104・神牙羅との邂逅2
第104話になります。
よろしくお願いします。
――気づいたら、僕は、草原に立っていた。
空は青く、高く、どこまでも澄み渡っている。
風は涼やかで、穏やか。
とても、美しい景色だった。
(……また夢を見ているのかな?)
そう気づいた。
と、ふと自分の手を見て、驚く。
(あれ? これ、マールの手じゃない)
そこにあったのは、光でできた大人の手だった。
見下ろした自分の身体は、全て、光で構成されていて、はっきりと輪郭を見ることはできない。でも、自分の中の懐かしい感覚が、これが前世の自分の姿なのだと教えてくれていた。
なぜ?
頭の中に、疑問が溢れていた時、ふと背後に気配を感じた。
振り返る。
(あ……)
そこに、1人の子供が立っていた。
柔らかい茶色の髪。
まるで眠っているみたいに細い、綺麗な青い瞳。
ゆるやかで穏やかな雰囲気の少年。
――それは、マールだった。
(いや、神狗アークインの方かな?)
彼は、こちらを見上げて、笑った。
見ている人を安心させる、不思議な笑顔だと思った。同じ身体であったとしても、僕には真似できない。きっと、これが本来の彼なんだろう。
『…………』
彼は、草原に座った。
ポンポン
隣を、小さな手で叩く。
(わかったよ)
アークインに促されるまま、光となった大人の僕は、そこに腰を下ろす。
あぁ、いい風だ。
アークインの茶色い前髪も、柔らかく揺れている。
彼も気持ちよさそうだ。
見えているのは、地平の果てまで続く緑の草原と、どこまでも広い青い空。
とても平和だ。
このまま、時間が止まってしまえばいいのに。
『…………』
アークインも笑って、頷いた。
その笑顔につられて、僕も笑ってしまう。
彼は、色々と話してくれた。
『……、…………、……』
でも、声が聞こえない。
少し残念だった。
だけど、彼は楽しそうに、時々、悲しそうに、また嬉しそうに、身振り手振りを交えて、一生懸命、話しかけてくれていた。
だから僕も、ずっと聞いていた。
不思議なもので、声が聞こえないのに、ちゃんと伝わってくるものがあったんだ。
(うん、うん)
僕らは、笑顔だった。
気がついたら、僕も、アークインに話しかけていた。
色んな話。
世界のこと、『闇の子』のこと、好物の料理のこと、イルティミナさんのこと、好きなこと、嫌いなこと、キルトさんやソルティスのこと、ここまでの冒険のこと、曖昧になってしまった前世のこと、色んな話題を、いっぱい、いっぱい話した。
彼も頷きながら、聞いてくれた。
共感をしてくれた。
不安や悩みへの答えも、しっかり教えてくれた。
逆に、諭されたりもした。
一生懸命に聞いて、答えてくれる彼が好ましかった。声が聞こえないのが、残念だ。伝わってくるものも、言葉じゃないから、記憶に残らないかもしれない。それも残念だった。
この夢から、醒めたくないな。
本気で思った。
でも、
(そういうわけには、いかないよね)
大切なあの人が、待っている。
アークインも頷いた。
そして僕らは、見つめ合った。
(…………)
『…………』
なんとなく、アークインとは、もう会えない気がした。
彼も気づいてる。
だから、こうして会いに来てくれたんだと思った。
(本当にいいの?)
コクン
彼は頷いた。
そして、その青い瞳が、僕の顔を見つめてくる。
そっちこそ、いいの?
そう問われている気がした。
なるほど、そっか。
アークインが消えてしまうように、今の僕も消えてしまうのかもしれない。でも、大丈夫。
(僕はもう、生まれ変わったつもりだったから)
彼は頷き、笑った。
小さな右手を差し出される。
僕の大人の光の手は、それをしっかりと握った。
ギュッ
幼く、温かい手。
転生してから今日まで、ずっと使ってきた手だ。
それが、光を帯びる。
アークインの身体が、真っ白な光に包まれた。
目が眩む。
『…………』
アークインが、何かを言った。やっぱり聞こえない。
でも、僕も答えた。
(ありがとう。これからも、よろしくね)
光の彼が、また笑った気がした。
――そして、繋いだ僕らの光の手が、ゆっくりと溶けていく。
(あぁ……)
ずっと混ざっていた僕ら。
その境界が、本当の意味でなくなっていく。
僕らは、1つの光になっていく。
草原も、空も、その輝きに照らされ、やがて見えなくなっていった。世界は、まるで生まれ変わる直前に見たように、真っ白になっていた。
その時、ふと誰かに呼ばれた気がした。
(うん……もう、起きなきゃね)
そう思った。
1つの光となった僕らは――僕マールは、そうして、ゆっくりと目を覚ました。
◇◇◇◇◇◇◇
「――起きたか、マール?」
最初に見えたのは、間近にある金髪碧眼の美少年――ラプトの顔だった。
その額にあった角は、今はもう消えている。
奥には、レクトアリスの姿もある。
「よかったわ」
安堵の吐息をこぼす彼女。
その白いおでこにあった、第3の瞳も、すでに閉じられていた。
どうやら僕は、まだベッドに寝ているようだった。
ゆっくりと上体を起こす。
「大丈夫か?」
「気分が悪かったり、どこか痛かったりしない?」
2人の心配そうな声。
僕は、首を振る。
「ううん、大丈夫」
そして、2人の手を見た。
僕と繋いでいてくれた手は、僕の爪が裂いてしまったようで、少し血がこぼれていた。
「ごめん、ラプト、レクトアリス」
謝る僕の視線に気づいて、2人は笑った。
「構へん」
「こんなの、傷の内に入らないわ」
そして、こちらに向けられた手が突然、光を放つと、そこにあった裂傷が消えていく。
(わおっ?)
ずっと『癒しの霊水』だけを食してきた影響なのかな?
まるで、その『癒しの霊水』をかけられたように、2人の傷が治っていた。
もし僕も、2人と同じようにずっと『癒しの霊水』だけを飲んでいたなら、こういう肉体に変化していたのかもしれないね。
驚く僕に、レクトアリスが問う。
「一応、神気の経絡は、開いたけれど……どうかしら?」
「うん」
僕は、頷いた。
実は、目覚めてからずっと、自分の肉体の変化を感じていた。
(身体の奥に、物凄い力を感じるよ)
今まで使っていた魔力は、温かなお湯だった。
でも『神気』は、まるで灼熱のマグマのようだった。
しかも、僕の体内にあった魔力の量がコップ1杯だとするなら、この神気の量は、広大な湖みたいな量である。
そして今、そこに2つの蛇口がついている感覚だ。魔法を使う時には、どちらの蛇口を開くか、自由に決められる感じ。
(これは、凄いな)
ちょっと『神気の蛇口』を開いて、体内に巡らせる。
熱い、熱い!
慌てて、閉じた。
でも、それだけで、全身から炎が立ち昇るような感覚で、力が溢れてくる。
「お?」
「あら?」
ラプトとレクトアリスが、驚きの声をあげた。
2人の視線が、僕を凝視してくる。
(? ……なんか、頭とお尻がムズムズする)
思わず、その感覚に、身体を揺らしていると、
「さすがやな、マール。もう力を解放できるんか」
「え?」
(……力?)
ラプトの感心した声に、キョトンとする僕。
すると、レクトアリスが怪訝そうに問う。
「気づいてないの?」
「……何に?」
2人は、微妙な表情で、互いの顔を見合わせた。
(???)
「マール、ちと、こっち来い」
困惑する僕の手を、ラプトの手が引いて、僕はベッドから降ろされる。そのまま、部屋に用意されていた姿見の鏡の前に連れてこられた。
「ほれ」
「…………」
鏡の中に、犬耳と尻尾の生えた子供が、突っ立っている。
……え?
何これ?
髪と同じ、茶色い耳に触る。
(か、感触が、ちゃんとある……)
尻尾も1メートルぐらいの長さで、まるで狐みたいな、茶色のモフモフだ。
「え、えぇえええっ!?」
グルグル
思わず、鏡の前で、自分の尻尾を追いかけるように回転してしまう。
2人が苦笑した。
「自分、落ち着けって」
「大丈夫よ。それが『神狗』としての、本来の姿なんだから」
ほ、本来の姿?
(これが!?)
獣人みたいな自分に、困惑する。
いや、確かに『神の狗』だけどさ。
「ワイの角や、レクトアリスの3つ目と一緒や。神気を肉体に流すことで、『神体』に変化できるんや。身体強化や特殊能力を発揮できるんやで」
「そ、そうなんだ?」
さすがに驚いた。
(ん?)
あ、すぐに『神気』の蛇口を閉じたせいか、犬耳と尻尾が、シュワアア……と白い煙をあげて消えていく。
元の姿に戻った。
ほ~、ちょっと一安心だ。
そんな僕を、レクトアリスは、また第3の目を開いて、紅い光で照らしながら見つめてくる。
「ん、なるほどね」
「え?」
「やっぱり、マールの肉体は、神饌以外を食し続けた影響で、だいぶ変質してるわ。『神体』でいるのは、3分ぐらいが限界かしら。それ以上の時間だと、肉体の方が崩壊するかもしれないわね」
そ、そうなの?
(3分だけの強化モードって感じかな?)
ラプトが、彼女に聞く。
「今からマールにも、神饌だけを摂取させたら、どうなんや?」
「無理ね」
艶やかな紫の髪を揺らして、首を横に振る。
「今の状態で、マールの肉体は安定している。多分、これ以上の変質は、何をどう食べていこうと起きないわ。――彼はもう、ほとんど人間なのよ」
「……さよか」
少し寂しそうなラプト。
僕は、笑った。
「でも僕としては、今までと変わらないよ。ううん、むしろ強化してもらったんだ。ありがとう、ラプト、レクトアリス」
「……マール」
「ううん、どういたしまして」
ラプトは切なそうな顔をして、レクトアリスは、大人らしく微笑んだ。
「でも、気をつけて」
「ん?」
「神気の経絡は、使わなければ、また閉じていくわ。1日1回は、神気を流して、道を開いておいてあげて」
なるほど。
「わかった。……また痛い思い、したくないし」
「そうね」
彼女は苦笑する。
(それにしても、『神体モード』かぁ)
自分がまさか、変身できるようになるとは思わなかったよ。いや、耳と尻尾が生えるだけなんだけどさ。
(……ん? 尻尾が生えた?)
気づいて、僕は、手を伸ばす。
「あ、あああ!?」
ビククッ
思わず、突然の大声をあげてしまった僕に、2人は驚き、硬直する。
「な、なんや!?」
「どうしたの?」
何事かと、緊張した面持ちでこちらを見る『神牙羅』の2人。
僕は、2人に泣きそうな顔を向けた。
「し、尻尾のせいで、お尻のズボン、破けちゃってる……」
「…………」
「…………」
数秒の沈黙。
そして、2人の弾けるような爆笑が、客室内に響き渡った。
な、なんだよ、もう!
◇◇◇◇◇◇◇
ズボンの穴は、上着の裾に何とか隠れてくれたけれど、
「ごめんて」
「笑って、悪かったわ」
ふてくされる僕に、2人は笑いを収めて、必死に謝る。
「もう数少ない『神の眷属』同士なんや。……な? 堪忍してや?」
ラプトが、顔の前で両手を合わせて、言う。
……もう。
(そういう言い方は、ずるいよね)
僕は、大きく息を吐く。
「わかったよ」
「さすが、マールや! おおきに」
ラプトは大袈裟に喜び、レクトアリスは苦笑しつつ、「ありがと」と言う。
(調子いいなぁ、まったく)
僕も苦笑して、とりあえず、気を取り直す。
そして、ソファーに腰かけ、向かいのソファーに座る2人に訊ねてみることにした。
「でも、数少ないっていうけど、具体的には『神の眷属』って、今、どのくらいの人数なの? この世界に来てるのも、僕ら3人だけみたいだけど」
「そやなぁ」
ラプトは、難しい顔で腕組みした。
「300年前の『災厄の戦い』ん時は、100人以上はいたんや。けど、8割方、人間たちの砲撃に殺されよったしな」
「……じゃあ、20人ぐらい?」
思ったより、少ない。
レクトアリスも、艶やかな髪を撫でながら、言う。
「今回の召喚に応じなかった『神の眷属』は、結構、多いのよ。それと、その眷属の主人である神様の方で、引き留める場合もあったようだわ」
「…………」
そっか。
でも、300年前の人間のしたことを思えば、仕方ないのかもしれない。
「今回、人界に来たんは、ワイらも含めて、10人ぐらいやないか?」
300年前の10分の1か。
(思った以上に、厳しい状況だね)
そこに、レクトアリスが、重く付け加える。
「あとは、マールの報告にもあったように、『闇の子』に先手を打たれて、殺されている可能性もあるわ。……私たち以外、もう本当に生き残ってないのかもしれない」
「…………」
「…………」
冷たい沈黙が、客間に落ちる。
(3人だけ、か)
絶望が、僕らの心に、重く圧し掛かる。
それを振り払うように、ラプトが明るい声で、突然、こんなことを口にした。
「そういえば、マール?」
「ん?」
「シュムリア王国の方には、もう1人、『神の眷属』が召喚されたみたいやないか? 自分、会ったことないんか?」
え?
レクトアリスも、僕を見つめた。
「1ヶ月以上も前だけれど、私たち、『お告げの夢』を見たわ。貴方は見なかったの?」
「お告げの夢?」
キョトンする僕。
「闇の世界に、天から『光の星』が落ちる夢よ」
そういえば、見た気がする。
(あれは……金印の魔学者コロンチュード・レスタさんの大樹の家に、お泊まりした日の夜だっけ)
あの不思議な夢は、『神の眷属』が召喚された『お告げ』だったんだ。
ラプトが言う。
「星の落ちた場所は、位置的に、間違いなくシュムリア王国のはずや。きっと、マールの近い場所に召喚されたはずやで?」
そうなんだ?
「ごめん。夢は見たけど、会ってないよ」
「……さよか」
「そう」
2人は、ちょっと落胆した様子だった。
僕は、言う。
「シュムリアの王女様に、手紙を書くよ。きっと、すぐに探して保護してもらえると思う」
「せやな」
「えぇ、そうしてもらった方がいいわ」
うん。
(なんとか『闇の子』よりも先に、見つけてもらわないと!)
僕自身は不完全な『神狗』だけれど、それでも、もうこれ以上、『神界の同胞』たちには死んで欲しくない。
その時、ふと窓の外を見たら、もう夕暮れだった。
ずいぶんと長話をしていたようだ。
「もうこんな時間なんだ? ――ラプト、レクトアリス。僕は一度、今の仲間が心配しているだろうから、そっちに戻るよ」
「なんや、つれないな」
「今夜は、ここに泊まっていったら?」
不満そうに唇を尖らせるラプト。
レクトアリスも、大きなベッドを見ながら、そんなことを言う。
僕は、申し訳なさそうに笑った。
「ごめんね。でも彼女たちも、今の僕にとって、大切な仲間なんだ」
「…………」
「…………」
2人は、ため息をこぼした。
「わーった」
「そう」
「……2人も一緒に来る?」
そう言ったけれど、首を横に振られてしまった。
「今はええわ」
「そうね。……人のために戦うと決めたけど、まだ感情の整理がつかないもの」
そっか。
僕は頷き、ソファーから立ち上がった。
「わかった。2人のこと、みんなには僕から伝えておくよ」
「好きにしや」
「わかったわ」
素っ気ない返事だけれど、許可は得た。
(すぐには無理でも、少しずつ、2人もみんなと仲良くなってくれれば、いいな)
そのためには、僕が橋渡し役をしないと。
うん、がんばろう。
「また、ここに遊びに来るよ」
「おう」
「待ってるわ」
僕の言葉に、2人は嬉しそうに笑ってくれた。
こちらも笑顔を返す。
そうして僕は、薄暗い客間のソファーに座って、淡い光を放つ2人の『神牙羅』に見送られながら、夕暮れの部屋をあとにした――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。よろしくお願いします。
※小説と関係ありませんが、新生したサッカー日本代表は、なんだか凄くワクワクします!




