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朝政は踊る

ぼんやりと外を眺める。

はらはらとこぼれていく葉は秋色に染まり始めていた。

久礼人が遠くへ意識を追いやっているのに気づいた大臣の一人が咳払いをした。


久礼人はそれに気づくと苦笑して、そちらに意識を向けるついでに言葉をかけた。


「和房、風邪か? 秋になって肌寒くなってきたから南に下って養生でもしてこい」

「お言葉ですがこの老いぼれ、いたって健康で御座います。私よりも主上の方がお疲れなのではありませぬか? 先程から上の空であらせられまする」


初老の男性が顎を撫でつけながら奏上する。

藤原和房(ふじわらのかずふさ)。太政大臣にして藤氏の長者。別名・妖怪狸爺ともいう。かなりの高齢であるのに未だに太政大臣の座についている。

和房は少し猫背ぎみながらも、確実に久礼人に圧をかけてくる。


「よもや今噂の不香花の君のことでも考えられていらっしゃったか?」


一瞬、ぎくりと肩を揺らしてしまってから、しまったと思う。

案の定、和房は渋面になっていた。


和房は猫背をさらに曲げて演技がかったかのように、あぁ嘆かわしやと囁いた。


「主上、ご自身はこの国の何よりも貴い身分であらせられることをお忘れでありましょう。御身はこの千苑京(せんえんきょう)のみならず、春原(すのはら)全土をあまねく照らす日の化身。御身の後宮には御身に相応しき女人を取り揃えておりまする。今更他の女に目移りなど女御に失礼な上、聞けばその娘は頭中将の妻となる方。何よりも御身に釣り合うと言うには……」

「すまぬが和房殿、少々よろしいか?」


柔和な声が和房を遮る。

久礼人が声の主を探すと声に見合うような穏和な面持ちの大納言(だいなごん)橘兼資(たちばなのかねすけ)がいた。


「うちの姫が主上に釣り合わないなんてとんでもない。今まさに才色兼備の弘徽殿の女御から様々のことをお教えいただいている最中に御座います。主上と年も近く、血筋も確か。あと数年もすれば良き娘になりましょうぞ」


声は穏やかだが、その言葉の裏からは「うちの娘を貶すなこの妖怪爺」という恨み節がつらつら聞こえてくる気がする。

公卿を集めたこの場において、帝に相応しくない家柄の者などいない。

誰でも帝の後宮に娘を入内させる権利はあるのだ。

だからこそ、兼資の言い分は正しいのだが……


「そうは言うが、お主のところは頭中将と婚約を結んでるそうな。帝の覚えもめでたき頭中将の細君になられるのならそのままにしておく方が都合が良い。下手に入内なぞさせては頭中将が可哀想と思わないかの?」

「私は何も入内とまでは。うちからは既に弘徽殿の女御が出ております故。ただ、もし主上がお望みであれば姫を女官としてお仕えさせるのもやぶさかではございませぬ。姫も頭中将の近くで働けて喜びますでしょう」

「それは公私混同なのではないかのう?」

「ははは、例えばの話でございますよ」


和房もたいがい妖怪狸だが、兼資も相当だ。

やれやれといった体でため息をつくと、久礼人は一人肩を震わせている公卿を見つけた。


「どうした秀親(ひでちか)、そんなに笑って」


秀親は笑いをこらえると、内大臣らしく真面目な顔をしてみる。

しかしその瞳の奥は確かに笑っていた。

因みに秀親の肩書きは内大臣兼蔵人別当。蔵人所によく顔を出すよしみで多少の不敬は許してやる。


「いや、なんでもありません。お祖父様、心配しなくとも、もし主上が不香花の君に手など出したら実明が辞任しますよ。そうなって困るのは主上ですから」

「……」


確かに秀親の言う通りだ。あの実明の溺愛っぷりを考えればそれくらいしそうなものである。

ただ、それだけはとても避けたい。


「婿殿がそんなにも情に厚いものとは、うちの姫も幸せですな」


実明の実直な所を、思いもがけず聞けたことに気を良くした兼資が相好を崩した。この父親、娘に相当甘い。

だが久礼人はそんなことよりももっと頭を抱える事があった。


「しかしまぁその前に主上、実明が出張から戻ってくる前に言い訳くらいは考えておいた方がいいですなぁ」

「そなた知っていたのか」

「主上、壁に耳あり障子に目あり宮中に藤原ありですぞ。私でも知ってるのだからお祖父様も当然知っていらっしゃる。だから釘を刺されたのでしょうな」

「秀親、口が過ぎるのぅ」


和房がじろりと鋭い眼光で射抜くが、秀親はからりとした笑みで受け取った。

それにますます頭を抱えるのが久礼人だ。


「知ってたのならどうにかしてくれ」

「いやぁ、こればっかりは主上の軽率な振る舞いのせいですからなんとも。既成事実の一つや二つ作った方が後腐れも無かったかも知れませんなぁ」

「秀親、口を慎め」


それまで口を閉じていた秀親の父である左大臣・藤原秀房(ふじわらのひでふさ)が口を挟んでくる。流石に実の父親相手には軽口を叩けないのか、秀親は笑顔を浮かべながらもその口を閉じた。


兼資がはらりと檜扇を開いてそよそよと扇ぎながら目を細める。


「ですがまぁ、この問題、据え置くわけにもいきますまい。此度はうちの姫で良かったものの、がめつい藤原の娘だったらと思うと……」

「何を言うか兼資殿。藤原の姫が皆そのような謂われを受ける理由はないぞ?」

「あぁこれは失礼いたしました。がめついのは藤原そのものでしたな」

「戯言は寝てから言うべきではないかの?」

「ははは」

「ははは」


ちっとも笑えない。

兼資はさっきのお返しとばかりに藤原を貶すし、和房はそれに負けじと言い返す。

正直この空間にいたくないと毎度のことながら思う。


「それで、噂には尾ひれがついているものと言うことで宜しいですな?」


重々しい口調で秀房が尋ねる。

久礼人はうんざりしたように頷いた。


「確かに余は昨夜、不香花の局に足を伸ばしたが世間話を一つ二つ交わしただけだ。昼間は他の女房の視線が邪魔でなかなか込み入った話ができなかったからな」

「わざわざ夜這いまでして話すようなことですか?」

「秀親、口を慎めと申しただろう」


茶化す秀親を秀房が叱りつける。

久礼人は弁解するように言いつのる。


「変なことはしていない。奢弦寺のことや実明のことを話してただけだ。昼間見ていて、ただでさえ実明の婚約者と言われ辟易しているようだったから、これ以上何かに煩わされることのないように人のいないところでと思ったのだ」

「まぁそれが逆効果だったわけですが」


ぴしゃりと秀房に言われて久礼人は目をそらした。

その通りなので言い返せない。


「まさか一日で噂が広がるとは……」


今や後宮のあちこちで「帝が婚約者のいる不香花の君を寝取った」という噂がまことしやかに囁かれている。

それも昨日の今日という事で大変不名誉な噂までついてしまっている。曰く「純情な不香花の君を襲った鬼畜な帝」。

不香花の君が昨夜のことを「何もなかった」と主張するのがいじらしく、初々しいようで、さらに他の女房の同情を買っていた。


実明が帰ってくる前にこの噂をなんとかしなければならないのだが……頼みの綱だとばかりに久礼人は秀親に視線を向ける。


「秀親、お前の方からも何か口添えしてもらえぬか」

「いやー、ここは誠実さを見せるためにも主上から真相を申し上げるべきかと」

「いや、いっそ入内でもよろしいのでは」


沈黙を保っていた右大臣・源伊道(みなもとのこれみち)が口を出す。

獅子のような逞しい壮年の大臣は、厳かに奏上した。


「主上のお手つきとあっては、姫の体裁もよろしくない。九条家とはいえそんな畏れ多くも帝のお手つきにあった娘を貰うのは憚られるだろう」

「お手つきしてない」


ぼそりと否定すれば、秀親がまた肩を震わせて笑いだして秀房に睨まれた。


「血筋のことを言えば兼資殿は皇族の血を引く橘の中でもまだ三代前に姓を頂いたばかりで皇統氏族の中でも直近の直系だ。それに……」


伊道は口の端を吊り上げる。

何かを企むような表情に、和房が口を挟もうとするが、その前に伊道が言葉を繋いだ。


「不香花の君の母君は我ら源氏の血を引く。橘、源、両氏の血を引くかの姫君ほど、主上の皇后に相応しいものはいないと思うがな」

「兼資、不香花が源氏の血を引くのはまことか?」

「……左様にございます」


不思議に思って尋ねれば、先ほどまでほくほくとしていたのとは一転、兼資は嫌そうな顔で頷いた。とはいっても笑顔が消えて、わずかに不機嫌そうになっただけなのだが。


「姫は私とそこの伊道殿の妹君の娘との間に生まれました」

「そこまで血筋が確かと言うなら、なぜ今まで隠していたのか。何かやましいことでもあったのでは?」


和房が横やりを入れるが、兼資は堂々と答えを返す。


「そんなことはない。ただ私は頭中将殿の心に打たれたのです」

「実明?」


久礼人が首を傾げるが、そこであっと秀親が声をあげた。


「もしかして不香花の君の母君は……」

「秀親、知っているのか?」

「はい。一度だけ実明本人から聞いたことがあります。実明には異母姉が源氏にいると……その姉君がもしや」

「その通り、我が妻でございます」


公卿の面々は様々な反応を見せる。

苦汁を飲んだような顔をしたり、してやったりとした顔をしたり。

その中で、兼資は久礼人に話を続ける。


「三年前、妻は他界しました。その時、姉の分も姫を幸せにしてやりたいと頭中将殿から申し出てくださったのです。異母弟ということでしたので、世間に知られてもそこまでは体裁の悪くなることは無かろうと思い了承いたしました。裳儀より前に婚約をしていたので、故に姫のお披露目は最低限に留めたのでございます」


そういうことだったのかと久礼人は納得した。

そういう経緯で実明と不香花は婚約をしていたのだ。

それなら尚更、二人の仲を裂くことは……


「主上、今なら九条の婚約者のままでございますから、後宮に召し上げるのも不可能ではありますまい。皇族の血をより強く後世に繋ぐべきでありましょうぞ」

「だが頭中将殿と不香花の君の仲を引き裂く訳にはいきますまい。二人ともお似合いの二人なのだしのぅ」

「兼資殿、帝は皇族とはいえかなり遠いお血筋。我らの血をもって皇統の血筋を確固たるものにすべきだとは思わないか?」

「は、はぁ……」

「主上の御前で不敬ぞ、伊道殿」

「どこがだ秀房殿。私は主上とこれからの国をおもんばかって進言しているのだぞ」


伊道が入内させるべきだと主張し、和房と秀房が入内させるべきではないと主張する。

公卿が口々に争い出して混沌としてきた会議に、久礼人は檜扇を一度開いてびしゃりと閉めた。


「もうよい、もうよい、分かった。分かったが、この問題はまず実明に話さないことには余もどうこうする気はない。実明が戻るまで、箝口令をしいておけ」


今日の会議は「不香花の君の入内問題」の解決を見いだせぬまま、久礼人が終止符を打った。

自分の夜這いを発端とした問題だけで終わってしまったことを考え、久礼人は一人ため息をつく。世も末だなぁ……


久礼人は一旦終止符を打ち、保留にできたことにほっとしたが、思いもかけないところでこの問題が大きくなってしまうことにまだ気づいていなかった。


この朝政にて皇統氏族と藤氏の間に、深い溝を作った結果、とんでもない事態を引き起こしてしまうことに───

人物まとめ

太政大臣=藤原和房(藤原の長者、秀親の祖父)

左大臣=藤原秀房(秀親の父)

右大臣=源伊道(三雪の祖母の兄)

内大臣兼蔵人別当=藤原秀親(実明の友人)

大納言=橘兼資(三雪の父)

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