108・神狗マールVS鬼姫キルト
第108話になります。
どうぞ、よろしくお願いします。
ダルディオス将軍の屋敷の中庭には、木製の仕切りで囲まれた稽古場があった。
将軍さんの部下や、屋敷の衛兵たちも、時々、ここで汗を流しているんだって。
美しい中庭の中、ここだけが土の地面。
それだけ多くの人が、たくさんの時間、ここで稽古をしてきた証だろう。
稽古場には、稽古用の木人や弓の的などがあり、木剣以外にも、木槍、木斧、木盾など、色々な種類が用意されている。
――僕とキルトさんは、そんな場所で向き合っていた。
すでに彼女は、黒いドレスを脱いで、いつもの袖なしの黒シャツとズボン、美しい銀髪をポニーテールという姿になっている。
ちょっと残念。
でも、この姿でもやっぱり綺麗だよね。
むしろ、躍動感のあるキルトさんの魅力が伝わってくる。
「これを使え」
キルトさんは、片刃の木剣を渡してくる。
(……嬉しいな)
いつも稽古する時は、キルトさんは木剣で、僕は『妖精の剣』だった。
新しい剣が、早く僕の手に馴染むようにという配慮だったけど、それだけ僕の実力が脅威ではないという意味でもあった。
でも今は、僕にも木剣を渡そうとしている。
「うん」
僕は、歓喜を殺しながら、それを受け取った。
稽古場の周りには、イルティミナさんとソルティス、ダルディオス将軍とフレデリカさん、そして、シュムリア騎士さん3人と、屋敷の使用人さんや衛兵さんも十何人か、集まっている。
(……結構、見物人が多いなぁ)
小心者な僕は、少し緊張してしまう。
それを吹き飛ばすように、そして、木剣の具合を確かめるように、軽く振る。
ヒュッ
「ほう?」
ダルディオス将軍が、少し驚き、感心したような声を漏らした。
「鬼娘の剣、そっくりじゃな?」
「マールは、キルト・アマンデスの剣の弟子ですからね」
ちょっと羨ましそうなイルティミナさん。
でも、一番最初に、僕に冒険者のイロハを教えてくれたのは、彼女の方なんだけどね。
キルトさんは師匠、イルティミナさんは先生だ。
その剣の師匠が、言う。
「では、そろそろ始めようかの?」
「うん」
僕は、頷いた。
(今日こそは、1本取ってみせる!)
そう心の中で宣言して、『神気の蛇口』を解放する。
ギュオオ
溶岩のような力の奔流が、身体中に流れ、全てを満たしていく。
犬耳が生え、尻尾が伸びる。
ギュオオオ
今回は、全力だ。
限界まで、神気を注ぎ込もう。
パシッ パシシッ
放散される神気の影響で、僕の周囲の空間では、白い火花が散っていた。
(これが限界、かな?)
全身の熱に耐え切れなくなりそうな直前で、『神気の蛇口』を締める。
手にした木剣を見る。
軽く振る。
シッ
ほとんど、重さを感じなかった。
「――――」
「む」
それを見た瞬間、イルティミナさんとフレデリカさんの表情が変わった。
シュムリア騎士の3人も驚いた顔である。
「ほう……」
さっきよりも低い声で、ダルディオス将軍が呟いた。
僕は、キルトさんを見据える。
彼女は、静かな瞳で僕を見つめ返し、ゆっくりと正眼に剣を構えて、
「――来い、マール」
「はい」
僕は、師匠である金印の魔狩人に、全力で襲いかかった。
◇◇◇◇◇◇◇
地面を蹴って、キルトさんに斬りかかる。
(――うっ?)
視界が弾ける。
恐ろしい速度で跳躍した僕は、自分でも予想外なことに、たった1歩で、彼女の剣の間合いにまで入ってしまっていた。
彼女の驚いた顔が見える。
「や、ぁあああ!」
ええい!
攻撃される前に、とにかく剣を振った。
シッ ガギィイイン
凄まじい破裂音がして、剣で受けたキルトさんが紙屑のように吹き飛んでいった。え?
(な、なんだ、この威力!?)
自分の力に、自分で驚いてしまう。
7メードほど吹き飛ばされたキルトさんは、空中で猫のように回転し、音もなく着地する。
何事もなかったように、剣を構えた。
「どうした、来い」
「は、はい」
僕は自分に戸惑いながら、もう一度、斬りかかる。
トッ
軽い跳躍。
そのたった1歩で、僕の身体は、7メードの距離を詰められた。
(し、神狗って、凄い!)
感動しながら、剣を振る。
シッ
異常な速さの剣撃――かつて、キルトさんとイルティミナさんの稽古で見た、見えない剣の領域まで、僕の剣が到達していることを確信した。
カンッ
今度は、キルトさんも容易く弾く。
いつもと、弾く角度が違う。
暴力的な神狗の力を、完全に逸らされた。
(見える……)
その違いを、僕は、はっきりと目にした。
自分は何よりも、誰よりも速くなり、逆に、周りの世界は、じれったくなるほどに遅くなっていた。
(行ける!)
「いやぁあああ!」
僕は、全力で剣を振るった。
シッ ガッ カチッ キキィ ガチィイン
全ての剣が弾かれる。
でも、キルトさんの表情は、真剣そのものだ。余裕は見えない。
そして、僕の攻勢の前に、彼女は防戦一方だった。
(このままなら、彼女からも1本取れる!)
僕は歓喜した。
その瞬間だった。
スッ
僕の攻勢の合間をついて、彼女の剣先が、僕の喉元に向かってくる。でも、遅い!
ガツッ
僕は、思い切り弾いて、もう一度、剣を、
スイッ
また剣先が来た。
(しつこい)
弾かず、かわして、間合いを詰める。
そう動こうとした矢先、突然、キルトさんの剣の軌道が変わった。
(え?)
動こうとした僕の喉の先に、彼女の剣先が置かれた。
(う、わっ!?)
必死に首を捻って、回避する。
危うく、自分から、喉を突き刺しに行くところだった。
くそ。
もう一度、やり直し。
僕は再び、木剣で斬りかかろうとして、
スッ
「!」
地面と靴底で土煙を上げながら、緊急停止する。
…………。
キルトさんは、正眼に剣を構えていた。
でも、その剣先は、常に、僕の動こうとする先に置かれている。
僕の方が、速く動けている。
けれど、キルトさんは、剣先だけは僕の速度に追いつかせ、先回りをさせていた。
(……なんだよ、これ?)
速さも、力も、僕の方が上回っているのに、剣技だけでそれを抑え込まれている。まるで、いつもの僕の戦い方を、逆にやられている感じだ。
「どうした?」
「……っ」
静かなキルトさんの声。
ようやく気づいた。
圧倒的に上昇した僕の能力、けれど、それでも、目前にいる金印の魔狩人には、届いていない。否、身体的には追いついていても、中身の性能差で、完全に負けていた。
(う、く……っ)
悔しい。
ジリッ
キルトさんが間合いを詰める。
僕は、下がる。
さっきまでの攻勢は、どこへやら、僕は静かな彼女の迫力に、押し込まれていた。
「こんなものなのか、マール?」
「っっ」
キルトさんの軽い挑発。
でも僕は、まるで神狗アークインまで馬鹿にされた気がして、それに反射的に応じてしまった。
「う、わあああ!」
ドンッ
大地を蹴り、神速で突進する。
スッ
キルトさんの木剣の先が、進路を塞ぐ。
(構うな!)
左手を柄から離し、その木剣の先を鷲掴みにした。
メキッ
「ぬ?」
硬い木に、小さな指がめり込む。
そのまま彼女の木剣を横にずらし、今まで入り込めなかった間合いまで、ようやく踏み込んだ僕は、羽根のように軽い木剣を、右手一本で横から叩き込もうとした。
(もらった!)
今度こそ、1本。
そう思った瞬間、彼女の黄金の瞳が、ギンッと輝きを増した。
「ぬん!」
グオッ
僕の掴んでいた木剣が、神狗の腕力を上回る力で跳ね上がる。
(うわ!?)
ポォーン
指が抜け、驚く僕の身体は、凄まじい勢いで天高くに射出される。3階建ての屋敷の屋根が、眼下に見えた。
……えぇ?
(ま、まずい)
20メード以上の上空から、落下が開始した。
このままだと、頭から落ちる。
慌てていると、僕の狐みたいに長くフサフサした尻尾が、ヒュオンと動いた。あ、バランスが安定した。
(ん?)
地面を見ると、キルトさんが木剣を捨て、両手を広げていた。
僕を受け止めてくれるつもりなんだ。
でも、そのために彼女は、完全に無防備だ。そして、僕の右手には、まだ木剣がある。
――チャンスだ!
『神狗』の闘争本能が、激しく訴える。
(…………)
でも、空から見下ろすキルトさんの表情は、『絶対に僕を受け止めるのだ』という顔をしていた。
……うん、そうだよね。
全身の力を抜いた。
すると、ちょうど時間切れとなったのか、犬耳と尻尾が煙となって消えていく。
そうして、夕暮れの空に、一筋の白煙を残しながら、
ドフッ
20メードを落下した僕は、キルトさんの腕に、しっかりと抱きとめられた。
「無事か、マール?」
耳元に響く、優しい声。
僕の顔面は、キルトさんの胸の谷間へと、深く潜り込んでいる。いつも抱き枕にされるイルティミナさんの柔らかな胸よりも、少し弾力が強かった。
ちょっと恥ずかしい。
モゾモゾ
顔を出す。
至近距離で、白い美貌と見つめ合った。
「う、うん」
「…………」
キルトさん、少し驚いた顔をする。
「そ、そうか」
珍しく、頬をかすかに紅くして、彼女は、僕を地面に下ろしてくれた。
きっと僕も、同じ顔色だろう。
「マール!」
「ち、ちょっと、大丈夫なの?」
イルティミナさんとソルティス、他のみんなも心配して、稽古場へと入ってくる。
僕とキルトさんは、顔を見合わせる。
そして、笑った。
「ふむ。強くなったの、マール」
「ううん」
まだまだだよ。
最後の瞬間、彼女の発揮してみせた凄まじい力は、『神狗』のそれと比肩するものだった。つまり、それまでの彼女は、手加減してくれていたのだ。
何のために?
(決まってる。……僕のためだよ)
力と速さで上回る相手への戦い方、それを、しっかりと見せてくれた。
逆に、剣技で上回る相手に、どう戦うのかという課題も突きつけられた。
全ては、彼女の手のひらの上。
「キルトさんって、本当に凄いね」
「そうか」
僕の正直な感嘆に、彼女は、小さく笑い、
クシャクシャ
その金印の魔狩人の白い手は、僕の頭を、少し乱暴に、そして力強く撫でたのだった――。
◇◇◇◇◇◇◇
「――どこにも怪我はありませんね、マール?」
ペタペタ
心配性なイルティミナさんが、僕の身体をまさぐってくる。ち、ちょっと、くすぐったい。
「うん、大丈夫だよ」
笑いながら伝えると、彼女は、安心したように息を吐く。
「そうですか。……よかった」
「わ?」
ギュウッと抱きしめられた。
(心配かけちゃったかな?)
僕が20メードの高さから落下するのを目の当たりにして、優しい彼女は、とても恐怖したのかもしれない。その心を安心させるために、僕はしばらく、自分を彼女のされるがままにすることにした。
そんな僕らに苦笑しながら、キルトさんが声をかけてくる。
「マール。そなたの今の全力、確認させてもらったぞ」
「ん?」
「大したものじゃ。力も速さも、『魔血の民』と同等か、それ以上のレベルに達しておる。――時間制限付きとはいえ、もはや、肉体ハンディはなくなったの」
そ、そうなんだ?
(でも……うん、自分でも凄い力だと思ったもん)
子供の体格でしかない僕が、成人女性であるキルトさんを、一気に10メード近くも吹き飛ばしたんだもん。
もはや、一種の交通事故だ。
キルトさんは、言う。
「それを踏まえ、そなたには、これから2通りの稽古をしていってもらおうぞ」
2通りの稽古?
キルトさんの綺麗な指が2本、立てられる。
その片方を折り曲げて、
「1つ目は、今まで通りの稽古じゃ。今ある地力を、少しずつ高みへと運べ」
「うん」
僕は頷く。
それにキルトさんも頷いて、もう1本も折り曲げた。
「もう2つ目は、その『神狗』の力を解放した状態で、1つ目の稽古と同じ動きを真似してみせよ。3分間しっかりとじゃ」
同じ動きを?
「そうじゃ。今のそなたは、まだ自身の力に慣れておらぬ。力の違いに、振り回されておる。――はっきり言えば、雑なのじゃ。力を解放しておらぬ時の方が、良い動きをしておる」
「…………」
「力を解放しても、それを制御し、同じ動きができるように鍛えよ」
僕は、自分の両手を見つめる。
確かに『神体モード』の時は、凄まじい力が出せた。
でも、半面、それに戸惑ってもいた。
(完璧に制御できない今のままだと、その力は、諸刃の剣になるんだね?)
『神体モード』でも、『通常モード』と同じ動きができるようにならないと、きっと紙一重のような実戦では、使い物にならないんだ。
ギュッ
僕は、拳を握った。
「わかった。がんばる」
キルトさんを見つめて、はっきりと答えた。
師匠は満足そうに「うむ」と頷く。
でも、僕を抱きしめるイルティミナさんは、ちょっと不安そうだった。
1歩間違えれば、墜落死するような状況を見たばかりだから、これからの稽古も凄く心配しているみたいだ。
(ごめんね、イルティミナさん)
だけど、僕は強くなりたいんだ。
「じゃあ、キルトさん。今度は、今の状態の僕と稽古してくれる?」
「うむ、よかろう」
頷き、キルトさんは、僕を抱く彼女を見た。
パーティーリーダーの視線を受け、イルティミナさんは、僕から渋々と離れていく。
僕は、木剣を構えた。
「行くよ!」
「うむ、いつでも来い」
木剣を肩に担いで、不敵に笑い、空いている手で手招きするキルトさん。
タンッ
夕暮れに染まった中庭で、僕は再び、金印の魔狩人に挑みかかっていった。
◇◇◇◇◇◇◇
日が落ちるまで、稽古は続いた。
僕がキルトさんと稽古している間、他のみんなも触発されたのか、それぞれに稽古をし始めた。
「どれ! 鬼娘の仲間の実力、見せてもらおうか!?」
「…………」
ダルディオス将軍は、なんと銀印の魔狩人イルティミナさんと戦い始めた。
将軍さんの手にあるのは、木剣。
対して、イルティミナさんの手にあるのは、木槍――使い慣れた槍だった。
キルトさんとの戦いでは、いつも木剣だった。
槍で稽古をする姿は、僕も、初めて目にする。
そして見せられた姿は、やっぱりとんでもなかった。
「ぬっ!?」
「シィ!」
ガッ ゴキッ カシュ ガギィン
神速の攻防。
銀印の魔狩人イルティミナ・ウォンは、キルトさんと同格と思われるアルン最強の将軍様と、なんと互角に戦ってみせたのだ。
しかも、3本に1本は、彼女が勝ってしまっていた。
これには、将軍さん自身だけでなく、フレデリカさんや周りにいる全員、酷く驚いた。
キルトさんだけが、納得の顔である。
「なるほど。さすが、武の国シュムリアだ。――良き後継者が育っておるな、鬼娘? がっはっはっ!」
将軍さんは、大笑い。
なんだか、とっても嬉しそうだ。
(さすが、イルティミナさん!)
僕も、ちょっと誇らしかった。
でも、褒められた当の本人のイルティミナさんは、「どうも」と応じて、澄ました顔でいる。なんか、ただのお世辞だと思ってる感じ。
……将軍さんの言葉は、本心だと思うんだけどな。
ちなみに、ソルティスは、ダルディオス将軍の娘のフレデリカさんに、剣を教わっていた。
「握る時は、小指からこうやって……」
「ふんふん?」
生真面目なフレデリカさんは、先生に向いている感じだった。
ソルティスも、素直に教えを受けている。
(……っていうか、剣の握り方って、そんな初歩も知らなかったの?)
ちょっと呆れた。
でも、それなのに、丸太で殴られたみたいな威力の剣を振れる少女は、凄まじいと思った。
さすが『魔血の民』、恐るべし。
他にも、シュムリア騎士さん3人も、一生懸命、稽古場で汗を流していた。
3人とも、凄くいい表情だ。
やがて、日も落ちて、
「よし、今日の稽古は、ここまでにするぞ」
金印の魔狩人の声によって、屋敷に響き渡っていた剣戟の演奏会は、ようやく終了を迎えたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
「――そんなわけで、僕、負けちゃってさ」
その夜の夕食時、僕は、ラプトとレクトアリスのいる客室を訪れて、今日1日の出来事を話していた。
僕ら3人の前には、光る水の入ったグラスがある。
そう神の食事である『神水』――『癒しの霊水』だ。
同じ『神の眷属』同士、僕らは3人で、楽しい夕食会を開いているのである。
ちなみに、ここに来る前に、僕は、イルティミナさんたちとも夕食を、ちゃんと一緒に取っている。でも、ラプトとレクトアリスとの親交を深めるために、それを早めに切り上げて、こちらにも顔を出しているのだ。
その時のイルティミナさんは、ちょっと名残惜しそうな顔だったけれど、
(でも、仕方ないよね?)
僕は、この『神の眷属』の2人と、彼女たちも含めた人間たちの間を、いつか取り持ちたいと思っている。
だから、イルティミナさんには、我慢してもらおう。
……本当は、僕だって少し寂しいんだけどね。
ま、そんなわけで、今の僕は、2人と楽しい夕食タイムを過ごしている最中なのである。
ゴクゴク プハッ
(あ~、美味しい)
アルドリア大森林の塔以来、久しぶりの『癒しの霊水』だけど、やっぱり甘くて美味しいね。
おかわりも、3杯目だ。
そのおかげで、ついつい上機嫌な僕は、笑いながら言う。
「いや、本当にキルトさんって、凄いんだ~。しかも、美人で格好いいし」
「さよか」
「そう」
でも、2人は対照的に、渋い顔。
(ん?)
ラプトは、複雑そうに言う。
「さっきから自分、人間の話ばかりやな」
「…………」
レクトアリスも、弓みたいな細い瞳で、不満そうに僕を見つめている。
「しかも、人間に負けたっていうのに、嬉しそうに……」
「…………」
「アークインには、ううん、マールには、『神の眷属』としての誇りがないの?」
え~と?
「みんな、いい人だよ?」
「…………」
「…………」
聞き返す僕に、2人は、盛大なため息をこぼす。
「ええい、人間の話題は、やめや、やめや! 飯が不味ぅなる!」
グビグビ プハアッ
ラプトは、グラスの中身を一気飲み。
(おぉ、いい飲みっぷりだね?)
僕は、光る水の入ったボトルを、空になったグラスに傾けた。
「はい、ラプト」
「お? すまんな、マール」
嬉しそうなラプト。
「レクトアリスは?」
「いただくわ」
「うん」
僕は、彼女のグラスにも、『癒しの霊水』を注いでいく。
「ほら、マールも飲んで?」
「わ、ありがと」
ボトルを受け取ったレクトアリスが、僕のグラスにも注いでくれる。
嬉しいなぁ。
「じゃあ、かんぱ~い」
「乾杯や」
「乾杯ね」
チチィン
3つの光るグラスをぶつけ合い、一気にあおる。
(ん、甘~い)
幸せである。
懐かしい塔での暮らしの記憶と共に、味わう甘さ。
「今日まで、色々あったもんなぁ」
「さよか~」
「私たちと違って、マールが転生した先は、樹海の奥だったんだものね」
うん。
ちなみに、2人が召喚されたのは、神帝都から遠く離れた山奥の寺院だったんだって。
でも、僕のいた無人の塔と違って、まだ管理する人たちが残っていたんだそうだ。
(ちょっと羨ましい……)
だけど、そういう状況だったからこそ、僕はイルティミナさんに出会えたし、森の外まで一緒に連れて行ってもらえたのかな?
そう考えたら、あの環境も悪くなかった、と思えた。
(いや、むしろ幸運だったよね)
うんうん。
「色々大変だったけど、でも、楽しかったよ」
僕は笑う。
ラプトとレクトアリスは、感心したように僕を見ていた。
「自分、強いなぁ?」
「そうね。……私がその状況だったら、人間をより呪っていたわ」
「あはは」
レクトアリスの冗談に、僕はまた笑って、グラスをあおる。
そうして、3人で『癒しの霊水』を飲みながら、今日、観光してきた神帝都アスティリオの話や、自分が妖精鉄の剣と鎧を買ったことで、まだ1万リド(100万円)以上の借金があることなど、他愛ない話を、時間も忘れて続けていた。
やがて、ふと窓の外に見える、紅白2つの月の位置に気づく。
「あ。もう、こんな時間なんだ?」
すでに23時を過ぎている。
僕は、慌てて、帰り支度をし始めた。
「なんや、もう帰るんか?」
「せっかくなんだし、今夜は、泊まっていきなさいよ?」
ラプトは驚き、レクトアリスは、自分たちの大きなベッドを示す。
僕は、困ったように笑って、
「ごめんね? 僕、抱き枕にならないといけないから」
と答えた。
2人は『……抱き枕?』と唱和して、聞き返してくる。
「うん。さっき話した、森で僕を助けてくれた、イルティミナさんっていう女の人。最近、あの人が寝る時は、僕が抱き枕にならないといけない感じでね。だから、もう行かないと」
「…………」
「…………」
今夜は遅くなって、イルティミナさん、待ち侘びてるかな?
心配する僕のことを、2人は、なぜか胡乱な目で見つめてくる。
「……マール。……自分、マジか?」
「……私たちの憧れである『ヤーコウルの神狗』を『抱き枕』って、その人間も、いったいなんなの!?」
???
「2人とも、どうしたの?」
なんだか、憤っていらっしゃる。
キョトンとする僕に、2人は痛ましげな表情だ。
そして、何か覚悟を決めた顔になると、僕の両手を、それぞれに握ってくれる。
「安心せい、マール」
「そんな不敬な人間たちには、私たちから、ちゃんと言い聞かせてあげるから」
ん?
「もしかして、2人とも、みんなに会ってくれるの?」
驚く僕。
ラプトもレクトアリスも、大きく頷いた。
「もちろんや!」
「明日、その人間たちと決着をつけてあげるわ」
人間嫌いで、交流すること自体を避けていた2人が、まさか自分たちからこう言ってくれるなんて。
(あは、嬉しいな)
間を取り持とうとしていた僕の心が、2人にも通じたのかな?
「ありがとう、ラプト、レクトアリス!」
「構へん」
「もう大丈夫だからね、マール」
ギュッ
僕ら3人は、お互いの手を握り合う。
こうして僕は、2人の『神牙羅』たちから約束を取り付けて、意気揚々と客室をあとにする。
――もちろん、その夜も、ちゃんとイルティミナさんの抱き枕になってあげた。
うん、幸せだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、3日後の月曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




