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混血の女神  作者: 神岡兵士
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第13話「少女の決心」

 雨が止んだのは二時間ほど経ってからだった。

 広大な草原の真ん中でフロラは魂が抜かれたように座り込んでいた。

 雨宿りもせず、降り注ぐ雨に打たれ続けていたので体がびしょびしょに濡れてしまっている。肌から滴る雨粒を瞳に悲哀の色を深く漂わせながらただ見ているだけ。

 唇を締めたまま蝋人形のように動かない。傍から見れば死体同然だ。

 不運を恨み、現実に絶望し、底知れない虚無感だけがフロラの心を覆っている。

 

 ――なんで、わたしの前から大切なヒトが消えていくんだろう……。

 

 ――どうして、わたしだけこんな辛い目に遭わないといけないんだろう……。

 

 ――わたしが一体なにをしたのか? 

 

 ――これは誰のせいだ? わたしか? それとも世界か? それとも魔人か?

 

 ――わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない……。なにもかもがわからない。こんな運命なんてありえないよ! おかしいよ!

 

 直面した悲愴な現実に自問自答を繰り返すしかない。

 崩壊した心、もはや自分自身では整理できずに追い詰められている。

 すると穏やかで凛とした声が静寂を破った。


『――フロラ、いいか?』


 たまらず足元に転がってる剣に一瞥し、叫んだ。


「何も喋らないで!」


『苦しんでいるフロラを見たくないんだ……』


「うるさい! 黙れ! わたしが、今、どれだけ苦しんでいるのかわからないくせに知ったような口を叩くな!」


 想像を絶する苦痛のあまりフロラは《彼女》に感情をぶちまける。


「魔人を倒せる力があるのに誰も救えなかった……。『混血』なんて無意味だよ! ヒトの命を守れない力なんて力じゃない!」


 言いようのない絶望が怒りに変換し、更に気持ちをぶつけた。


「変に期待させないでよ! ヒトを、わたしの大切なヒト達を救えることができなかったのに世界を救えるわけなんてできないよ! 何が『混血』だ……何の役にも立たない無能じゃんか!」


 あまりにも一方的で相手を傷つけるような暴言だとわかっていても、言葉を留めることはできない。


『すまない……私が無力なばかりに』


「くっ……、謝っても誰も帰ってこないし、あの楽しかった日常は戻ってこない……。もう無理なんだよ……」


 張りのない声で胸の内を吐露する。


「もう何かも終わりだよ……」


 そこには生きる気力はなかった。このまま力尽きるのを待とう。そうすればあらゆる苦しみから逃れて、解放される。これ以上生きても意味がない。一人寂しく人生を送るぐらいなら、ここで命を絶つべきだ。


 耐え切れない絶望から逃げるかのように、瞼を閉じようとした時、《彼女》がぽとりと雫のように呟いた。


『今思えば皆、覚悟していたのだろう』


 含みのある表現にフロラは両目の瞼を開けて、眉をひそめた。


「覚悟って?」


『守るべき存在の為に命を落とすことだ』


 これまでの深い悲しみが忘れるほどの衝撃に絶句してから、かすれた声を漏らした。


「……なにそれ……?」


『本当だ。フロラ、なぜ住民達は魔人と抗争をしていたのか、わかるか?』


 言われてみれば何故戦っていたのだろうか? 勝ち目のない争いをしても得られるものなんてない。むしろ失うものの方が断然に多い。ほんのわずかに思考が冷静になった途端、疑問が湧いてきた。


「……わからないよ。命を捨ててまで守ろうとしていた存在って何?!」


 フロラが求めていた答えとは別に《彼女》は確信を持って、ある真実を告げた。


『――ヴァン・アレンに暮らしていたニンゲンはシュテルの民の子孫だ』


 フロラは喉を詰まらせた。

 かつて魔人からの解放を願い、自由を平和を求める為に巨大地下住居区域を造り、密かに文明を築いていた者達――それがシュテルの民。そしてエッジワースの口からシュテルの民の子孫が何処かの地下住居区域に集っている。と言っていた事を思い出す。


「子孫って……。わたし、初耳だよ。じゃあ、ニサちゃんや街長さんや、まさかお母さんは自分達が子孫っていうことを隠していたの?」


『もちろんだ』


「わけがわかんないよ! 子孫だからって命を落とす理由なんてないよね?」


『義理深いとしか言えない。シュテルの民はきっと代々大きな役目を果たすことを目的に受け継がれていたのだろう。いつか自分達の生きる世代に現れる女神を守れ。という使命を全うするために』


「……」


 途惑いをはらんだ表情でフロラは無言になった。


『彼らはおそらく魔人がまた襲撃してくることを昨日の時点で察していた。私の存在に気付いていながら、助けを求めようとしなかったのは役目を放棄することになるからだ。守ることを役目とするのに逆に守られてしまっては意に反してしまうからな。魔人の襲撃から私達の身を案じて自らが盾となり、逃げる猶予を与えていたんだ』


 わずかな間。


 言葉を理解するには十分な時間だった。


「じゃあ昨夜の宴って……」


『彼らにとって最期の晩餐だっただろうな』


 唐突に行われた街全体で開かれた宴会の理由はそういうことだった。あの時から既に魔人と激しい抗争し、命を捨てる覚悟をしていた。最期だから、もうこうして皆と共に時間を過ごすことができないから後悔のないように全力で騒いでいた。

 そして街長からの離郷宣告。更にニサの言動から感じた違和感の正体は全てこれに繋がっていたことになる。


 フロラと過ごせる最後の時間。


 絶対我慢したに違いない。

 本当はどうしようもないぐらいに溢れんばかりの涙を流したかったはずだ。

 命の灯火が消える直前、ニサが溢した涙はあらゆる感情を一つに凝縮した心の結晶なのだ。


 ――ここで終わってしまったらニサちゃんが余計に悲しんじゃうよね。


 虚無の空間に覆われた心の奥底に何か熱いものをふと感じた。


 ――弱音を吐くにはまだ早いよね。


 フロラは自分に言い聞かせた。どうやら、フロラの心の状態が少しだけ変化した事に気付いたのか、《彼女》は優しく言葉を投げかけた。

『少しは気持ちが楽になったようだな』

 このような結末を迎えてしまったことに心を痛めているのはフロラだけではない。力があるのに救えなかった己自身の無力に痛感し、後悔しているはず。表には出さないがフロラには感じた。

 だから、今自分がするべき行為もすぐにわかった。


「……レナちゃんごめんなさい」


『急にどうしたんだ』


「苛立って、レナちゃんに当たったことだよ。レナちゃんは全然悪くないのに、わたしったら、ほんとバカだよね」


『いや、責められるのは当然のことだ。私が何もかも気付いていれば、悲惨な結末を迎えなかったかもしれない。それ故に悔いが残ってしまう』


「けど、これが現実なんだよね。受け止めるしかないんだよ」


 そう言うものの、行き場のない無念が自分を押し包んでくるのがわかる。

『現実と向き合って、これからどう生きていくのか考える必要があるな』


「だね。凄く大変だ……」


 泣きそうになるのを堪えるかのようにフロラは空を見上げた。

 空を覆っていた灰色の雲の切れ目から光が差し込んでいる。眩しさに目を細め、肌にわずかな暖かさが感じられる。


「やっぱ空って晴れてる方が綺麗だよね」


 朗らかな声で呟いたフロラは小さく呼吸をすると、静かな声で言った。


「皆が安心して眠れるように弔ってあげないとね」




 二百人近くの亡骸を埋めるのに三日三晩掛かった。

 陽の光に当たる暖かい地上なら心を穏やかにして魂を安らかな地へと送れるだろう。という《彼女》の発案を呑み、三日間一睡もせずにフロラは黙々と体を動かし続けていた。

 森から拾ってきた手頃な木の棒を地面に挿して墓標に見立てており、一人一人の墓前には一輪の花を添えている。

 泥だらけの姿はもはや可憐な少女の面影はどこにもない。ようやく全員の墓を建て終わると大きく息を吐きだしながら、フロラは大の字で緑したたる大地にぐったりと寝転がった。


「終わりましたぁ~」


『お疲れフロラ』


「レナちゃんもお疲れさま」


 手元の剣に愛嬌のある笑みを向けた。純白に満ちる剣はフロラ同様に土が付着し汚れている。刀身部分で土をすくったことで、剣は泥まみれ状態だ。


「手伝ってくれてありがとね」


『別に私は何もしてない。ただフロラの頑張りを見守っていただけだ』


「そんなことないよ。レナちゃんが私を使えって言ってくれなかったら、こんなにも早く皆のお墓を建てることなんて出来なかったんだからね」


『フロラ一人だと終わる気がしなかったからな』


「なにそれ~! ひどいよ~」


 すねたように頬をフロラが膨らますと《彼女》はフフッと笑った。


「今笑ったでしょ?」


『すまない。フロラが面白かったものだから』


「わたしのことバカにしてるでしょ?」


『していない。――ようやくいつものフロラに戻ったな』


「どうだろうね。まだ心の傷は癒えてないから、いつものわたしって訳じゃないよ」


 完全に立ち直れているとは言えないが、心に余裕が生まれているの確かだ。


「でもね、自分を保っていられるのはレナちゃんのおかげなんだよ。わたしの傍で支えてくれているから、自分と向き合えている。レナちゃんがいなかったらわたしは今頃、生きることに絶望し自害してたかもしんない。生きる希望くれたのは他の誰でもないレナちゃんなの」


『大袈裟な言い方だな。シュテルの地で私は言ったはずだ。フロラには誰よりもニンゲンの痛みを知ることができる感情を持っている、と。痛みを知る者は強くなれる、けれど一歩道を踏み外せば闇に堕ちてしまう。フロラにはニンゲンであって欲しい。それが私の願いなんだ』


 自分を見失い、混沌と化した心に《彼女》はフロラの名を何度も叫んでいた。声が届いていないと言えば嘘になる。破壊衝動に駆られながらも、フロラは少しだけ理性が残っていたのは《彼女》の声、自分を呼ぶ声が、かすかに胸の奥まで響いていたからだ。


 フロラは《彼女》に救われたのだ。


「やっぱレナちゃんには頭が上がらないよ」


『そういうのはやめてくれ。私は当然のことをしているまでだ。――それよりもこれからどうするつもりだ?』


 その問い掛けにフロラは瞬時に答えた。


「お姉ちゃんに会おうと思うんだ」


 言って、上体を起こしたフロラは視線を遥か遠くへと向けて、続けた。


「どう説明してかわからないんだけど、お姉ちゃんがわたしを呼んでいる、そんな気がするの」


『……呼んでいる、か。あながち気のせいではないかもしれないな』


「えっ? まさかレナちゃんにも聞こえるの?」


『いや、私にはわからない。けれど、呼んでいるのなら無視するわけにはいかない。それにフロラの姉をあのままにしておくわけにはいかないからな。『都』に行き、オーフィリアの呪縛から解放させよう。――私達二人で』


「二人か……」


 花が咲くように次第に唇をほころばせると、


「よし、さっそく向かうとしよう!」



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