154・マールと黒き飛竜
第154話になります。
よろしくお願いします。
ガヒュン
青い空に、虹色の剣撃が閃く。
けれど、僕の放った『虹色の鉈剣』による1撃は、長い首をグリンと動かした飛竜によってかわされてしまった。
辛うじて、皮1枚。
漆黒の堅い鱗を裂き、その首に紫色の流血を起こさせたけれど、それだけだ。
(速い!)
こんな巨体だというのに、動きは機敏だ。
ギュォオオン
巨大な翼膜をあおらせて、黒い飛竜は後方に宙返りをしながら、距離を取る。
僕らは、空中で睨み合った。
「さすがね、ヤーコウルの神狗」
称賛の声。
精神世界で聞いたのと同じ声なのに、その強さは、7年前よりも格段に上がっている気がする。
(……あの方のために、強くなったのかな?)
心酔した口調を思い出す。
僕は、大きく息を吐いた。
「なぜ?」
と問う。
黒い飛竜は、その竜の首を、かすかに斜めに動かす。
僕は言った。
「300年前の『悪魔の欠片』の眷属が、なぜ、神血教団なんて人間の集団の教主をやっているの?」
血のような双眼が丸くなる。
彼女は、かすかに笑ったようだ。
「私が300年前の『魔の眷属』だと、よく見抜けたわね。私のことを、覚えていたの? あれだけの同胞と戦い殺しながら、その中の1人である私のことを?」
「…………」
飛竜は、牙を覗かせ、長い息を吐く。
「まさかね。けど気づく。それも『神狗』ゆえかしら?」
小さな笑い声。
どうやら、苦笑いをしたみたいだ。
と、その喉が大きく膨らんだ。
(!)
ゴバァン
吐き出される巨大な火球。
僕は、虹色の翼を羽ばたかせ、慌てて回避する。
距離があったので余裕をもってかわせた。向こうも、本気で当てる気はなかったのだろう。
(けど、凄い熱気だね)
距離があっても、肌には凄まじい熱が感じられたんだ。
僕は『虹色の鉈剣』を構えず、身体の横に垂らしたまま、ゆっくりと飛竜の正面に戻る。
まだ答えを聞いていない。
戦いの構えを取らない僕の姿に、飛竜は、ため息をついた。
「頑固な子供ね」
「…………」
「いいわ、教えてあげる。大した理由ではないもの」
そして、飛竜は言った。
「『魔血の民』は、私たち『魔の勢力』にとって、脅威になりえる存在だからよ」
◇◇◇◇◇◇◇
(脅威……?)
僕は驚いた。
「『魔血の民』は、悪魔の血族でもあるんだ。……君たちの仲間じゃないの?」
そういう認識かと思ってた。
飛竜は答える。
「確かに、力は『悪魔』の影響を色濃く反映している存在。でも、その心は人間のそれよ」
「…………」
「現に今、私たちと戦っているのは『魔血の民』でしょう?」
そう言われれば、
(『神の眷属』以外は、3人とも『魔血の民』だね)
イルティミナさん。
キルトさん。
ソルティス。
今、こうして『魔の眷属』と戦っているのは、『魔血の民』の女たちだった。
牙を覗かせ、飛竜は笑う。
「人間たちは『魔血の民』を嫌っているようだけど、私たちが最も警戒する人間は、その『魔血の民』なのよ」
…………。
(人類からも魔からも、仲間とされない存在……)
なんて悲しい存在だろう。
それを思うと、心の奥が、ギュッと締め付けられるような感覚があった。
そんな僕の顔を見ながら、黒い飛竜は言う。
「だからこそ、私は教団を創った」
「…………」
「『魔血の民』への迫害を助長することによって、彼らに人間を憎ませ、人の敵となるように。そして、それでも人であろうとする者は、そのまま殺してしまえるように」
暗い情念の声。
肌が泡立ち、心が闇色の泥沼に引きずり込まれそうな気がした。
「何より、心の奥に憎悪を宿し、闇を抱える者は、あの方の『闇の洗礼』によって、より強い『魔の眷属』へと生まれ変われるわ」
……な、に?
(……まさか)
僕は驚愕に、目の前の黒い飛竜を見つめた。
まさか、彼女も人であった時は、300年前に迫害された『魔血の民』だった……?
いや、それ以前に、
(つまり教団は、より強力な『魔の眷属』を生み出すための道具でもあったってこと?)
「……有り得ない」
僕は呻いた。
「例え、それで『魔の眷属』になったとしても、それが仕組まれたことだと知ったなら、教団を裏で操る『魔』への反感があるはずだ。なぜ、それでも『闇の子』に従う?」
「少し勘違いしているようね」
彼女は、吐息のように言った。
「教主は確かに私。けれど、運営は人の手で行われているの」
「…………」
「つまりね、捕らえた『魔血の民』をどのように拷問しようか、次はどの隠れ里を襲い、どうやって『魔血の民』を殺そうか、考えたのは全て人間だけで行われていたのよ」
僕は、言葉を失った。
そんな僕の姿に、闇色の飛竜は、暗い笑いをこぼす。
「貴方は、人の闇を何も知らない」
「…………」
「今の時代は、まだマシよ? 300年前のあの時代、『魔血の民』が味わわされた地獄は、今のような生易しいものでは決してなかった。それこそ、人間こそが『悪魔』のような存在だったわ」
その声には、真実の響きがあった。
重い。
そして、鋭く心に突き刺さる憎悪そのものが宿っていた。
(…………)
目の前の黒い飛竜が、より大きく見える。
「だからこそ、私は、あの方たちの創ろうとしている『新世界』を見たいのよ! そのためなら、この身がどうなろうと惜しくはないわ!」
ビリビリ
確かな決意の声。
それは清廉で、美しく、だからこそ、恐ろしい闇色に染まっていた。
答えぬ僕に、彼女は愉快そうに笑う。
「人間とは、本当に愚かな存在よ」
「…………」
「何も考えず、理解しようともせず、ただ感情のままに他者を傷つけて、その結果、自分たちの敵となる存在を生み続けた。世界を破滅に向かわせた。その卑しい浅慮さが、自分たちの首を絞めるものとなるのよ!」
…………。
その言葉は、前世の世界でも通じる気がした。
人の愚かさは、世界を跨いでも変わらない。
何も変わっていない。
他者への思いやりを忘れ、理解しようという意思を怠り、誤解やすれ違いを生み出して、多くの人の心が壊れていく。
黒い飛竜は、僕を見つめた。
「それこそ、私にはわからない」
「…………」
「貴方たちは、なぜ、そんな愚かな人間たちのために戦うの? その命を危険に晒すの? 300年前、貴方たち『神の眷属』に人間たちがしたことを私も見たわ。本当は貴方たちだって、もう気づいているのでしょう?」
そして、彼女は告げる。
「――もはや、人間という存在には、貴方たちがそこまでして守る価値はないわ」
慈悲深くも感じる、優しい声。
それは本心から、僕という存在に同情し、無知な子供をたしなめるような口調だった。
(あぁ……)
心が揺れたのを感じる。
僕は、俯いた。
僕の中にいるはずの神狗アークインでさえ、沈黙している。その言葉が、真実だと、アークインも心のどこかで認めているんだ。
「引いてちょうだい」
「…………」
「もう一度、言うわ。私たちは、貴方たちと敵対する意思はないわ。このまま、あの方の計画を邪魔しないで」
静かな声。
眼下では、愚かな人間たちの戦争が行われている。
アルンの兵士。
神血教団ネークスの教団員。
どちらも人間なのに、互いに夢中で殺し合っている。
その上空では、神々によって封印された悪魔が、巨大な岩の中で眠っていた。青い空の中、地上の喧騒も関せずに、ただ大いなる物質として存在していた。
(…………)
吹く風が、僕の身体を揺らす。
動きを止めてしまった僕を見つめて、黒い飛竜は、何か重そうな吐息をこぼし、再び『封印の岩』の方を向いて、火球を撃ち出そうとする。
でも、その寸前、
「……駄目だよ」
僕は呟いた。
黒い飛竜の動きが止まる。
僕は、ゆっくりと顔を上げた。
光を宿した青い瞳で、悲しい『魔の眷属』である彼女を見つめて、
「だって……この世界は、まだ続いているんだから」
そう伝えた。
◇◇◇◇◇◇◇
僕は『虹色の鉈剣』を、黒い飛竜に向けて静かに構える。
「……どういうこと?」
その剣先を見つめて、彼女は訊ねてくる。
僕は、答えた。
「君の言うように、人間たちは自分の首を絞めているのかもしれない。でも、それなら、どうしてまだ、この世界は破滅していないと思う?」
「…………」
「破滅させないように戦った人がいるからだよ」
言葉と共に思い出す。
400年前の神魔戦争で、僕――アークインと共にあった6人の神狗たち。
300年前も、多くの『神の眷属』が、世界のために戦った。
でも、その戦いに人間はいなかった?
(そんなわけがない)
神々と共に、僕らと共に、世界の滅亡に立ち向かった人間たちが存在したんだ。
人のために、自らの命をかけて。
他人を守るために、必死に戦える人たちがこの世界にいたからこそ、僕らの世界は今もこうして存在している。
その意味を、忘れてはいけない。
「破滅の危機はあった。でも、破滅はしていない」
「…………」
「どんな時代でも、そういう人たちが必死に守り切ったから、世界が辛うじて続いているんだ。今の世界は、その先に残されているんだ。そして、今もこうして、みんなが戦っている」
僕らの眼下。
地上でアルンの兵士たちが血を流しているのは、何のためだろう?
多くの命を落としても、なお戦う理由は、なんだろう?
答えは明白だ。
だから、僕は思う。
「そういう人がいる限り、僕は、人間への希望を捨てない」
黒い飛竜は、黙っていた。
ただ、まとっているその闇が濃くなったような気がする。
僕は伝えた。
「君の絶望は、正しい」
飛竜の血のような双眼が、驚いたように見開かれる。
僕は唇を噛み締める。
血がこぼれた。
それでも、僕は言わなければならなかった。
「でも、僕はそれを許すわけにはいかないんだ」
剣先を彼女に向けて。
彼女の受けた苦しみが、悲しみが、絶望がどれほど深かったのか、僕には到底、理解はできないと思う。
そこから出された彼女の結論は、きっと間違っていない。
それでも、僕は戦う。
(僕の手が救えるのは、全てじゃないんだ……)
だから、選ばなければならない。
彼女の生きる道は、僕の守りたい人たちを破滅させる道だ。
だから、僕は選んだ。
目の前にいる彼女を、見捨てることを。
青い瞳に、決意の光を宿して、僕はもう一度、はっきりと言った。
「僕は、君と戦う」
「……そう」
黒い飛竜は、静かに応じた。
彼女も理解したのだ、僕の決断を。
「貴方は誠実ね。だからこそ、とても残酷だわ」
「…………」
ミシッ
飛竜の筋肉が、一回り膨れたような気がする。
戦闘態勢。
その鋭い殺意が集約し、僕へと突き刺さって来る。
(――当然だ)
それを受け止めて、僕も『虹色の鉈剣』を上段に構える。
互いに、それぞれの決断を認めた。
だからこそ、殺し合う。
僕は、ゆっくりと息を吐く。
黒い飛竜は、翼をはばたかせながら、戦いの姿勢を整えた。
「行くぞ!」
叫んだ僕は、虹色の翼をはためかせ、闇の道を歩んでいく『魔の眷属』を止めるため、流星のように光の尾を残して飛翔した。
◇◇◇◇◇◇◇
『グァアアア!』
巨大な口蓋を開いて、飛竜が咆哮する。
その波動を吹き飛ばしながら、飛翔した僕は、手にした『虹色の鉈剣』を振り下ろした。
ガヒュン
黒い巨体の胸部に、傷がつく。
(浅い!)
凄まじい速度で身をかわした飛竜は、その巨腕で挟み込むように僕を叩く。
ゴゴォン
虹色の翼が、繭のように僕を包み、それを受け止める。
「しぃ!」
その翼の内側から、僕は『虹色の鉈剣』を突き出した。
ガシュッ
『ぎゃ……っ!?』
金属の翼を突き破り、飛び出した虹色の刃は、飛竜の太い指を切断する。
翼に空いた穴は、すぐに虹色の粒子が集まって修復された。
痛みにのけぞる飛竜。
(今だ!)
僕は翼を輝かせると、その懐へ飛び込んで、巨大な首を狙った――その瞬間、足元から強い衝撃が生まれて、僕の身体は上空へと弾き飛ばされた。
「がっ!?」
長い飛竜の尾だ。
僕の視界の外から、巻き込むように振られた太い尾が、僕を弾き飛ばしたんだ。
グルグルと回転しながら、僕は必死に翼を操って、姿勢を整える。
ダンッ
逆さまに着地したのは、『封印の岩』そのものだった。
(!)
足の下から、凄まじい怖気が走った。
この下に、何かとんでもないモノが潜んでいる――まるで暗い深海の底を覗いてしまったような恐怖が、僕の心に走り抜けていた。
――この中の存在を、絶対に外に出してはいけない!
本能的に、そう思った。
そんな僕目がけて、飛竜が巨大な口を開放させていた。
そこに生まれる赤い輝き。
(! まずい!)
慌てて、翼を輝かせ、岩肌を蹴って飛翔する。
ゴバァアアン
灼熱の火球が、直前まで僕がいた場所へとぶつかり、大量の炎を散らして弾けていた。
空気が焼ける。
飛竜は口を開いたまま、今度は火炎放射器のように絶え間ない炎を吹きつけてくる。
(こ、の……っ)
飛翔し続けて、必死にかわす。
それでも、肌を焼く熱波は凄まじく、汗が吹き出し、金属の鎧が火傷しそうなほどの高温になっていく。
このままだと炎が直撃しなくても、その熱でやられてしまいそうだ。
(なら!)
僕は覚悟を決めて、進路を変えた。
ギュルルッ
黒い飛竜へと一直線に飛びながら、翼で僕の全身を包み込み、紡錘形の虹色の矢となった。
ドパァアン
吐き出される炎と激突。
(ぐ……うぅ……っ!)
熱湯に放り込まれたような痛みが全身を襲うけれど、歯を食い縛って耐えながら、一気に炎の道を突っ切った。
バフッ
翼を開く。
『!?』
目の前には、驚く飛竜の巨大な顔。
その眼球には、上段に大きく『虹色の鉈剣』を構えた僕の姿が映っている。
「やぁああ!」
剣を振り落とす。
ほぼ同時に、残像を残すような速度で、竜の頭部が横に動いた。
ガヒュッ
回避しきれずに、竜の頭部の一部がこそぎ落とされる。
(く……っ、頭蓋をかすっただけかも!?)
思ったよりも浅い手応え。
黒い飛竜の前足が、僕を叩き落とそうと迫って来る。けれど、頭部のダメージの影響か、動きが遅い。
ガシュッ
カウンター剣技でその手首から切断する。
(やった!)
と思ったのも束の間、傷ついた前足ごと、黒い巨体が体当たりをするように僕にぶつかった。
ズガン
「かはっ!?」
そのまま押し込まれるように、地上へ急降下する。
凄まじい加速と風圧に挟まれて、僕は抜け出せない。このまま地面に激突すれば、大地と巨体の間で、僕の肉体は潰される。
「この……っ」
ガシュッ ザクッ
押しつけられる闇色の巨体に、何度も『虹色の鉈剣』を突き入れる。
紫色の流血。
けど、黒い飛竜は止まらない。
(駄目か……っ!)
恐怖と諦めが心によぎった時、突然、『虹色の翼』が背中から消えた。
(!?)
コロ?
僕の『神武具』は、突如として光の粒子に戻り、僕の全身にまとわりついた。
瞬間、凄まじい力が全身に溢れた。
『虹色の外骨格』が、僕を包んでいた。
硬質な全身鎧のような、それでいて生物的な不思議な造形――頭部さえ、『狗』のような兜に覆われ、露出された部分は一箇所もない。
それでも、視神経に作用して、外の様子は見えている。
驚いた直後、僕は地面に激突した。
ドゴォオオオオオン
凄まじい轟音と衝撃。
巨大なクレーターが生まれて、まるで小規模の地震が起きたような威力があった。
だというのに、
(……生きてる?)
僕は無事だった。
外骨格は、補助的な筋肉、骨、関節、神経となって、僕を守り、痛みさえ感じさせなかった。
溢れるのは、ただ純粋な力。
戦闘力。
メキャッ
『!?』
身体が勝手に動いて、覆い被さっていた黒い飛竜の肉を、左手で引き千切っていた。
激痛に、飛竜は仰け反る。
『虹色の鉈剣』を握ったままの右手で、その胴体を殴りつけた。
ゴギャン
鈍い音がして、骨を折ったのがわかった。
同時に、黒い巨体は風船でできているかのように軽々と吹き飛んで、20メードは離れた地面に激突する。
バキバキと周囲の木々がへし折れる。
(なんだ、この力……?)
異常なパワー。
同時に、凄まじい勢いで『神気』が減っているのを感じる。
まるで体内の蛇口が壊れた感覚だ。
『神武具』による『究極神体モード』――そんなイメージが脳裏に浮かんでいる。
(っ……決着を急がないとっ)
僕は、飛竜の倒れた場所へと跳躍した。
トンッ
今まで以上に軽やかな感覚で、着地する。
黒い飛竜は、まだ動いていない。
僕は油断なく、『虹色の鉈剣』を構えながら、ゆっくりと近づいた。
「…………」
その足が止まった。
へし折れた木々の中、横向きに倒れた飛竜の姿がある。
その胸部に、大きな陥没があった。
僕が殴った跡だと思うそれは、2メード以上に凹み、捻じれて肉の渦を巻いていた。
紫の血液がこぼれている。
確実に、その部分の骨が砕け、その奥にあるだろう心臓まで被害が及んでいるのがわかった。
致命傷。
黒い飛竜は、呆気ないほどに、遠くない死を迎えようとしていた。
カフッ カヒュ……ッ
乱れ、か細い呼吸。
開いた口からは、ダラリと長い舌がこぼれ、血のような双眼は焦点を失って、意志の光が消えかかっていた。
(……なんだ、これ?)
僕は茫然と、自分の右手を見つめた。
これが『神狗』の最大出力の力?
不意打ちとはいえ、たった1発のパンチで『魔の眷属』を討滅してしまえる威力なんて……。
勝利の喜びより、自身への恐怖が勝る。
「……さ、さすがは、ヤーコウルの神狗ね」
(!)
震える声に弾かれ、顔を上げる。
ガシュン
面覆いが外れ、兜が首の後ろ側へと収納されていく。
全身鎧の外骨格から、顔だけを出した僕は、ゆっくりと飛竜の頭部へと近づいた。
「……負けたわ」
「…………」
死ぬ直前の達観した表情と声で、彼女は言った。
「あの方の言った通りだわ……。私たちが最も警戒すべきなのは、ただ1人生き残りし『ヤーコウルの神狗』だって……」
小さく笑ったようだ。
でも、死の気配が強すぎて、それは痛々しく耳に響く。
飛竜の首が、かすかに持ち上がった。
「私は負けた……けれど、私たちの負けじゃない」
「…………」
「貴方たちが忘れても、私は覚えている。人間たちの悪意を、醜さを……あんな存在は、必ず世界から消し去らなければいけないのよ」
断末魔の強さを秘めた声。
「貴方もきっと、後悔する時が来るわ」
ギシシッ
倒れた木々を押しのけて、黒い飛竜は身体を、無理矢理に起こす。
ボタボタと口から、傷口から、大量の血が流れる。
僕の顔にも、その飛沫は降りかかった。
それでも、僕は青い瞳を閉じることもなく、ただ真っ直ぐにその姿を見上げる。
そして、言った。
「そうかもしれない」
「…………」
「でも、その時まで、僕は戦うよ」
はっきりと。
黒い飛竜は、それを受け止める。
僕は、少し迷って、でも、言葉を続けた。
「300年前、絶望している君を助けられなくて……ごめん」
「――――」
飛竜の顔が強張った。
数秒の沈黙、そして、その長い喉を晒して、彼女は哄笑した。
「あは、あはははははっ!」
「…………」
「ははは……ははっ……そう、そうなの。それが貴方の正義なの? なんて身勝手で、残酷なのかしら」
死の淵に立ちながら、彼女は闇のように笑う。
けど、ふと疲れたように、表情を陰らせて、
「……貴方の創った世界も……一度、見てみたかったわね……」
そう、小さくこぼした。
僕は、何も言えない。
バキィン
(!?)
次の瞬間、僕は、巨大な前足に弾き飛ばされていた。
地面に落ちる。
外骨格のおかげでダメージはないけれど、驚きの衝撃はあった。
黒い飛竜は、雄々しく立ち上がっていた。
「でも、私はあの方の下僕」
闇色のオーラが、その全身から湯気のように立ち上っていく。
呆然とする僕の前で、彼女は、巨大な翼をはためかせた。
ドゥン
(うぷ……っ)
凄まじい風圧に飛ばされそうなのを、必死に堪える。
止める間もなく飛び立った黒い飛竜は、全身から闇のオーラを炎のように溢れさせながら、上空へと恐ろしい速度で飛翔する。
何を……?
混乱し、そして気づいた。
彼女の飛翔する先にあるのは、悪魔の眠る巨大な『封印の岩』。
(あ……)
「やめろぉおお!」
僕は叫んだ。
遠い飛竜の顔が、どこか満足そうに笑ったように見えた。
次の瞬間、
ドパァアアアアアン
『封印の岩』に黒い飛竜が激突し、闇色のオーラをまき散らす大爆発が起きた。
決死の特攻による自爆。
彼女の選んだ、最後の答え。
「あ……あぁ、あ」
爆発の煙が、風に流れていく。
その部分の岩盤が剥がれ落ちて、そこから、内部の赤い光に包まれた封印の膜のような魔法陣が露出していた。
その透明な赤い輝きの奥。
その闇の中で、巨大な何かがゾロリと動いた。
(~~~~)
僕は硬直する。
そこからあふれ出す圧倒的な気配は、もはや生物のそれではなく、天変地異のような絶望を感じさせるのだ。
戦場での争いが、止まった。
人も魔物も、その気配に圧せられて、無理矢理に動きを止めさせられたのだ。
ギョン
岩の奥にいた何かが、赤い光の障壁に触れた。
激しい火花が散った。
内側の何かは、悶えるように暴れる。
封印に触れた影響か、その封印の内部では、凄まじい雷のようなものが荒れ狂っていた。
封印内に、紫の鮮血が飛び散る。
その激痛に暴れながら、けれど、その何かは障壁に、触手のような部位を強引にねじ込んだ。
多くの触手が焼け爛れ、溶けていく。
けれど、何十、何百という触手のほんの1本だけが、チュルンと封印の外に出た。
(……あ)
外に、出た。
封印の外……つまり、この世界に。
封印の結界に焼き切られるようにして、ほんの1メードほどの小さな触手が、空中に放り出される。
封印の内側にいた巨大な何かは、凄まじい雷に焼かれて、絶命したようだった。
もう動かない。
まるで弱っている身体で、最後の足掻きをしたようだった。
それが成功し、満足して死んだのだろうか?
「…………」
身体が震えた。
青い空に、小さな触手が浮いている。
――その日、世界には、3人目の『闇の子』が産み落とされた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




