128・平穏なる終焉2
アジアカップ日本戦のため、本日は、1日前倒しの更新となっております。
どうか、ご了承ください。
それでは、第128話になります。
どうぞ、よろしくお願いします。
目が覚めた僕は、これまで長い間、暗い遺跡の中にいたので、久しぶりに外の空気を吸うために、天幕の外へと出ることにした。
「ごめんね、イルティミナさん」
「いいえ」
でも、まだ上手く身体が動かない僕は、イルティミナさんに背負ってもらうことになったんだ。
僕は申し訳なかったけれど、彼女は、なんだか嬉しそうだ。
「…………」
逆にフレデリカさんは、なぜか羨ましそうにこちらを見ていたけど、理由はよくわからない。
はて、なんでだろ?
(う……眩しい)
天幕の外に出ると、煌めく陽光が一瞬、世界を白く染め上げる。
すぐに視力は回復し、そこには、たくさんの天幕が並んだ野営基地と、そこで働くアルン軍の兵士たちがいた。周囲は、緑の茂った樹海の木々が広がり、頭上には青空がどこまでも続いている。
その青い空の中心には、陽光を生み出す強い輝きがある。
(あぁ……太陽だ)
僕は、青い瞳を細める。
「……世界って、明るいね」
「はい」
ずっと暗い迷宮の中だったから、色彩の鮮やかな地上の景色は、とても美しく思えた。
僕の感想に、イルティミナさんも優しく笑っている。
みんなも笑顔だった。
そして、遺跡の入り口があった崖の方を見て、僕は驚いた。
(えっ? 崩落してる?)
高さ50メートルもの崖に掘られた巨大な入り口は、けれど今、崩れた土砂と瓦礫によって完全に埋まっていた。入り口脇に造られていた巨大な女神像の彫刻も、周囲の崩落に巻き込まれたのか、上半身が崩れて、下半身のみが残されている状態だ。
ポカンとしている僕に、ソルティスが言った。
「これ、マールがやったのよ」
「え?」
僕が……?
「30階層から地上まで、一気に抜けた時の余波でガラガラ~ってね。崖の上にも、脱出した時の大穴が開いてるわよ?」
「…………」
そ、そうなんだ?
確認したところ、幸い地上にいた人たちに被害はなかったそうだ。
でも、地面に転がった、壊れた女神像の生首にあるヒビ割れた瞳は、なんだか恨みがましそうに僕らを見ている気がした。
ちょっと怖い。
「コールウッド様、神界で怒ってそうやな」
「……そうね」
ラプトとレクトアリスも、そんなことを言う。
(…………)
でも、僕は思った。
「別にいいよ」
その発言に、みんな驚いた顔をする。
正直、僕はコールウッド様のしたことを許せていない。
400年前、彼女があの地下都市の人間たちにした行為は、とても無責任なものだった。
例えは悪いかもしれないけれど、前世でいう可哀想な犬や猫たちを保護して、けれど、狭い檻に閉じ込め、大量の餌だけを用意したら、あとは世話することなく放置して、結局、劣悪な環境で餓死させたようなものだ。
もちろん、コールウッド様にも何か深い考えや理由があったのかもしれないけれど、でも、その瞬間、人々に生まれた恐怖や絶望を思えば、僕には到底、納得できなかった。
だから、
「僕は――灰色の女神コールウッド様が好きじゃない」
そう断言した。
『神牙羅』の2人は複雑な表情だったけれど、それを責めることはなく、逆に5人の人間たちは僕に同意するような表情だった。
そして、イルティミナさんが少し意外そうに言う。
「マールが、そこまではっきり拒絶を口にするのは、珍しいですね?」
(……そう?)
僕としては、ただ正直な気持ちを口にしただけだ。
「ですが、私も同じ気持ちですよ、マール」
「うむ」
「私だって嫌いよ」
3人は、そう笑う。
僕も笑った。
ふと見上げれば、太陽の煌めく空は美しい。
このことで、コールウッド様が僕を嫌うのは構わない。でも、神狗アークインの主神である狩猟の女神ヤーコウル様にまで迷惑がかかったら、嫌だなと思った。
(…………)
いや、大丈夫かな?
僕の中にいるアークインの感情は、そう伝えてくる。
女神ヤーコウル様は、眷属である僕ら『神狗』に深い愛情を注いでくれた御方のような気がした。きっとこの気持ちを理解し、味方してくれると思えた。
「大丈夫ですよ、マール」
不意に、イルティミナさんが言った。
「例え『灰色の女神』が怒ろうと、私がマールを守ってあげますからね」
「…………」
ちょっと驚く。
「うん」
僕は笑って、この小さな身体を背負ってくれている彼女の首に、幼い両腕を回した。
深緑色の艶やかな髪が、頬をくすぐる。
神狗アークインには、女神ヤーコウル様がいる。
それと同じように、
(マールには、イルティミナさんがいるんだね……)
その幸せを噛みしめながら、僕は大きく吐息をこぼして、彼女の髪へと甘えるように頬を擦りつけていた。
◇◇◇◇◇◇◇
野営基地では大勢のアルン兵士が働いている。
だけど、彼らは設営していた天幕を解体したり、荷物をまとめたりしていることに、僕はふと気づいた。
(ん~?)
その風景に見入っていると、
「皆、撤収作業中なのですよ」
僕の視線に気づいて、イルティミナさんが教えてくれる。
(……撤収作業?)
驚く僕に、今度はキルトさんが言う。
「『神武具』入手の目的は達したからの。明日の朝に、我らは全員、神帝都アスティリオに向けて出立することに決まったのじゃ」
そうなの?
(でも、急な話――)
ってわけでもないのか。
僕は目覚めたばかりだけど、実際、入手からは4日間も経ってるんだった。
そしてキルトさんは、
「神帝都にて皇帝陛下に謁見し、報告を済ませたら、わらわたちはシュムリア王国へ帰ることになる」
「……シュムリアに?」
驚く僕に、彼女は頷く。
「うむ。無事、王家からの依頼は果たしたのじゃからな」
王家の依頼――それは、僕自身の『神狗』としての力を目覚めさせること、そして『神武具』の貸与、或いは贈与を受けることであった。
(そっか。2つとも、もう終わったんだ)
戸惑いつつも、理解する。
「レクリア王女も首を長くして待っておろう。それにシュムリア国内における『闇の子』の動向も調べねばならぬし、いまだ見つからぬ4人目の『神の眷属』のことも気になるからの」
「うん、そうだね」
色々と、シュムリア王国でもやることはあるんだ。
(まだまだ、がんばらなきゃ)
でも、それとは裏腹に、ちょっと寂しい気持ちもあった。
僕は、フレデリカさん、ダルディオス将軍、ラプト、レクトアリスを見つめる。
シュムリア王国に帰るということは、今までずっと一緒にいたアルン神皇国の人々との別れも意味しているんだ。
僕の視線に、4人も気づく。
「マール殿……」
フレデリカさんが、切なそうに僕の名前を呼んだ。
いつも豪快な将軍さんも、今は穏やかに感じられる視線で、僕を見つめている。
「なんや、寂しくなるな」
「そうね」
ラプトとレクトアリスも、しんみりした声だ。
最初から決まっていた別れだったけれど、いざその時が来ると、やっぱり溢れてくる感情は抑え切れない。
「僕らが帰ったあと、みんなはどうするの?」
そう訊ねた。
答えてくれたのは、ダルディオス将軍だった。
「この2人の『神牙羅』のための、また新たな『神武具』探しだわい」
「…………」
「しかし、すでにアルン国内で発見された遺跡には、『神武具』は存在せんからの。まずは、いまだ未発見の遺跡を見つけることから始めねばならんであろうな」
逞しいあご髭を撫でながら、そう続けた。
そうなんだ?
でも、将軍さんの難しい表情からも、その困難さが伝わってくる。
(もしかしたら、今回の件は、国外から来た僕らが『神武具』を横取りした形なのかな?)
なんだか申し訳なくなってくる。
けど、
「その『神武具』は、マール殿たちがいたからこそ、我ら人類の手に入ったのだ。どうか胸を張って、持っていて欲しい」
ダルディオス将軍は、そう笑った。
フレデリカさんも『神牙羅』の2人も笑顔で頷いている。
「………。うんっ」
僕は、大きく頷いた。
できることなら2人の『神武具』探しも手伝いたいと思ったけれど、僕らもシュムリア王国のために果たさなければならない責任があった。
(でも、せめて……)
僕は、右手の中にある金属球に『神気』を流し込む。
ヴォオン
虹色に輝きながら、球体は僕の意志に反応して、柔らかく形を変えると、やがて3つに分裂した。
大きさも質量も3分の1。
驚くみんなの前で、僕は、大切な『神界の同胞』2人へとそれを差し出す。
「ラプト、レクトアリス、受け取って」
僕は言った。
この『神武具』の所有者は、僕である。でも、僕が許可することで、2人にも『神武具』を扱うことができると、『神武具』と接続されてる僕には、なんとなく理解できるのだ。
「マール……お前」
「いいの?」
2人は驚きながら、確かめるように僕を見る。
僕は、大きく頷いた。
「うん。僕らが手伝えない代わりに、これを使ってよ」
多分、本来の性能の3分の1以下になるだろう。
けれど、3分の1でも凄い力が秘められている。この先、『大迷宮』のような困難があっても、きっと2人の力になってくれるはずだ。
僕は笑った。
「2人が『神武具』を手に入れたら、ちゃんと返してよ?」
その言葉に、2人も笑った。
「わかった」
「それまで、借りておくわね」
ラプトとレクトアリスは、1つずつ、僕の手からゴルフボールほどの大きさの『虹色の金属球』を受け取る。
僕ら3人は見つめ合った。
「…………」
「…………」
「…………」
言葉はなくても、心は伝わる。
僕ら『神の眷属』の交流を、その場にいた人間たちは、何も言わず、優しい微笑みで見守ってくれていた。
◇◇◇◇◇◇◇
しばらく外の様子を確認したあと、まだ完治していない僕は、安静にしているために再び天幕のベッドに戻されることになった。
この天幕は、シュムリアから来た僕ら4人用のもの。
「あとは任せたぞ、イルナ」
「はい」
僕の付き添いにイルティミナさんを残して、キルトさんとソルティスは天幕を出ていった。
キルトさんは、明日の出発までに荷物の整理と、帰路の打ち合わせ。
ソルティスは、残り少ない時間でなるべく多くの『神術』を学ぼうと、ここ数日、レクトアリスの天幕に入り浸っているそうだ。
(ソルティスとレクトアリス、直接、話すようになったんだね?)
なんだか嬉しかった。
そうして僕は、イルティミナさんと一緒にお昼を食べたり、他愛のない話をしながら時間を過ごす。お昼はお粥だったけれど、久しぶりに携帯食料以外の食事だったので美味しかった。
「あら、ほっぺについてますよ?」
パクッ
頬についたお米を、イルティミナさんに食べられたりもした。
えへへ……。
身体はだるかったけれど、退屈ではなかった。
少し眠ったりして、また時間が過ぎる。
夕方に目が覚めると、シュムリア王国から一緒だった3人のシュムリア騎士さんが見舞いに来てくれた。
「無事でよかった、マール殿」
「ご活躍でしたな!」
「元気そうで安心しましたぞ」
彼らの顔を見るのも、久しぶりだった。
僕も笑って、頭を下げる。
「明日からの竜車の旅も、皆さん、またよろしくお願いします」
『お任せを!』
御者でもある彼らは、声を揃えて、頼もしく請け負ってくれた。
夜になったら、キルトさんとソルティスも天幕に戻ってきて、久しぶりに4人だけの夕食を取ることになった。
ちなみに、戻ってきた時のソルティスは、辞典みたいな厚さの紙束を持っていて、
「ふふっ……覚えてる限りの知識、レクトアリスに全部、書いてもらったわ」
「…………」
その笑った目が、ちょっと怖かった。
思わず、3人で引いてしまった。
(……レクトアリス、大変だったろうな)
同情である。
やがて、僕だけお粥の食事を4人でしていると、地上部隊の指揮官である隻眼の老騎士――バーランドさんが天幕に顔を出してくれた。
彼から礼儀正しい挨拶をされ、僕は、少し緊張しながら返事をする。
(お見舞いに来てくれたのかな?)
そう思ったけど、
「キルト殿、少しよろしいですかな?」
「む?」
どうやらキルトさんに話があったようだ。
彼女は食事の手を止めて席を立ち、2人は、僕らから少し離れた場所で、小声で会話を交わす。
少し驚いた顔をするキルトさん。
やがて、話が終わったバーランドさんは、
「今夜は、どうぞ、ゆっくりお休みください」
こちらにダンディな微笑みを残して、天幕を去っていった。
うん、格好いい……。
キルトさんは、席に戻る。
「なんだったの、キルト?」
好奇心旺盛な少女――ソルティスがすぐに問う。
キルトさんは、お酒の入った御猪口を手にして、
「うむ。どうやら、帰路について少し問題が起きてな。その報告であった」
「問題?」
思わず、聞き返す。
彼女は一口、お酒を胃に流し込んでから、こう答えた。
「しばらく続いた長雨で、行きに通った渓谷が崩落し、通れなくなったそうじゃ」
え? 崩落?
ソルティスが、なぜか僕を見る。
(い、いや、それは僕のせいじゃないよ? 原因は長雨って、キルトさん言ったよね?)
ついつい慌てる。
そんな子供たちの様子に構わず、大人なイルティミナさんが冷静に訊ねる。
「では、しばらく神帝都には帰れない、ということですか?」
「いや」
銀色の髪を揺らして、キルトさんは首を横に振る。
「ルートを変更し、迂回路を通るそうじゃ。そのため、行きは2日であったが、帰りは10日はかかるらしい」
10日って、結構な遠回りだ。
「ま、他に道がないんじゃ、仕方ないでしょ」
「うん、そうだね」
肩を竦める少女に、僕は頷く。
(時間はかかるけど、大した問題じゃないかな?)
そう思った。
でも、キルトさんの黄金の瞳は、真っ直ぐイルティミナさんの顔を見つめている。
「?」
イルティミナさんは、首をかしげた。
その美しい深緑色の髪が、肩からこぼれる。
キルトさんは言った。
「迂回路となったのは、レスティン地方の古き街道じゃ」
「レス……ティン?」
その瞬間、イルティミナさんの美貌が凍りついたように見えた。
(……イルティミナさん?)
姉の異変に、ソルティスも気づく。
「イルナ姉? どうかしたの?」
「…………。いえ、何でもありません」
何でもない、という割には、ずいぶんと顔色が悪くなっている。
「…………」
キルトさんは、無言でキュッと、御猪口に残ったお酒を飲んだ。
そのあと、イルティミナさんは、僕らが話しかけても何だか上の空で、夕食にもほとんど手を付けなかった。
そのまま夕食は終わった。
その夜、
「おやすみなさい、マール」
「う、うん」
イルティミナさんは珍しく僕を抱き枕にせず、1人で自分のベッドに横になった。
(僕の身体を気遣って……かな?)
そう思った。
でも、何かが違う……そんな気もした。
「…………」
「…………」
「…………」
キルトさんは難しい表情で、ソルティスは意外そうに、横になった彼女を見ていた。
ランタンの灯りが消える。
暗闇の中、僕はしばらくイルティミナさんの背中を見つめ、やがて自分の毛布に鼻まで隠しながら、目を閉じた。
彼女がそばにいるのに、何だか寂しいような気持ちで、僕は一夜を明かした。
◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、そこには野営基地はなくなり、たくさんの竜車だけが並んでいた。
(わぁ、久しぶりの『騎竜車』だ)
シュムリア王国製の巨大な軍用竜車の改造版、車両を引く2頭の竜も懐かしくて、相変わらず頼もしい。
御者席には、あの3人のシュムリア騎士さんもいる。
「また竜車の旅だね、イルティミナさん」
「…………」
笑って声をかける。
けど、彼女は足下を見つめていて、こちらに気づいてくれなかった。
(…………)
昨夜から、ずっと様子がおかしいままだ。
ソルティスも心配そうだったけれど、どう声をかけていいのかわからない様子だ。
イルティミナさんの真紅の瞳が、ようやく僕を見る。
「あ……なんですか、マール?」
「……ううん」
僕は曖昧に笑って、首を振った。
そんな僕らの様子を、キルトさんは難しい表情で見つめていた。
ドォン
と、太鼓の音が鳴った。
そろそろ出発の時間だという合図だった。
周囲に並んだアルン製の黒い竜車に、アルン軍の兵士たちが一斉に乗り込んでいく。
一番大きい竜車には、ダルディオス将軍とフレデリカさん、ラプトとレクトアリスが乗り込もうとしていた。
(あ)
こっちに気づいて、4人が手を振ってくれた。
ブンブン
僕も、大きく手を振り返す。
ちょっと嬉しい。
でも、イルティミナさんは気づかずに、そのまま僕らの『騎竜車』に乗り込んでしまう。ソルティスは、戸惑ったような顔で姉を追いかけた。
(……イルティミナさん)
本当にどうしたんだろう……?
僕は、悩みながら竜車に乗ろうとして、
「マール」
グッ
その腕をキルトさんに掴まれて、止められた。
彼女は『騎竜車』の方をチラッと見たあと、僕の顔を真剣な眼差しで見つめた。
「そなたには話しておく」
「え?」
「7年前、わらわはこのアルンの地で、傷ついたイルナとソルの姉妹を見つけたと、前に話したのを覚えておるか?」
あ、うん。
(確か、神帝都に向かう飛行船の中で聞いた気がする)
キルトさんは続ける。
「それがレスティン地方の街道であった」
「…………」
(え?)
一瞬、僕は呆けた。
ジワリ
その意味が浸透して、心が震える。
「わかるか、マール?」
黄金の瞳は目を逸らすことを許さず、その静かな声は、重く、大きく僕の内側に突き刺さってくる。
彼女の言った言葉の意味は、
つまり――それは、
「イルナの家族が殺され、村を焼かれた故郷は、これから向かう、そのレスティン地方にあったのじゃ」
ご覧いただき、ありがとうございました。
これにて『大迷宮』編は終了となり、次話からは『イルティミナの過去』編が始まります。
もしよろしければ、次話も、また読んでやって下さいね。
※次回更新は、4日後の月曜日0時以降になります。よろしくお願いします。
また本日(木曜日)の22時からは日本代表の試合があります!
もしよろしければ、そちらも、みんなで応援して、一緒に楽しみましょうね!
がんばれ、日本!




