127・平穏なる終焉1
第127話になります。
よろしくお願いします。
亀のような巨大な黒い影が、こちらへと迫っていた。
僕は、周囲を見る。
地面には、キルトさん、ソルティス、ダルディオス将軍、フレデリカさん、ラプト、レクトアリスの6人が倒れている。
ピクリとも動かない。
その身体の下には、真っ赤な血だまりが広がっている。
(……あ……あぁ)
恐怖が、僕の心を支配していた。
手足が震えて、逃げることもできない。
そんな立ち尽くす僕の前に、白い槍を手にした彼女が現れ、黒い影の前に立ち塞がった。
(――――)
こちらに微笑み、黒い影と戦うため、彼女は駆けだす。
駄目だ。
逃げなきゃ駄目だ、殺されちゃう!
必死に追いかけようとするけれど、泥沼の中にいるように足は遅く、なぜか追いつけない。
遠くなる背中。
泣きながら僕は、必死に手を伸ばした。
(イルティミナさん!)
叫んだ瞬間、僕の手のひらの先に、虹色の球体が出現した。
ヴォン
その輝きは、弾丸のように放出され、亀のような巨大な黒い影へと直撃し、呆気ないほど簡単に霧散させてしまう。
(……え?)
弾ける虹色の粒子。
キラキラとした輝きが、雪のように世界を舞っている。
その中心で、僕は、呆然と手を伸ばしたまま立ちつくし、そして世界に広がる虹色の輝きは、その光を増していく。
その煌めく光が視界の全てを埋め尽くした瞬間――僕は、目を覚ました。
◇◇◇◇◇◇◇
最初に目に入ったのは、布でできた天井だった。
天井付近の金属でできた支柱には、ランタンが設置され、その中で蝋燭の炎が揺れている。
(……夢?)
そう気づく。
どうやら僕は、大きな天幕内の簡易ベッドに寝かされているようだった。
そんな僕の手は、今、天幕の天井へと伸ばされている。
ポフッ
軽い音と共に、毛布の上に、伸ばしていた腕を落とした。
(なんだか、身体がだるい……)
そう思っていると、
「あ、起きたのね?」
ふと横から声がした。
首を傾けると、そこに眼鏡をかけたソルティスが立っていた。手には、濡れたタオルがある。
それを折りたたみながら、彼女はベッド脇の丸椅子に座った。
「おはよ、マール」
「……おはよ」
短く答える。
そして、改めて周囲を見回した。
間違いなく、ここは天幕の中だ。
テーブル、椅子、棚など簡易的な構造の物たちが並び、僕ら2人の他に、人の姿はない。ベッド脇には、水の入った桶が置かれていて、彼女は、そこで濡らして絞ったタオルを、僕の額に乗せてくれた。
(ひんやりして、気持ちいい)
思わず、吐息をこぼす。
そんな僕へと、彼女は教えてくれた。
「ここは、地上の野営基地よ」
「地上……?」
つい聞き返す僕。
彼女は驚いたように「覚えてないの?」と、眼鏡の奥の瞳を丸くした。
(そういえば……)
最下層で『暴君の亀』を倒したあと、崩壊を始めた遺跡から、みんなを『神武具』の翼で抱えて、地上へと脱出したような記憶がある。でも、記憶の細部がおぼろげで、なんだか夢の中の出来事だったような感覚だ。
「……なんとなくは」
「そう」
僕の正直な答えに、彼女は頷いて、
「ま、しょうがないかもね。地上に出た時のマール、ボロボロだったし」
そう続けた。
それから彼女は、僕の記憶にない部分、地上に出てからのことを教えてくれた。
遺跡の上空に飛び出した僕は、みんなを抱えたまま、意識朦朧となりながらも、なんとか樹海の中へと不時着したそうだ。
でも、直後に気を失った。
限界以上の『神気』を流したことで、耐え切れなかった肉体のあちこちが機能不全を起こしていたそうだ。
皮膚の裂傷のみならず、筋繊維の断裂、臓器不全。
そして、
「あのあと、マールの心臓、1度、止まったんだからね?」
真剣な表情で告げる少女。
(……マジですか?)
キルトさんの心臓マッサージ、イルティミナさんの人工呼吸、『癒しの霊水』の使用、そしてソルティスの懸命の回復魔法がなければ、間違いなく僕は死んでいたのだそうだ。
ちょっと青ざめてしまう。
そのあと何とか一命を取り留めた僕を、ダルディオス将軍が背負ってくれて、僕らは地上の野営基地へと移動することになった。
ちなみに移動の時には、キルトさんもかなりの重傷、イルティミナさんも骨折などがあり、ソルティスも魔力切れを起こしていたそうで、ラプトとフレデリカさんが、それぞれキルトさんとイルティミナさんに肩を貸し、レクトアリスがソルティスを背負っていたそうだ。
(みんな、満身創痍だね)
そうしてなんとか、基地に辿り着いたのが4日前のことだそうだ。
(え?)
「……4日前?」
「そうよ」
頷くソルティス。
「マール、この3日間、ずっと眠ってたんだから」
…………。
そ、そうだったんだ?
(3日間も寝てたなんて、通りで身体がだるいわけだよ)
妙に納得である。
「他のみんなは?」
「外にいるわ。マールがゆっくり休めるように、順番で様子見てたの。今は私の番だったってだけ」
そっか。
「ありがと、ソルティス」
笑ってお礼を言う。
「だから、私1人が看てたわけじゃないってば」
そう肩を竦めながらも、僕が目覚めたことには、どこか安心したような笑顔を浮かべてくれた。
(うん、みんなにもお礼を言わないとね)
それに顔が見たいな。
特に、あのイルティミナさんの優しい笑顔が。
そう思った僕は、ベッドから出ようと上体を起こす。
(おや?)
よく見たら、治療のためだったのか、僕の上半身は裸だった。
ソルティスが少し慌てたように、
「ち、ちょっと、急に動くと危ないわよ?」
と警告する。
なんとなく、頬が赤いな……なんて思った時、
ズキィン
「っっ」
全身に凄まじい痛みが走って、僕はバランスを崩し、ベッドから落ちそうになった。
「ちょ……馬鹿っ!?」
ソルティスが慌てて支えようとしてくれるけれど、姿勢の悪かった彼女は、そのまま僕と一緒に床へと倒れてしまった。
ドササッ
仰向けのソルティス。
その少女に密着するように、上半身裸の僕が、うつ伏せに覆い被さっていた。
「…………」
「…………」
う、わぁ……。
唇が触れてしまいそうな至近距離に、驚く少女の顔があった。
その小さな身体は、物凄く熱くて、ぺったんこだと思っていた胸には、意外としっかりした膨らみがあった。その弾力は今、僕の胸に押しつけられ、柔らかく潰れている。
そして、いい匂い。
(なんか、甘いミルクみたいな……?)
このまま、ずっとこうしていたくなる。
……いやいやいや!
「ご、ごめん」
謝る僕。
きっと顔は真っ赤だろう。
見たら、ソルティスも真っ赤になっていて、
「い、いいから、早くどいてよ!」
と泣きそうな顔で訴えた。
(…………)
可愛い。
素直に、そう思ってしまった。
生まれる欲求を振り払い、僕は身体を起こそうとするけれど、ズキズキと痛くて上手く力が入らない。
まるで、自分の身体じゃないみたいだ。
ムギュッ
「ひぁあ!? ど、どこ触ってんの!?」
「ご、ごめ――」
悲鳴をあげるソルティスに、思わず謝った。
と、その時、天幕の出入り口である布が、勢いよく開いて、
「ソル、どうした?」
「大きな物音がしましたが、何かあったのですか?」
キルトさんとイルティミナさんの2人が、天幕の中へと入ってくる。
すぐに、こちらに気づいて硬直した。
(……あ)
傍から見れば、上半身裸の少年が、泣きそうな少女の上に覆い被さっている光景である。
いや違う、違うよ!?
言い訳……いやいや、説明する前に、
「なんやどうした?」
「何々?」
「マール殿?」
ラプト、レクトアリス、フレデリカさんもやって来て、即、先の2人と同じように硬直する。みんな、まるでメデューサに石にされたみたいだ。
「なんだ、どうした?」
そして最後に、ダルディオス将軍が顔を出す。
「…………」
「…………」
目が合った。
熊みたいな彼は、大きな指であご髭を撫でて、
「ふむ。病み上がりだというのに、さすが『神狗』殿。なかなかお盛んだわい、がっはっは!」
実に楽しそうな笑い声を、この天幕内に響かせてくれた。
◇◇◇◇◇◇◇
「マール? 我慢できない時は、私に相談しなさいとあれほど言ったのに……」
そんなことを言いながら、イルティミナさんは身体の動かない僕を、実の妹の上から抱き起こしてくれる。
(い、いや、違うんだって)
その悲しそうな表情に、ちょっと慌てる僕。
すると、
「私はてっきり、マール殿はイルティミナ殿とそういう関係かと……しかし、実は妹御のソルティス殿の方を……?」
軍服姿のフレデリカさんまで、僕らの顔をチラチラと交互に見つつ、口元を押さえ、頬を赤らめながら、そんなことを呟いている。
唖然となっていると、
ゲシッ
(アイタ!?)
突然、ソルティスに脛を蹴られた。
「馬鹿マール」
真っ赤な顔で言い捨てて、すぐに背中を向けられる。
(…………)
泣きたいです。
魂が抜けかかったように放心する僕に、キルトさんは苦笑しながら、両手で何かを押さえる仕草をする。
「まぁ、皆、落ち着け」
「…………」
「冷静に考えて、マールがそのような真似をするはずなかろう。全員、マールが目覚めたからと羽目を外しすぎじゃ」
うぅ、キルトさん。
彼女の声で、場の空気が少し落ち着きを取り戻し、僕はすぐに『痛みで動けなかった』という事情を説明する。
「まぁ」
「そうだったのか」
お姉さんたちも、ようやく納得だ。
……ホッ。
そして、キルトさんも「なるほどの」と頷くと、
「レクトアリス。……マールの身体は、大丈夫なのか?」
そう『神牙羅』の美女に聞く。
彼女は第3の目を開いて、その紅い光を僕に当てると、大きく頷いた。
「問題ないわ。全身のあちこちに、まだ大きな炎症は残っているけれど、このまま安静にしておけば治る類よ」
「そうか」
安堵の息を吐くキルトさん。
その手が伸ばされ、僕の髪をクシャリと撫でる。
「全く、無茶をしたの」
「うん……ごめんなさい。……でも、あの時は、無茶でもやるべきだと思ったんだ」
僕の答えに、彼女は「そうか」と微笑んだ。
(怒ってるわけじゃないみたい)
よかった……。
それに安心した僕は、逆に訊ねる。
「キルトさんやイルティミナさんたちは、怪我の方は大丈夫だったの?」
「問題ありませんよ」
心配されて嬉しそうなイルティミナさん。
「私は、左足と肋骨を骨折したぐらいです」
「わらわも、折れた肋骨が肺に刺さったが、それ以外は腕や足の骨折ぐらいじゃ。幸い、後遺症は残らんかったしの」
……いや、充分、問題あると思うけど。
でも、2人の表情は『よくあることだ』と慣れた感じであり、その治療もこの4日間で終わっているそうだ。
魔狩人をしていると、これぐらい当たり前の怪我なのかな?
そして改めて、この異世界にある『回復魔法』というのは、本当に凄いんだなと思った。
(だって、そんな重傷でも、数日で治るんだから)
でも個人の生命力の差なのか、僕の治りが一番遅いようだ。
そこは、少し情けない。
と、そんな僕の前へと、ラプトがやって来た。
「ほれ、マール。預かっといたで」
「え?」
差し出された彼の右手には、虹色に輝く野球ボールほどの大きさの金属球がある。
この輝きは、もしかして、
「『神武具』や」
心を読んだようにラプトは答えた。
受け取った瞬間、その球体の表面には、虹色の波紋が広がる。
(思ったより、重いね)
見た目に反して、重量は3キロほどありそうだった。
でも、あれだけの量の砂みたいな粒子が、これだけの体積に収まったのなら、ずいぶんと軽くも感じる。
(もしかしたら、ある程度、重量や体積は制御できるのかな?)
そんな風に思った。
そして、
「これは、常に近くに置いておくんやで」
ラプトは腰に手を当てて、言う。
「そうすれば、勝手にマールの『神気』を食ってくれる。生命維持だけなら、マールの負担にもならん量やし、それで『神武具』が飢えて死ぬこともない。……ま、今回はマールがあんな状態やったから、ワイらが『神気』を与えて、面倒を見てやってたんやけどな」
そうだったんだ。
「ありがとね、ラプト、レクトアリス」
「構へん、構へん」
「ふふっ、気にしないで」
お礼を言うと、彼は笑って手を振り、レクトアリスも大人の微笑みで応じてくれる。
(…………)
僕は、手の中の球体を見つめる。
美しい虹色の金属球――この『神武具』を手に入れるために、長い時間をかけ、多くの人々が犠牲になった。
単なる重量以上に、これには『色々な重さ』が宿っていると思えた。
「…………」
「…………」
「…………」
気づいたら、皆も『神武具』を見つめていた。
すると、フレデリカさんが思い詰めたような声で、僕へと訊ねてきた。
「……あの最下層で、マール殿が『暴君の亀』と戦っていた時、私は、この輝きをまとった300名のアルン騎士の同胞たちを見た」
「…………」
「あれは……マール殿がやったことなのか?」
僕は、答えられなかった。
自覚はなかった。
でも、あの300名のアルン騎士は、僕が無意識に『神武具』を操って、僕自身の手で創りだした幻影だったのかもしれない。
切迫した状況で、頼れる彼らの背中を思い出した結果だったのかもしれない。
(……でも)
それでも僕は、あの光景が、この地に散ったアルン騎士たちの魂が、最後に力を貸してくれたもののように思えた。
いや、そう思いたかった。
だから、
「――アルン騎士は、凄いよね」
僕は、それだけ呟いた。
「…………。そうか」
それを聞いたフレデリカさんは、切なげに微笑み、美しい碧色の瞳を伏せる。
とても優しい表情のダルディオス将軍が、娘の肩へと、その大きな手を置いた。
他の皆も、静かに見守っている。
フワッ
その時、天幕の中なのに、柔らかな風が吹いた気がした。
(…………)
僕らの髪を揺らしたそれは、どこか遠くへと去っていく。
僕は、笑った。
手の中にあった球体は、まるで何かが触れたように、美しい虹色の波紋を小さく広げて、やがて静かに消えていった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
次話のエピローグ2にて、大迷宮編は完結になります。
本当は1話で投稿したかったのですが、さすがに1万2千文字を越えてたので分割しました……。申し訳ありません。
もしよかったら、次話も見てやってくださいね。
また次回更新につきましては、アジアカップの日本戦がありますので金曜日ではなく、明日の木曜日0時以降に更新いたします。(試合は終了している時刻なのですが、延長戦やPK戦の可能性もありますので……)
どうかご了承ください。
それでは、また明日、よろしくお願い致します。
そして、がんばれ、日本!




