010・魔狩人と夜紫光
第10話になります。
よろしくお願いします。
「――これは『癒しの霊水』ですね?」
光る水面に反射するイルティミナさんの唇は、そう呟きを紡いだ。
それは、僕らが無事に、塔へと帰ってきたあとのことだ。
外はもう夕暮れで、遅めの昼食、もしくは、早めの夕食を用意しなければと、僕は、唯一のおもてなしのご馳走である『光る水』を、木製のお椀に入れて、彼女に差し出したのである。
その時に返ってきた第一声が、それだった。
「癒しの霊水?」
僕は、お椀を持ったまま、キョトンと彼女を見つめ返す。
彼女は、小さく笑って、頷いた。
「知りませんでしたか? これは『回復魔法の力を宿した水』なんです。たまに古いダンジョン遺跡や、人里離れた辺境の自然などで湧いていることがあるのですが、冒険者たちには、とても重宝される品なのですよ」
「へ~?」
「しかし、まさかアルドリア大森林の深層部にもあるとは、思いませんでした。――ありがとう、マール。いただきますね?」
「うん、召し上がれ」
どうぞ、どうぞ、とお椀を渡す。
受け取ったイルティミナさんは、真紅の瞳を伏せて、その桜色の唇をお椀に触れさせる。
コクコク
白い喉を鳴らして飲む姿は、どことなく上品だ。
やがて、「ふぅ」と色っぽく息を吐いてから、彼女は、僕へと笑いかけた。
「美味しいです」
(よかった)
僕も笑って、自分のお椀に口をつける。ゴクゴク……うん、やっぱり甘くて、最高だ!
ゴクゴク ゴクゴク……
いつものように、僕は何回もおかわりする。
イルティミナさんは、そんな僕の様子をしばらく眺めていたのだけれど、ふとこんな言葉を口にした。
「マールは……ずっと、こうやって暮らしていたのですか?」
(ん?)
僕は、食事の手を止める。
イルティミナさんは、僕を真っ直ぐ見つめて、
「もしよろしければ、私にもう少し、マール自身のことを教えてもらえませんか?」
「僕自身?」
彼女は「はい」と頷く。
「前に、親はいないと言っていましたが、その……ご両親は亡くなられたのですか?」
「……わからない」
転生した僕の親なんて、見たことないし、そもそもいるのかも疑問。
「気づいたら、1人でここにいたから」
「気づいたら、ですか?」
「うん。塔の近くに、魔法陣のある石の台座があってね、そこで目が覚めたんだ。でも、それ以前の記憶が、僕にはないんだよ」
前世の記憶は、ぼんやりあるけど、それは言わなくてもいいよね?
僕の言葉に、イルティミナさんはポカンとした。
「マールは、記憶喪失……なのですか?」
「かなぁ?」
「…………」
「そのあとは、塔を見つけて、ここで1人で暮らしてた。他のところに行きたかったけど、森や崖を越える方法がなかったし。だから、僕がどうしてここにいるのか、僕自身にもわからないんだよ」
(本当に、なんで転生なんてしたのかね、僕?)
首をかしげ、またお椀に口をつけようとしたら、
「マール」
ギュッ
(わっ?)
突然、横から伸びた白い腕に引かれて、彼女に抱きしめられた――って、
「イ、イルティミナさん?」
両方のほっぺが、凄く柔らかくて弾力のあるものに挟まれてるんですけど!?
さすがに慌ててしまう僕だけど、でも彼女の腕は、この小さな身体を放してくれない。
そして僕を抱きしめたまま、その耳元で、こんなことを言う。
「マール、私は2日後には、この場所から立ち去るつもりでいます」
「う、うん」
「ですが、もしマールが望むのであれば、私は、貴方も連れて行こうと思っています。マールは……どうしたい、ですか?」
…………。
そんなの決まってるよ。
「イルティミナさんと一緒に行く」
「っっ」
イタタッ……急に、抱きしめる力が強くなった。
「わかりました。この先、命の恩人であるマールを、このイルティミナ・ウォンは、決して1人にしないと約束します」
お、大袈裟だなぁ。
でも、その声は、不思議と心に吸い込まれて、空っぽな僕の内側を満たしてくれた気がした。
気がついたら、この小さな手は彼女の背中に回されていて、
「うん。ありがとう、イルティミナさん」
僕は安心したように目を閉じて、長い吐息をこぼしていた。
◇◇◇◇◇◇◇
「マール、服を脱ぎなさい」
食事のあと、突然の命令でした。
(な、なんでっ?)
思わず、よからぬ想像をしてしまう僕に対して、イルティミナさんは、その美貌を少し険しくしていて、
「ずっと気になっていました。――その左肩の服の破れです。もしよければ、私が縫ってあげましょう」
「…………」
一応、破れた部分は縛っておいたんだけど、彼女にはそれが不満らしい。
「はい、バンザイ」と言われて、僕は渋々それに従った。
スポン……と、僕のシャツを脱がすと、イルティミナさんは、腰ベルトのポーチから糸と針を取り出して、手慣れた様子で、破れた個所を縫い始める。
チクチク チクチク
その作業を、ぼんやり眺めながら、僕は聞く。
「冒険者って、裁縫道具も持ってるんだね?」
「そうですね。本来は、回復魔法を使うだけの魔力や薬が切れたなどの非常時に、傷口を縫うためなのですけれど……」
おぉ?
(そ、そういう理由ですか)
あっという間に縫い終えて、彼女は、白い八重歯でプチッと糸を噛み切る。
「はい。終わりました」
「ありがと。――イルティミナさん、縫い物、上手なんだね?」
「フフッ、よく妹の服も縫っていましたので」
そういえば、妹さんがいるんだっけ。
僕は、シャツを着直す。
うん、やっぱりこの方が動き易いな。
「それにしても、これは、どのようにして破れたのですか? ずいぶんと力任せに裂けていましたが」
「あぁ、うん」
頷いて、告白する。
「実は僕、一度、骸骨に斬られて、殺されてるんだ」
「…………。はい?」
とても変な顔をされました。
イルティミナさんは、頭痛でもするのか、白い指でこめかみを押さえて、
「えっと……すみません。私の聞き間違いでしょうか? ……一度、殺された?」
「うん」
「……誰に?」
「大きな骸骨。紫色に光ってて、夜になると森に現れて、ウロウロしてるんだ」
「…………」
「あのペンダントがあったから助かったんだけどね。初めて見た時に、バッサリ」
服の縫い目に合わせて、僕は手刀を走らせる。
思い出すと、まだ怖いけれど、彼女に話したら少し楽になった気がする。
そのイルティミナさんは、何も言わずに、その紅い瞳をまん丸くしたまま、僕を見ている。
それから、考え込むように天を仰ぎ、やがて内側に溜め込んだ何かを吐き出すように、大きく息を吐き出した。
「マール」
僕を呼ぶ声は、少し怖かった。
「な、何?」
「その骸骨は、どこにいますか?」
「えっと、見張り台からなら、見つかると思うけど」
「では、行きましょう」
え?
あ、ちょっと?
返事をする間も与えずに、彼女は立ち上がると、白い槍を手にして螺旋階段を上り始めてしまった。
(えぇ……?)
何かのスイッチが入っている感じだ。なんで?
◇◇◇◇◇◇◇
やがて、見張り台に辿り着く。
「まだちょっと、時間的に早いかも」
「では、待ちます」
イルティミナさん、槍を肩に預けて、壁を背もたれに座り込んでしまった。
仕方なく、僕も隣に腰を下ろす。
一言もないまま、時間が過ぎて、空は夕暮れの紫から、星々が煌めく漆黒の天幕へと変わっていった。
(そろそろかな?)
僕は立ち上がり、下界の森を覗く。
「あ、いた」
黒い海のような森には、無数の紫の光が、ウロウロと蠢いている。
イルティミナさんも立ち上がって、その光景を見つけ、
「……これは」
と、驚いたように呟いた。
今まで見たことがないような怖い表情で、彼女は、壁から身を乗り出して、森にいる紫の光たちを見回していく。
「その骸骨は……1体では、ないのですか?」
「うん」
(そういえば、言ってなかったっけ?)
イルティミナさんは、しばらく無言だった。
やがて、絞り出すような声で、
「昼間があまりに平和なので、考え違いを起こすところでした。やはり、ここは『アルドリア大森林・深層部』……恐ろしい魔境ですね。これほどの数の『闇のオーラ』を目にするとは、思いませんでした」
「……えっと?」
「下がって」
声をかけようとした瞬間、押しとめられる。
そして魔狩人である彼女は、白い槍を逆手に持ち変えて、突然、大きく振り被った。
カシャン
翼飾りが大きく広がり、美しい刃と紅い魔法石が現れる。
真紅の瞳と魔法石が光を増していき、
「シィッ!」
ボッ
一本の白い閃光が、見張り台から夜の森へと飛翔した。
ドパァアン
落下地点の森が大きく弾けて、爆発に巻き込まれた『紫の光』が空高くへと跳ね上がる。
硬直している僕の前方で、空中にある『紫の光』は、細かく砕けて、まるで花火のように輝きを消していく。
「――白き翼よ、我が手に戻れ」
ボヒュッ
森の中から、白い閃光が舞い戻る。
片手で、それを受け止めたイルティミナさん――その槍の先端には、あの恐ろしい巨大な骸骨の頭が、突き刺さっている。
(う……わっ!?)
下顎はなく、槍が刺さった場所には、ひび割れが走っている。
よく見たら、その頭蓋骨は、無数の人骨が集まって形成されていて、虚ろな瞳には今、なんの力も感じなく、その頭蓋骨には紫の輝きも宿っていなかった。
イルティミナさんは、米俵みたいに大きな骸骨を見つめて、
「ほぅ……『骸骨王』ですか?」
(が、骸骨王?)
僕の心の声が聞こえたように、彼女は教えてくれる。
「高位の死霊体です。多くの死者がいるダンジョンの奥底で、たまに見かけるような存在ですが……それがこの地には、これほどの数、跋扈している。しかも、『闇のオーラ』をまとって、強化された状態で」
「あ、あの、闇のオーラって?」
「あの『紫色の光』のことです。神魔戦争の悪魔たちが使った闇の魔力であり、それがいまだ残る大地が、この世界にはまだ存在するのです。そして、闇の眷属である魔物は、その魔力の影響で力を増してしまう。まさに神魔戦争の負の遺産といえるでしょう」
「つまり……この森も、その負の遺産の1つだったってこと?」
「はい。どうやら、そのようですね」
答えたイルティミナさんは、槍を握る手に、グッと力を込める。
パキンッ
骸骨王の頭蓋骨が砕け、塔の外へと落ちていった。
「…………」
「…………」
僕らは、黙ってそれを見届けた。
やがて、イルティミナさんは大きく息を吐いた。
それから、こちらに向けられた微笑みは、いつもの優しさを取り戻していて、
「さて、マールの仇は討ちました。――塔の中に、戻りましょうか?」
「いや、僕、生きてるからっ」
思わず、突っ込んでしまった。
どうにも、この凄腕の魔狩人さんは、僕に過保護な気がする。
「そうでしたね」とクスクス笑いながら、彼女は、螺旋階段を下りていく。
呆れながら、その背中を見つめ、それから、ふと夜の森を振り返った。
その漆黒のアルドリア大森林・深層部には、まだまだ無数の『紫色の光』たちが蠢いている。
「…………」
ブルルッ
思わず身を震わせて、僕は急いで、彼女のあとを追いかけた。
ご覧いただき、ありがとうございました。




