015・旅立つ2人
第15話になります。
よろしくお願いします。
旅立ちの朝、僕は、礼拝堂の女神像の前に立っていた。
(今日まで、お世話になりました)
両手で器を作り、女神像の手からこぼれる光る水――『癒しの霊水』を受け止めて、それを自分の口へと持っていく。
ここでの最後の朝食。
ゴクゴク
「……ぷはっ」
最後の最後まで、この不思議な水は、甘くて美味しかった。
これがなければ、転生した僕は、空腹と脱水で、すぐに死んでしまっていたかもしれない。
口の中に残る甘さと、その奇跡のありがたさをしっかりと噛みしめる。
朝食を終え、僕は、女神像を見上げた。
胸の前で両手を合わせて、深く頭を下げる。
「ありがとうございました。それでは、いってきます!」
今日まで見守ってくれた女神像は、今朝も何も語ることはなく、ただ静かな眼差しで、僕を見つめ続けていた。
◇◇◇◇◇◇◇
螺旋階段を上り、塔の亀裂部分から外に出る。
空は、生憎の曇天だ。
(う……冷たい風)
太陽が雲に隠れているせいか、少し肌寒い。
のどかで平穏な森の風景が、今朝は、どこか寒々しく感じて見えるのは、旅立つ僕の心境のせいだろうか?
ふと思い出して、腰紐の後ろに固定した、片刃の短剣の柄に触れる。
僕の牙は、ここにある。
(うん、大丈夫。大丈夫だ)
よし――心を強くして、顔を上げる。
ふと見下ろせば、瓦礫の先にある草原の丘の上に、イルティミナさんが立っているのが見えた。
白い槍を手にした美しい冒険者。
その背には、赤牙竜の牙も載った大きなリュックが負われている。
(…………)
僕は、すぐにそちらへと向かった。
気づいたイルティミナさんが、こちらを振り返り、優しく微笑んだ。
そして、言う。
「――旅立ちの心の準備はできましたか?」
と。
◇◇◇◇◇◇◇
やがて、僕らは手を繋ぎ、森へと向かって丘を下り始めた。
天気のせいか、森の景色はいつもより冷たく感じる。
繋いだ手から、不安の気配が伝わったのか、イルティミナさんはふとこんなことを口にした。
「旅立ちには、良い天気ですね」
(……え?)
見上げる僕に、彼女は笑って答える。
「晴れた日は、不思議といいことがありそうで、油断を誘います。雨の日は、憂鬱になって、意味のない恐れを抱かせます。――どちらでもない今日は、中庸の心で、全ての出来事を冷静に受け止められるでしょう」
「…………」
「マールは、運が良いですね」
彼女が本当にそう思っていたのか、あるいは、僕を気遣ってくれたのかはわからない。
でも、どちらにしても、その優しい心が嬉しかった。
「では、そろそろ急ぎましょうか」
丘を下り切って森へと入るところで、イルティミナさんは、小さな子供の僕を抱きあげる。
「ん」
恥ずかしさはあるけれど、僕は大人しく、その行為を受け入れた。
少し赤くなる僕に、彼女は微笑み、
「行きます」
タンッ
その足が力強く大地を蹴ると、周囲の景色が一気に流れだす。
イルティミナさんの首に両腕を回して、落ちないようにバランスを取りながら、僕は、ふと後ろを振り返った。
遠ざかる塔が見えた。
今日まで僕が暮らした家であり、まるで母親の胎内に包み込むように守ってくれていた場所だった。
もう二度と来ることはないだろう。
(…………。さようなら)
しばらく見つめ、それから僕は、その姿が森の陰に消える前に、自分から前方へと向き直った。
もう振り返らない。
その日、転生した森の塔から、僕――マールは、新たな未来のために旅立ったのだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。