014・前日の準備3
第14話になります。
よろしくお願いします。
夕方まで、食糧集めを続けた。
塔に帰ったあとは、イルティミナさんが厨房で毛玉ウサギを捌いてくれる。
毛皮を剥いで、内臓を取り出して、身体を切り分ける――そこまで行くと、僕も見慣れた、スーパーなどで売っている肉と変わらなかった。
それは、『癒しの霊水』の入った木製のお椀に、浸けられる。
「一晩、浸けると、保存が良くなるんです」
とのこと。
メディスまでは2~3日の行程なので、燻製にしたりはしないそうだ。
「…………」
その間、僕自身は、イルティミナさんに借りた紙と筆で、この塔の記録を残した。
『癒しの霊水』を生み出す女神像。
礼拝堂、居住スペース、厨房の風景。
蔦に覆われて開かない、塔の大扉。
出入り口となる2階の亀裂。
下から見上げる、長い螺旋階段。
見張り台と、そこからの風景。
――特徴だけを、簡単に絵に描いていく。
(たった数日でも、ここは僕の家だったんだ……)
人の記憶から忘れられた場所だけど、せめて、僕だけでも忘れないようにしたい。
あとは、前にイルティミナさんの描いたアルドリア大森林の簡素な地図に、『石の台座』や『壁画』の位置も書き加えておく。
いつかまた訪れる時に、困らないように。
あるいは、誰かが訪れる時に、活用してもらえるように。
夕食は、『癒しの霊水』で済ませた。
そして僕らは、明日に備えて、昨日よりも少し早い時間に、就寝することにした。
◇◇◇◇◇◇◇
昨日のように、イルティミナさんの腕に抱かれている。
暗闇の中で、どれくらい時間が過ぎたんだろう? でも、一向に眠くならなかった。
(明日の遠足を楽しみにしている子供みたいだね……)
小さく苦笑してしまう。
でも、楽しみだけでなく、不安も大きかった。
だって、無事に森を出られる保証なんてなかったから。
安全だった前世の世界でも、僕は、事故で死んでいるみたいだった。より危険なこっちの世界で、どうして大丈夫なんて思えるだろう?
(……こっちでも、骸骨王に一度、殺されてるんだ)
思い出して、ブルッと震えた。
と――僕を抱きしめる腕の力が、不意に強くなった。
「眠れないのですか?」
頭の上で、イルティミナさんの声がする。
あぁ、モゾモゾしてたから、起こしてしまったんだ。
「……ごめんなさい、起こしちゃって」
「いいえ」
優しい声だ。
そして、彼女は起き上がると、ランタンに火を灯す。
室内が、ボウッと明るくなる。
そこに彼女の姿も浮かび上がった。
僕も身体を起こして、僕らは、お互いに向き合うように床に座る。
僕は、ため息をこぼして、
「なんだか、目が冴えちゃって、眠くならないんだ」
「そうですか……。ですが、冒険に出る前夜は、そういうものです。私だって、今でも同じようなことはありますよ?」
「イルティミナさんも?」
彼女は、凄腕の冒険者みたいなのに……ちょっと驚きだ。
目を丸くする僕に、彼女は、クスッと笑う。
「そういう時って、どうするの?」
「どうもしません。眠れないなら、『眠らないままでいい』と割り切ります」
「…………」
「そうして、ただ横になって休むことにしています。そのまま眠ってしまう時もありますし、やはり夜明けまで、起きている時もありますよ」
「……それでいいの?」
「だって、仕方がないではありませんか」
彼女はあっけらかんと言って、笑う。
「そうして眠れないのが、私です。それなら、その私自身を受け入れるしかありません」
「…………」
それも、そうか。
「イルティミナさんって、凄いんだね」
尊敬の眼差しだ。
でも、それを受けた彼女は、小さく苦笑を浮かべる。
「とはいえ、そう思えるようになったのは、最近です。マールと同じ年の頃は、『眠らないと!』とか『なぜ眠れないんだ!?』などと焦って、心を疲れさせてしまったものです」
「そうなの?」
「他の人には、内緒ですよ?」
人差し指を唇に当てて、彼女は、悪戯っぽく言う。
(あぁ、大人っぽい人だと思ってたけれど、こんな表情もするんだね?)
ちょっと意外だったけど、でも、なんだか可愛かった。
そして僕は、もう1つ気になったことを聞いてみる。
「イルティミナさんって、子供の時から冒険者だったの?」
「そうですね。……幼い頃は、色々とありました。ただ生き延びるのに必死な時期でしたし、冒険者には、年齢制限もありませんでしたから。それ以外を選べる人生がなかったのもありますが……」
その真紅の瞳は、どこか遠くを見ている。
ランタンの揺れる炎に照らされる表情は、哀しそうで、儚くて、僕は、なんだか心配になってしまう。
と、彼女は不意に、
「そうだ」
パンッと両手を叩いた。
(?)
そのまま彼女は立ち上がると、部屋の隅に置いてあった荷物のリュックへと向かい、その中から何かを取り出して、こちらへと戻ってきた。
その手にあったのは、鞘に納まる片刃の短剣だ。
彼女は、それを僕の前の床に置く。
「マールに、これを貸しておきます」
「え?」
「これは、幼い私が初めて冒険に出る時に、装備していた物です。今でも、お守り代わりとして、持ち歩いているのですが……」
(そ、そんな大事な物を?)
戸惑う僕に、彼女は神妙な口調で言う。
「これは、マールの牙です」
「……牙?」
「はい。マールに襲いかかる敵を倒すための武器、貴方の牙になります。どんな不安も、恐怖も、それに立ち向かえる力を、貴方は持つことになります」
なるほど。
(これは、思い込みの力だね)
自分を励ますために、奮い立たせるために、歩むために、戦うために――思い込みで心を満たして、世界を生きる力にするんだ。
その暗示の中心を、彼女は、僕に渡してくれてるんだ。
「いいの?」
「はい」
僕は、手を伸ばして、短剣を掴む。
思ったよりも重くて、僕の手は、ゆっくりと鞘から短剣を引き抜いた。
――炎に照らされ、銀の刃が、光を散らす。
「…………」
短い刃なのに、驚くほど力強く感じた。
綺麗だな、とも素直に思う。
でも、これは毛玉ウサギのとどめを刺すのにも、使われていた――つまり、この刃の輝きには、死を与える力も秘めている。
美しくて、恐ろしくて、鼓動が少し早くなった。
「マール」
イルティミナさんが、魅入られた僕を呼ぶ。
「マールが、これを使う必要はありませんし、私も、使わせるつもりはありません。ですが、手にしていてください。そうすれば、貴方はもう無力な子供ではありません」
「…………」
「牙を持った、一人の戦士です」
その真紅に輝く視線と力強い声に、心が震えた。
ギュッ
僕は、短剣の柄を握りしめる。
そして、ゆっくりと鞘に刃を収めていった。
「ありがとう、イルティミナさん。――この短剣、借りておきます」
「はい」
彼女は、美しく微笑んだ。
そうして、僕らは、また眠ることにする。
イルティミナさんの腕に抱かれながら、僕自身も、鞘に入った短剣を胸に抱きながら。
気がついたら、眠りの世界に落ちていた。
そうして夜が過ぎ――そして僕らは、夜明けを迎えた。
ご覧いただき、ありがとうございました。