第11話「帰郷。衝撃の光景」
空が抜けるような青さに澄み切った快晴の下をフロラは跳ねながら歩いている。
感嘆の声を何度も漏らしながら、降り注ぐ陽射しを気持ち良さそうに浴びている。
こうして地上の空気に触れ、肌で自然を感じるのは二度目だ。
初めての時は、色彩のある世界に感動するも心の片隅には多少の緊張感もあった。今は気持ちに余裕があるため、五感全てで陽光、風、空気、植物の芳香を感じ取れる。
子供のように駆け回るフロラを暖かい目で見続けているニサが声を掛ける。
「あんまはしゃぎ過ぎるとヴァン・アレンまで体力もたねぇぞ」
「子供じゃないし、そのぐらいわかってるよ」
言うと、左手に見える湖畔に気付いた途端、猛ダッシュ。湖面に太陽の光が照らされて、コバルトブルーのように青く輝いている。
喜びに満ちた声を上げて、フロラは湖畔に近づき、水面を覗いてみると透き通った水の中に小さな魚達が群れで遊泳している。
「ほぉ~泳いでるね~」
「わたしも魚みたいに泳ぎたいって言うんじゃないよな」
「ははは、そんなわけないじゃん」
否定するも、わずかに目が泳いでいる。フロラは嘘が得意な方ではない。すぐに顔に出たり、口調や態度でバレてしまう。そんなことを当の本人は気付いておらず、何事もなかったかのようにニサの横を通り過ぎた。
地上には魔人が徘徊している恐れがある。下手に道草を食っていたら遭遇する可能性もあることから、ニサが厳し目にフロラに釘を刺した。
もっと地上を探索したいと思うも、ニサの忠告は正論なので反論する余地もなくフロラはしぶしぶ頷いた。
草原地帯を抜けて深い森の中に入る。針葉樹がそびえる間を縫って、ゆっくりと歩く。小川のせせらぎ、小鳥のさえずりが森景色に美しい伴奏を添えている。
先程と一変し、フロラは奔放な行動を取ることもなく、時折ニサと他愛のない会話を交わしている。
森をひたすらと進むと広大な平原に出た。その向こうには切り立った岩の山がそびえている。
なじみのある景色、あれはヘイフォード鉱山地帯だ。
やっと故郷に戻れる。そう思うと自然と歩みが速くなる。
「魔人に遭遇しなてく良かったよ」
ふぅーと息を吐き出して、フロラは肩をなで下ろした。
「まだ油断は禁物だ。ヴァン・アレンに戻れるまで気を抜くんじゃないよ」
フロラとは正反対にニサは張り詰めた顔をしている。
平らに広がった土地に踏み込んで歩くもニサの心配とはよそに魔人と遭遇することもなく順調に目的地に近づいている。
やがて視界が嶮岨な山地に覆われると、ニサが「こっち」だと言って周囲より低い細長く溝状に伸びた地形の方へ歩き出した。
左右にそびえ立つ巨大な岩の壁。進む度に岩と岩との間が狭くなっている。変な圧迫感があってイヤだなぁー。そう思いながらチラッと頭を上げてみると、ぽっかりと黒い口を開けた岩壁の前に女性が地面に蹲っている。
「あれは……」
鋭く目を細めたニサが走り出す。
「ま、待って!」
置き去りにされたフロラは慌てて、後を追う。
遅れること数秒、岩壁の前に到達すると、すでに女性はニサに抱き起こされていた。女性の衣服には赤い飛沫が飛んでおり、肌には切り傷が目立っている。
女性の顔を覗き込みながらニサが声を掛ける。
「大丈夫ですか!?」
「うぅ……」
どうやら意識はあるようだ。長い睫毛に縁どられた瞼がゆっくりと開く。
よく見てみると女性に見覚えがある。フロラの自宅から五分ほど歩いたところに住んでいる女性だ。確か二ヶ月ぐらい前に年上の男性と結婚したばかりで、その時ニサと一緒に祝ったことがある。
女性はニサの顔を見るなり、しゃがれた声で言った。
「……街が……みんなが……」
「街に何かあったんですか?」
不安の色を示しながら、ニサが訊くと女性は衝撃の一言を囁いた。
「魔人に、襲われているの」
「――ッ!」
フロラは息を詰めた。隣りでニサも体が激しく強張った。
ヴァン・アレンは魔人の襲撃に遭っているということは、女性は負傷しながらも助けを求めるために、地上に出たんだ。
『殲滅しにいくぞ』
《彼女》の声に対し、フロラは迷うことなく頷いた。
魔人と戦うためではない、住民を助けるためにフロラは決然たる瞳で柄を握り締めた。
掌から《彼女》の精神が急激に流れてくる。意思が込められた魂が燃え盛るような炎となって全身を駆け巡る。
はっきりとわかる。肉体が《彼女》と一つになっているのが。
意識が完全に《彼女》と替わった途端、地面を強く蹴って疾駆した。
穴の中を飛び込むとスピードを更に上げる。ほとんど足元の階段を足に付けず、飛んでいるに等しい。猛烈な速度で飛翔する。
やがて階段が螺旋状に描き始めると、真下にヴァン・アレンの町並みが映し出された。
断続的に響いてくる悲鳴。逃げ惑う住民。彼らを猛追する蠢く巨大な影。
――魔人だ。
およそ二十メートルほどの高さまで駆け下りると《彼女》は段を蹴り、飛び降りた。
すぐ下で恐怖のあまり立ち竦む少女に鋭利な爪を伸ばそうとしている魔人目掛けて剣先を立てる。
そのまま落下の勢いで魔人の頭上に剣を刺す。頭を裂き、巨体を左右に分断。
地面に崩れた体は結晶化し、触れる間もなく砕け散る。
一瞬の出来事にぽかーんとしている少女を横目に《彼女》は再び剣を構えつつ振り向いた。二体の魔人の咆哮により、全く身動きが取れないでいるヒトが十人弱、すぐ先で呻いている。
怒りに満ちた瞳で魔人を威嚇した同時に、大気を揺るがす大音響とともに《彼女》の姿が消えた。
瞬く間にして間合いを詰めた《彼女》は剣を下段から跳ね上がらせ、一体目の魔人の胴体を切断。速度を緩めることもなく真横に移動し、剣を振り抜く。魔人の体表面が緑色の結晶に覆われた直後、四散。
倒れ込んでいる住民は一体何が起きたのか? という顔で口を開けて唖然としている。
それだけ《彼女》の攻撃速度が驚異的だったということだ。
これで三体の魔人を仕留めたが禍々しい気配からして後十体は残っている。
近くの気配を察知すると《彼女》は建物の上に跳んだ。
屋根を伝って仕留めるべき獲物を視界に捉える。
純白の光芒を引いて、空間を走り抜ける。
轟音を立てて暴れ狂う魔人の下に身を躍らせる。
振り下ろされる右手を剣で受け流す。血に濡れた赤い掌が目に入る。魔人の背後には心臓を引き抜かれた男性が壁にもたれかかっている。
「始末してやるッ!」
吐き捨てるように叫ぶ。
「おぉぉぉぉーーーッ!」
雄叫びとともに胸を中央を貫く。消滅する魔人に目もくれず《彼女》は一声を叫び、猛然と地を蹴ろうとした瞬間――背後の気配に察知し、瞬時に真後ろを向いた。
嬉しいことに魔人を探す手間が省けた。
五体の魔人が、その巨体で《彼女》を見下ろしているのだ。どうやらこいつらの標的はニンゲンから《彼女》に変わったようだ。
それを物語るように迫力がひしひしと伝わってくる。
が、《彼女》は物怖じせず、稲妻の如く視線で魔人を貫いてる。
先に動いたのは《彼女》だった。
《彼女》にとって魔人を狩ることなど造作もないこと。
かつて数多の魔人を右手に持つ純白の剣で殲滅してきたのだ。
魔人を殲滅する力があるのに、防御に徹するなど愚かだ。どれだけの数が押し寄せても、守りに入ってしまうと不利な展開に持ち込まれてしまう。故に《彼女》は必ず自分から仕掛ける。
剣を横一文字に薙ぎ払う。体を風車のように回転させ、最大限の速度で魔人の肉体を切り裂く。少しだけ浅かった攻撃に間を入れず魔人に飛び掛かり、胸板に剣を突き立てる。
断末魔の叫びが両耳に届く中、片頬に獰猛な笑みを浮かべ、斬撃を放つ。
残りの魔人は反撃をしようにも、目にも止まらない速さで撃ち込まれる連撃を見切れるわけもなく、呆気ないほどに消滅した。
「はぁ……」
昔、何百の魔人を相手にしていた時とは違い、五百年も眠りに就き、フロラの体を借りていることもあって息が切れてしまう。
二桁の数にも至っていないのに無様だな。と自嘲気味に笑った《彼女》は、集中力を更に高めて、残りの魔人を狩るために駆けた。
「これで終わりだッ!」
叫び終えると同時に四散する魔人に向けて鋭い視線を送った。剣を軽く払い、息を吐く。
ヴァン・アレンを襲撃した魔人を全て殲滅することに成功した。
だが、素直には喜べない。
二十人近くのニンゲンが殺された現状に胸が苦しくなる。
最小限の被害に抑えたとはいえ、ニンゲンの命が犠牲になってしまったのは事実だ。
『ねぇ、なんでヴァン・アレンが襲われたの……?』
戦いの最中、一言も喋らなかったフロラが、《彼女》の意識の中に問い掛けた。
「理由か……。それはわたし達が『都』から脱走したからだろう」
『だからって住民を襲うの?』
「例え私達がどこかに隠れていても、魔人が襲ってきたとわかれば確実に姿を見せる。単純だが一番効果的な策だ」
『『都』から逃げたりしなかったら誰も死なずに済んだんだ……』
「あまり自分を責めるな。その考えは己の命を顧みずフロラを助けに来た友人に失礼だ。このような悲劇が起きてしまったのはオーフィリアにある。やはりあいつの首を討たねばらないな」
全身の血が沸騰するような憤りを覚える。
その時、命からがら生き延びていた住民が建物の隙間からこちらを覗いていることに気付き、《彼女》は剣を石畳に突き立てた。
「私の役目はこれで終わりだ」
フロラが返事をする前に《彼女》は柄から手を離した。すると、一瞬だけ力が全身から抜け落ちてしまい、体が前に傾いた。
「あれれ?」
目をパチクリさせながらフロラは間抜けな声を出した。
どうやら肉体の制御権が戻った時は、このような感覚に囚われるようだ。
「フロラ、無事だったんだな」
背後からの男性の声に反応し、振り向くとヴァン・アレンの街長が立っていた。
初老の街長は皺が入った顔をめいいっぱいに皺くちゃにして、フロラに歩み寄った。
「良かった……。フロラがこうして戻ってくれて……」
街長は盛んに目をしばたかせながら両手を優しく握った。
「うん、ニサちゃんのおかげだよ」
「あいつの無茶には驚かされるわ。一人で『都』に乗り込むと言った時は本当にたまげた。魔人の恐怖に怯えていた我々と違い、あいつは果敢にもフロラを救出しに行ったんだ。あいつには頭が上がらんよ」
「戻って来れたのは良かったけど……」
言葉を切ると、崩壊した建物や、負傷している住民の方に視線を走らせた。
「魔人に襲われるとニンゲンはどうすることもできん。死ぬか逃げるかの選択しかない。正直……これだけの被害で済んだことは奇跡かもしれんよ」
鉱山地帯で殺戮を繰り返していた時に比べれば、今回は遥かに犠牲者が少ない。
もし駆けつけるのが遅ければ最悪の事態だったかもしれない。
地下区域はニンゲンがひと時の安らぎが取れる場所であると同時に逃げ場のない監獄でもある。
結局のところこの世界でニンゲンが安堵感に浸れる場所なんてどこにもないのだ。
改めて世界の残酷さを知ったフロラをたまらず下唇を噛んだ。
「このような形でニンゲンの命が失われるのは胸が痛く締め付けられるわ。だがな、我々は悲しみに暮れるわけにはいかん。これから成すべき事の前に今は前進しなければならないからな」
「成すべき事……?」
「ヴァン・アレンや我々の存在意義とでも言うべきかな。いずれわかることだ。さて、仲間の魂を安らげるために弔いの儀式を行おう」
「うん」
「その後は盛大な宴を開くとでもするか」
「へっ? 宴って……なんで、こんな時に?」
「こんな時だからこそだ。心苦しい時に皆して落ち込んでいたら、街全体が暗くなる。苦しい時、辛い時にこそ、心を一つにせねばならん。てっとり早いのが宴というわけだ」
安易的だが、重苦しい雰囲気を一掃するにはもってこいの方法だろう。
「皆、楽しんでくれるかな?」
「宴が嫌いな者はこの街にはおらん。フロラも協力してくれ」
「……わかった」
返事をすると、街長は微笑みながらフロラの頭をポンポンと撫でた。




