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混血の女神  作者: 神岡兵士
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第12話「雨と涙」


 ヴァン・アレンではニンゲンが亡くなると基本的に土葬を行う。死者の体が分解され、地中の養分となることでこの土地に新しい生命を生み出すとされているからだ。

 

 地底湖を囲む丘で死を弔うための祭儀が終わった後、中央の広場で多くの住民が集まっている。テーブルが幾つも並べられ、その上には豪華で鮮やかな普段口にできない料理が彩られている。賑やかな祭り一色の雰囲気によってついさっきまで陰鬱な空気が漂っていたヴァン・アレンはあっという間に喧騒に満ちた。

 

 大人達は酒を呑み、気持ち良さそうに酔って大いに盛り上がりを見せている。口下手なヒトが饒舌になったり、うるさく騒いだりしている。酒ってヒトの人格を変えるだなーと他人事のように広場の隅で《彼女》を傍らに置いて、フロラは一人で眺めていた。

 

 楽しくないわけではない。ただ今までこのような催しが一度も開かれることがなかったから、どのように接すればいいのか困っているのだ。

 自分より年下の子供達はお目にかかれない料理を頬張ったりしているが、年上の自分があの輪の中に入って、夢中になって料理に食らいつくのはさすがに大人気ない。誰かと楽しく会話を交えるだけでも十分だが、今のフロラは一人でこの光景を見るのが何よりも幸福なのだ。


「いつまでも皆が幸せでいて欲しいな」


 無意識のうちに呟くと、


「ずっと続くに決まってんだろ」


 すぐ隣りから声が聞こえて、フロラは軽く跳び上がった。


「ひっ!?」


 慌てて視線を向けると、大きめの籠を右手に抱えてぱちくりと瞬きをするニサの顔があった。


「び、びっくりしたよ。どこから現れたのさ」


 ニサは籠の中に入っている果物を左手で取って齧りながら答えた。


「フロラが一人になってからかな」


「って、かなり前からじゃん。どうして声を掛けてくれなかったの?」


「いつ気付くかなーって思って待ってたんだよ。けど全然気付かないから、しびれを切らしてあたしから声を掛けてやったんだ」


 上から目線の言い方に少しだけカチンと来たが、フロラは軽く笑って受け流すことにした。


「つーか、なんで一人でいんのさ。他の奴らは大人と混じって騒いでるのに。一人でいたい気持ちはわかるけど、ハメを外すこともしねぇと気疲れするからな」


「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、大勢の中に入るのはあまり得意じゃなくてね」


「まぁ、フロラはいつもあたしとばっか遊んでいたもんな。同年代の奴らとあまり遊ばなかったし」


「えへへ」


 と、大きな苦笑いを浮かべた。


「それでもフロラは皆に好かれているんだよな」


 思わぬ一言にフロラは狼狽する。


「へっ!? わ、わたしが好かれてる? いやいや、そんな事ありえないよ~」


 全力で否定するフロラにニサはくすっと笑った。


「なんだろうね。フロラを見ていると守りたくなっちまうんだよ。ドヂだし、おっちょこちょいだし、弱虫だし、びっくりするぐらいに体力ないし」


「なんかわたしのこと貶してない?」


「ヒトを惹きつける力がフロラにはあるってことだ。それってとても凄くねぇか?」


 直球の褒め言葉に恥ずかさを覚えた。


「あんま自覚ないんだけど……」


「あったら逆に怖えーよ。あたしが言いたいことってのはフロラは一人ぼっちじゃないってことだよ。大事なヒトを失っても、あんたの背中を支えて見守ってくれる。だから一人で抱え込むなよ」


 なんでだろうか……ニサが遠い存在になってしまう……そんな予感がする。長い付き合いだからわかる。今まで伝えられなかった想いを言葉にするような……。もう会えないから……。


 だからかもしれない。いつも通りの特徴的な犬歯を覗かせるニサの顔には悲愴な感情が見え隠れする。


「わたし達ずっと友達だよね?」


 目を丸くして、少しだけニサの時が止まった。


「……当たり前だろ。何意味不明なこと言ってんだよ」


ニッと笑って、フロラの右肩を軽く叩いた。


「そっか……良かった」


 安堵でため息と一緒に瞳が閉じた。


「ほら、一人で食事をしても楽しくないだろ? せっかくの宴なんだし、騒ごうぜ」


 差し出した手を、フロラはおずおずと握った。ニサはニコッと笑い、身を翻す。小さく首を振り、賑わいに包まれる広場の中へ向かった。




 幸せな時間はあっという間だった。初めてのことで慣れない雰囲気に緊張したものの、加わってみれば一瞬で場の空気に溶け込めた。

 誰もが嬉々として騒ぎ立つ空間に触発されて、不思議と気分が盛り上がっていたのだ。

 心に残る思い出になっただけに祭りの後の静けさというものは寂しい。

 街全体が沸き立っていたのに宴が終わった途端、急に静寂に包まれた。

 ニサと別れ、思い出に浸りながら帰路に就くと自宅の前で街長が待っていた。


「今帰ったのか」


 気のせいだろうか……。フロラに向けた顔は憂いの色が表れている。


「片付けの手伝いをしていたの。ところで何か御用ですか?」


「まぁフロラの顔が見たくなってな。宴はどうだった?」


「すんごく楽しかったよ。あんなに感情が高ぶったのは初めてだったよ!」


「そうかそうか、それは本当に良かったわ」


「ねぇ街長さん、あのね定期的に宴を開催するのってダメかな? 皆も喜ぶと思うし、街が活気付くと思うんだよね」


 これは絶対に受け入れてくれる素晴らしい提案だと思った、のに――何故か街長は目に涙を滲ませていた。


 嬉し泣きじゃない……。悲しくて、つい涙が出てしまった。そんな感じがする。


「すまないな……。フロラが気にすることではない」


 目元を拭うと、街長は真摯な顔付きに変えてフロラに告げた。


「明日、夜が明けたらすぐにヴァン・アレンから離れなさい」


「えっ!?」


「よく聞きなさい。ヴァン・アレンには外に繋がる出入り口が二つある。一つ目は我々が毎朝昇っている螺旋階段の先、二つ目は地底湖を船で渡った岸にある隠し扉の先だ。早朝、フロラはこの扉から地上に出るんだ。船はすでに用意してあるから心配するでない」


「ま、待ってッ! 意味がわかんないよ! いきなりどうしてヴァン・アレンを離れろって言うの?!」


「理由は答えられん。お願いだから素直にいう事を聞いてくれ」


 悲しげな目つきで街長は両手を伸ばし、フロラの肩に乗せた。


「街長さん……」


 呟いたフロラは呆然とした。


「お願いだ……頼む……」


 頭を下げて必死に懇願をする街長にフロラは何も言い返せず、ただ聞き入れるしかなかった。


「……わかった」


「これはフロラの為なんだ……」


 顔を上げて、真剣味を帯びた瞳で告げられる。

 ここで問い詰めても街長は口を割らないに決まっている。

 全ての真相は明日になれば、わかるはずだ。

 だから今は首を縦に振るしかない。


「フロラの成長を最後まで見届けたかったよ」


 そう言葉を言い残されたフロラは息が詰まったように立ちすくみ、去っていく街長の背中を見続けることしかできなかった。




 翌朝。

 目を覚ましたフロラは《彼女》を抱えて、部屋から飛び出した。

 街長のいいつけ通りに地底湖に向かわねばならない。しかしフロラはどうしても、ここを離れなければいけない理由が知りたかった。


 唐突に離郷を告げたのはフロラに教えられない秘密があるからだ。

 この目で確かめるんだ。と意気込みながら、自宅から出ると妙な空気が肌に感じた。

 足を止めて、ぐるりと視線を巡らす。

 奇妙だ。全くニンゲンの気配が感じられない。

 静寂に覆われる街。自分だけが、ヴァン・アレンに取り残されたような静けさのみが漂っている。

 誰もいないという不気味さが電光のように素早く体の中を駆け抜ける。


『何かがおかしい……』


 硬直したようないつもと違う《彼女》の声がフロラに不安を煽らせる。

 自然と足が中央広場に向かい、その先の天蓋を貫く大きな螺旋階段へと目指した。

 到着するまでの間、誰とも会っていない。


 やはりこの街にはフロラだけしかいないようだ。

 階段を勢いよく駆け上り始めた。ひたすらに段を踏み、懸命に地上を目指す。街全体の風景が見渡せる高さまでに昇ったとき、真上から地鳴りのような音が降り注いだ。

 地上まで残り僅か。ついに、行く手に一筋の細い光が現れた。

 二段飛ばしで駆け上がり、光の先へと体を投げ出した。

 鉛を張ったような曇り空が、視界に入った。


「空が悲しんでいる」


 灰色の空を見た感想を述べると、フロラは頭を正面に向けて岩の壁に挟まれた小道を突き進んだ。

 地鳴りがどんどんと近づいている。

 フロラは直感した。この地鳴りの正体はおそらく自分が求めている真相だということ。


 息を切らせて、一心不乱に前進する。

 この先に、一体何が待ち受けているのだろうか。

 岩の壁がようやく切れ、広い草原に出た瞬間、絶望がフロラを襲った。


 地獄絵図が広がっていた。


 おびただしいほどのニンゲンが倒れており、緑の絨毯を血が赤一面に染めていた。凄惨かつ残酷な光景に悲鳴さえも忘れてしまう衝撃が全身を貫いた。

 大量にニンゲンがヴァン・アレンの住民が死んでいる。


「うぐっ」


 耐え切れずたまらず嘔吐をした。胃が飛び出すのではと思うほど吐き続ける。


「はぁ、はぁ……」


 吐き終えたフロラは短い呼吸を繰り返す。なんとか気持ちを落ち着かると、口元をごしごしと拭ってから行動を開始した。


 覚束無い足取りで死体に埋め尽くされる草地の中を走り続ける。

 不意に乾いた風が吹いた時、不安を駆り立てる音が耳に届いた。耳を澄ませると、それは間違いなく悲鳴だった。


 断続的に響く喚き声の方に向かってみると、鋼のような筋肉を纏い、灰色の肌に全身覆われた巨体――魔人が屹立している。数にして十体はいる。

 獣のように吠える星の支配者の双眸の先には魔人と比べて小さな影が対立している。

 住民だ。二十人近くの集団は逃げることもせず、刃物を携え、魔人と戦っているのだ。

 無謀過ぎる。ニンゲンは魔人を倒せない。それはこの世界の絶対的な掟だ。

 もはや命を粗末にしているとしか思えない。

 集団の先頭で統率している街長の姿を見るなり、フロラは叫ぶ。


「早く逃げて!」


 叫び声に、街長を含む住民らが目に驚愕の色を浮かべている。


「それは違う! 逃げるのはフロラの方だ!」


 そう叫び返すと、 


「全員突撃じゃー!」


 中央に立つ街長が刃こぼれしている剣をかざして突進し始めた。


「だめっ!」


 だがフロラの叫び声は届かない。

 無鉄砲な突撃だ。一斉に飛び掛かり、魔人の強固な肉体を幾度なく鈍器などで叩きつけている。魔人に利くわけでもないのに、連続で攻撃を行う。


『何をしているッ! 彼らを見殺しにするのか!』


《彼女》の怒号が頭の中に響く。《彼女》の力なら魔人を簡単に葬り去ることができる。

 頭では理解しているのに度重なる戦慄を目の当たりにし、体が固まって、いう事を聞いてくれない。

 全身を大きく震わせ、立ち竦むしかない。

 魔人が仁王立ちになると、地響きが伴う雄叫びを上げた。瞬間、体中の力が抜け落ちるかのようにして住民が崩れていった。

 嗤いながら魔人は喚くニンゲンを捕まえると、左の胸から心臓を抉り出し、次ぎから次へと殺戮を行う。

 苦しみに悶えながら死にゆく住民らを黙って見ているだけ。

《彼女》が声を大にして叫んでいるのに、フロラは魂を奪われたようにぼんやりし続けているのだ。

 呆気なく全員の命が絶たれると、紅の双眸がフロラをギロっと睨んだ。


『狙われるぞ!』


 言われなくてもわかっている。体が石のように固くなり、どうすることもできない。

 じわじわと詰め寄る巨体に怯え、歯がガチガチに震える。


「バカッ! 死にたいのか!」


 叱咤する声と共に腕を掴まれる。腕を強く引っ張られたフロラは見覚えのある背中に安堵し、泣きそうな声を出す。


「二、ニサちゃん……」


「ったく、ほんと世話の焼ける子だね。とにかくここから離れるぞ」


 駆け付けた親友の登場に壊れかけた精神が水を吸う綿のように豊かに潤っていく。どうにか立ち直れたフロラは前を走るニサの後に続く。

 けれど、絶望を前にした時、全てが束の間のひと時だったと感じてしまった。

 周辺には百体近くの魔人が徘徊しているのだ。

 これだけの数を相手に逃げきれるわけがない。

 虚ろな表情でフロラは呻くように言った。


「こ、こんなの、あんまりだよ……」


 死体の山が至るところに転がっており、死の世界と化した現状にフロラは薄い笑いを浮かべた。

 もはや逃げる道すらない。残された選択肢は一つだけ。


「もう、ダメだよ……」


 生きるために、ニサを守るために、フロラは決心した。

 決意が宿っている瞳で、純白の刀身――《彼女》に全てを委ねる形で、柄を握ろうとした時――。


「危ないッ!」


 ニサが突然声を上げてフロラを押し倒した。

 倒されたフロラはガバっと顔を上げると、胸を張り、両腕を大きく広げているニサが前に立っていた。

 そしてニサと対面する形でどこからともなく出没した魔人が右腕を突き伸ばしていた。

 まさか……、と思ってニサの足元に視線を動かすと、紅血が地面に飛散していたのだ。

 赤い雫が魔人に腕を伝ってポタ、ポタ、と落ちている。

 ニサの左胸に魔人の右の五指が侵入している。


「うわぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 激しい怒りが湧き上がり、はち切れんばかりの大声でフロラは精一杯の意志力を振り絞って、右手に収まる剣で魔人の肩口から胸までを切り裂いた。

 渾身の一撃で粉々に魔人が飛散すると、のけぞるように倒れるニサに向かって必死に手を伸ばした。音もなく、フロラの腕の中にニサが崩れ落ちた。


「うそ……でしょ……いやだよ……こんなの……いやだよ」


 震える声で呟いた。ニサの胸から溢れ出る血を手で抑えて止めようとする。


「わたしが助けてあげるからね」


「フロラ……あたしに、……気にせず早く……逃げろ」


「そんな悲しいことを言わないでよ」


 ぐっと手で強く胸を押さえつけるも、血は止まらない。


「もう、いいから……」


 か細い声でぽつんと囁くと、胸を抑えているフロラの手を払い除けた。


「だめ、だめだよ! 絶対にわたしが助けるから、生きてよ……」


 息を呑み、首を激しく振るフロラに向かって、言い聞かせるように言葉が掛けられた。


「もう無理かもしんない。だからあたしの分まで生きてよ……。そしてあたしの、あたし達の願いを、叶えてくれ……」


 きらめく赤みを帯びた褐色の瞳から瑠璃のように光る涙が雫となって目尻に溜まった。


「わたしを一人にしないでよ……! わたし……ニサちゃんがいなかったら、なにもできないし……これから先、生きていく自信がない……よ」


 嗚咽混じりの声を迸らせる。


「何寝ぼけたこと言ってんだよ……フロラなら一人で十分に生きていけるさ……フロラは強い子さ。だからあたしは安心して眠れる……よ」


「ニサちゃん!!」


 声を振り絞って叫ぶと、ニサは慈愛に満ちたは穏やかな笑みを浮かべながら、唇をゆっくりと、音を刻むように動かした。


「今まで、ありがと」


 静かに瞼を閉じたニサは柔らかな笑みを湛えたまま、永遠に帰らぬ旅に出た。

 漠然とニサを見つめた。深い穴に沈むようにフロラは自分を見失う。

 自分だけが取り残された気持ちと虚しさが心の内側に徐々に広がっていった時、喪失感をかき消すほどの憤激を感じた。


 殺意と憎悪が全身を駆け巡り、凶暴な破壊衝動が芽生え、フロラは精神を大きく乱した。

 ――何もかも、壊してやる。魔人さえいなければ、誰も死なずに済んだ。

 このような悲劇を生み出した魔人に対して壮絶な殺気を立てたフロラは、ニサから離れると地面に転がっている剣を握った。


『……な、なんだ、このドス黒い感情は』


 荒れ狂う憤怒がフロラの掌から伝わって《彼女》は焦燥と混乱をした。


『やめろフロラ! 怒りに身を任せるな。心が闇に蝕まれると自分を見失うだけだぞ!』


「黙れッ!!」


 殺気立った心を誰も止めることはできない。


「わたしの手で魔人を処分してやる……」


 氷のような冷たさを含んだを声を洩らす。更に激しい憤りが頭の中で渦を巻くと、絶叫しながら地面を蹴った。


 右手に宿る純白の剣を頭上に高々と振り下ろす。憎しみの全てを剣先に乗せて、徘徊する魔人達に目掛けて斬り下ろす。

 ひと振りで地を切り裂き、瞬く間にして十体近くの魔人を消滅させた。

 魔人の群れが雄叫びを上げつつフロラに殺到していく。巨体に比べてあまりにも小柄なフロラが交差した瞬間、轟くような爆音とともに空間を揺るがした。

 複数の魔人が一撃で、胴体を分断されて、砕け散る。


「消えろ! 消えろ! 消えろぉぉーーーーー!」


 迫力ある叫び声ともに剣を振るい続ける。どれだけの数の魔人が迫っても、フロラに触れることなく消滅される。魔人をゴミのように処分していく姿はもはや悪鬼同然。

 止まることのない連撃を叩き込み、獣じみた吠え声を迸らせて、魔人を紙くずのように引き千切らせる。一方的に蹂躙することのみに意識を集中させて、猛獣のように暴れ狂うのだった。




 ひたすらに剣を振るい回す。一撃一撃に憎悪を込めて、憎しみの対象物を蹴散らせる。

 フロラの視界では、いまだに魔人が迫り、消しても消しても次々と湧いて出てくる。

 戦うことのみに意識が持っていかれているのでフロラは気付いていない。

 既に魔人を全滅させていたことを。


『もう止めてくれ……』


《彼女》の声なんて届かない。闇に染まるフロラの心は完全に《彼女》の言葉を遮断しているのだ。

 届かない声。自暴自棄に陥り、暴走のみを繰り返すフロラを制止できない己の弱さに《彼女》は自分を責めた。


 その時、どんよりとした空から透明の雫が溢れてきた。

 ポツ、ポツと雫が、フロラの柔肌に落ちると、突然、動きを停止したのだ。

 空から落ちてくる水滴は雨だ。空虚な心を表すかのような冷たい感覚。そして初めて触れる雨粒にフロラは我に戻ったのだ。


 針のように細かい雨が徐々に強さを増し、華奢の体を濡らしていく。

 降り注ぐ雨粒に打たれながら、フロラはぐっと奥歯を噛んだ。

 戻ってこない穏やかで平穏な日々。家族、仲間、親友を目の前で失った悲痛さ。たった一人だけ残された孤独感に胸が締め付けられる。

 涙さえ出ないほどの底知れぬ絶望と悲しい感情が漂う。

 地を打つような太い雨は泣くにも泣けないでいるフロラの代わりの涙でもあった。



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