130・過去との出会い
本日、ブクマが900件に到達いたしました。
皆さん、本当にありがとうございます!
これからも、こうして読んで下さる皆さんのために、そして自分のためにも、精一杯、頑張っていこうと思います!
それでは、本日は第130話になります。
どうぞ、よろしくお願いします。
あの人の姿を求めて、僕は森の中を疾走する。
「イルティミナさん、どこぉ!?」
必死に叫ぶ。
でも、返事はない。
焦る心を助長するのは、この霧だ。
白く濁った世界は、昼間だというのに、まるで夜のように視界を通さない。そして、その水蒸気のせいで彼女の匂いも溶かされ、音の聞こえ方も距離感がずれて聞こえている。
視覚、嗅覚、聴覚。
3つ全てが奪われた状態だった。
ピシッ バシッ
走っていると、伸びた枝葉にぶつかる。
(くそっ)
頬や手などには、赤い色が滲む。
それだけではなく、いまだ完治していない肉体は、各部に炎症が残っていて、身体を動かすだけであちこちに痛みが走っている。
「はぁ、はぁ」
ついに僕は、足を止めた。
闇雲に走っても、駄目だと思った。
アルドリア大森林でも思い知ったように、イルティミナさんは森の移動にも慣れていて、その走る速度は僕よりずっと速い。
このままでは、引き離される一方だ。
(……あの時、あの人は何を見たんだ?)
竜車を飛び出す直前、彼女は、窓から何かを見たようだった。
それを追いかけているのだとしたら?
しばらく悩んだけれど、やはり答えは出ない。
「はぁぁ」
僕は、近くの木の幹にもたれて、大きくため息をこぼした。
(あ……そういえば?)
ふと、あの時、僕の『神武具』が奇妙な反応をしたことを思い出す。慌てて、腰ベルトのポーチを探ってみた。
あれ?
そこにあるはずの虹色の球体が、どこにもない。
「……竜車の中に置いて来ちゃったのか」
やってしまった。
残された2人が、きっとラプトたちに渡してくれて、『神気』に飢えることはないだろうけれど……正当な『神武具』の所有者としては、少々反省だ。
でも、『神武具』も『神武具』だろう。
基本的には、所有者に従順なようだけれど、どうやら僕の意思に関係のない行動もするようだった。
まさに『生きた武具』。
(まぁ、こっちに悪影響を与えることは、しないと思うけど……)
でも竜車の中で何をしたのかも、よくわからなかった。
「ふぅ」
嘆いていても仕方ない。
僕は身体を起こすと、また白い霧の世界を、鞘に納めた『妖精の剣』を杖代わりにしながら歩き始めた。
サクッ サクッ
草を割り、土を踏みしめながら、森の中を彷徨う。
1時間、あるいは2時間が過ぎたろうか?
もしかしたら、僕の方が迷子になっているんじゃなかろうかと思い始めた頃、ふと前方から強い風が吹きつけた。
(うっ?)
思わず、足を止め、青い瞳を細める。
サァアアア……
すると、世界を包み込んでいた白い霧が、嘘のように後方へと流れていく。
「あ……」
鮮やかな緑の色彩で描かれた森林の景色が、僕の目に飛び込んできた。
生まれる安心感。
白く濁った世界の中で、自分がとても緊張していたのだと、ようやく気づいた。少なからず、肩の力が抜けたのを感じる。
同時に、嗅覚、聴覚も甦った。
植物の強い匂い。
水の匂い。
獣の匂い。
大きく鼻から息を吸えば、色々な香りが一遍に押し寄せてくる。
耳を澄ませば、風にそよぐ葉の音。
遠くからは、何がしかの獣たちの鳴き声や、遠吠えのような音も聞こえてきた。
最後に、
「――か、――けて――」
人の声がした。
(え!?)
イルティミナさんの声と似ているけれど、どこか違った声だ。
僕ら以外にも、森の中に誰かいた?
(まさか……イルティミナさんは、その誰かを追いかけて森の中へ?)
そう思った時、
「――誰か、お願い――助けて!」
「!」
その声がはっきり聞き取れて、同時に、僕は弾けるように走りだした。
ザザザッ
痛みを堪え、必死に走る。
すぐに現場に辿り着いた。
僕がいるのは、小さな崖の上――その5メードほど崖下には、7~8頭ほどの狼の群れがいた。
狼の体長は、2~3メード。
白い毛並みに、青い筋のような模様が流れている。その眼光は鋭く、皆、一様に口唇をめくりあげ、白い牙を覗かせていた。
そして、狼の群れの先には、
(女の子!?)
折れた枝を手にして、狼を牽制する1人の少女がいた。
年齢は、僕と同じぐらい。
こちらから顔は見えないけれど、泥に汚れた白いワンピースの背中で、イルティミナさんと同じ深緑色の艶やかな髪が揺れている。その枝を握る手は震え、簡素な皮の靴は片方だけ脱げていて、裸足だった。
少女は崖を背に、狼の群れに追いつめられていた。
グルルルッ
1頭の狼が唸り、姿勢を低くする。
(まずい!)
気づいた瞬間、僕は躊躇なく、タンッと崖から跳躍した。
ガァアッ
「きゃああ!」
狼の咆哮と少女の悲鳴が重なる。
その頭上から、僕は逆手に持った『妖精の剣』に全体重をかけて、美しい刃と共に、少女に飛びかかった狼めがけて落下した。
ガシュッ
重い手応え。
刃は狼の頭蓋を割り、1撃で絶命させる。
その衝撃で、僕は落下の衝撃を緩和させながら、着地を決めた。
「……え?」
少女の呆けた声。
立ち上がった僕は、振り返らずに「下がってて」と声をかけ、狼たちへと正眼に剣を構えた。
突然の乱入者に、狼たちは戸惑った様子だ。
けど、それも一瞬、その内の1頭が凄まじい速さで飛びかかってくる。
(丁寧に合わせて――)
ヒュコン
半身にかわしながら、進路上に刃を置いてカウンター剣技を喰らわせる。
上顎と下顎の間に入り、頭部を切断。
残された胴体は、そのまま崖の壁面に激突し、脳漿と血液を撒き散らして、地面に落ちた。
「ふぅぅ」
僕は、すぐ剣を正眼に戻す。
数は、まだ5頭も残っている。
そして狼の筋力も、素早さも、ただの子供である僕よりも圧倒的に上だった。
決して、油断はできない。
(落ち着け、いつものことだぞ、マール)
自分より弱い相手となんて、戦ったことがない。
剣技に頼れ。
剣技を信じろ。
僕は、自分に言い聞かせながら、絶対に弱気は見せずに、ジリッと足の指を使って、狼たちとの間合いを詰める。
合わせて、狼たちが下がる。
1頭が襲う気配を見せた。
スッ
剣先を向ける。
気配が途絶え、その狼は静かに下がった。
「…………」
張り詰めた緊張感。
やがて、
ウォオオン
群れの中で一際大きな1頭が吠えると、全員が素早く踵を返し、森の木々の中へとあっという間に消えていった。
木の葉が舞い、そして、落ちる。
十数秒、警戒を解かずに待ってから、僕はようやく息を吐いた。
「ふぅぅ」
よ、よかった。
あのまま数の暴力と持久戦で来られたら、勝てたかわからなかった。
あちこち身体も痛くて、本調子ではなかったし。
本当は、その場でヘナヘナとへたり込みたかったけれど、後ろに女の子がいると思うと、さすがに情けない姿は見せたくなかった。
それに、この少女も怖い思いをしたのだから、少しでも安心させたいと思ったんだ。
「あ……あの……」
緊張の混じった少女の声。
自分の震える心を悟らせないよう、ゆっくりと鞘に剣を納める。
僕は笑顔を作って、
『――もう大丈夫だよ』
そう声をかけようと思って、振り返る。
瞬間、その少女を目にした僕の笑顔が、淡雪が溶けるようにかき消えた。
(あ……え?)
白いワンピースを着た、10~13歳ぐらいの少女。
その白い美貌は、人形のように整っている。
美しい真紅の瞳は、まるでルビーの宝石。
その森のような色の髪は、肩に触れるほどの長さで、少し乱れているけれど、とても艶やかで綺麗だった。
「…………」
僕は、言葉を忘れた。
この世のものとは思えないほど、とても美しい少女。
でも、その美しさに声をなくしたんじゃない。
その少女の姿は……それは紛れもなく、僕が今、この世で一番に会いたいと探し求めていた、あのイルティミナさんの若かりし日の姿に思えたからなんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
呆ける僕の耳に、
「あの……助けてくれて、ありがとう」
少し震える少女の声が、柔らかく響いた。
(あ)
ハッと我に返る。
イルティミナさんの声によく似ていて、でも、大人の彼女よりも少し高めに聞こえた。
僕は首を振る。
いや、今、大事なのはそこじゃない。
「大丈夫? 怪我はなかった?」
突然、首をフルフルした僕に怪訝な顔だったけれど、その質問に、彼女は微笑み、頷いてくれた。
「えぇ、平気。貴方のおかげ」
そっか。
(よかった)
安堵の息が漏れる。
そして安心したら、炎症の残った全身の痛みを思い出した。イタタ……っ。
思わず、地面に座り込む。
「ど、どうしたの?」
慌てる彼女に、僕は心配させまいと小さく笑って、「ちょっと疲れただけ」と答えた。
そのまま、白い美貌を見上げて、
「僕はマール。……君の名前は?」
「イルティミナ」
当たり前のように返ってきた答え。
(…………)
その美貌を、しばし見つめて、やがて僕は地面に視線を落とした。
混乱。
疑念。
確信。
頭の中で、色々な考えが回っている。
まさかこの子は本当に、僕の知ってるあのイルティミナさんなのかな? 本当に若返ってしまったの? もしそうなら、どうして? どうやって?
答えの出ない思考。
それに飲まれかけていると、
「あっ!」
彼女の弾けるような声がした。
思わず顔をあげると、その小さなイルティミナさんは、焦ったように僕の前にしゃがみ込んだ。
至近から、僕の青い瞳を、美しい真紅の瞳が見つめてくる。
「妹を……小さな女の子を、この辺で見なかった!?」
え?
(妹って……)
唖然となる僕に、彼女は必死になって言う。
「あの子、村で禁じられているのに、1人でこの森に入ってしまったの! 見ていない、マール君!?」
「…………」
僕は、すぐに答えられなかった。
やがて、覚悟を決めて、訊ねてみる。
「……その子の名前は?」
「ソルティス」
泣きそうな声で、彼女は答えた。
あぁ……。
僕は天を仰いだ。
若くなったイルティミナさんだけでなく、ここには、若くなったソルティスもいるようだ。
――そこから連想される可能性。
もしも時間が巻き戻ったのが、目の前にいる彼女だけではないとしたら?
(……もしかしたら僕は)
僕は――あの真白く濁った霧の世界を抜けると同時に、『過去の世界』へとタイムスリップしてしまったのかもしれない。
◇◇◇◇◇◇◇
転生があるのだから、時間遡行があってもおかしくない。
おかしくないと思うのだけれど、やはり、理解することと納得することは別のことだ。
(……ほんと、信じられないよ)
目の前を歩く少女の背中を見ながら、僕は、こっそりため息をこぼした。
『――僕も、一緒に探すよ』
話を聞いて、僕は、すぐにそう言った。
探していたイルティミナさんとは違ったけれど、せっかく見つけたこの『小さなイルティミナさん』から目を離すのも、駄目だと思ったんだ。
何より、ここが過去だとしても、幼いソルティスを見捨てるわけにはいかない。
色々と考えたいことはあるけれど、今は全部、後回しだ。
「その……君の妹は、どうして森に?」
若かりしあの人の背中に、そう問いかける。
白い美貌が、こちらを半分振り返って、
「あの子、珍しいものを見ると追いかける癖があるの。村の外れの森で、私と一緒に薬草を集めていたんだけど、そこで珍しい蝶を見つけて……」
「……それを追いかけて、1人で森の奥に?」
コクン
イルティミナさんは頷いた。
(あぁ……好奇心旺盛なところ、本当にソルティスだね)
そう思った。
13歳でも、あれなのだ。
もっと幼い頃の歯止めの利かないソルティスなら、さもありなんって話である。
と、イルティミナさんがハッと気づいたように、
「そういえば……マール君は、どうしてここに?」
「え?」
あ……と。
一瞬、正直に全てを話すか迷った。
でも、きっと信じてもらえないと思ったし、逆に不審に思われて、警戒されて一緒にいられなくなるのもまずいと感じた。
(うん、今は黙っていよう)
そう判断する。
そして僕は、彼女に見せるように、腰ベルトにある『妖精の剣』の柄を軽く叩いて、
「実は僕、冒険者なんだ」
と答えた。
彼女は、美しい真紅の瞳を丸くする。
「そうなの?」
「うん」
驚いた顔も可愛いな、なんて思いながら、作り話を続ける。
「それで、たまたま、この森の中で野営してたんだけど、食べれる木の実でもないかなって探してたら……」
「たら?」
僕は、視線を逸らす。
「……方角がわからなくなって、迷子になった」
「…………」
「…………」
「……プッ」
口元を押さえ、彼女が噴き出す。
「あはははは」
楽しそうな笑い声が森の中に木霊する。
この人の、こんなにも屈託のない笑顔は、初めて見た気がした。
その眩さに、ちょっと見惚れてしまう。
少女のイルティミナさんは、目尻の涙を白い指で弾きながら、僕をからかうように見つめる。
「ふふっ……それじゃあ、マール君は、私の妹と同じなのね?」
「……まぁ、ね」
苦笑しながら頷く。
どうしよう……こっちのイルティミナさんも、凄く可愛い。
大人のイルティミナさんのような落ち着いた美しさと違って、こちらには少女らしい華やかな輝きが満ちている。
どっちも素敵すぎて、困ってしまうよ。
「そう。……なら、妹を見つけたら、森の出口を教えてあげる」
彼女は笑いながら、最後にそう言ってくれた。
(やっぱり優しい)
そこは変わらないみたいだ。
「ありがと」
僕も笑って、お礼を言う。
そして、ふと思った。
「そういえば、その探しているソルティスちゃんは、今、何歳なの?」
あの子を、ちゃん付け……ちょっと照れる。
その心が表情に出るのを我慢して訊ねると、
「6歳よ」
その姉は、素直に教えてくれた。
……6歳。
僕が知ってるソルティスは、13歳。
ということは、ここは、7年前の世界。
(7年前……か)
ちょっと不吉な数字。
イルティミナさんたちに悲劇が起きた、まさにその年になる。
そして、20歳だったイルティミナさんは、今、13歳――ちょうど僕と同い年だった。
彼女の顔を見る。
「?」
見つめる僕の視線に気づいて、彼女は小首をかしげた。
肩下で切り揃えられた深緑色の髪が、柔らかく揺れ、艶やかに陽光を散らす。幼さの残る白い美貌には、もう匂い立つような色気があった。
(…………)
13歳にしては、ずいぶん大人っぽい気がする。
成長の個人差はあると思うけれど、僕の知っているソルティスよりも背が高く、顔立ちも大人びていた。
(まぁ、ソルティスは童顔だから)
イルティミナさんは『綺麗』と呼ばれるタイプ。
ソルティスは『可愛い』と呼ばれるタイプ。
きっとその違いなんだろうと思った。
ちなみに、少女のイルティミナさんは、この僕よりも少しだけ背が高かった。
(…………)
こ、個人差だよ、うん。
必死に自分を納得させていると、彼女は僕を見つめて、こんな質問をしてきた。
「そういえば、マール君は何歳なの? 10歳ぐらい?」
……はい?
「いや、13歳だけど……」
「え? そ、そうなの!? ……じゃあ、私と同い年なんだ?」
口元を両手で押さえ、彼女は、とても驚いた顔をなさっている。
し、失礼な。
(まぁ、ちょっと背は低いかもしれないけどさ)
男の子としての小さな誇りが、結構、傷つく。
僕の表情に気づいた彼女は、まるで小さな子供をあやすみたいに笑って、「ごめんね」と申し訳なさそうに謝った。
「別にいいよ」
大きくため息をこぼす僕。
と、その時、
「!」
鼻から吸った空気に、覚えのある匂いが感じられた。
甘いミルクのような匂い。
これは、
(ソルティスの匂いだ!)
そばには、土や植物だけでなく、水の匂いもある。
立ち止まった僕を、彼女が振り返る。
「どうしたの?」
「あっちから、人の匂いがするんだ」
「え?」
「この先に、川か池でもある? その近くだと思う」
驚いていた彼女は、僕の言葉にハッとする。
「いけないっ。そっちには、急流の川と滝があるわ」
青ざめた表情。
(滝!?)
僕は目を見開き、愕然となる。
「行こう、イルティミナさん!」
「えぇ!」
頷き合った僕らは、森の草木を弾きながら、ソルティスの匂いのある場所へと全力で走りだしていた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




