012・前日の準備1
第12話になります。
よろしくお願いします。
朝になって、目が覚めた。
天井を見上げながら、「ん~」と大きく伸びをする。なんだか、久しぶりにぐっすり眠れた気分だ。
(イルティミナさんのおかげかなぁ?)
そう思いながら、身体を起こして、隣を見る。
誰もいなかった。
「……あれ?」
毛布の中には僕1人で、あの優しいイルティミナさんの姿は、どこにもない。
(えっ? なんで?)
少し慌てて、周囲を見回す。
すると、居住スペースの扉が開いていて、そこから、何やら香ばしい匂いが漂っていた。
(はて、なんの匂いだろう?)
誘われるままに進むと、そこは厨房だった。
扉を開けると、
「あら、マール。おはようございます」
そこに、朝日を浴びて、微笑む彼女の姿があった。
いけない。
自分が凄く安心したのを感じる。
そんな自分に戸惑いながら、僕は「おはよう」と返事をした。
「何してるの?」
「朝食の準備をしていました」
「朝食の?」
そういう彼女の手元には、鍋で煮立った肉と野菜がある。
(え? スープ?)
カマドには、小さな紅い魔法石が放り込まれていて、そこから真っ赤な炎が吹き上がっている。
その火にかけられた鍋から、あの香ばしい匂いが生まれていた。
「その肉とか野菜、どうしたの?」
「持っていた保存用の肉を使いました。あとは、少し外に出て、野草や木の実を集めて」
「…………」
「保存用の肉なので、少し硬いかもしれませんが……」
イルティミナさんは、そう言いながら、鍋の中身を木製のお皿に移している。
どうやら肉と野菜のスープ、完成のようだ。
「よかったら、どうぞ」
促されて、僕は、厨房のテーブル席に座る。
(……なんだか、とても美味しそうだ)
僕は、胸の前で両手を合わせる。
「じ、じゃあ、いただきます」
「はい、召し上がれ」
木製スプーンを伸ばして、一口。
美味いぃぃ……。
(肉と野菜って、こんなに美味しかったっけ!?)
ただ煮込んだだけなのに、口の中に食材の旨味が溢れて、噛むたびに幸せが湧いてくる。
『癒しの霊水』だけでも、食事は充分だった。
でも、毎日それだけでは、やはり飽きがあったのかもしれない。
食事は、身体を作るだけでなく、心を豊かにするためでもあると、前世で聞いたことがある気がする。
なんだか、それを実感している気分だ。
夢中でスープを食べる僕に、イルティミナさんは、安心したように笑っている。
「フフッ、お口にあったようで、何より」
「ムグムグ……イルティミナさんって、料理もできるんだ?」
「少しだけですよ」
そうなの?
でも、美味しい。
「ふ~む。きっと、いいお嫁さんになれるね、イルティミナさんは」
「…………」
僕の素直な感想に、イルティミナさんはキョトンとする。
それから、口元を押さえて、「マールは、面白いことを言いますね」と、どこかくすぐったそうに笑った。
でも、その頬がほんのり赤く染まっているのを、僕は見逃さなかったよ?
◇◇◇◇◇◇◇
朝食のあと、礼拝堂に移動した僕らは、少し真面目な話になった。
女神像の前で、2人で向かい合って床に座る。
まず口火を切ったのは、イルティミナさん。
「マール。私たちは、明日の朝、この塔を出発しようと思います」
「うん」
僕は、大きく頷いた。
(……ついに、この森から出られるんだね)
心の鼓動が、早くなる。
「そして今日一日は、その準備のために時間を費やそうと思っています。正確に言えば、ルートの説明と食料の確保です」
ふむふむ。
「まずは、ルートを説明しましょう。私たちは『トグルの断崖』を超えたあと、そのまま『アルドリア大森林』を北上、縦断して、ここから一番近い街『メディス』を目指します」
「北上してメディス、だね?」
「はい」
イルティミナさんは頷いた。
「恐らく、そこには私の仲間であるキルトとソルティスが、遭難した私の帰還を待ち、10日は待機してくれているはずです。万が一の場合に備え、そういう決まりにしてありましたので」
なるほど。
と、そこでイルティミナさんは、腰ベルトのポーチから、折り畳まれた一枚の紙を取り出した。
広げられた繊維の荒い紙面には、墨で扇子のような形が描かれている。
多分、地図だ。
「これが、アルドリア大森林です」
(うん、やっぱり)
「こんな形なんだ?」
「かなり簡略化して描きましたが、そうです。――まず、こちら側がトグルの断崖で、私たちは今、この辺になります」
扇子の広い側、その一点に描かれた×の部分に、白い指が置かれる。
指は、そのままスーッと扇子の要部分にある○へと移動して、
「そして、ここがメディスです」
「うん。……距離は、どのくらい?」
「直線で、およそ40000メード。私の足なら2日、マールの足なら7日ほどの距離ですね」
「…………」
えっと。
「ちなみに、1メードってどの位?」
「このくらいです」
両手で示されたのは、だいたい1メートルと一緒だった。
(ということは、40キロ!?)
思った以上に、距離があった。
「ですので、マールには申し訳ないですが、移動の際には、私が貴方を抱えていきます」
「……はい」
さすがに、我が侭を言える状況じゃなかった。
物わかりのいい僕に、彼女は、安心したように笑った。
けれど、すぐに表情を引き締めて、
「森の中では、太陽の位置から、北の方角を確認して進みます。道中には、猟師たちの森小屋もありますので、夜は、そこで過ごすつもりです」
ふむふむ。
「ですが、移動中は、魔物との戦闘も考えられます。他の理由もあるかもしれません。予定通りにいかず、野宿の可能性も充分ありますので、その覚悟はしておいてください」
「うん、わかった」
「行程としては、2日+猶予1日と見ています。――ここまでで質問は?」
「ううん、ないよ」
首を振ってから、
「確認だけど、『メディスへの移動』、『仲間との合流』――目標は、この2つでいいんだよね?」
「はい、その通りです」
イルティミナさんは、満足そうに頷く。
僕は、大きく息を吐く。
きっと、道中の2日間は、大変なんだろうな。
この塔みたいに、安全な場所はなくなって、常に危険と隣り合わせになるんだから。
(でも……)
この旅で、一番の負担がかかるのは、イルティミナさんなんだよね?
「…………」
本当は、見知らぬ僕のことなんて、連れて行く必要ないんだ。
それでも連れて行ってくれるのは、完全に、彼女の善意だ。それを忘れて、彼女の優しさに甘えていては、いけない。
(せめて、足手まといにならないように、がんばらないと)
ギュッ
僕は、小さな拳を握る。
「マール」
ふと、イルティミナさんの白い手が、そこに重なった。
ん?
顔を上げると、彼女の真紅の瞳が、僕の顔を真っ直ぐに見ていた。
「一言だけ、警告を。――私に頼ることを、怖がらないでください」
(……え?)
思わず、見つめ返す。
そんな僕の目を、彼女はジッと見つめて、
「それが明日からの旅において、一番の危険であり、私にとって迷惑な行為ですから」
「…………」
「どうか、それだけは忘れないでくださいね?」
最後に優しく笑い、キュッと僕の手を強く握って、彼女の白い手は離れていった。
(……敵わないなぁ)
小さく苦笑した僕は、心の中で深く、彼女に感謝した。
ご覧いただき、ありがとうございました。