135・魔狩人マールVS魔熊!
第135話になります。
よろしくお願いします。
20メードほどの距離で、木々を倒しながら接近する赤毛の魔物に、僕は、手にした『妖精の剣』を正眼に構えた。
魔熊。
その名前は、冒険者ギルドの依頼掲示板で見た記憶がある。
初めて受注したゴブリン退治と同じ、初心者向けのクエストとして扱われていた。
(でも、油断はできない)
あの時、ギルド職員に言われた言葉を覚えている。
初心者向けのクエストであっても、赤印5名以上、あるいは、青印3名以上でなければ、受注許可は出せない――と。
僕は、赤印の冒険者だ。
そして、1人。
剣の腕は、青印以上と褒められても、それでも人数が足りてない。
何より、今の僕は、防具がなかった。
着ているのは『布服』だけ。
『妖精鉄の鎧』、『白銀の手甲』、『旅服』、それらの装備が全てない状態だ。
(……せめて、『白銀の手甲』だけでもあればね)
そう嘆く。
けれど、ないものは仕方がない。
少なくとも、あの姉妹が、無事に村に辿り着くまでは、時間を稼がなければいけないんだ。
最低でも、10分。
そして、村から応援が来るまでは、多分、20~30分と予想。
(その間、全力で逃げ切れって?)
自分の考えに、苦笑する。
無理。
30分も全力で動けるほど、僕は体力がない。
――魔熊を1人で倒す。
僕が生き延びられる道は、これしかなかった。
そして、奥の手である『神体モード』も、今の僕の体調では、使うわけにはいかなかった。
(……きっと身体が壊れる)
昨日、神体モードを使った反動で、まだ身体のあちこちが痛い。
これ以上は、危険――そう本能的にわかるんだ。
それに『神体モード』に頼る癖がついてはいけないと思った。
きっとそれでは、僕自身は強くなれない。
何より、あの美しい銀髪の師匠なら、
『魔熊ぐらい、普通の状態での剣技で倒してみせよ、マール』
そんなことを言いそうだ。
(うん)
僕は笑った。
バキキッ
枝をへし折りながら迫る巨大熊の魔物を見つめて、僕は、覚悟を決めると、自分から魔熊に襲いかかる。
「やぁあ!」
気合の声をあげながら、低い姿勢で走る。
さすがに正面からは戦えない。
森の木々を盾にしながら、接近する。
『ブフォ!』
鼻息荒く、魔物は、巨大な前足で僕を叩こうとする。
バキッ
狙い通り、木の幹が邪魔になった。
(――今!)
ヒュッ
がら空きとなった脇腹に、『妖精の剣』を走らせた。
紫色の鮮血が舞う。
でも、
(手応えが……なんか変!?)
違和感を覚えながら、魔物の横をそのまま走り抜ける。
シュッ
「うっ」
返す魔熊の前足が、僕の後頭部の髪に爪を掠らせた。
あ、危ない。
そして、わかった。
斬ったのに、ダメージになってない。
(皮下脂肪が、凄く分厚いんだ)
それが邪魔をして、重要な筋肉や血管まで、刃が通らなかったんだ。
手応えが変だったのは、それが原因だろう。
バキッ ガゴォン ヒヒュッ
振り回される前足を、木々を盾にして防ぎながら、何度か斬りつける――けれど、結果は同じだった。
(駄目だね、これは)
僕の剣技は、『撫でる剣』が基本だった。
対人なら有効だけど、このような魔物には効果が薄い。
それでもダメージを与えるには、
(……もっと踏み込むしかない)
より近い間合いで、より強い剣技を放つしかなかった。
でも、
バキィン
僕の腰回りほどある木が、魔熊の1撃でへし折れた。
「…………」
防具もなしで、あの間合いに踏み込むのか。
怖い。
正直に、そう思った。
(でも、やるしかないんだね)
頭の中に、あの人の笑顔を思い浮かべる。
――どうか、勇気を。
震える心を引っ叩いて、僕は走る。
『グォオオン!』
逃げ回る僕に苛立っていた魔物は、正面から近づいてくる僕に、嬉々として咆哮した。
ガバァ
前足を持ち上げ、2足で立つ。
大きい!
ただでさえ大きな魔物が、より巨大な怪物のように見えてくる。
(怯むな!)
あれより巨大な『暴君の亀』に、あの人は立ち向かった。
たった1人で。
僕のために。
だから、今度は僕の番だ!
「いやぁあああ!」
裂帛の叫び。
ブォン ガシュッ
振り下ろされる前足を、『カウンター剣技』で迎え撃つ。
2本の指を切断。
その反動も使って、僕は、前足をくぐるように回避する。
ドゥン
背後で、前足が地面を叩く重い音がした。
僕のすぐ正面には、魔熊の頭部。
(今だ!)
上段に構えた剣を、振り落とす。
ヒュコン
魔物の捻じれた角の片方が根元付近から断ち切られ、その左眼ごと顔面を斬り裂いた。
吹き出す鮮血が僕を濡らす。
『ギャオォオ!』
強烈な痛みに、赤毛の魔物はのけぞった。
…………。
背筋を走る恐怖。
(……仕留め損なったっ)
1撃で決めるつもりが、恐怖に負けたのか、あと数センチ踏み込めていなかった。
必死に下がる。
その姿を、魔熊の残された片眼が捉えた。
まずい。
まずい、まずい、まずい。
魔物は、低い姿勢に構えると、大地を蹴って突進してきた。
その頭部には、1本だけとなった捻じれ角。
このままでは、僕の腹部に突き刺さる――そう悟った。
「――――」
瞬間、頭の中で何かが切れる。
スローモーションに見える世界の中で、僕は『妖精の剣』を上段に構えながら、後方に跳躍していた。
迫る角めがけ、空中で刃を振り落とす。
ヒュコン
呆気ないほど簡単に、角が斬れた。
同時に、武器を失った奴の頭部が、僕に激突して弾き飛ばす。
(ぐ……っ)
けれど、後方に跳躍していた分、ダメージは少ない。
空中で回転した僕は、木の幹に、横向きに着地した。
その幹に、剣を振るう。
ヒュコン
太い木の幹が、斜めに切断された。
それは、僕のすぐ真下にいた魔熊の巨体めがけて、落下する。
ズドォオン
『ギュア!?』
肺から空気を吐きだし、潰れた蛙のような声を出す。
魔熊の巨体を、太い木の幹が押し倒していた。
この赤毛の魔物の怪力ならば、すぐに跳ね除け、起き上がってくるだろう。
でも、ほんの数秒。
その停滞だけで、僕には充分だった。
「――――」
落下した木の幹から、ほんの僅かに遅れて、上段に剣を構えた僕が落下する。
地面に伏した魔熊の片眼が、その僕の姿を映した。
それが彼の見た最後の景色。
ヒュコン
着地と同時に放った剣技は、今度こそ間違いなく、巨大な頭部を縦に切断した。
断たれた頭蓋。
そこから覗く、千切れた脳漿。
その下の地面に広がっていく、紫色の血液。
「…………」
湯気を上げる血溜まりが、剣を振り抜いた姿勢でいる僕の足元を、ゆっくりと濡らしていく。
やがて、絶命を確信した僕は、
「ふぅぅぅ」
大きく息を吐いた。
そのまま、ボフッと近くの木に背中を預けて、寄りかかる。
(……勝てたよ、僕)
見えないあの人たちに、心の中で報告する。
緊張と興奮で、まだ手が震えている。
ズルズル
僕はそのまま、背中を滑らせながら、木の根元に座り込んだ。
安心。
そして、解放感と達成感。
それを噛みしめながら、僕は、森の向こうに広がる青い空を見上げて、それから、ゆっくりと目を閉じたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
15分ほどして、イルティミナさんは、自分の父親を含めた5人の狩人たちを引き連れて、ここに戻ってきてくれた。
「マール君、大丈夫!?」
巨大熊の死体。
その目前の木の根元で、魔物の紫色の返り血を浴びて座り込む子供の姿は、彼女にどう見えたのだろう?
走り寄ってきた少女は、血で汚れるのも構わず、僕を抱きしめる。
それから顔を覗き込み、
「生きてる!? 生きてるよね!?」
「……うん」
僕は、苦笑しながら頷いた。
それに彼女は泣きそうな顔をして、もう一度、僕を強く抱きしめる。
(……あぁ)
心配してもらえることが、本当に嬉しかった。
彼女の背中に手を回して、ポンポンと安心させるように軽く叩いてやる。
一方で、5人の狩人は、魔熊の死体に驚いていた。
「……なんという巨体の魔熊だ」
「こんなサイズ、見たことがないぞ?」
どうやら僕の倒した魔熊は、大きい方のようだ。
そして、5人は僕を見る。
「これを……あの子供が1人で?」
誰かが呟き、畏怖に満ちた視線たちが、僕の肌に突き刺さる。
(……う~ん?)
やっぱり魔熊を1人で倒すというのは、凄いことなのだろうか?
大人たちの視線は、とても居心地が悪い。
5人のリーダーだと思われるオルティマさんが、大きく息を吐いた。
「ミル、ドーマ。他にも脅威がないか、周辺を確認してきてくれ」
「あぁ」
「わかった」
2人の狩人が頷いて、森の中へと消えていく。
それを見届け、彼はこちらを見る。
「マール、怪我は?」
「ないよ」
短く答えた。
ただ炎症の残った身体で動き回ったせいか、戦闘中は気にならなかったけれど、今はあちこちが痛くて、少しだるい。
座り込んでいたのも、そのせいだ。
「ただ、ちょっと疲れただけ」
付け加えた僕に、オルティマさんは「そうか」と頷いた。
そして彼は、仲間の狩人2人を振り返ると、改めて、地面に伏している魔熊の死体を見つめた。
「ザウリー、キュアリズ、コイツを解体して村へ運ぶぞ」
「おう」
「しばらく、食糧には困らんな」
2人は笑って、返事をした。
ふむふむ?
どうやら、魔物の肉は食糧になるらしい。
イルティミナさんに聞いてみると、含有されてる魔素が多いだけで、肉質は普通の獣肉と大差ないそうだ。もちろん毒素が強かったりして、食べれない種類もあるけれど、この魔熊は食べれる種類らしい。
「村も助かるわ」
食料自給率には、それなりに苦労しているから、こういう大物が手に入るのは珍しく、嬉しい出来事のようだ。
(うん、僕もがんばった甲斐があったよ)
少女の笑顔に、そう思った。
オルティマさんたち3人は、手慣れた様子で、あっという間に魔熊を5つの部品にしてしまった。
その最中に、森に入った2人が戻ってきた。
「異常はなかった」
「そうか」
オルティマさんは、安心したように息を吐く。
(……?)
何をそんなに警戒してたんだろう?
少し疑問に思った。
その間にも、解体された肉塊は、ロープで縛られていき、
「よし、村へ戻るぞ」
オルティマさんの号令で、5人は肉塊を担いで歩きだした。
(おぉ?)
さすが『魔血の民』。
100キロはありそうな重量を、当たり前のように背負っている。
感心して眺めていると、
「マール君」
イルティミナさんに声をかけられた。
彼女は、僕の前に、背中を向けてしゃがんでいた。
え?
「だ、大丈夫、歩けるよ」
「駄目」
ぴしゃりと言われた。
「ほら、早く」
「…………」
お姉さん気質というのか、その声で命令されると逆らい辛い雰囲気がある。
僕は、しぶしぶ、その背に身体を預けた。
(うわ……いい匂い)
腕に当たる彼女の髪もサラサラだ。
そしてその背中は、当たり前だけれど大人の彼女よりも小さくて、なんだか申し訳なくなってくる。
ザッ
でも、幼くても『魔血の民』。
彼女は僕を背負ったまま、楽々と立ち上がった。
そのまま、普通の足取りで歩きだす。
「…………」
それに安心した僕は、まぶたを閉じて、しばらく自分の全てを彼女に委ねることにした。
◇◇◇◇◇◇◇
ルド村に無事に帰ると、村人たちが出迎えてくれた。
みんな、狩人たちが担いだ魔熊の肉塊の大きさに驚き、それから、オルティマさんの説明を聞いて、感心したような視線が僕に集まる。
「あの子が1人で……」
「冒険者ってのは、凄いなぁ」
「これで2度も、イルナちゃんを助けてくれたのね」
色んな声が聞こえる。
そして、
「坊主、ありがとよー!」
誰かの声をきっかけに、みんなが拍手をしてくれた。
(……ど、どうも)
歓迎モードが照れ臭い。
でも、僕を背負ってくれているイルティミナさんは、村の反応に嬉しそうだった。
「マァル~!」
あ。
そんな村人の中に、フォルンさんに抱っこされた幼女が見えた。ブンブン両手を振ってくれている。
(よかった、ソルティスも無事だったんだ)
その姿に、僕も笑った。
イルティミナさんが無事だったから当たり前なんだろうけれど、でも、この目で見て、ようやく安心できた。
そんな僕の横顔を、オルティマさんがジッと見ていた。
と、その時、
「ホッホッ、こりゃ立派な魔熊だねぇ」
人垣が割れて、杖をついた村長さんが現れた。
老婆の糸のように細い目は、しげしげと肉塊を見つめ、それから少女イルティミナさんに背負われた僕を見る。
「ありがとよ、マール坊」
「ううん」
「どうだい? お礼にまた茶でも飲みに、私の家まで来てくれないかい?」
そう笑う。
(…………)
なぜだろう? 単なるお茶の誘いではない感じがした。
「うん、いいよ」
僕は頷く。
村長さんは「ホッホッ、ありがとよ」と笑い、オルティマさんの方を一瞥してから去っていった。
視線を受けた彼は、背負っていた肉塊を、近くの村人さんに預けて、村長さんを追う。
(……ふむ?)
どうやらオルティマさんも、お茶会に同席するみたいだ。
僕は、大きく息を吐く。
そして、
「ありがと、イルティミナ」
彼女の背から降りる。
少女は「ううん」と首を振り、自分より背の低い僕の顔を見つめて、
「……もし弟がいたら、マール君みたいな感じなのかな?」
そんなことを呟いた。
(……いや、同い年なんだけどね、今の僕らは)
思わず、心の中で突っ込む。
でも、大人のあの人のイメージが残っているからか、目の前の少女には、母性ならぬ姉性を感じる。
彼女は、生まれ持った『お姉さん』なのかな?
複雑な顔の僕に、少女は気づく。
「あ、ごめんなさい」
「ううん」
僕は苦笑する。
そして、大人2人をあまり待たせないために、すぐに村長の家へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇
「改めて、イルナとソルを助けてくれて、ありがとよ、マール坊」
そう言って、村長さんは頭を下げた。
村長さんの家の居間である。
目の前のテーブルには、お茶の湯呑みが置かれ、そのテーブルの対面側に、村長さんとオルティマさんが並んで座っている。
僕は、味のしないお茶を一口すすって、
「ううん」
と首を振った。
「僕も、迷子なところを助けてもらったから。おあいこだよ」
そう続けると、彼女は「ホッホッ」と笑った。
「そうかい。マール坊は謙虚だね」
「……そう?」
自分では、よくわからない。
彼女は、もう一度笑って、ズズッとお茶をすする。
ちなみにその間、オルティマさんは一度も笑っていない。彼には、僕は嫌われているのだろうか?
「しかし、魔熊を1人で倒すとは、いい腕さね」
「…………」
「オルティマは、この村で一番の狩人だけれど、それでも1人で魔熊を倒すのは難しいことだろうさ」
チラッ
村長さんは、彼を見る。
「…………」
彼は、無表情のままだった。
それに苦笑して、それから村長さんは、表情を改める。
(……そろそろ本題かな?)
そう思った。
村長さんは、僕の顔を見つめた。
「実はね、マール坊。最近、この村の周辺には、ああいう魔物がよく出没するようになっちまったのさ」
「…………」
無言で頷き、続きを促す。
彼女は、続けた。
「昔は、そんなことはなかった。森の奥で、たまに見かける程度だったよ」
「…………」
「けど、2~3ヶ月くらい前から、村に近い森でも目撃されるようになってね。そして、今回、魔熊の見つかった場所は、今までで一番近い距離なのさ」
そうなんだ?
(……何か原因があるのかな?)
思案し、首をかしげる。
思いついたのは、大迷宮で見た水系の魔物たちの姿だ。
「もしかして、魔物の生態系が変わった?」
「ふむ。可能性はあるね」
村長さんは頷く。
でも、その口調だと、他の原因に心当たりがありそうだった。
僕の視線に、代わりに、オルティマさんが口を開いた。
「今までは、俺たちが出没した魔物を倒してきた」
「…………」
「だが、1月前のことだ」
彼は、硬い口調で語る。
その内容は、ちょっと驚くものだった。
その日、いつものように仲間4人と森の探索をしていたオルティマさんは、遠方に、『白牙狼』という狼型の魔物の群れを発見した。けど、その群れの中に、1人の人間がいたそうだ。
(……人間?)
思わぬ言葉に驚く。
最初は、魔物に襲われているのかと思った。
けれど違う。
全身に黒いローブを羽織ったその人物は、魔物たちに何事か声をかけ、奇妙な杖を向けていたという。
「――お前、何をしている?」
オルティマさんは、思わず声をかけた。
途端、その黒ローブの人物は、酷く驚き、焦ったように逃げ出そうとした。
――怪しい。
オルティマさんたちは、彼を捕まえようとした。
でも、
「その瞬間、白牙狼たちが俺たちに襲いかかってきた。その動きは、まるで男の命令に従ったように、俺には思えた」
彼は、そう印象を語った。
(…………)
魔物が人の命じるままに動く?
そんなこと、あるのだろうか?
僕と同じ疑問を、オルティマさんも村長さんも感じたという。
でも、そう見えた事実は変わらない。
そして、
「逃げる途中、俺の矢が当たって、男は被っていた仮面を落としていった」
彼は、そう続けた。
(……仮面?)
首をかしげる僕の前のテーブルに、オルティマさんは、懐から取り出したそれを置いた。
「――――」
白い木彫りの仮面。
目の部分に穴が開き、その周りには、奇妙な紋様が描かれている。額の部分に、鏃の当たった傷が残っていた。
――知っている。
僕は、これとよく似た仮面を、前に見たことがあった。
知らず、震える声で呟く。
「……神血教団ネークス」
それは、かつてオアシスの町周辺で戦闘になった、あの魔血根絶を謳う狂信者集団の付けていた仮面そのものだった――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




