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夜の帳が隠すのは

日が落ちて、夜の(とばり)が下がる頃。

人目を忍んで簀子をきしませる影一つ。


弘徽殿に仮住まいを持つ女房に手引きをしてもらって、帝は歩いていた。

必要以上の物音を立てないように、目の前をいく女房についていく。


案内する女房……宇治は、月明かりだけを頼りにまっすぐに歩いていく。


「はぁ……私なんでこんなことをしてるのか……」

「はは、持つべき者は良い臣下だな。実胤(さねつぐ)の手の者がいて良かった」

「良くないです。はぁ……先輩から占の結果を見届けろと言われていただけなのに……」

「占?」

「こっちの話です」


香具師という姿の他に陰陽師(おんみょうじ)の卵という一面を持つ宇治が、ぼそぼそと独り言をいう。あんまり騒ぐと寝ている女房を起こしてしまうので口をつぐんだ。


賀茂実胤(かものさねつぐ)というのは宇治の兄弟子で、賀茂氏の長者である陰陽頭(おんみょうのかみ)を同じく師として仰いでいる。彼は陰陽寮の中でも帝の覚えめでたき次期陰陽頭と謳われている。

こうして宇治が直接帝と会うのは始めてだが、諸事情で実胤が実明に同行している間、何かあったら帝を助けてやってほしいと言われていたのでこうして助けてやっている次第である。まさか夜這いの幇助とは思わなかったが。


「まったく……帝とはいえ、あんないたいけな少女に欲情するなんて」

「不敬だな。実胤に言いつけるぞ」

「だって本当のことじゃないですか。あれだけはっきり昼間分かったことなのに」

「ふん。口は出さんと言ったが、手を出さんとは言ってない」

「幼女趣味ですねぇ」

「余より実明の方が重症だろう」


宇治の口が軽いのは生来のものだ。あまり身分にとらわれない田舎暮らしをしてきたので、相手が帝であろうとその態度は変わらない。


きしきしと簀子をきしませ、庇にあがり、目的の局の御簾をそっと上げた。

帝がするりとその局に入る。

宇治は目配せすると、自分はその局に入らず御簾をおろした。


そのまま自分にあてがわれた局に戻っていく。


後はしーらない。


◇◇◇


心地よい眠りが何事かによって覚まされる。

三雪は御簾が動く音がしたような気がして、意識が浮上した。

外はまだ真っ暗だが、頼りない月明かりが御簾の隙間からこぼれでる。

ただ今は雲でもかかったのか、そのわずかな明かりすら届いてこない。

うっすらと持ち上げたまぶた越しでもそれが分かった。


風が御簾を揺らしたのかもしれない。

そう思ってまた寝ようとしたとき、衣擦れの音がした。

自分は指一本動かしていない。それなのにどうしてこんなにも近くで衣擦れの音がするの?

また耳のすぐそばで、耳障りの良い絹が擦れる音がした。

今度は聞き間違いじゃない。

三雪はぱちりと目を開く。


人がいた。

暗くて顔は見えないが、確かに人が。


「っ、~!」

「叫ぶな、静かにせよ」


驚きのあまりに叫ぼうとすれば口を押さえられる。

抑えられた声に従い、こくこくとうなずいて見せた。

それよりもこの声、聞き覚えが……


侵入者が体を動かすと、遮ってた月明かりが僅かに入ってくる。

寝起きの目が闇になれてくるにつれ、突然の来訪者の顔が明らかになった。


明らかになって、また叫びそうになる。


「しゅっ───むぐ」

「だから叫ぶな」


呆れられたようにまた口を塞がれる。

ふわりと衣の袖から薫物の香が漂って、三雪は我に返った。


体を引いて彼の手から逃れると、恐る恐る三雪は声を出す。


「主上……ですか?」

「私以外の何者に見える」

「いえ……」


驚きのあまりにおかしな質問をしてしまったとは言えない。

とりあえず三雪はすすすっと移動して、褥をはさんだ向かいに座った。


「……なんでそっち側なんだ」

「えっ……えっと、なんとなく? です」


他意はない。あえていうなら帝の隣になど畏れ多くて座れないだけだ。

不機嫌そうな表情になってしまった帝に、三雪は困ってしまう。

今さら移動するのもどうかと思うので、話題を変えることにした。


「その、何かご用でしょうか。おば……姫様は身舎の方でお休みになられてますけど」

「知っている。お前に用があって来たのだ。不香花……いや、三雪」


にやりと帝は口の端をあげる。

三雪は目を見開く。


「どうして、私の名を」


この京において高貴な身分の者の名は秘匿される。特に女性にはそれが顕著に現れる。

三雪が「橘」や「不香花の君」と呼ばれるのもそのためだ。


叔母である朱子が時折、人目の無いときに名を呼ぶことはあっても、この宮中において他に名を呼ぶ者は他にいない。

実の父であっても、三雪の事は「一の姫」という。名を呼ばれるのは屋敷にいる時、しかも家族だけがいる時くらいだ。


叔母のようにさらに高貴な方にもなれば自然と名は知れてしまうけれど、その他大勢にくくられる三雪の本名が知られるのはあり得ない。

もし、名を呼ぶ可能性があるとするなら、朱子と父の他は……


「まさか、実明さまが?」

「なぜそこで他の男の名を出す。あれは関係ない」

「なぜと言われても……婚約者ですし」


会話がおかしな方向にずれた気がした。

実明の名が出た途端、帝は不機嫌になる。

けれどすぐにその眉間に寄った皺をもみほぐした。


「お前は本当に、情緒も風情も知らないんだな」

「よく分からないですけど、私馬鹿にされました?」


今度は三雪がむっとする番だった。

何か言ってやろうと思ったけれど、はぐらかされた答えをまだ聞いていないと思い直し、聞き直す。


「主上、もう一度お尋ねします。どうして私の名をご存知なのですか」


帝は不適に笑うと、褥の境界に身を乗り出す。

その向こうにいる三雪の頬から指を滑らせて、顎を軽く持ち上げた。


視線を固定させられて三雪は戸惑う。

端正な面立ちが、昼間に感じた既視感を再び彷彿とさせた。


どこかで、みたような───


「たった一日とはいえ、奢弦寺(しゃげんじ)で一緒に過ごした私の事を忘れてしまうなんて寂しいぞ。私はお前の事を聞いた瞬間にあの時の記憶が蘇ったというのに」


とくん、とくん、と激しく胸がざわついた。

記憶の底、蓋をしたあの時間。

見覚えのある顔。

聞き覚えのある話し方。

声は変わってしまっているけれど、面影は確かに残っていて。


帝の瞳の奥に小さな自分と彼をみた。

花を摘んで、叱られて、一緒に隠れて。


息をひそめる二人を隠してくれたのは、あの懐かしい人。


「ど、どうした? 私は何か悪いことを言ったか?」


帝の心配そうな声で、三雪は自分が涙を流していることに気づいた。いつの間にか帝の手が顎ではなく肩にかかっている。

帝が不機嫌とは違う顔で眉を潜めてこちらの顔を覗き込んでいる。


三雪は一度目を瞑る。

あぁ、いけない。自分の悪い癖。

母が亡くなったことを、まだ受け入れられていないために、発作が起きてしまったようだ。

記憶を掘り起こす傍らに母の面影を見つけてしまって、心が少し揺すぶられてしまった。それだけのこと。


三雪は心配させないように、単の袖で涙を拭うと、微笑んだ。


「ご心配入りません。貴方のことを思い出す傍らに懐かしい人の面影を見てしまっただけですから、もう大丈夫です」


その表情は大人びていて、昼間しきりに首を傾げていた少女とは思えないほど。

帝が闇に紛れそうな彼女に魅入っているとは気づかず、三雪は肩に置かれた手を取ると自ら頬をすり寄せた。


「お懐かしく思います、久礼人(くれひと)さま」


もう二度と呼ばれることはなかったはずのその名で、三雪は彼を呼んだ。

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