151・コキュード防衛砦にて
第151話になります。
よろしくお願いします。
神帝都アスティリオを出発して5日、コキュード地区に到着した僕らは、飛行船の窓から、異様な光景を目にすることになった。
「……なんだ、あれ?」
巨大な岩が、空に浮いていた。
直径300メード、長さ700メードはありそうな卵みたいな巨岩が、太い鎖で地上と繋がれた状態で、空中に浮かんでいるのである。
岩肌には、緑の植物も生えている。
まるで浮き島だ。
硬い岩盤には、巨大な楔が何個も撃ち込まれ、そこと繋がれた鎖は地上へと伸びていて、そこには円形の頑丈そうな建物――コキュード地区の防衛砦があった。
「……まるで浮遊石みたい」
ソルティスが呟く。
前に、ケラ砂漠の砂上船で使われているのを見たことがあるけど、でも、こんな異常なサイズじゃなかった。
僕らだけでなく、キルトさんやイルティミナさんも驚いている。
(あ……)
岩肌の表面に、無数の赤い光の文字が流れていく。
神文字だ。
大迷宮の壁でも見たような現象が、ここでも起きていた。
「なんて巨大な『神術』なの? こんな密度の構成は、初めて見たわ」
レクトアリスの感嘆の声。
(じゃ、やっぱり……これは)
僕は、巨岩を見つめた。
と、流れる赤い光とは別に、靄のような紫色の光が、巨岩の表面から漏れているのに気づいた。
ドクンッ
心臓が跳ねる。
神狗アークインの感情が、強い警戒を訴え、同時に激しい敵意を燃え上がらせている。
闇のオーラ。
悪魔の魔力。
赤い神文字が触れると、紫の光は消える。
けれど、赤い光が通り過ぎれば、またその禍々しい輝きを甦らせる。
それは、今までに見たことがないほどの闇の力が噴出している証で、だからこそ、僕らは確信を得る。
「ここに、本当に『悪魔』が封印されているんだね」
僕は、低い声で呟いた。
みんなも黙り込んで、巨岩を見つめる。
今から400年前、世界を破滅に導こうとした古の悪魔、その1体がここに封じられている。
「はっ、震えが止まらんわ」
あのラプトが、自分の震える左腕を、右手で強く押さえながら言う。
神魔戦争を経験した彼は、本物の悪魔の脅威を目にしている。だからこそ、当時を思い出して、心が恐怖を訴えているみたいだった。
レクトアリスも、硬い表情だ。
「ふむ。皆、勘違いをするな。わらわたちの相手は、この岩の中の存在ではないぞ?」
僕らの様子に気づいたキルトさんが、そう告げる。
(ん、そうだった)
異様な光景と気配に、思わず、敵を間違えるところだった。
敵は、3万体の魔物と神血教団ネークス。
そして、『闇の子』の勢力。
巨岩の中の存在に比べたら、楽とは言えないけれど、まだ勝利の希望が感じられる。
「…………」
もう一度、巨岩を見上げる。
押し潰されそうな圧迫感、そして、本能的な死を感じさせる『何か』があった。
勝てない。
少なくとも、今の僕らには、1パーセントの可能性もない。
それがわかるんだ。
(……これが『悪魔』、か)
飛行船が巨岩の影に入って、ふと周囲が暗くなる。
それでも僕の青い瞳は、封印の岩を睨みつけるように、見つめ続けた。
――やがて飛行船は、コキュード地区の防衛砦へと着陸した。
◇◇◇◇◇◇◇
2台の飛行船は、円形に造られた防衛砦の中央部分にある離着陸場へと車輪を落とす。
ゴゴォン
振動があり、すぐに地上の人たちが、鎖で係留してくれる。
荷物を担いだ僕らは、飛行船の外に出た。
(へぇ……これが防衛砦なんだ?)
『封印の地』を守る防衛砦は、まるで装飾がない武骨な建物だった。
実用主義。
だからこそ、独特の緊張感がある。
出迎えに並んでいる兵士たちも、みんな厳つい顔をしている。
国家機密の場所を守る兵士たちだから、きっと普通の兵士さんよりも、心身共に鍛えられた精鋭なんだと思った。
ザッ
特に皇帝陛下が姿を見せると、一切の乱れなく、全兵士が敬礼した。
中には、敬礼しながら泣いている兵士もいた。
(す、凄いカリスマ性だね……)
ちょっと呆然とする。
そんな僕らは、砦の中に造られた兵室へと案内された。
僕、イルティミナさん、キルトさん、ソルティスの4人と、ラプト、レクトアリス、フレデリカさんの3人、その組み合わせで部屋は分かれることになった。
石造りの通路を歩いて、部屋に着く。
「狭っ!」
ソルティスが、思わず喚いた。
うん、二段ベッドが2つと窓が1つだけで、あとは人1人が通れるスペースがあるだけの部屋だった。
(これは……荷物は、どこに置けばいいのかな?)
「マールは私と寝ればいいので、寝台を1箇所、荷物置き場にしましょう」
「うむ、そうじゃな」
大人2人が頷き合う。
……えっと、僕の意見は聞かないの?
そうして荷物を片付けると、僕とキルトさんだけ別室に呼ばれた。
隊長クラスの人たちが集まって、ミーティングをするそうだ。
「そなたも顔見せをしておくと良い」
「う、うん」
大人たちの集まりに、子供の僕が行くのは、ちょっと勇気がいるけれど、仕方がないので頑張ろう。
通路を歩いている途中で、フレデリカさんに連れられたラプト、レクトアリスに出会った。
3人もミーティングに参加するようだ。
(知り合いが多いと心強いな)
ちょっと安心してしまったよ。
やがて、会議室みたいな場所に案内された。
中にいたのは、強面の兵士さんばかり。全員から『圧』を感じるので、やっぱり凄腕の人たちが集まっているのだと思った。
フレデリカさんも含めて女性の隊長さんも、何人か姿が見られた。
会議を進行するのは、やはり、アルン最強のアドバルト・ダルディオス将軍その人だった。
皆が集まると、
「この者は、シュムリア王国の金印の魔狩人キルト・アマンデスだ。この度の戦で、我らと共に戦ってくれることになった」
将軍さんは、そうキルトさんを紹介した。
瞬間、小さなどよめきが起こった。
7年前、一騎打ちでダルディオス将軍を倒した女傑の名前は、みんなが知っていたらしい。
畏怖と驚きの視線が、彼女に集中する。
「よろしく頼む」
人々のそういう視線に慣れているのか、キルトさんは澄まして挨拶していた。
続いて、
「そして、この3人が『神の眷属』であるマール、ラプト、レクトアリスだ。この3人の神の使いも、我らがアルン神皇国の味方として、此度の戦闘に参加する」
僕ら3人を示して、そう紹介される。
全員の視線が、一斉に僕らに集中する。
「よ、よろしくお願いします」
ペコッ
緊張しながら、僕は頭を下げる。
けど、ラプトとレクトアリスは、人間より下のつもりはないので、僕のように頭を下げることもなく、涼しい顔で視線を受け流していた。
(あぁ……これ、僕だけ悪目立ちした感じだね?)
しくしく。
落ち込みながら席に座る僕。
キルトさんが苦笑しながら、背中を軽く叩いてくれた。
「この者たちは、基本、遊軍となる。戦場においては、自由に動いてもらう。皆も、そう心しておいてくれ」
将軍さんの言葉に、皆、頷いた。
それから、正面に造られたコキュード地区周辺のジオラマを使って、説明がなされた。
「監視所からの知らせによれば、神血教団ネークスは、砦の南方よりこちらに向かっている。その使役されていると思われる魔物の数は、およそ3万に及ぶ」
既に報告があったのか、皆の顔に動揺はない。
将軍さんは、その後、迎え撃つ地点の説明や、その部隊の構成、配置などを細かく話していく。
なんとなくだけど、僕が理解したのは、こんな感じ。
まず、基本は防衛戦。
初撃は、砦の大砲を使う。
白兵戦闘では、歩兵部隊が敵の足を止め、後方から、弓矢や魔法などの遠距離部隊が攻撃する。
そして、騎竜隊が側面より追撃。
また狙うのは、魔物ではなく、神血教団ネークスの魔物を使役する術者たちを優先する。
ちなみにこれは、精神世界で得た僕らの情報から、術者が倒されると魔物の支配が解かれることが確認されたからなんだ。
(少しは役に立ったかな)
あの精神世界での苦労が、こんな形で報われるとは思わなかったよ。
そして僕らは、さっきの将軍さんの言葉の通りに、その戦場で自由行動となる。
でも、本当に自由なわけじゃない。
公にはできないけれど、僕らは『闇の子』や『刺青の者』たちがいた場合に、彼らを討つという役目が与えられているんだ。
彼らがいたら、戦局など、簡単にひっくり返されてしまう。
それを阻止するのが、僕らの役目なんだ。
(責任重大だよ)
恐怖はある。
でも、僕らがやらなきゃいけないことだと覚悟は決めていた。僕の中の神狗アークインも、激しい闘志を燃やしている。
(うん、がんばろう!)
僕は、強く右手を握り締める。
そんな風にして、今日のミーティングは終わった。
現在、防衛砦には、5000人の兵士がいる。
予定では、10日後に、更に3万人が来ることになっている。
ただ魔物たちも、早ければ、10日で来てしまう。
もしもの時は、5000人で戦わなければいけないし、そのための作戦や用兵も考えられていた。もちろん、3万5000人での場合も考えられている。
臨機応変。
その辺の対応は、将軍さんがやるのだそうだ。
(そういえば、前にキルトさんが言っていたっけ)
ダルディオス将軍の真価は、個人の戦闘力ではなく、集団戦において最も発揮されるのだと。
頼もしいな。
でも今回の戦場では、将軍さんとフレデリカさんは、それぞれ部隊を率いるので、僕らと共に戦いはしないのだそうだ。
ちょっと残念。
「だが、同じ戦場で、私もマール殿と一緒に戦っている」
フレデリカさんは、僕の手を握りながら、熱い眼差しと声で言った。
……うん、そうだね。
「うん。一緒にがんばろうね、フレデリカさん」
「あぁ、マール殿」
僕らは笑い合った。
ちなみに、そんな僕らを、部屋の外まで迎えに来てくれたイルティミナさんが目撃して、慌てて引き離されるという一幕もあった。
「全く油断も隙もないですね」
「何のことだ?」
バチバチッ
火花を散らして、なぜか睨み合うお姉さんたち。
えっと、仲良く、仲良くね?
(これから、一緒に戦うんだから)
僕は、ちょっとオロオロしてしまったよ。
そんなこんなで、日は流れた。
幸いなことに、3万の兵士の到着が先だった。
よかった。
1つ、こちらに有利な条件が増えたよ。
当初の予定通り、正確に10日目での出来事だった。
ガキッ ギギィイ……
人数が増えて賑やかになった防衛砦には、時折、大きな鈍い金属音が響く。
上空に浮かんだ、巨大な封印の岩。
それが風に流されるのを、この地に繋ぎ止める鎖が引き留めて、激しく軋んでいるんだ。
「今夜もうるさいわね」
その夜の兵室で、ベッドに横になったソルティスが呟く。
うん。
でも、最近はもう慣れたよ。
イルティミナさんの腕の中で、抱き枕にされて頭を撫でられながら、僕は、そんな風に思う。
「ふむ……」
ふとキルトさんがベッドから身体を起こした。
(ん?)
豊かな銀髪を揺らし、月光に輝かせながら、窓の外を眺める。
「キルト?」
「どうかしましたか?」
姉妹が問う。
キルトさんは、遠い眼差しをしながら、短く言った。
「決戦は、明日かもしれんな」
え?
もしかして、
「それって、あの鬼姫の勘?」
「そうじゃ」
僕の言葉に、彼女は笑った。
「今夜の風は、いつもより、ざわめいている気がしての。恐らく、明日には魔物たちも来るであろう」
「…………」
「…………」
「…………」
「皆、生きて帰るぞ」
月光を背にして、『金印の魔狩人』は、僕らを見ながらそう言った。
「うん」
「はい」
「当たり前でしょ」
僕らは頷く。
キルトさんは、それに満足そうに笑った。
そして夜は更け、朝が来る。
キルトさんの予想は当たり、翌日の朝日と共に、地平の彼方には3万の魔物の軍勢が姿を現したのだった――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




