと思った。
「ベナスさん、武器も修理したりできるのに、なんで防具屋なの?」
キルトさんは「ふむ」と呟き、青い空を見上げた。
「わらわも詳しくは知らぬ。昔は武器も扱っていたが、しかし『人を傷つける』武器に嫌気が差し、『人を守る』防具に専念するようになったと聞いた」
「…………」
「長く生きた御仁じゃからの。色々とあったのであろ」
僕は、思わず、お店を振り返る。
キルトさんは笑った。
「そのように短剣を売ったり、剣の修理を受けたりするのは、今はもう、ベナスの認めた相手のみだそうじゃ」
(僕は……認められたってこと?)
思わず、買ったばかりの短剣を見つめる。
でも……何が認められたのか、自分ではよくわからない。
「そういうところであろ」
悩む僕を見て、キルトさんは楽しそうに言う。
(???)
ますますわからない。
でも、イルティミナさんもわかっているのか、納得したように微笑んで、何度も頷いている。
ソルティスは、僕と同じで、わかってなさそうだ。
僕は思わず、訊ねてしまう。
「どういうこと?」
「気にするな。マールは、マールのままであれば良いということじゃ」
(…………)
クシャクシャ
キルトさんの手が、乱暴に僕の頭を撫で回した。
「ほれ、次は食材の買い出しであろう?」
「あ、うん」
「では、さっさと行こうかの」
白い歯を見せて、キルトさんはまた先を歩きだす。
立ち尽くす僕の隣に、微笑むイルティミナさんがやって来て、また迷子にならないよう僕とソルティスの手を握ってくれた。
午後の日差しが、降り注ぐ。
その初秋の陽光を浴びながら、僕ら4人は、再び、王都ムーリアでの買い物を続けるのだった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、3日後の月曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




