145・戻ってきた日常世界
第145話になります。
よろしくお願いします。
「あまり心配させるでないわ!」
ゴッ ゴッ
キルトさんの拳が、僕らの脳天に落ちる。い、痛い。
ちょっと涙目の僕。
イルティミナさんもこういう怒られ方をされたのは珍しいのか、目を丸くしながら、頭を押さえている。
でも、そんな僕らの頭を、キルトさんは両手で抱えて、
「……無事でよかった」
心に染み入るような声で呟いた。
(…………)
温かい腕の中で、僕とイルティミナさんは顔を見合わせた。
本当に心配してくれてたんだ、と、嬉しいような、申し訳ないような気持ちだった。
「ごめんなさい、キルトさん」
「すみませんでした」
心から謝る。
ギュウッ
キルトさんは何も言わず、僕らをもっと強く抱きしめた。
やがて、手が離れると、
「イルナ姉ぇ~」
ソルティスが姉のお腹に抱きついた。
こちらは大泣きである。
妹の様子に驚き、それからすぐに姉の顔になって、イルティミナさんは優しくソルティスの髪を撫でてやる。
「ごめんなさい、ソル」
謝り、抱きしめる。
ふと、精神世界で見た7年前の姉妹の姿を思い出した。
(姉と妹……か)
変わらぬ2人の姿に、なんだか心が温かくなった。
少しだけ、涙腺が緩みそうになる。
ポンッ
眺める僕の頭に、キルトさんの手のひらが乗って、クシャクシャと撫でてくれた。
滅んでしまった、草原のルド村。
その地で再会した僕ら4人を、朝日は柔らかく照らし続けていた。
◇◇◇◇◇◇◇
街道の騎竜車まで戻ろうと、僕らは山を下りていく。
ルド村をあとにする時、姉妹は――特にイルティミナさんは、名残惜しそうだった。
でも、その瞳には光があった。
「さようなら、父様、母様」
そう告げて、村に背を向ける。
颯爽と歩きだす姿には、もう過去に囚われていない前向きな力を感じられた。
それが嬉しかった。
キルトさんは、その変化に驚いていた。
僕を見るので、笑顔を返すと、
「――そうか」
キルトさんは呟いて、大きく息を吐いた。そして、長年の肩の荷を下ろしたように笑ったんだ。
そんなこんなで、僕らは森を歩いていく。
歩きながら、
「そなたらのことを一晩中、探したのじゃぞ?」
と言われた。
(一晩中……?)
その言葉に驚いた。
確かめてみると、僕らが竜車からいなくなったのは、昨日のことらしい。
精神世界では、10日間ほど過ごしている。
(どうやら、時間の流れが違うみたい)
思わず、僕は再び、イルティミナさんと顔を見合わせてしまった。
また事情を知っているのは、僕ら4人と、騎竜車の御者であるシュムリア騎士の3人、あとはダルディオス将軍だけだそうだ。
「イルナの過去は、誰にでも話せる内容ではないからの」
そうキルトさんは言った。
理由は単純。
シュムリア王国の金印の魔狩人が、過去に、アルン神皇国にいた少女2人を『国境破り』させていた――そんな事実がわかれば、国際問題にもなりかねないからだ。
国境破りは死罪。
どんな理由があろうと、その厳罰があるのだ。
(そ、そっか)
7年前、キルトさんが姉妹を助け、シュムリア王国に連れて行った行為は、実は、アルンの法的には許されない行為だったんだ。
命の恩人。
姉妹にとって、まさにキルトさんはそうなんだね。
そして、
「だから、今回の件は、マールのせいになったから」
ソルティスがあっさり言った。
(え?)
「調子に乗ったマールが、食べすぎでお腹を下して、森に入った。けど、迷子になったようで戻ってこない。だから、イルナ姉と私たちが捜索に出た。――こんな感じよ」
「…………」
えっと……。
僕は、キルトさんを見る。
「すまぬ」
返ってきたのは、その一言。
(…………)
み、みっともない!
もっと違う理由というか、言い訳を思いつかなかったのかな? なんで、僕がお腹を下したことになるの。
子供にだって、羞恥心はあるんだよ。
(は、恥ずかしい~)
両手で顔を押さえて、さめざめと泣く僕。
「ご、ごめんなさいね、マール。わたしのために」
イルティミナさんは申し訳なさそうに謝り、キルトさんは苦笑する。
ソルティスだけが大笑い。
(……絶対、その言い訳を考えたの、君だね?)
きっと確信犯だ。
森の中、賑やかな僕ら4人は、その後、半日ほどで森を抜けて、街道で待っていた騎竜車へと戻ったのだった――。
◇◇◇◇◇◇◇
僕らの無事な帰還を、事情を知る3人のシュムリア騎士さんは、素直に喜んでくれた。
「ご迷惑をおかけしました」
イルティミナさんは、頭を下げる。
騎士さんたちは、優しく微笑んだ。
「皆、生きていれば、心に傷を負っているものです。時に、その痛みに耐え切れぬ時もありましょう。どうか、お気になさらず」
「…………」
彼らは、僕の方も見る。
「マール殿も、ご苦労様でした。――大切な方を、よく連れ戻されましたな」
子供ではなく、1人の男を見るような眼差し。
僕は嬉しくなって、「うん!」と大きく頷いた。
イルティミナさんは、手を繋いでいるそんな僕を見つめ、それから3人の騎士さんたちにもう1度、深く頭を下げていた。
――そして、騎竜車は動きだす。
20台以上のアルン軍の黒い竜車たちには、先に行ってもらっていた。狭い街道で、全軍待機するわけにもいかない。なので、次の宿場となる町で、合流する予定になっているそうなんだ。
(……あちこちに迷惑かけちゃったな)
ちょっと反省する。
「なに、帰路の行程には1~2日の猶予は見ておったのじゃ。そう問題にはならぬよ」
キルトさんは、そう言ってくれる。
一応、今夜にも合流は果たせそうだという。
それまでの時間は、僕らが体験した精神世界のことを、キルトさんとソルティスに説明する時間となった。
7年前の世界。
そこで出会った、子供のイルティミナさん。
話を聞く2人は、さすがに驚いていた。
やがて、話の内容は、ルド村の悲劇に辿り着いて、神血教団ネークスが関わっていたことも伝えることとなった。
その名前に、キルトさんの表情は渋くなった。
ソルティスも不快そうに、顔をしかめている。
でも、話はそれで終わりじゃない。
僕らは、その教団を率いていたのが、あの飛竜に変身する『刺青の女』であったことを話した。
「……なんじゃと?」
金印の魔狩人は、呆気に取られた。
ソルティスも、ポカンと口を開けてしまっている。
僕は続けた。
「話していた言葉からの推測だけど、その女の人は、多分、300年前の『悪魔の欠片』が生み出した『魔の眷属』の生き残りなんだと思う」
「…………」
「…………」
2人は黙り込んだ。
イルティミナさんが、補足するように付け加える。
「正直、私にはそこまでの記憶はありません」
「…………」
「しかし、あの世界は、私の記憶から構成されたという確信があります。……忘れられた記憶から、『神武具』は正しく過去を再現したのだと思っています」
キルトさんは「ふぅむ」と唸った。
その横で、ソルティスが唇を尖らせて、
「でも、なんで?」
と呟いた。
「なんで、その『魔の眷属』が神血教団の教主なんてやってるの? 意味わかんない」
うん、全くだよ。
『魔血の民』は『悪魔の子孫』だ――それを『魔の眷属』が排斥し、根絶しようとするなんて、むしろ逆に思える。
僕らのリーダーは、しばし考え込んだ。
ガシガシッ
やがて、豊かな銀髪を乱暴にかいて、
「わからん」
と降参した。
「さすがに情報が足りぬな。下手な推測は、真実から遠ざかるやもしれん。今は、考えるのはやめておこう」
「…………」
「…………」
「…………」
それしかないかな。
「しかし、貴重な情報でもあった」
彼女は続けた。
「神血教団ネークスに対する認識は、大きく改める必要がある。将軍にも伝え、アルン国内でも警戒してもらわねばならぬの」
「うん」
「はい」
「そうね」
僕らは、大きく頷いた。
また翼竜便で、シュムリア王国にも連絡しておくことが決まった。王国でも、似た組織や動きがあるかもしれないからだ。
(そっちは、レクリア王女様に調べてもらおう)
彼女なら、多くの人員を使って、しっかり調査してくれるはずだ。
――色々と話したら、すっきりした。
(やっぱり、キルトさんは頼もしいな)
そう思った。
頼り過ぎてはいけないんだろうけど、話を聞いてもらうだけで……ううん、そばにいてくれるだけで安心できる何かがあるんだ。
「? なんじゃ、マール? わらわの顔に、何かついておるか?」
「ううん」
僕の視線に気づいて、顔をこする彼女に、つい笑ってしまった。
キルトさんは首をかしげ、
「まぁ、よい」
そう言うと、僕らを穏やかな眼差しで見つめた。
「色々あって疲れたであろう? そなたらは、もう休め」
「あ、うん」
「よろしいのですか?」
「構わん。――ソルも徹夜だったのじゃ、そのまま共に休めよ」
ソルティスは、眉根を寄せる。
「……キルトは?」
「道中、何かあった時のために、起きておるよ」
…………。
(いいのかな? キルトさんも徹夜だったんだよね)
動かない僕ら3人に、彼女は苦笑する。
「阿呆。これでも鬼姫キルトぞ? そなたらよりも、体力はあるわ」
ペシペシペシ
3人とも背中を叩かれ、寝台室の方へと追いやられた。
そのままバタンと扉が閉められ、僕らは顔を見合わせて、苦笑する。
(もう……本当に優しい鬼姫様だよ)
「せっかくの厚意です。お言葉に甘えましょう」
「うん」
「そうね」
そうして僕らは、ベッドの上へ。
ギュウ
久しぶりに、イルティミナさんは、僕を抱き枕にする。
ソルティスは、僕と反対の姉の背中側に寝転んだ。姉妹で背中を合わせて、その体温を伝え合っている。
「…………」
なんだか、懐かしい。
イルティミナさんの腕の中が、とても心地が良かった。
「おやすみなさい、マール、ソル」
「うん、おやすみなさい」
「おやすみ、イルナ姉」
そして、まぶたを閉じる。
疲れていたのか、僕らは、あっという間に眠りの世界に落ちていく。
……その眠りの中で、僕は、ルド村の草原に寝転んで、13歳のイルティミナさんと6歳のソルティスと一緒に、平和なお昼寝をしている夢を見たんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
その日の夜、僕らは、予定していた宿場町へと到着した。
町の門前に、竜車が停まる。
窓の外には、あのアルン軍の黒い竜車がいっぱいだ。
「ほら、ソル。着きましたよ?」
僕らは先に起きていて、よほど寝不足だったのか、ソルティスだけが最後まで眠っていた。
姉に起こされ、小さな手がゴシゴシと目元を擦る。柔らかそうな紫色の髪には、寝癖ができていた。
「おはよう、ソルティス」
苦笑しながら声をかける。
「ふぁ……おはよ、マァル~」
欠伸しながらの返事。
(……え?)
思わず、彼女を凝視した。
イルティミナさんも驚いたように妹を見ていた。
ソルティスは、ハッとしたように口元を両手で押さえる。
顔を赤くしながら、
「ち、違うから! ちょっと変な夢見てて、それで言っちゃっただけだから!」
「そ、そう」
その剣幕に、思わず、コクコクと頷く。
(……夢、か)
もしかしたら、あの精神世界での影響が、彼女にも届いていたのかもしれない。
ポーチの中の『神武具』を見る。
もちろん、虹色の球体は、何も答えることはなかった。
「ほ、ほら、行くわよ!」
ゲシッ
照れ隠しに、軽く僕の足を蹴飛ばして、ソルティスは竜車を降りていく。
やれやれ。
あの純真無垢な幼女は、いなくなってしまったのでしょうか?
(……ちょっと、さみしい)
でも、『マァル~』と僕を呼ぶ声は、当たり前だけどそっくりだった。
それが何だか嬉しかった。
イルティミナさんも、どこか懐かしそうに笑っていた。
「行きましょうか、マール」
「うん」
僕らも少女を追いかけて、竜車を降りていった。
◇◇◇◇◇◇◇
宿場町の宿では、将軍さんとフレデリカさん、ラプトとレクトアリスに再会した。
4人の中で唯一、事情を知っている将軍さんは、僕らの肩に手を置いて、
「よくぞ無事で戻ってきた」
と重々しく頷いた。
イルティミナさんは、迷惑をかけたことに対して、軽く頭を下げている。
一方で真実を知らない3人は、
「なんや、マール? 自分、食い過ぎたんやって?」
「ちゃんと自重しないと」
ラプトは、ゲラゲラと笑って僕の背中を叩き、レクトアリスは、ため息をこぼしながら、呆れたように注意してくる。
そしてフレデリカさんは、小さな黒い粒の入った袋を取り出して、
「……これは?」
キョトンとなる僕に、軍服の麗人さんは生真面目な表情で言った。
「下痢止めだ」
「…………」
「軍医から、マール殿のために丸薬を分けてもらってきた。どうか活用してくれ」
その袋を、僕の手に乗せてくる。
(…………)
何とも言えない表情の僕。
後ろでは、イルティミナさんとキルトさんが口元を押さえて顔を逸らし、ソルティスに至っては、隠すこともなく大声で笑っていた。
く、くそぉ~。
大切な人たちの秘密を守るため、僕は涙を飲んで、フレデリカさんの厚意を受け取るのだった。
――そうして、数日が流れた。
僕らの乗る20台以上の竜車たちは、無事、レスティン地方を抜け、やがて神帝都アスティリオまで帰り着いた。
「やっと着いたぁ」
「そうですね」
窓の外には、夕暮れに染まった巨大都市が見えている。
行きは、2日。
帰りは、10日以上。
茜色の太陽に照らされる都市は、すでに夜に備えて、たくさんの照明たちが点灯を始めている。
まるで光の都市だ。
(綺麗だな……)
前世の世界にも劣らない輝きに、思わず、魅入ってしまう。
キルトさんも窓の外を眺めて、
「ふむ。この時間じゃと、皇帝陛下への謁見は明日になるであろうな」
と呟いた。
そうなんだ?
「いいんじゃない? ずっと竜車の中だったんだもの。一晩ぐらい、ゆっくり休みたいわ」
ソルティスが軽く肩を回して、そんなことを言う。
(うん、僕も賛成)
揺れる竜車に乗り続けるというのも、意外と疲労が溜まるのだ。
それに、せっかく皇帝陛下に謁見できるのであれば、自分も元気な状態でお会いしたいと思う。
キルトさんも笑って、頷いた。
「そうじゃな。今夜はまた、将軍の屋敷で一晩、世話になるとしようかの」
「うん」
「それがいいわ」
同意する僕とソルティス。
「…………」
でも、イルティミナさんだけは何も言わずに、そんな僕のことをただ静かに見つめていた。
ダルディオス将軍は、もちろん僕らの逗留を快諾してくれた。
フレデリカさんも、ちょっと嬉しそうだ。
ただ将軍さんは、アルン軍の責任者として、様々な報告のために1人で登城することになった。
残される僕ら4人と『神牙羅』の2人は、その娘のフレデリカさんの案内で、ダルディオス家のお屋敷へと向かった。
みんなで夕食。
大迷宮でのことを語り合いながら、和気藹々と時間が過ぎていく。
とても楽しい時間だった。
気づいたら、夜も大分更けていて、
「あふ……」
僕の口から、つい小さな欠伸が漏れる。
(……ん?)
ふと見たら、みんなに注目されていた。うわ……。
縮こまる僕に、キルトさんが優しく笑う。
「今夜は、ここまでにするかの」
「そうやな」
ラプトたちも笑って、本日は、これで解散となった。
「それじゃあね」
「また明日だ、マール殿」
レクトアリス、フレデリカさんとも挨拶を交わして、みんな、それぞれの部屋へと戻っていく。
僕も、自分の部屋に戻った。
(あぁ……お腹いっぱい)
ポフッ
ベッドのシーツに、うつ伏せに倒れ込む。
今夜は、1人部屋。
ここには僕しかいない。
誰にも遠慮はいらないから、思いっきり、だらしない格好でだらけてしまう。
(う~……このまま、眠っちゃおうかな?)
なんて怠惰なことを思った時だ。
コンコン
部屋の扉がノックされた。
ん?
「起きていますか、マール?」
聞き慣れた声だ。
僕は、すぐに起き上がる。
そして、ドアノブを回すと、
「……マール」
そこにはやっぱり、あのイルティミナさんが立っていた。
(…………)
今の彼女は、いつもの冒険者の格好ではなくて、普段着のワンピース姿。
部屋や廊下の照明に照らされる姿は、とても清楚なお姉さんといった雰囲気だった。
綺麗な人だな、と、いつも思う。
ただ、僕を見つめる真紅の瞳は、いつもと少し違うような気がした。
(???)
なぜだろう?
その真っ直ぐな視線に、少しドキドキしてしまう。
「えっと、どうしたの?」
それを隠して僕は問う。
イルティミナさんは、小さくはにかみ、
「疲れているのに、ごめんなさい。ですが、もしよかったら、もう少しだけ、私とお話しませんか?」
と言った。
(……もちろん、いいけど)
僕は「うん」と頷き、扉の横に移動する。
「――ありがとう」
イルティミナさんは微笑み、それから大きく深呼吸をすると、どこか思い詰めた表情で、僕の部屋の中へと入ってきた――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




