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えびかずら

実明がゆったりとした所作で風呂敷をほどくと、中から現れたのは大粒の葡萄だった。それも瑞々しい。

朱子以下、女房の全てが驚きのため息を漏らす。


「どうしたのよ、それ。葡萄? でもそんなに瑞々しいの見たことないし、そもそもそれ葡萄なの? ぷつくり肥えすぎよ」

「よくご存じですね。仰る通り、葡萄ですよ」


この京では生食の葡萄なんて金を幾ら積もうと、極上の絹を積まれようと、まず手に入ることはない。

山葡萄の自生する山から遠く離れているために、どうしても乾燥させるか熟成するかしないと京まで保たないのだ。

しかも一粒一粒がとても大きい。

とても奇妙な葡萄に見える。

その奇妙な葡萄の辿ってきた道のりを、実明が話し出す。


「なんでも、山に入った農民が瑞々しく実をつける葡萄を見つけたという話が国司にまで届き、国司が自らの足で山をかきわけ入ってみると、珍しいほどに瑞々しく育った葡萄を見つけたとか。すぐ側には沢が流れており、それに浸して持ち帰ると瑞々しいままに保っていたようで、このようなめでたきものは主上に献上するべきとつい先ほど届いたのです」

「あらまぁ。それならこれは主上のためのものなんでしょ? こんなに沢山もらって良いの?」

「はい。主上もお召しになられたので」


そう、それならと朱子は頷いた。


「ほら、受け取って」

「は、はい」


朱子が自分の方を見て言うので、三雪はそっと御簾の内から出ると、そろそろと実明の前に姿を見せる。

裳着をしてから一度も会っていない許婿に見つめられて、恥ずかしげに睫毛を臥せた。


「あ、ありがたく、頂戴いたします……」

「うん。どうぞ」


にこにこと笑って実明は葡萄を風呂敷ごと差し出す。

風呂敷に包み直そうとするその細い指に、実明のたくましい指が重ねられた。

三雪は驚いてぴくりと体を揺らす。顔を上げれば間近に実明の整った顔立ちがあった。

あまりにも驚きすぎて口をぱくぱくとさせていると、実明はくすりと悪戯めいた笑顔を浮かべて三雪の代わりに葡萄を包み直す。

葡萄の包みと一緒に三雪の手のひらに小さく結ばれた文を忍ばせた。


「それでは私はこの辺で。三雪、朱子様によく仕えるのだよ」

「は、はい」


吐息がかかるくらいの至近距離で、挨拶のあとに最後に囁くように着けたした実明に、三雪の心臓は早鐘を打つ。周囲からめか細い悲鳴がいくつか聞こえた。三雪も叫びたい。

今まで意識してこなかったけれど、実明は正しく今代一の美丈夫だったのだと理解した。


実明はそれではと立ち上がり、来た道を戻っていく。女房の何人かが廂や御簾内から体を乗り出すようにしてその姿を見送った。

こほんと朱子が一つ咳払いすると、女房たちはすました顔で廂へと戻ってくる。御簾内に残っていた女房が御簾を巻き上げた。

三雪が葡萄を朱子に持っていく。


「これ、どうしますか」

「そうねぇ。お茶請けにでもしましょうか」


嬉しい悲鳴が女房たちから上がる。

お茶汲みの上手い女房が二人葡萄を受け取って、取り分けるついでに一度お茶を汲みに下がった。

そうして突然の来訪に息をつくと、お喋りな女房の一人が三雪に話しかけた。


「ねぇ橘さん……いいえ、不香花の君っ! 貴女が不香花の君だったのねっ」


ずばりと皆が知りたがっていたことを聞いてくる。三雪はたじろいだ。


「え、と、私も初めて聞いたんですけど……」

「なーに言ってるの。噂くらい聞いたことあるでしょ」

「そうそう、みーんな蔵人の中将様を射止めようと必死だったのに不香花の君がいるからと袖を振られているんですもの」

「もー、教えてくださってもよろしかったのに~!」

「うーん、泥沼な予感」


口々に囃し立てられて、三雪は赤面する。うぅ、なんでこんな恥ずかしい思いをしないといけないの……

朱子は葡萄が楽しみらしく、別の女房たちとまだかまだかと話していて助けを求めても無駄な気がした。可愛い姪が困っているのに助けてくれないなんて、このいけず。


三雪は葡萄が来てからもお茶請けに質問責めされて、希少な葡萄の味なんて堪能できるわけもなかった。


◇◇◇


───えびかずら ひとつふたつと ねんごろに くさばのかげの そのみさぐれり


(草の葉の影に隠れた山葡萄の実を一つ二つと探すように、一人二人と確かめては隠された貴女を丁寧に探しています。)


かさかさと紙の乾いた音を静かに立て、月明かりのもとで三雪は昼間に実明からこっそりと渡された文を広げてみた。

そこには美しい実明の筆跡で和歌が一つ綴られていて。

ほう、とその和歌にため息がこぼれる。

さすがは実明さま。私なんか遠く及ばないくらいに立派な人。

見れば見るほどに実明と自分が違う世界の人間なのではと思えてくる。

片や今代一の美丈夫、片やまだ裳着を済ませたばかりのお勉強が苦手だった世間知らずの女の童。

女房たちも言っていたが、実明を狙っている人は多いらしい。若くありながらも蔵人として帝に仕え、将来を約束された左近衛少将さま。

あっちこっちで気を持つ人は少なくないとは思っていたけれどこれほどとは。


三雪は月を見上げた。

深い闇夜に煌々と輝く静かな白。

実明があの月だとして、私はどれ程近くにいる星なのだろう。

幼い頃から許嫁と言われてきたけれど、彼女にとっては優しい兄のような人でしかなかった。

それが裳着の日取りをし始めるより少し前くらいから、実明は三雪を一人の女性として扱うようになった。

以前のように頻繁に会いに来るようなことも減り、文には恋人に送るような和歌が添えられるようになる。

返歌を返せるほど三雪は大人にはなっていなくて、最初の頃は困っていつも頭を悩ませていた。

似たような和歌に対する返歌を古い歌集から引っ張り出してきては、返歌を返すのに何日もかけていたのだ。


文に滲んだ墨をなぞる。

細くも力強い筆跡。私はこんな人に相応しいのかしら。

三雪が朱子の女房になったのは朱子の要請もあったけれど、そういった女の魅力をあげて少しでも実明に釣り合うため。

女は家の内に籠るものだけれど、せめて結婚した後につまらない女と思われないために。捨てられないために自分を磨く。そのために宮仕えをし始めた。


心機一転、自分磨きに気合いを入れ直したところで、三雪は目下の課題を再び見つめ直す。

ここには実家のように和歌のための書も無ければ、相談相手となってくれた乳母(めのと)もいない。

自力でなんとか実明への返歌を考えねばならない。

実明が次にいつ来るのか分からないので、出来るだけ早く、粗相のない程度の、きちんとした返答となる和歌を詠んで、さらにはその和歌に相応しい文に使うための紙や香を選ばねばならない。

できる女はそれら全てを和歌を贈答された瞬間に閃くという。

三雪にはまだまだ難しい恋の駆け引きだ。


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