105・語られる罪と光
第105話になります。
よろしくお願いします。
ラプトとレクトアリスの客室を出た僕は、その廊下の先で待っていてくれた執事さんに案内されて、応接室へと連れて行かれた。
中には、みんながいた。
イルティミナさん、キルトさん、ソルティス、ダルディオス将軍、フレデリカさん――その5人が、豪華なソファーに座って、細長いテーブルを囲んでいる。
そして、扉の開閉によって、5人全員の視線がこちらに向いた。
「マール!」
誰よりも早くイルティミナさんが立ち上がり、駆け寄ってくる。
ムギュッ
いつもの抱擁。
(……あぁ、嬉しいなぁ)
その温もり、その匂い、この大好きな人の全てが全身で感じられる。それは、とても心地好くて、安心感があった。
僕の手は、無意識に、彼女の背中に回っていた。
抱きしめると、より密着感が増す。
「ただいま、イルティミナさん」
「おかえりなさい、マール」
甘い声が耳元へ囁かれ、白い指に優しく髪を撫でられる。
……幸せ。
イルティミナさんの肩越しに、他の仲間2人の顔が見えた。
ソルティスは、こっちを見ていた。
でも、その頬がリスのように膨らんでいて、ムグムグ動いている。その前のテーブルには、食べかけのケーキと、何枚も積み重なったケーキのお皿があった。
ゴックン
大きく喉が動いて、頬が元に戻った。
「おかえり~、ずいぶん遅かったじゃない?」
「……ただいま」
君は、本当に相変わらずだね?
つい苦笑が漏れる。
キルトさんも、それを見て苦笑していた。
でも、すぐに表情を改め、
「お疲れ様じゃったの、マール」
こちらを見つめて、労いの言葉をかけてくれた。
僕は、小さく笑った。
「うん。実は、ちょっと疲れた」
「そうか」
キルトさんは、心配そうな顔になる。
熊みたいに大きなダルディオス将軍が、そんな僕らに、年齢を感じさせない張りのある声を投げかけた。
「それで、神狗殿? 首尾はどうじゃった?」
同じ『神の眷属』との対話、その成果を問われているのだろう。
フレデリカさんも、言葉にはしないけれど、その表情は同じことを気にしている様子だった。いや、キルトさんやソルティスも、表面上はいつも通りだけれど、内心は違うのかもしれない。
(そのために、僕らは、このアルン神皇国まで来たんだもんね)
1ヶ月半も時間をかけて。
僕は、イルティミナさんから、身体を離した。
「大丈夫なのですか? 疲れているのなら、話は後日でも……」
唯一、彼女だけは、僕の体調優先である。
(ありがと、イルティミナさん)
心が温かくなって、疲れも吹き飛び、逆に、元気を貰った感じだった。
僕は「大丈夫」と笑って、みんなに向き直る。
そして、2人の『神牙羅』と話した内容を、全員に伝えることにしたんだ――。
◇◇◇◇◇◇◇
1時間ほどで話が終わっても、しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて、ポツリとフレデリカさんが言った。
「……300年前に、まさか、我ら人間が、そのような愚かな真似をしていたとはな」
「うむ……」
ダルディオス将軍も、太い腕を組み、目を閉じている。
「人形のようだと思えたあの態度、ワシらを見ていなかったあの眼差し、理由を聞けば、なるほど……そうあっても仕方なく思えるわい」
とても苦そうな声。
将軍さんの中では、あの2人の『神の眷属』の自分たちへの態度に対して、色々と思う部分が、これまで少なからずあったのだろう。けれど、こうして理由を知った今、少しだけ、その部分が氷解したように思えた。
キルトさんやソルティスも、難しい顔だ。
隣のソファーに座るイルティミナさんの真紅の瞳も、かつて、同じ目に遭わされたであろう僕を、痛ましげに見つめていた。その白い手が、労るように僕の髪を、ゆっくりと撫でてくれる。
その温もりに支えられながら、僕は言った。
「それでも、2人は、人間への協力を約束してくれたよ」
「そうか」
ダルディオス将軍は、頷いた。
「執り成して頂いたマール殿には、感謝せねばならんな」
「ううん」
僕は首を振って、
「でも、口ではそう言えても、感情の整理は、まだついてないみたいなんだ。もう少し時間をかけないと、難しい部分もあると思う。だから、みんなも、あの2人と接する時には、どうかもう少しだけ、広い心でいてやってください」
そう言って、みんなに頭を下げた。
「や、やめてくれ。マール殿が頭を下げる必要はないっ」
フレデリカさんが慌てている。
一方で、キルトさんたちは、大きく頷いた。
「わかった。マールの言う通りに、気をつけよう」
「はい」
「ちぇ、しょーがないわね」
ソルティスは、口だけは嫌そうに言う。
(でも、この子は、根が優しいから大丈夫だよね)
僕は、みんなの答えに安心して、笑った。
「ありがと、みんな」
「礼を言うのは、ワシらの方じゃろうが」
ダルディオス将軍は、困ったように言う。
「貴殿がおらなんだら、『神の眷属』と人類との関係は、より壊れていたかもしれんわい。……ひょっとしたら、マール殿のおかげで、我ら人類には希望が残されたのかもしれんの」
また大袈裟な……。
フレデリカさんなんて、父親の冗談を真に受けて、真剣な表情で頷いていたりするよ。
僕は、適当に笑って、受け流した。
「とりあえず、『神武具』を求めて『大迷宮』に潜ることは、2人とも協力できそうです」
「うむ」
頷く将軍さん。
と、そこでフレデリカさんが、美貌をしかめる。
「しかし、神々が残された『神武具』を大切に保管しようと、長年、アルン各地の遺跡から発掘して集めた行為が、まさか神々の意に反する行いであったとは……。正直、私は、自分たちの無知を恐ろしく思う……」
うん……。
(思いっきり、裏目だったもんね)
信仰心と善意から行ったとはいえ、結果として『神武具』は死んでしまったし、今、人類にとっての痛手になっている。
まさに、無知は罪なり、だろうか。
ソルティスが、ぼやくように言う。
「『大迷宮』からは、生きてる『神武具』が見つかるといいわね」
「そうだね」
僕も、頷いた。
今はもう、それを祈るしかない。
なんだか、部屋の中が静かになってしまった。
う~ん?
(そうだね。ちょっとは、明るい話題も報告しないと)
僕は、意を決する。
「そうそう。みんなにもう1つだけ、伝えたいことがあるんだ」
「伝えたいこと、ですか?」
不思議そうなイルティミナさん。
「うん」
頷いて、僕は、ソファーからピョンと立ち上がる。
そのまま、みんなの前に立って、
「実は僕、ちょっとだけ『神狗』の力を、取り戻しました」
「……え?」
「なんじゃと?」
「は?」
驚く5人。
みんなを見つめ返して、僕は、ちょっと悪戯っぽく笑った。
そして、体内にある『神気の蛇口』を少し開く。
ギュオッ
あ、熱い、熱い!
体内に駆け巡る、溶岩のような強烈な力。
頭とお尻が、ムズムズする。
(も、もういいかな?)
すぐに蛇口を締める。
そうして、驚くみんなの眼前には、犬耳と尻尾を生やした僕が立っていた。さっきより流す量を多くしたからか、全身が少し光っている。
「マ、マール!?」
「なんじゃ、その姿は……っ?」
「な、何よそれ!?」
3人とも、いい反応をしてくれる。
ダルディオス将軍とフレデリカさんも、親子で同じ色の瞳を大きく見開いて、僕を凝視していた。
「どう?」
僕は、得意げである。
「実は、ラプトとレクトアリスに、僕の中に眠ってた『神気』を解放してもらったんだ」
「……ほう?」
キルトさんは、黄金の瞳を細める。
「ずいぶんと、大きな力を得たようじゃな?」
「うん」
僕は、ギュッと拳を握る。
パシッ パシシッ
手の周囲で、放散される『神気』が弾けて、小さな火花を散らす。
それを見て、キルトさんは笑った。
「なるほど。これは、稽古のし甲斐がありそうじゃのぅ」
「…………」
おお……。
今のキルトさんの表情、獲物を見るみたいで、ちょっと怖かった。
(お、お手柔らかにね?)
心の中で訴えておく。
と、眼鏡少女のソルティスが、興味津々の表情で、こちらに近づいてくる。眼鏡の奥の紅い瞳は、好奇心にキラキラと輝いていた。
「へ~? マール、耳と尻尾、生えたんだ?」
「うん」
「ね? 触っていい?」
もちろん。
許可すると、彼女は「やった♪」と嬉しそうだ。
僕も、ほっこりする。
と思ったら、
「わっ!」
ぎゃっ!?
突然、犬耳の近くで叫ばれた。
悲鳴をあげる僕。
尻尾も、クルンと内腿の間に入ってしまう。
みんなも驚いた顔だ。
「ふんふん? ちゃんと、こっちの耳でも聞こえるんだ?」
「…………」
ソルティスは当たり前の顔をして、手にしたメモに、何やら書きこんでいく。
え、ええ?
(いきなり研究なの?)
さ、さすが天才少女様だ。
ギュッ
「ひっ!? い、痛い、痛い!」
尻尾を、思いっきり掴まれた。
「ほうほう、神経も繋がってるのね。でも痛覚以外にも、何かあるのかしら?」
「ちょ、や、やめて!」
お願いだから、もっと優しくしてよ。
尻尾を乱暴に引っ張られた僕は、涙目で少女の手から尻尾を引っこ抜き、イルティミナさんの背中に大慌てで避難する。
ソルティスは、とっても不満顔だ。
「ちぇ~。あとで、ちゃんと調べさせてよ?」
「…………」
ソルティス、恐ろしい子。
僕は震えながら、メモを取りながらソファーに戻る少女を見送った。
(ほ~)
安心していたら、ふと抱きついているイルティミナさんの視線に気づいた。
ん?
僕を見下ろす真紅の瞳は、なんだか熱に浮かされたように潤んでいて、妙な光が灯っている。
「…………」
「???」
イルティミナさん?
不思議に思っていると、彼女は、震える声をこぼす。
「マール……貴方は、どれだけ可愛くなる気ですか? ……もしかして、私の忍耐力を試しているのですか?」
…………。
えっと。
なんだか、妙な迫力を感じて、身を離した。
イルティミナさんは、両手を強く握りしめていて、何かに耐えているように、全身が小刻みに震えていた。
「……その姿は、とても危険ですよ、マール? 私の前に立つ時は、どうか気をつけてください」
「う、うん」
その抑え込んだような低い声に、背筋がゾクゾクした。
と、
シュオオ……
時間切れで、犬耳と尻尾が煙となって、消えていった。
(あ……よ、よかった)
ちょっと安心。
「なんじゃ、消えてしまったの?」
「あ、うん」
拍子抜けした顔のキルトさんに、僕は頷いた。
「今の僕は、もうほとんど人間の肉体だから、『神狗』の姿でいるのも3分が限界なんだって。それ以上だと、身体が崩壊するかもって」
そう説明する。
ソルティスさん、すぐに「へ~、そうなんだ」とメモ用紙に筆を走らせている。
男装の麗人フレデリカさんは、元に戻った僕に、酷く残念そうな顔だ。
軍服の白い手袋が片方だけ脱げていて、なんとなく、その手がこちら側に半分伸びかけていたのは、ひょっとしたら、僕の耳と尻尾に触りたかったのかもしれない。
その隣の父、ダルディオス将軍は、大きく頷いた。
「どうやら今回の邂逅で、『神狗』殿にも得られるモノがあったらしいな。結構、結構! 今後に行われる『大迷宮の探索』においても、大いに期待できるではないか。がっはっは!」
彼は、満足そうに大笑い。
キルトさんが、あごに手を当て「ふむ」と頷いた。
「将軍? その『大迷宮の探索』とやらは、いつ行われる?」
「うむ、予定では、半月後だ」
半月も先?
「アルン軍の騎士団より、精兵300名が選ばれる。貴殿らと共に、『大迷宮の探索』に加わるつもりだ」
「ほう、そのための準備か」
「そうだ。無論、ワシとフィディも加わるぞ」
キルトさんは、全員の顔を見渡した。
「わらわとしては、できれば、この慣れた4人のみで行きたいがの」
僕、イルティミナさん、ソルティスの顔を見て、そう言ってくれる。
(……ちょっと嬉しい)
金印の魔狩人から、仲間だと認めてもらえている事実を再確認できて、素直に嬉しかった。姉妹も、どこか誇らしげな顔である。
ダルディオス将軍も、頷いた。
「編成の希望については、考えておこう」
「うむ」
「しかし、大迷宮はあまりに深く、危険だ。こちらの騎士団で、ある程度の露払いはさせてもらいたい。探索の進行具合に応じて、そなたの要望も踏まえて、人数は臨機応変に対応する――それでどうだ?」
「まぁ、よかろう」
キルトさんは、了承した。
アルン神皇国における最強と名高い将軍さんは、厳つい顔を険しくして、
「ことは、人類の存亡に関わる。失敗は許されんからな」
…………。
僕ら4人とフレデリカさんは、世界への責任という重圧を受けながら、それぞれに無言で頷いた。
と、将軍さんの巌のような顔が、綻んだ。
「まぁ、難しい話はこれぐらいにしよう! 『大迷宮の探索』までは、まだ日がある。それまで貴殿らは、ワシの屋敷でゆっくりと過ごされよ!」
パシン
膝を叩き、そう大声で宣言する。
そして彼の鋭い眼光は、金印の魔狩人へ。
「時に、キルト・アマンデス? 今晩、貴様には、ワシの酒に付き合ってもらおうか。7年前の雪辱、今日こそ晴らさせてもらおうぞ!」
「む?」
驚くキルトさん。
すぐにニヤッと笑った。
「よかろう、将軍。受けて立つ」
まるで獣のような獰猛な笑みをぶつけ合う2人。
僕らは、ちょっと唖然だ。
フレデリカさんは、父親の姿にため息をこぼしてから、改めて僕らに向き直った。
「そういうわけだ。今宵は、屋敷で、軽く宴の用意もしてある。どうか、戦いの始まるその日まで、ゆっくりと英気を養って欲しい」
「う、うん」
「そうですか」
「やった、ご馳走だわ!」
頷く僕とイルティミナさん、喜ぶソルティス。
嬉しそうな少女の姿に、フレデリカさんの硬質な美貌も、穏やかに笑った。
――そうして僕らは、しばらくの間、このダルディオス将軍のお屋敷で、束の間の平穏な日々を送ることになったのだった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、3日後の月曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




