139・村での日々3
第139話になります。
よろしくお願いします。
翌日、僕は、イルティミナさんの家の裏手で、剣の素振りをしていた。
オルティマさんの計らいで、今日の『森の見回り』は、僕だけ休みにしてくれたんだ。多分、僕が客人であり、子供であることに配慮してくれたんだと思う。
なのでその分の時間を、稽古に当てることにした。
「ふっ、ふっ」
ヒュッ ヒュッ
上段に構えた『妖精の剣』を、繰り返し、振り落とす。
今日のイルティミナさんは、自室で、木彫りの『赤牙竜』の彩色作業を行っている。
あれは工芸品。
だから、リアルな色彩よりも、ある程度のデフォルメが許されるし、その方が売れるらしいんだ。なので今日は、僕の詳しい説明も必要なかった。
「やっ!」
ヒュッ
剣を構え、刃を真下に振り落とす。
ただ繰り返しても意味はない。
1本1本集中して、修練の密度を高めないと駄目だ。
(――キルトさんの姿を思い出せ)
あの完成された剣技を、僕は、懸命に追いかける。
特に『上段からの振り落とし剣技』は、僕の得意技であり、生命線ともなっている大事な剣技だ。
――全てを断つ!
その覚悟で、僕は剣を振り続ける。
やがて、
「ふぅぅ……」
100本集中した僕は、一旦休憩する。
(うん……いい感じ)
大きく息を吐いた僕は、剣を手にした自分の右手を見つめた。
ヒュン
軽く横に振る。
うん、ここ数日間で、あちこちの炎症も引いたようで、これだけ動いても痛みがなかった。もう本調子に戻ったとみて、いい気がする。
(……よかった)
これなら『神気』を使っても、もう大丈夫そうだ。
小さく安堵し、僕は笑う。
汗まみれになっていた僕は、上の服を脱いで、上半身裸になると、タオルで汗を拭った。
「よし、もう少しがんばろう!」
気合を入れ直して、剣を構える。
まず正眼。
そこから上段へ。
決して淀みなく、流れるように移行させなければいけない。
(うん)
悪くない動き。
そして、集中――あの金印の魔狩人のように、全てを断ち斬る剣技を放て!
ヒュッ
一閃。
しっかりと空気が切断される。
前足の親指と付け根に力を込めて踏ん張り、すぐに剣を戻す。
その動作も、適当にやってはいけない。
残心。
相手にかわされた想定で、素早く正確に、絶対に隙を作ってはならない。
「ふっ、ふっ」
僕はまた、繰り返し機械のように剣を振る。
何度か休憩を挟み、やがて1000本を数えた頃、
「――精が出ますね」
休憩に入ろうとした僕の背中に、不意に声をかけられた。
(――――)
一瞬、硬直した。
その声は、僕の知っているイルティミナさんの声によく似ていて、錯覚した心が震えたんだ。
ゆっくりと振り返る。
「……フォルンさん」
そこに立っていたのは、あの人の母親だった。
顔立ちはソルティスに似ているけれど、その穏やかで優しそうな表情は、イルティミナさんにもそっくりだった。
彼女は微笑んだ。
「ごめんなさい、邪魔をしましたか?」
「ううん」
僕は首を横に振って、
「ちょうど、休憩しようと思っていたから」
と、息を吐き、剥き出しの剣を鞘に納めた。
フォルンさんは、「そうですか」と頷いた。
「私は剣に詳しくありませんが、とても綺麗だと思いました。相当、努力なさったのですね」
「うん」
それなりに、がんばってるつもり。
(あの鬼姫キルトのしごきにも、毎日、耐えてきたしね)
頷いた僕に、フォルンさんは笑って、水の入った竹筒を渡してくれた。
「もしよかったら、どうぞ」
「わ、いいの?」
遠慮なく、中身を頂く。
(あぁ、美味しい……)
喉を流れる水は、すぐに全身に染み渡るようだった。
竹筒に残った最後の水は、火照った身体に、頭から被っておく。
その行為に、フォルンさんは、ちょっと驚いていたけど、すぐに可笑しそうに笑った。
僕は、竹筒を返す。
「ありがとう、フォルンさん」
「いいえ」
竹筒を受け取ると、彼女は、金色の瞳を細めた。
そして、
「マール君、少し私とお話しませんか?」
と言われた。
(……フォルンさんと?)
少し驚いたけれど、僕は頷いた。
フォルンさんは嬉しそうに微笑んで、僕らは一度、家の中へと入ることにした。
◇◇◇◇◇◇◇
居間の椅子に座ると、フォルンさんは、お茶を淹れてくれた。
「どうぞ」
テーブルに湯呑が置かれる。
そして彼女は、対面の席へ。
幼女ソルティスは今、別室で、ぐっすりとお昼寝中だという。イルティミナさんは自室にこもり、オルティマさんは森の見回り中、ここにいるのは、僕とフォルンさんの2人だけだった。
味の薄いお茶を、2人ですする。
そして、フォルンさんが口を開いた。
「マール君は、いつまで、この村に滞在する予定ですか?」
穏やかな声。
その質問に、他意は感じられない。暗に『早く出ていけ』などという嫌味では、決してなかった。
だから、僕は安心して答える。
「まだ決めてないんだ」
一応、村の周辺に出没する魔物が落ち着くまで、という名目になっているけれど。
(それよりも、まず7年後の世界に戻る方法を見つけないと)
それまで、村を出る気はなかった。
フォルンさんは「そうですか」と頷き、
「では、この村のことをどう思います?」
と聞いた。
僕は正直に答える。
「いい村だと思うよ」
「…………」
彼女の金色の瞳は、しばらく僕を見つめた。
「では――」
一つ間を置いて、
「このまま、マール君も、このルド村で暮らしていく気持ちはありませんか?」
(……え?)
思わぬ誘いに、フォルンさんの美貌をまじまじと見返してしまう。
フォルンさんは微笑み、お茶を一口すする。
湯呑をテーブルに戻して、
「最近のイルナは、とても明るくなりました。きっとマール君と出会ったおかげでしょう」
彼女の視線は、僕を見る。
「母親の私が言うのもなんですが、あの子は、とてもいい子です」
「…………」
「ですが、その分、多くの我慢をしています。子供としては、我慢強すぎるほどに」
寂しそうな笑顔。
それは、見ているこちらの胸も苦しくなる。
「そんなあの子が、貴方の前では、子供のように笑っています」
「…………」
「私も夫も、それが嬉しかった」
僕は、すぐに言葉を返せなかった。
フォルンさんは、ゆっくりと瞳を伏せた。
「けれど、この村は、若者の多くを失って、少しずつ滅びに向かっている村です。村の存続のため、あの子は、一回り以上も年の離れた好きでもない男性と子を生さねばなりません」
…………。
ズキッと胸が痛んだ。
(そんなの、嫌だ……)
イルティミナさんが他の男性となんて、絶対に受け入れたくなかった。
でも、
「でも、あの子はそれさえも我慢してしまうでしょう」
「…………」
フォルンさんの表情は、母親の憂いに満ちていた。
(…………)
僕は、感情を殺して言ってみた。
「村を出た若い人が、また戻ってくるかもしれないよ?」
「ありえません」
美しい髪を揺らし、彼女は首を振った。
「彼らは、皆、死にました」
……え?
(死んだ? 村を出た若い人が、みんな……?)
驚く僕に、彼女は、衝撃の事実を教えてくれた。
オルティマさんは、月に1度、町まで出て外の情報を集めてくる。
それでわかった。
ルド村を捨てた若者たちは、けれど、外の世界で、やはり酷い差別や迫害にあったようだった。
彼らの希望は砕かれた。
水や食糧を得ることにも苦労し、生きることさえままならない状況に陥った。
結果、
「彼らは、野盗に堕ちました」
「…………」
フォルンさんは硬い声で続けた。
若者たちは『魔血の民』だ。
その優れた身体能力で、商隊などを襲い、しばらくは飢えを凌いでいたけれど、ついにアルン正規兵の討伐隊が動いてしまった。
彼は全員捕らえられ、処刑された。
未成年だろうと関係なかった。
彼らは、自らの生のために殺人罪も犯していたし、この世界の法律は、前世ほど優しくなかった。
(……そこまで堕ちる前に、村に帰れば良かったんだ)
歯噛みしながら、そう思った。
フォルンさんたちも、同じ思いだったろう。
でも、若さゆえの意地かプライドか、自らの捨てた村に出戻ることだけは、できなかったのかもしれない。
そして、その事実は、一部の村人にしか知らされていなかった。
(つまり、イルティミナさんも知らないんだね)
でも、
「もしかしたら、あの子は勘がいいから、薄々、察しているかもしれませんが……」
「…………」
その話をしてくれた少女の表情を思い出して、『有り得るかも』と思った。
僕は、吐息をこぼした。
手にしたお茶は、すっかり、ぬるくなってしまった。
(……あまり美味しくないね)
フォルンさんは、そんな僕のことを見つめた。
そして、言う。
「だから私は、マール君には、このルド村にずっといて欲しいと思っています」
「…………」
僕も顔を上げ、フォルンさんを見る。
彼女は、優しく微笑んだ。
「まだ自覚はないかもしれないですが、あの子もきっと、それを望んでいるでしょう」
…………。
ふと、村長さんにも、初めて会った時に似たようなことを言われたのを思い出した。
(……でも、僕は)
その気持ちに応えていいのか、わからなかった。
ここは7年前の世界。
そして僕という存在は、そこに紛れ込んでいる異物だった。
これ以上、歴史に干渉することに、恐怖があった。
(もしかしたら僕のせいで、知っている未来が壊れてしまうかもしれない)
「…………」
「…………」
黙ってしまった僕に、フォルンさんは申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんなさい、性急すぎたようですね」
「…………。ううん」
違う。
(本当は、とても嬉しかったんだ)
でも、僕の心の中には、大人になったあの人の姿も残っている。
カタン
その時、ふと物音がした。
「マァル~? 母しゃま~?」
別室の扉が開いて、そこに、小さな左手で目元を擦っている幼女ソルティスが立っていた。
右手には、くたびれた兎のぬいぐるみの耳が掴まれている。
どうやら、話し声で起こしてしまったらしい。
「ソル」
フォルンさんはすぐに席を立ち、可愛い娘を大事そうに抱き上げた。
幼女は嬉しそうに、母の首に幼い両手を回し、顔をうずめる。
ポンポン
母の手が、あやすように小さな背中を叩く。
(…………)
微笑ましく眺めていると、フォルンさんの瞳が僕へと向いた。
「今の話、少しだけ考えてみてくださいね」
穏やかな声。
コクン
声は出さずに、僕は頷いた。
フォルンさんは柔らかな笑顔を浮かべると、幼い娘を抱いたまま、別室の扉の向こうへと消えていった。
「…………」
僕は、しばらく動けなかった。
色々な感情や考えが、頭の中を駆け巡っている。
湯呑に手を伸ばした。
ズズッ
ぬるくなったお茶をすすったけれど、やっぱり味は薄くて、あまり美味しくなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
家の裏手に戻った僕は、剣の稽古を再開しようとした。
「…………」
でも、始められなかった。
剣を片手に突っ立ったまま、空を見上げて、ぼんやりと考えてしまう。
(僕は、どうするべきだろう?)
近い未来に、ルド村には破滅が待っている。
正しい歴史を歩むには、その破滅を受け入れなければいけない。
僕は周囲を見た。
生きるため、懸命に田畑を耕し、家畜の世話をする村人たちの姿があった。
(この人たちを、見捨てる……?)
そして、オルティマさんとフォルンさん――あの人の両親も。
「…………」
きつく目を閉じた。
もし……もし歴史に抗ったら?
上手くルド村の破滅を救うことができたなら、未来はどうなるだろう?
(多分、僕は死ぬ)
村で普通に暮らしていくイルティミナさん。
冒険者にならなければ、間違いなく、シュムリア王国にあるアルドリア大森林は訪れない。
そして、7年後、召喚された僕は、誰にも助けてもらえない。
そこで確実に、僕は死ぬ。
『神狗』を失った世界は、また1つ、破滅に近づいてしまうだろう。
あの金印の魔狩人キルト・アマンデスも、僕のいなくなったケラ砂漠の戦闘で、『闇の子』に殺されるかもしれない。
(いや、それだけじゃない)
もし7年後の僕が死ぬことが確定したら、その瞬間、今、ここにいる僕自身もタイムパラドックスで消滅する可能性がある。
つまり、
『村が救われたら、マールは消える』
だ。
なんだそれ?
(村を見捨てれば、あの人の大切な人たちが殺されて、村を救えば、世界は滅びに向かい、僕も消える)
……どっちも酷い未来じゃないか。
「あはは……」
空を見上げて、僕は笑った。
もう、笑うしかなかった。
「マール君?」
その時、ふと声をかけられた。
振り返ると、家の扉が開いていて、そこに僕と同い年のイルティミナさんが立っていた。
その手には、彩色された『赤牙竜』の木彫りがある。
どうやら、完成したそれを、一番に僕に見せに来てくれたようだ。
でも、
「どうしたの、マール君? 泣いてるの?」
彼女は、驚いたように僕を見ていた。
僕は、どうしていいかわからない。
縋るように手を伸ばしかけ、でも、今のこの人に縋ってはいけないのだと思い出す。
(彼女は、あの人とは違う)
同じイルティミナさんであっても、違う存在なのだ。
僕は、『神狗』だ。
世界を救うために、この地上に召喚された存在だ。
この子の心を傷つけてしまっても、僕は、村人たちを見捨てるべきなのだと、僕の中のアークインの魂が悲しげに叫んでいる。
「……マール君?」
その視線が痛い。
僕は、それから逃げるように俯いてしまう。
と、
「大丈夫、マール君。私がいるよ。私は、ずっとマール君のそばにいるからね?」
ギュウ
そんな僕の頭を、イルティミナさんは優しく抱きしめてくれた。
(――――)
硬直した。
それは『行方不明になった恩人』という嘘を信じて、僕が、その人を思い出して悲しんでいると勘違いしての行動だったのかもしれない。
「よしよし」
優しく髪を撫でられる。
その伝わってくる温もりは、あの人と変わらない。
「っっ」
涙がこぼれた。
ポタポタと、小さな滴が2つ3つ頬を流れて、草原の地面に落ちる。
(僕は……僕は……)
その優しさに包まれて、僕の心は千切れそうだった。
その時だ。
「――大変だ! 森に魔物が現れたぞ!」
叫び声が聞こえた。
(え?)
僕は顔を上げる。
イルティミナさんも腕を解放し、そちらを見た。
村の出入り口である洞窟の方から、1人の村人がこちらに走りながら、村中に叫んでいた。
「凄い数だ! こっちに真っ直ぐ近づいてる!」
その声に、村人全員、作業の手を止めていた。
「おい、魔物って……」
「本当か!?」
驚く人々に、彼は必死に叫ぶ。
「嘘じゃねえよ! 今、オルティマたちが足止めしてるが、とても喰い止められる数じゃねえ。急いで、村の奥に避難しろ!」
蒼白になり、焦った彼の表情。
その様子に、村人たちは、その報告が真実なのだと理解する。
慌てたように、村人たちは動き始めた。
「マ、マール君」
少女が震えながら、僕を見た。
僕は、唇を噛む。
「……イルティミナは、他の人と移動して。僕は、オルティマさんたちと合流する」
「で、でも」
迷う両肩を掴んで、その目を見つめる。
「大丈夫」
はっきりと言った。
「……うん」
少女は頷いた。
そして、僕から離れて、家の中へと飛び込んだ。
きっと、フォルンさんに知らせて、妹のソルティスも連れて行くためだろう。
「…………」
それを見届けると、僕は、村の出入り口を目指して走った。
必死に草原を駆ける。
駆けながら、
(――ついに来たんだ)
そう思った。
恐れていた時間。
決断の時。
湧き上がる感情を、僕は必死に抑え込む。
ある晴れた日の穏やかな昼下がり――ルド村を襲った悲劇は、唐突に幕を開けたのだった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




