シナリオなんて知らない
例のごとく私の趣味を詰めました。メイン連載の息抜きです。
冷たい冷たい雨が降る。
薄暗い景色の中でさえ、美しく光を反射する銀髪を風でゆらしながら、彼女は呟いた。
「…だって、私はヒロインなんだから」
そう言って笑った彼女の顔が、今でも忘れられないでいる。
*****************
ぐるぐると同じよう想像が頭を回って、離れてくれない。
小さくため息をついた瞬間、前に座る少女が口を開いた。
「…うざったい」
「ひどい!?」
思わず淑女らしさをかなぐり捨てて叫ぶと、じろりと睨まれた。
「何がひどいのよ。人とのお茶会の間中、ため息ついて。貴女、最近ずっとそうじゃない。何が有ったのかいい加減言いなさいな」
素っ気ないながらも、心配してくれているのだろう彼女の言葉にうっと詰まった。
事情なんて言える訳無いじゃないか。
悪役令嬢な私はもうすぐやってくるで有ろうヒロインに怯えています……なんて。
私は、キャロル・ドゥンケルハイトは前世の記憶がある。
前世の私はこの世界と違って、魔法ではなく化学の力が発展した世界の日本という国の女子高生だった。
その記憶のお蔭で内政チートで大活躍!
……なんてことは一切無い。
だって、前世の私は勉強は苦手、運動神経は壊滅的という代物だった。
そんな私からでる知識なんてたかが知れてる。
一応、私の親愛なる優秀なお兄様と婚約者様に前世知識からのあれこれを言ってみたことがあるが、子供の話を聞くような目で生暖かく見られただけで有った。悲しい。
そんな私にも一つだけ、有益な記憶があった。
それは、この世界が“君がいる世界はこんなにも”という少女漫画の世界であるということだ。
“君がいる世界はこんなにも”という少女漫画は、とても簡単に言ってみれば成り上がり物だ。
主人公である少女、シャーリー・ルミエールはキラキラと光る銀髪にアイスブルーの瞳を持ったとても可愛らしい女の子だ。
ただ、その生い立ちは物凄い。
彼女は光と闇という相反する二つの魔力属性を持つ珍しい体質で尚且つ膨大な魔力を持っていた。
それに目が眩んだ悪徳貴族として有名だった彼女の両親は、彼女を敵対する隣国に売り払う計画を建てていた。
それに気が付いた少女は家から逃げ出し、孤児として生きていくが、15才になったある日、その珍しい魔力属性がバレて国の魔法学園に入れられてしまう。
孤児として虐められ、実家からの追っ手を追われ、それでも逞しく前を向いて生きる彼女はその学園に通う王太子と出会い、恋に落ちる。
そして、数々の苦難を乗り越え、やがてこの国の聖女として認められ、王太子と結婚してハッピーエンドで物語は終わる。
どん底から一国の王妃にまで成り上がるのだ。
苦難の連続にも必死に立ち向かうヒロインとそれを支えるクールだが優しい王太子はとても魅力的で、この漫画はアニメにもなるほど大ヒットした。
かくいう私も大ファンで、どのシーンのどのセリフも分かるくらいで…!!
…う、うん。話を戻そう。
そして、その物語には悪役がいる。
王太子の婚約者候補な公爵家の令嬢で、聖女候補でもあったが、性格は陰険。
ヒロインに対する虐めの主導者で、彼女の実家にも密告して、ありとあらゆる手を使ってヒロインを追いつめる。
最後は全てバレて、その間にやってた後ろ暗いことの責任で問われ、破滅する。
実に自業自得なその令嬢の名前は、………キャロル・ドゥンケルハイト。私なのである。
ネット小説とかで定番化しつつある、悪役令嬢転生。
読む分にはわくわくしながら楽しめたけど、自分がなったらそうはいかない。
5歳の時に頭打って思い出した時、ショックのあまり熱だしたもん。
むしろ、頭打った怪我の方が軽かったってくらいに、高熱出して一週間は泣き続けたよ。
それ以来、必死に未来を変えようと頑張ってきたが……。
魔法の練習? 私、すごいビビりだよ? 前世でマッチつけるのでさえ出来なかったよ? ほとんどのヤツが無理でした。回復魔法と防御魔法しかできません。貴族として致命的ですが何か?
家族との仲を深める? から回ってやらかしまくって、面倒な子扱いだよ? この前、頼むから大人しくしててくれとお兄様にキレながら叱られたよ? めっちゃ申し訳ないですが何か?
周りのご令嬢と仲良くして味方にしてみよう? めちゃめちゃ頑張ってアピールしたのに、めっちゃ遠巻きにされてますが? 私、前、誰が私に連絡を持っていくかの話し合い見ちゃったよ。泣きそうだよ。
王太子と仲良くなってヒロインなんかに負けない? 頑張って色々やってみましたが、何故か段々と目も合わせてくれなくなりましたよ。人目を気にしてか優しくしてくれますけど、絶対に目が合わない、それとなく顔逸らされるよ。嫌われてますか、これ。嫌われてますよね?
こんな感じで惨憺たる結果なのである。本当に泣きたい。
そして、そうこうしてる内に17歳、私の2歳下のヒロインが入学してくるまであと少しだ。
私の馬鹿な頭で一生懸命考えてどうしようか決めたけど不安で不安でしょうがない。
誰かに相談したいし、信頼してる人達なら、きっと聞いてくれるかもと思うけど。
『この世界は私が前世で読んだ作り話です』
そんなことを言って信じて貰えなかったら。そう思うと勇気が出ないのだ。
…それに、本当に怖いのは没落じゃないし。
そんな感じで何も言えずに黙っていると、目の前の少女、リリアがムッとした顔をしつつ顔を逸らした。
そんな顔でも可愛くって、ちょっと癒される。
リリアは私の唯一の友達だ。
黒目黒髪と言う元日本人な私が親近感湧きまくる色を持ったとっても可愛い美少女。
あまり爵位が高くないながらも物凄く優秀で、入学当初皆から遠巻きにされまくっていたのをチャンスとばかりに押して押して押しまくって、なんとか友達になれた。
私の唯一の成果である。ちょっとクールで毒舌だけど、もう、見てるだけで癒される。
登場人物の顔とかはイラストと実物だから、ちょっと感じが違うんだけど、多分、ヒロインと張るくらいの可愛い系美少女なのだ。
私の容姿も悪くはない。前世に比べれば夢のように綺麗だと思う。
ただ、真っ赤な髪と紫の目で、つり目がちのちょっときつめの派手な美人といういかにも意地悪そうな見た目なのだ。
本当にリリアが羨ましい。
そう思って、リリアを見てると、イラっとした顔でテーブルの下の足を踏まれる。
「痛い! ちょっとひどくない!?」
「視線がうざいのよ。……言いたくないなら、良いのよ、別に」
その拗ねたような口調に、思わず立ち上がって、頭をポンポンと撫でた。リリアは私よりも小柄なので撫でやすい。
「リリアのこと信頼してないから言えないんじゃないのよ、大好きな友達なんだから。…ただ、私の勇気が出ないだけなの。ごめんなさいね」
そうすると、口を尖らせながら、子供扱いしないでくれる? というが、撫でている手を止めはしない。
機嫌が直ったようでホッとして、クスクスと笑う。
「楽しそうですね。お嬢様方」
笑いを含んだ声が掛けられた。
そちらの方を向くと、紺色の髪に青緑色の目をした長身の青年が立っていた。
少し冷たい感じながらも整った顔は、リリアを見つめて柔らかい笑みを浮かべている。
リリア付きの使用人であるカイさんだ。
基本は魔力持ちは貴族が多いので貴族ばかりの学園で珍しい平民の生徒だ。
主であるリリアとは違ってオールマイティーとはいかないが、攻撃魔法と剣の分野でかなりの成績を修めている。
微笑ましげにこちらを見つめる彼に、リリアが頭を撫でられていたのを見られたのが恥ずかしかったのか、ちょっと顔赤らめながら口を開いた。
「うるさいわよ。……それで、今回はどうだったの?」
「はい、目標の獲物は狩ることができました。お嬢様の欲しがっていた薬草も採ることができたので、後でお渡ししますね」
彼は時々、魔物の森に潜っては魔物を狩って珍しい素材などを集めて、それを売ってお金を稼いでいるらしい。
理由は前に聞いたがはぐらかされてしまっており、リリアも知らないらしい。
リリアはつまらなさそうな顔でそう、と呟いたが、それとなく彼から顔を逸らして再び口を開いた。
「……怪我は?」
「はい?」
「怪我はしていないのよね?」
それを聞いて嬉しそうに笑ったカイさんが答える。
「はい。かすり傷一つありませんよ。ご心配ありがとうございます」
「…そう」
リリアはそっけなく呟いたが、心からの安堵をにじませた表情は柔らかい。
端から見ても、お互いに想い合っているのがすぐに分かってしまうようなお似合いの二人だ。
微笑ましくその光景を眺めつつ、思わず思ってしまう言葉を飲み込む。
いつも通りの表情に戻ったリリアがカイさんに問いかけた。
「それで、用事はそれだけかしら?」
「いえ。キャロル様」
こちらに向き直っての呼びかけにすぐに察する。
彼はこの学園の生徒会、私が婚約者候補である王太子様とお兄様を初めとしたその側近候補達と仲が良い。
「急ぎの事案があったそうなので、臨時で生徒会会議を行うそうです。生徒会室にお向かいください」
ため息をつくのを抑えて立ち上がる。
仕事ができると言う訳でも貴族として立派という訳でもないのに何故だか私は生徒会の一員なのだ。
「ごめんね、リリア。今度またお茶会しましょうね」
「別にいいわよ。仕方ないでしょう。頑張ってね」
そう言って頬笑むリリアに、思わず呟く。
「…リリアが生徒会役員だったら良いのに」
私なんかよりずっとずっと優秀なリリアの方がよっぽどか良いだろう。
だけど、言った瞬間、リリアの顔が呆れ顔になった。
「絶対に嫌よ。……それにアイツだって死ぬ気で阻止するに決まってるわ」
「へ?」
リリアの言ったことが分からなくて、首を傾げる。
ちょっとだけしまったという顔をしてからため息をついたリリアに早く行きなさいと急かされて、生徒会室に向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あの子、本当に馬鹿ね」
そんな風に貶しながらも、どこか心配そうに呟く彼女に思わず口を開いた。
「そんなにご心配なさらなくても、大丈夫ですよ。キャロル様なら」
そう言うと、どこがだ、という顔で睨まれた。
苦笑しながら、思ったことを伝える。
「それに、そんなことをおっしゃいますけど、あなた方はよく似てますよ」
「……意味が分からないのだけど、どこが?」
「そうですね。性格とか」
「目が腐ってるわね」
そう言って呆れた顔をした彼女に思わず笑いながら、お茶の準備をした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
如何にも豪華な扉をそっと叩く。
返事を待つ間もなく、扉が開かれた。
「やあ、キャロル。今日は転けたり、何かおかしなことをしたりしていないかい?」
「大丈夫です! 失礼ですわよ、お兄様」
開口一番にそんなことを言ってきたお兄様は私の言葉を聞いて、呆れた顔でため息をついた。
「失礼ねぇ、お前の胸に手をあててよーーく考えてごらん。一週間前に階段で転けそうになったのはどこの誰だっただろうか」
「ごめんなさいぃ!!」
度々ご迷惑かけて本当に申し訳ない。
私の二歳上のお兄様、クラーク・ドゥンケルハイトは私と同じ真赤な髪に澄んだ緑色の目をしたイケメンだ。
とても面倒見がよく、公爵家の跡取りとして申し分ないと評判になるほど優秀な人だ。
爽やかな見た目と案外気さくな性格で男女問わず人気がある。
正直羨ましいです、お兄様。
そんな感じで喋っていると奥から笑い声が聞こえてきた。
「いやぁ、クラークは本当にキャロルちゃんのこと好きだよね」
貴族とは思えないほどフランクなしゃべり方のこの方は、ルイス・エスペーロ様。明るい亜麻色の髪にオレンジの目の華やかなイケメンである。
女性関係がとても華やかな方だが、こう見えて情報通で交渉上手な方だ。前世漫画で読んだ時はただのチャラ男だと思っていたけど、お兄様と同じ年だからか妹のように可愛がってくれる。
「全くだ。まあ、キャロル嬢を見てれば気持ちは分かるがな」
そう言って微笑んでいるのは、私より一歳上のハイド・ムート様。緑色の髪に青い目をしたがっしりとした美丈夫な方である。
剣の達人であり、騎士団長のご子息である。とても真面目でしっかりした方でよく転けたりする私に驚きながらも心配してくださる。
「…ちょっとは気をつけなよ」
そうぼそりと呟くのは、私と同じ年のローレン・ナハト様。紫色の髪に紺色の目の中性的な美少年である。
魔法の才能でとても有名な方であり、次期魔法師団長とまで言われている。寡黙であまり周りに興味の無い方だが、何回もやらかした私の阿呆によりちょっとずつ喋れるようになった。
…そして、
「クラークは遊んでないでさっさと席に戻ってくれないか。…キャロル、用があっただろうに急に呼び出して悪かったね」
そう言って微笑んでくれるのは私と同じ年の王太子であるリヒト・ヴェルト様。輝く金髪にとても珍しい金色の目をした、人形のように作り物じみた美しさをもつ方だ。
歴代でも稀に見るほどの魔力を持ち、頭脳明晰、剣の腕もハイド様に張るほどだ。性格もいつも冷静で落ち着いている。
素晴らしい王太子と評判な、…漫画のヒーローで私が婚約者候補である方である。
生徒会の面々に向かって、礼儀作法に則ったお辞儀をして顔をあげる。
「いえ。私も生徒会の一員ですもの。当然のことですわ。…それと、来て早々にお見苦しいものをすみません」
「いや、そんなことはないよ。さあ、会議を始めようか」
そう言って、そっと私の手をとり、私の席までエスコートしてくれる。
礼を言おうと顔をあげるが、視線はやはり合わない。
思わずついてしまいそうになったため息を押し殺して、落ち着くためにメイドさんがいれてくれたお茶を手に取った。
周りが落ち着いたのを見てリヒト様が口を開く。
「…さて、今日の議題なのだが、転入生が入ることになった」
その言葉に体が強張る。
何も言うことができない私に関わらず会話は進んで行く。
「転入生? 珍しいけど、わざわざ緊急会議を開くほどではないよね。何か有りそうなの?」
「ああ、平民なのだが、魔力が認められて急に入学することに決まったらしいよ。珍しい闇と光の魔力属性同時持ちだそうだね」
今さっきお茶を飲んだのにからからになった喉で必死に口を開いた。
「まあ、珍しいですわね。どういった方なんですか?」
リヒト様が少し考えてから口を開く。
「人柄などと言った情報はあまり無いね。確か、15歳で銀髪に青い瞳。…名前は、シャーリー・ルミエールというそうだ」
ああ、やっぱり。
とうとう来てしまった。
温かいお茶のカップをぎゅっと握りしめるけれど、指先が冷たくなっていく。
ああ、まずい。急に動揺したら皆が心配するだろう。
努めて明るく笑って口を開いた。
「まあ、私の二歳下なんですね。急に環境が変わって不安でしょうから気にかけてあげないとですね」
周りの人の顔をそっと見るが私の様子に気付いていないようだ。
このまま会議終わるまで頑張ろう。
そう思った時、
「キャロル」
そっと隣から伸びた手が私に触れた。
「体調が悪いのかな?」
そう言って私の顔を覗き込んでくるのはリヒト様だ。
普段は視線さえ合わないのに心配そうな表情になっている。
「そうなのか、キャロル?」
「キャロル嬢、大丈夫か?」
「…なら、早く戻りなよ」
「そうだね、キャロルちゃん、無理はしない方が良いよ」
周りの方々も心配してくれる。
慌てて口を開いた。
「だ、大丈夫です。それよりも会議の方を…」
「キャロル」
静かな声で言葉を遮られた。
「会議なんかよりも君の方がよっぽど大事だよ」
そう言ってくれるリヒト様は真剣な顔をしていた。
沸き上がった感情を抑えて、口を開く。
「…そう、ですわね。申し訳ございません、先にお部屋に戻らせていただきます」
「送っていくよ」
「いえ。大丈夫です。女子寮は男子禁制ですし、本当に辛くなったらリリアを頼りますから」
そう言うと少し考え込むように黙ってから口を開いた。
「…リリア。確か、君の学年で主席の生徒だったね。仲が良いのかい?」
「はい、とても仲良くしてもらっています」
「……そう。じゃあ、気をつけてね」
生徒会の面々に丁寧に挨拶を告げて、寮の自分の部屋に向かった。
公爵家の令嬢であるからかとても豪華で素敵な内装で、いつも見るたび心が踊る。
だけど、今日はそんなの目にも入らない。
「……ずるいなぁ」
目も会わせてくれないのに、あんなに優しくするなんて。
本当に嫌になってしまう。
いつか私以外の人を選ぶと知っていてもこんなに好きになってしまったなんて。
だってしょうがないじゃない。
いつも落ち着いているのに時々ほんの少し抜けてて。
とても才能がある方だけど、それ以上に努力していて。
そして、いつもとても優しいなんていうことに気付いてしまったんだから。
最初はヒロインが現れて、悪役令嬢として没落するかもしれない。それに怯えてた。
なのに、最近はそんなことはちっとも現実味が湧かなくて。
リヒト様がヒロインと恋に落ちる。そのことがひたすらに怖くなってしまった。
他の人を好きになるリヒト様なんて見たくない。
でも、前世を思い出してから必死に努力しても、いつもドジで勉強も魔法も苦手で変な行動取ってばっかりで、性格も臆病。貴族令嬢としては合格ラインぎりぎりな私なんかよりもヒロインの方がお似合いなのだ。
とっても優秀で、性格も優しくて勇敢。しかも、聖女になれるほどに珍しい魔力属性とそれに伴う魔力を持っている。
どれも逆立ちしたって叶わない。
…だから、二人の恋を応援すべきだ。
ずきずき痛む胸に手をあてて呟いた。
「せめて、リリアみたいだったらなぁ」
すっごく可愛くて、優秀で、クールで度胸もある。
そんな風だったら、ヒロインに立ち向かう勇気が出たのかな。
リリアとカイのお似合いの様子が頭に浮かんだ。
リリアのことはすっごく大好きだ。
だけど、すっごく羨ましくて、素直にあなたの幸せを喜べないんだよ。
いろんな想いを吐き出すように、深く息を吐いた。
「…ちゃんと、二人の恋を応援しよう」
ずきずき痛む心に蓋をして頑張ろうって決めたんだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「どう思う? 」
その問いかけに周りの面々はそろって何とも言えない顔をした。
「あの子は本当に何で、ああいう時だけ隠すのが上手いんだ」
そう言うクラークは少し怒っている。
「まあ、キャロルちゃんだからねえ。…まあ、それは置いといて、やっぱり警告通りだよね」
ルイスは普段の軽薄な雰囲気と全く違った真剣な顔になった。
「…やるしかないんじゃない」
「そうだな。キャロル嬢のことは心配だし、何と言ってもシャーリー・ルミエールだしな」
本当に嫌そうな顔で言ったローレンに、ハイドがいつにもまして深刻な顔で同意する。
「そうだね。…アイツの言うことを聞くのは本当に癪だけどしょうがない、やるとしよう。付き合ってもらうよ」
その言葉に全員が主に対する礼をとり、了承の意を述べた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ヒロインが転入して来てから数ヵ月が経った。
彼女は珍しい魔力属性などで転入してきた時に噂の中心になった。まあ、その程度だったら、普通は段々と噂などは移り変わって騒がれなくなっていくものだ。
だけど、彼女は未だに学園の噂の中心だ。
…だって、
「…転入生の方、また生徒会の方々と一緒にいたんですって」
「まあ」
隣を通りすぎた女子生徒達が話していた話題が耳に入る。
そう、シャーリー・ルミエールはやっぱり生徒会役員達に気に入られ、彼らに応援されながらの学園生活を送っているのだ。
あの漫画のシナリオと同じ展開だ、驚きもしない。
…ただ、
「…キャロル、ただの噂でしょう? 気にしなくてもいいと思うわ」
隣を歩いていたリリアが声をかけてきた。
その隣を歩くカイさんも珍しくちょっとふざけた感じで口を開く。
「そうですよ。それに、あんなくすんだ灰色の髪につまらない青色の目の彼女より、夕日の髪に珍しい紫水晶の瞳のキャロル様の方がよっぽど綺麗です。心配要りませんよ」
その言葉にちょっと笑う。
私が自分の派手な髪色とかを気に入ってないのを知っていたから気を使ってくれたのだろう。
リリアもそれにクスリと笑いつつ、優しげな口調で続けた。
「それに心配なのなら、会った時に聞いてみればいいと思うわ。よく一緒にお茶とかしていたでしょう。あなた、よくへんに臆病になってしまうもの」
その言葉にちょっと苦い笑いがもれた。
「…最近は、生徒会の方々とあまり会わないのよ」
「は?」
「お忙しいみたいなの。だから、しょうがないわ」
この展開に驚きはしない。
だけど、ここまで今までの関係を簡単に覆されてしまうと、やっぱり覚悟しててもとても寂しい。
…でも、仲良くするリヒト様とシャーリーさんを見ずにすんで良かったのかもしれないな。
そんなことを思っていると、リリアが小さく舌打ちをした。
思わずびっくりして、彼女の方を振り向いて、ちょっと後悔した。
リリアの表情は、その可愛い容姿を持ってしても、怖気が走るほどに怖かった。
「あのヘタレが……!」
そう言って吐き捨てるリリアにカイさんでさえもちょっと苦笑ぎみで見ている。
そんな状況で少し考え込んでいたリリアは顔をあげると、私の方に詰めよってきた。
「キャロル! リヒト様の所に行くわよ!」
「え! …いきなり行ったらご迷惑だよ」
「いいわよ、そんなこと。ちゃんと今の状況について聞かなきゃいけないわ」
その言葉に凍りついた。
必死で口を開く。
「…別に大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないでしょう。こういう時こそ、ちゃんと言わなきゃいけないんだから。あなたにだって、言いたいことや大事なことがあるでしょう。それを伝えるのって大切よ」
そう言って私を真っ直ぐ見るリリアの隣には、カイさんが……彼女の好きな人がいる。
「リリアには………」
「…キャロル? ごめんなさい、何て言っ…」
「リリアには分からないよ! 私にだって事情があるの。関係無いんだから放っておいてよ!」
言ってしまってから、何を言ってしまった気付いた。
リリアの顔を見て固まる。
リリアは冷たい感じの無表情で、……だけど、今にも泣き出しそうに見えた。
「…そうね。私は関係無いわね。色々とうるさく言ってごめんなさいね」
何か言わなきゃと思うのに、何故だか固まってしまって何もできない。
リリアはそんな私の方を見ずに、そのまま行ってしまった。
呆然としている私にカイさんが声をかけてきた。
「キャロル様」
思わずビクッとしてしまった私にカイさんは苦笑した。
「責める訳ではございませんよ。あれがキャロル様の本心では無いことは分かっていますから。ただ、知って欲しいのです。お嬢様は大変強い方です。ですが、とても弱い所もあるのですよ」
何も言えない私を気にすることもなく、カイさんはリリアを追いかけて立ち去って行った。
その場で立ちすくんだまま、小さく呟く。
「……何やってるの、私」
自分が臆病で勇気が出なくて、彼女のことが羨ましい。
そんなことで、私のことを心配してくれた友達のことを深く傷つけた。
本当に本当に最低だ。
「謝らなきゃ…」
リリアの歩いて行った方へ向かおうとした時。
「キャロル様」
呼び掛けに振り返り固まった。
銀色の髪に青色の目、可愛らしい容姿の少女は見覚えがある。
だって、転入してきた時に出迎えたのは私だから。
「少しお時間頂けないでしょうか?」
シャーリー・ルミエールはそう言って可愛らしくにっこりと笑った。
話って一体何だろう。
そんなことを思いながらも、丁寧ながらも有無を言わせない口調でいい募る彼女に負けて、万が一のことが起きても学園内には魔法制御の陣がしかれているから大丈夫と了承した。
そうして連れて行かれたのは、学園の広い広い庭園の外れ、私達でさえ遠すぎるからとあまり行かない場所の東屋だった。
東屋に入り、お互いに座った瞬間、彼女の表情が変わる。
今までの楚々とした風情ではなく、憎々しげな顔をして口を開く。
「あなた、転生者よね?」
その言葉に動揺したのが顔に出たのだろう。彼女は更に顔を歪めた。
「やっぱり、そうだったのね。だから、シナリオ通りにやってるはずなのに上手くいかないのよ!」
混乱する私に彼女は言いつのった。
「身の程を知りなさいよ。たかが悪役令嬢の分際で。分かってるでしょう? あなたなんかより私の方がよっぽどリヒトに相応しいんだから」
その言葉に泣きそうになった。
分かってる。分かってるよ。
魔法は苦手で教養も最低限、臆病な私なんかよりも、あなたの方が相応しいってことくらい。
私の顔を見た彼女は勝ち誇った顔で笑った。
「それに私が現れた時から生徒会の方々に見捨てられて、本当におかしい。あなたに味方なんていないのよ。大人しくシナリオ通りにやってちょうだい」
…味方がいない。
そうかもしれない。
リヒト様や生徒会の方々は最近全然会えなくて、さっきリリアにひどいことを言った。
本当に情けない。
思わず頷きかけた時、不意にリリアの言葉を思い出した。
『あなたにだって、言いたいことや大事なことがあるでしょう。それを伝えるのって大切よ』
そう言ってくれたリリアは本当に私のことを心配してくれていた。
必死に顔を上げて、口を開く。
「…シャーリーさんは、リヒト様のことが好きなの?」
その言葉に彼女は馬鹿にした顔で笑った。
「当たり前でしょう。だって、 リヒト様と結ばれれば、私は王妃になれるのよ! イケメンな旦那に贅沢な暮らし。私に相応しいじゃない!」
その言葉に、ある感情が沸き上がった。
「……う」
「何よ? 聞こえないのよ」
「違うわ!」
私は自分に自信が無い。
だって、前世でもそうだったから。
両親に望まれた色んなことは何一つ満足にすることができなくて。
兄弟に比べられて、怒られて、馬鹿にされて、諦められて。
居場所なんて無いと思って、何か言うことすら怖くなって、どんどん臆病になっていった。
…だけど、今の生は何もかもが優しくて。
そして、リヒト様に会って。
国のことを思って努力する、優しい彼に惹かれた。
リヒト様を支えたくて、周りの期待に応えたくて。
だから、今生こそはって思ったのに。
結局、何もかも思ったようにはいかなくて。
だから、
「私、自分がリヒト様に相応しいなんて思えない。だから、私よりもずっと相応しい人がヒロインが現れるなら諦めようと思ってた」
「なんだ。思ったよりも物分かりがいいじゃな…」
「だけど!」
彼女の言葉を遮って叫んだ。
「私、この国が好きなの。国民が笑って過ごせる日々を守りたいとそう思うのよ」
ずっと思ってたよ。
私よりもずっと優秀で、………この国を、そして、リヒト様のことを想ってくれるなら諦めようって。
だけど、さっきあなたは自分の欲望のことしか考えていなかった。
「…だから、譲れない。私よりもこの国を、リヒト様を愛してくれないなら絶対に譲れないわ!」
その言葉に彼女がわなわなと震えた。
「…シナリオに逆らおうって言うの? 優秀でなくて味方もいないあなたが?」
「ええ。教養も魔法も、もっともっと頑張るわ。……それに、味方ならいるわ。私のこと心配してくれて色々言ってくれた友達がいるのよ。だから、知らない。あなたの為にだけあるシナリオなんて知らないわ!」
言い切ると彼女は、憤怒の形相になった。
ブツブツと何よ何よと繰り返す。
そうして顔を上げると同時に魔力が膨れ上がった。
「生意気なのよ…!」
その言葉とともに現れた光球がこちらにすごいスピードで向かってくる。
咄嗟に防御魔法で防ごうとするが、学園内の魔法制御が働いていて発動しない。
目を閉じて衝撃に構えた瞬間、
「そこまでだよ」
涼やかな声が聞こえた。
それと共に後ろからぎゅっと抱きしめられ、シャンッと魔法が解除された音がした。
恐る恐る首だけで振り返る。
防御の魔道具を持ったリヒト様がそこにいた。
「随分なことをしてくれたようだね」
低い低いその声は如実に怒りを伝えてくる。
「キャロルになんてことを…!」
「本当にそうだね。まあ、だけど、最大のボロを出してくれた」
いつの間にかお兄様とルイス様が側に立っていた。
二人とも見たことが無いほど怖い顔をしている。
シャーリーさんは顔色を蒼白にして、それから胸もとから取り出した魔道具を使おうとした。
その瞬間、後ろから出てきた人物に音もなく取り押さえられる。
「動くな」
そう言ったハイド様に騎士科の生徒が習う捕縛術を行使され彼女の動きが止まる。
体を動かせず首だけを必死に動かしてリヒト様の方を見て、必死に言い訳をし続ける彼女を冷ややかな目で見たリヒト様は小さく名前を呼んだ。
「…ローレン」
「分かってますよ」
ローレン様が彼女に手をかざし、小さく呪文を呟いた。
その瞬間、彼女の周りに不思議な陣のようなものが浮き上がり、シャーリーさんが悲鳴をあげる。
「……やっぱり、彼女にかかっている術式は複数有ります。気付きにくい程度の魅了。連絡を取り合う為の音声術式。魔法制御の無力化。…すべて隣国の魔術の特徴が有ります」
「やはりか。シャーリー・ルミエール、隣国からの密偵の疑い、そして何より、キャロルを傷つけようとしたこと償ってもらうよ」
その言葉を聞いて、嘘よ、こんなの違うわ!と叫び続ける彼女をハイド様が更に強く取り押さえた。
「ハイド、そのまま逃亡防止の術式のある部屋に連行して。ローレン、彼女の持ってた魔道具の解析を。そして、クラークとルイスは他の手続きをお願いできるかい?」
その言葉に皆が了解の礼をして動き出す。
その鮮やかな動きを呆然と見ていると、
「キャロル、大丈夫だったかい?」
近くから声が聞こえた。
ようやく抱きしめられている事実に気付き、慌てて腕から抜け出して彼の方に向き直る。
「…何でここに」
「リリア嬢が君があの女に連れて行かれたと知らせてくれたんだよ」
その言葉に驚く。
思わず周りを見渡すと、カイさんと一緒に立っているリリアを見つけた。
「リリア!」
慌てて駆け寄る。
「さっきは本当にごめんなさい……!!」
そう言って頭を深く下げる。
それを黙って見ていたが、ぽつりと呟いた。
「別にいいわ」
「…でも、私、本当にひどいことを言って」
「良いのよ。…だって、さっき友達って言ってくれたでしょう」
「…え?」
そう言うとリリアはちょっと不安そうな顔をしながら小さな声で言った。
「……さっき言ってた友達って私のことだと思っていいんでしょう?」
その言葉に思わず泣きそうになりながら頷いた。
「うん…!」
「だったら、ちゃらにしてあげるわ」
そう言った彼女に我慢してた涙がこぼれ落ちた。
そんな私の顔を優しく撫でてくれながら、リリアは口を開いた。
「…ねえ、ひとつだけ聞いてもいいかしら。何であんなことを言ったの?」
「……私、リリアが羨ましかったの。リリアは私と違ってすごく優秀で勇気があって、…好きな人と想いあっているから」
そう言ってからそろそろと顔を上げて、彼女の顔を見ると、リリアは何故か呆れた顔をしていた。
小さくため息をついて、口を開く。
「キャロル、リヒト様に思ってることをちゃんと言って、話をしなさい。さっき、あれだけの勇気を出したんだからできるでしょう?」
その言葉にぎこちなく頷くとちょっと笑って、
「まあ、悪いことは絶対に起きないわよ」
と言った。
「じゃあ、私、用があるから行くわ。カイ、エスコートしてちょうだい」
「はいはい。…キャロル様、頑張ってくださいね」
そう言って立ち去って行った二人を見送り、心を決めて振り返る。
リヒト様は少し離れた所で私達のことを見守ってくれていた。
「話は終わったのかな?」
「はい。…リヒト様、さっきのことは何だったのですか?」
「彼女は隣国からの密偵の疑いがあったんだ。証拠をつかむ為に生徒会の役員で探っていたんだけど、なかなか決定的なものが無くてね。でも、彼女が学園内で魔法を使ってくれたお陰で証拠が取れた」
その言葉に少し驚く。
漫画のシナリオと全く違う。
だけど、
「…私にだけ教えてくださらなかったのは、私が頼りないからですか?」
思わず言った言葉に、リヒト様が目を瞬かせた。
「違うよ。あの女は僕に執着していたからね。そんな女に僕の婚約者候補であるキャロルを近づけてはどうなるか分からない。だから、君の安全の為に遠ざけたかったんだ。だけど、これで片がついた。クラーク達は優秀だし、…何よりアイツが行ったしね」
その言葉にそうだったのかと頷く。
だけど、リヒト様は私の顔を覗き込んで、ちょっと眉をひそめた。
「ねえ、キャロル。君はどうしてそんなに不安そうなんだい? 何かあるなら、僕に話してほしいよ」
優しい声、優しい言葉。
ずっとずっと言えなかった言葉がこぼれ落ちた。
「…どうして、どうしていつも目も合わせてくれないんですか?」
リヒト様が驚いた顔をした。だけど止まらない。
「こんな時だけすごくすごく優しいのに、普段は目も合わせてくれないじゃないですか。ずるいです。私ばっかり好きになる…! 私に何かあるなら、言ってください!」
言ってしまった言葉に泣きそうになる。
ああ、こんな言葉、リヒト様を困らせてしまうから言いたくなかったのに。
リヒト様の顔を見たくなくて深く俯く。
すると、リヒト様が珍しく慌てた声をあげた。
「キャ、キャロル。違うんだよ」
「…何が違うんですか? 私のこと嫌いなのでしょう」
「だから、違うよ。そうじゃ無くて、…緊張してしまうんだ」
その言葉に思わず顔を上げると、リヒト様の顔が近くにあった。
困り果てたような、恥ずかしいような不思議な表情。
「だって、君は年々綺麗になっていくじゃないか。精一杯、紳士に振る舞おうと思うのに、君の目を見ただけで緊張してしまう。…情けないだろう?」
何それ。それじゃ、まるで。
「リヒト様は私のこと…」
「好きだよ。ずっと前から。君は小さい頃から、城に来る度に僕のことを励ましてくれた。誰もが優秀な王太子であることを当然とする中で、君はいつも僕の努力を見て、誉めてくれた。どうしようもなく疲れた時には、いつも察して僕を連れ出してくれた。君の優しさに僕はずっと救われてきたんだよ。僕の立場はどうしても君に色んなことを要求する。辛いこともあるだろうと分かっているのに、君以外は考えられないんだ」
涙がポロポロとこぼれ落ちる。
リヒト様は少し笑って、顔を寄せた。
「ねえ、キャロル。君はさっき僕のことをどう思ってるって言ったの?」
「…好きです。私はリヒト様のことを愛しています」
その言葉にリヒト様は今まで見たことが無いほど、嬉しそうに笑った。
嬉しくなって抱きつくと、リヒト様も抱き返してくれる。
「…ねえ、リヒト様。私、もっともっと頑張ります。そして、貴方に相応しくなって貴方の隣を歩いて行きます」
心からそう呟くとリヒト様がちょっと顔を逸らした。
何か変なことを言ってしまったかと、リヒト様の名前を呼ぶと、小さな声で応えが返る。
「…キャロル、君、本当に少しは抑えようよ。両想いになって浮かれてるのに、そんなこと言われたら自制が効かないじゃないか」
「…効かなきゃいけないんですか?」
「色々あるんだよ。うるさい奴らがいたりね」
ちょっと考えて、口を開く。
「じゃあ、リヒト様と私の二人だけの秘密ということじゃ駄目ですか?」
そう言うと、リヒト様は片手で顔を覆ってしまった。
金色の髪から覗く耳は真赤だ。
「……ああ、もう。本当に昔から君にだけは勝てないよ」
そう言ってから近づいて来て、重なった唇はとても温かかった。
そっと、目を閉じる。
これからも、色々なことが起きるだろう。
また、自信を無くして、臆病になってしまうかもしれない。
だけど、今日のことを思い出せば、きっと頑張っていけるだろう。
だって、今の私は、誰を羨む必要もないほどに幸せだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
何で何で何で…!
暗くて、寒い部屋の中、持っている物を全て取り上げられ、固いベッドに座って爪を噛む。
こんなのおかしい。
だって、私はヒロインのはずで。
だから、あんな家なんて捨てて出てきたし、あの人達も私を応援してくれたんだから。
そうだ、まだ、やりようがある。
きっと、こんなことになったのは全てあの女のせいだ。
キャロル・ドゥンケルハイトとして生まれたのに、ちゃんと自分の役割を全うしない使えない女。
そうだ、アイツさえ消せば、私は……!!
その時、カチャリと音がした。
振り向くと黒髪に黒目の少女と、紺色の髪に青緑の目の青年が立っている。
あの女といつも一緒にいた奴らだ。
イケメンを見せつけるかのように連れ歩いているのを見て、少しムッとしたのを覚えている。
不意に青年が口を開いた。
「…やっぱり、全然違うじゃねえか」
その言葉に苛つく。なんだと言うのだ。
「うるさいわね、何なのよ、あなた達! 私、すぐにここを出れるんだから!」
そう言うと少女がクスリと笑った。
「ねえ、あなたは聖女になりたいそうだけど、聖女には何が必要か知ってる?」
その言葉に目を瞬かせた。
「そんなの国の代表になれる珍しい魔力属性でしょう」
「違うわ。確かに闇と光、相反する魔力属性は珍しい。だけど、五千人に一人くらいの割合でいるのよ。ただ、使えるほどの魔力量を持つ人はその中でも少ない。ましてや、膨大な魔力量となれば百年に一人いればいい方。聖女になるには、それくらい必要なのよ」
その言葉に段々と不安になる。
何を言っているのだ。
ふわりと笑った少女は近づいて来て、私の髪に触る。
「銀髪もこの辺では珍しいけど、闇と光の魔力属性なら色が抜けやすいから普通ね。しかも、銀髪と言うには少々暗いし。目の色も、アイスブルーと言うより、このあたりでよくある青色ね」
その言葉に一気にカッとなった。
手を振り上げるが、この女にあたる前で止められる。
振り返ると青年が冷たい目で、私の腕をつかんでいた。
「お前ごときがお嬢様に触れるな」
冷たい声にゾクリとする。
それを見て、少し笑った少女は私から離れた。
「それじゃあ、話を変えましょう。光と闇、その二つを持っていると使える魔法があるのよ。何か知ってる?」
その問に答えることは出来なかった。
だって、怖い。何故かは分からないが、今、私はこの少女が話すことが怖くて仕方ない。
「あら、分からない? なら、教えてあげるわ。あのね、色を変えることが出来るのよ」
「…色?」
私が反応を返したのに、ちょっと笑って、彼女は続ける。
「そう、色よ。何の色だって変えられるの。ドレスも花も、…目や髪の色だって」
思わず耳をふさいだ。
聞きたくない、これ以上。
「あら、残念。まあ、続けるわね。この魔法はとっても便利なのよ。…ただ、膨大な魔力が必要になるのだけど」
よく通る声が指の隙間から、かすかに耳に入る。
そう言った瞬間、ふわりと彼女の髪が光った。
髪は光った所から、色を変えていく。
闇に溶けるような黒から薄暗いこの部屋でも輝くような白銀に。
「…嘘」
思わず呟いた。
その声に合わせるかのようにつぶっていた目を開く。
その目はまるで氷のように冷たい印象を与える薄い青だった。
頭の中に色んなことが甦る。
私の話を聞きながらも冷たい目をして色々な指示をして、魔道具を渡し、術をかけたあの人。
口うるさく、詰まらないことばかり言うけど、あの漫画のように酷いことはしなかった両親。
そして、……自分の名前。
漫画の世界に転生して、ヒロインと同じ魔力属性を持ち、ヒロインとよく似た容姿をもったことにはしゃぎ、今まで無視していた色々な矛盾を思い出す。
「嘘よ!!!」
叫んだ私を見返した少女はにっこり笑って、こう言った。
「改めまして、シャーリー・ルミエールと申します」
その笑顔は、まるで絵のように美しかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ため息をつきながら、部屋から出る。今日は本当に疲れた。
首を振ると白銀の色が目にちらつく。
久しぶりに戻したから少し違和感を感じる。
自分がとある漫画のヒロインであると気づいた時に、自分の実家を乗っ取って、王家に連絡を取り、ルミエール家の本来の仕事であった裏の仕事の采配を任されるようになってから随分経つ。
目立たずに、王太子やその側近候補達と連絡を取る為に、年を誤魔化し入学した時から、ずっと前世と同じ髪と目の色、そして前世の名前を名乗って過ごしていた。
「リリア嬢、いや、シャーリー・ルミエール嬢。少し、いいかい?」
呼び止められて、そちらを振り向く。
金髪に金色の目がキラキラしい、この国の王太子が立っていた。
「あら、ごきげんよう。それで、そちらはどうにかなったのかしら?」
暗にキャロルのことを聞くと、彼にしては珍しくちょっと顔を赤らめて睨まれる。
どうやら、ようやく両想いになったようだ。
キャロルの顔を思い出して、ホッと息をつく。
「…本当に良かった。ヘタレ王太子が事情説明も一切無しに、連絡を絶って、他の女と過ごしていると聞いて随分落ち込んでいたもの」
彼の対応を当て擦ると、顔が強ばった。
普段は鋼のポーカーフェイスの持ち主なのに、キャロルのことに関してはとても人間らしい表情をするのだ。
大方、あの女の予想以上の電波っぷりに、キャロルをほんの少しも近づけたく無かったのだろうけど、言葉が足りなさすぎるのだ。
私だって、キャロルと喧嘩するという迷惑を被ったのだ。遠慮はしない。
「…自分の偽物が出たからと言って、調査をこちらに全て投げてきた君が言うことかい?」
それに対して、ちょっとだけ眉を寄せる。
やり過ぎるとバレる可能性が高まるからと、ぶん投げたのをとても根に持っているらしい。
「あら、キャロルが彼女の話を聞いて不安そうにするようなら、お願いすると言っただけでしょう。キャロルの不安を取り除いてもあげられなかった、あなたが悪いのでは?」
「正体全て隠して、嘘つきまくりで、彼女の側にいる君の方がよっぽどたちが悪いだろう?」
バチッと火花が散ったような気がする。
隣でカイが苦笑しているのが分かる。
「……仕方ないでしょう。思ったよりも試験が簡単で良すぎる成績をとってしまったから、ヤバめの噂を流したのに、気にせず寄ってくるのだもの」
「…キャロルは噂だけで人を判断しないからな」
王太子もなんとも言えない顔で、ため息をついた。
キャロルという少女は間違いなく私と同じ転生者だ。
原作と違い過ぎる性格で、割とすぐに分かってしまっている。
高飛車な性格だったはずなのに、臆病で自分にあまり自信がない。
攻撃魔法が得意だったはずなのに、彼女が出来なかった回復魔法と防御魔法しか出来ない。
尚且つ、原作では煙たがられていた王太子にとても想われていて、側近候補達からもとても気に入られている。
学生の間でも憧れられていて、話しかける役割があるだけで、奪い合いになるほどだ。
家族にはとてもとても溺愛されていて、彼女が未だに王太子の婚約者候補なのは、彼女を早くに嫁にいかせたくない家族が反対しているから。
よほどの馬鹿でもない限り、すぐに分かるだろう。
まあ、キャロルは全く気付いていなかったが。
本当にあの子は、馬鹿だろと言いたくなるほど鈍感で、おっちょこちょいで、すぐにへこんで、……だけど、とても真っ直ぐで、すごくすごく優しくて、放って置けないのだ。
優秀でなくても、その人望だけで人に心からついていきたいと思わせる彼女のことだ。
今回のことでしっかり腹を括って、良い王妃になるだろう。
「…それで、本題は何かしら?」
その言葉で、王太子の顔がスッと変わった。
相手の反応を見極めようとする冷静な表情は、為政者としての顔だ。
「あの女とどのような話を?」
「…あら、話す許可は貰っていたと思うけど?」
「いや、そのことに関しては問題無い。ただ、確認だけでもしなければだろう?」
「それだけの為に王太子様がわざわざ、ね。ご苦労なこと」
そう言うと、クスリと笑った。
「君は話をはぐらかすのが好きなようだからね。それとも、僕では不満かい?」
その言葉に思わず眉を寄せた。
この男は腹の探り合いが上手い。彼相手では、他の人のように誤魔化せないだろう。
次の名君と謳われる王太子の名は伊達ではないのだ。
「…大したことはしていないのよ。少しお話してから、確認をしただけね」
「確認? 何のだい?」
「こちらでも家業のつてを使って彼女のことを調べていたのよ。おそらく、五年前に失踪した東北の辺境伯の一人娘ね。闇と光の魔力属性にそこそこの魔力量が確認されているわ。国境付近だから、そこで隣国の密偵と出会って、あんなことの片棒を担いだようね。探索願いが彼女の両親から出ていたから、探しやすかったわよ」
「………さすがだね。それに、あれだけ“シャーリー・ルミエール”に固執していた彼女によく確認なんて取れたね」
「簡単よ。最初に心をへし折ったら、とても素直に話してくれたわ」
そう言うと、彼は眉をひそめた。
「あら、いけない? あのままだと、キャロルに危害を加えようとする可能性があったもの。万が一のことでも、可能性は消した方がいいわ。……それに、嫌いなのよ、ああいう子」
私の言葉に彼は息を吐いた。
「いや、問題は無いよ。…ただ、怖い女だね、君は」
その言葉に隣でずっと黙っていたカイが口を挟んだ。
「お言葉ですが、お嬢様はこれでも結構可愛げがあるのですよ」
「…君に恋をした勇者の言葉は流石だね。僕には言えないよ」
皮肉混じりの軽口に、ジロリと視線をやると軽く肩をすくめられた。
「それで、これで話は終わりかしら?」
「そうだね。調査結果だけは、報告書に書いておいてくれないかい?」
「分かったわ」
立ち去ろうとした時、王太子がポツリと呟いた。
「君は一応、王家の直属の家来なんだよね?」
「そうよ。王家が表立ってやれない裏の仕事をする。次の主はあなたになるから、王家は私をこの学園に送り込んだのじゃない」
突然、何を言うのだと言葉を返す。
「…君、なんでそんなことをしているんだい? 君だったら、一人で組織を起こすなんて簡単だろうし、王家からの信頼なんて欠片も興味がないだろう。わざわざ、数代前の当主の罪のせいで、途絶えていた仕事を復活させてまで何がしたいの?」
その言葉に目を瞬かせた。
彼は真剣な顔でこちらを見ている。
クスリと笑って、口を開いた。
「さあね。忘れちゃったわ」
両親は私に興味が無かった。
彼らに愛されたくて色々なことを頑張った。自分を偽って、素晴らしい人間を演じた。
そのおかげで、沢山の人が私の周りに集まった。
だけど、欲しかった両親からの愛はついぞ貰えることは無かった。
だから、転生したと気付いた時、嬉しかった。
前世では貰えなかった両親からの愛を今度こそ貰えるかもしれない。
偽らない本当の私を誰か愛してくれるかもしれない。
そう思って、頑張った。
彼らは素っ気なかったけれど、前世のように完全な無関心では無かったから、愛して貰えると期待した。
彼らの眉をひそめるような行動も見て見ぬ振りをした。
気付いたのは偶然だった。
メイドの世間話に前世で聞いた言葉が混じっていたのだ。
どこで聞いたのだろうと考え、そして、前世で流行ったとある漫画を思い出した。
周りの人と話を合わせる為に読んだ話。興味は無かったが、記憶力に自信のあった私はストーリーを全て覚えていた。
その漫画のヒロインは私と同じ容姿に同じ名前、同じ魔力属性を持っていた。
…そして、決して両親に愛されなかった。
思い出したことを否定したくて、両親の執務室に忍び込んだ。
そして、見つけたのだ。
私を兵器として隣国に売る為の密談の手紙を。
気付いたら、屋敷を飛び出していた。
冷たい雨が降りだしていたけど、足が止まらない。
領地は荒れ果てていた。
今まで気付きたくなくて、見て見ぬ振りをしてきた事実がようやく実感を持って感じられた。
呆然と道を歩いていると、少年が倒れているのを見つけた。
私より年上に見えるのにガリガリで、身綺麗な私を憎しみがこもった瞳で睨み付ける。
何故か笑いがこぼれた。
ただ、欲しかっただけなのに、両親からの愛という普通なら与えられるはずの物が。
だけど、もう手に入らない。
「…だって、私はヒロインなんだから」
求められるのは、絵に書いたようなヒロインで、私ではない。
シナリオで決まった未来になんて、ちっとも興味がないのに。
泣きながら笑い続けて、不意に思った。
ああ、そうだ。
壊してやろう。こんなシナリオ。
ヒロインとして振る舞って手に入るであろう好意になんて興味がない。前世でだって、偽って演技して生きていたから。
欲しい物一つも手に入らないシナリオなんて知らない。
今度こそ、自分勝手に生きてやろう。
「…なあ、お前、大丈夫かよ?」
少年の声で我に帰った。
ボロボロの体を必死で起こして、心配そうに自分を見上げている。
思わず、手を伸ばした。
「ねえ、あなた、私の部下にならない?」
「お疲れですね、お嬢様」
カイの声で我に帰った。
さっきの王太子の質問のせいで、昔のことを思い出していた。
あれから、カイを無理矢理に私付きの召し使いにして、家にある書類をあさりまくって手に入れた悪事の証拠を揃え王家に連絡をとって、両親を更迭した後、領地の建て直しに何故か再び与えられたルミエール家の裏の仕事でがむしゃらに生きてきた。
シナリオに逆らって逆らって、驚くような所まで来た。
「…疲れるわよ。キャロルとは喧嘩するし、その後、あの女の相手したのよ」
「お嬢様、キャロル様のこと大好きですからね。お嬢様の名前を語っただけじゃなく、キャロル様に喧嘩売るとか、本当に愚かですね、あの女」
珍しく冷たい声で語るカイに苦く笑う。
「それに、嫌いなのよ。ああいう子」
愛してくれた両親がいたはずなのに、自分が見たい物だけ見て、愚かなことをした。
私が欲しかった物を自分から捨てたのだ。だから、容赦は出来ない。
確かに怖い女だろうなと思い、キャロルの言葉を思い出した。
キャロルは私を羨ましいと言ったけど、私はキャロルが羨ましい。
家族の愛もまっすぐな心も私に無い物全部持っているから。
だけど、彼女は素の私を好きだと言ってくれたから。私の欲しかった物をくれたから、守ろうと決めている。
深く息を吐いた時に、体が浮いた。
驚いて、私を持ち上げた男を見つめる。
「ちょっと、どうしたのよ」
「お疲れでしょう? 部屋までエスコートして差上げます」
真剣な顔でそんなことを言われて面食らう。
「…勝手にしなさい」
「はい、勝手にします」
夜の学園をカイに抱えられて歩く。
「…ねえ、ヒロインとかシナリオって何なんですか?」
「気になる?」
「流石に。初めて会ったときに、お嬢様が言っていましたし、キャロル様やあの女も言っていましたよね」
表情をあまり変えないカイの顔をじっと見つめる。
「じゃあ、あなた、なんでそんなにお金稼いでるの? それを教えてくれたら、教えてあげるわ」
「……それはまだ秘密です」
「じゃあ、私も秘密ね」
そっと目をつぶって、カイに寄りかかる。
あの時、無理矢理巻き込んで、色々なことをやらせて来た。
あの時は、なんであんなことしたのか分からなかったけど、今なら分かる。
一人が寂しくて、誰かを道連れにしたかった。
ボロボロの体で私を心配してくれた彼はやっぱりとても優しくて、いつも私を支えてくれた。
この想いがキャロルのように綺麗な物でないと知っている。
執着と独占欲、そして仄かな憧れ。ぐちゃぐちゃだ。
だけど、彼に何かやりたいことがあるのなら、離れたいと言ったなら、手を離そうと決めている。
とてもとても寂しくて辛いだろうけど、あのキャロルだって頑張ったのだ。
私だって頑張らなくてはいけない。
それに。
いつか終わるとしても、私に温もりをくれたあなたのお陰で、今、私はとてもとても幸せだから。
******************
目をつぶった腕の中の主人から、微かな寝息が聞こえてきた。
やはり本当に疲れていたのだろう。
安定するように抱き直しつつ、さっきの言葉を思い出して苦笑した。
「…言える訳無いでしょうが」
あなたに対等な立場で婚約を申し込む為に、爵位を買うためのお金を貯めていますなんて。
本当にこの人は変な所で鈍くて、キャロル様に似ている。
ずっとずっと見てきたのだ。
両親を切り捨てた時の強ばった顔も。
領民に詰られて、深く頭を下げた姿も。
夜ひっそり泣いていたのも。全て。
驚くほどになんでも出来て、鮮やかに物事を進める手腕を持っていて、度胸もすごい。
だけど、弱さを抱えていて、それを誰にも見せようとしない。
そんな姿に心から惹かれたのはいつからだろうか。
彼女の部下では無く、彼女に対等な人として支えたいと思ったのは。
あなたの隣を誰にも譲りたくないと思ったのは。
いや、そんなこと考えるだけ無駄だろう。
初めて会った日、あなたが俺を拾ってくれた日、泣きながらとても綺麗に笑ったあなたの笑顔に囚われてから、ずっとずっと俺の世界の中心にはあなたがいるのだから。
眠る彼女のまぶたにそっと口付けを落とす。
シナリオが何かなんて分からない。
だけど、そんな物無くても、あなたを心から幸せにしたいと思うから。
だから、シナリオなんてきっといらないだろう。