第10話「出発」
飛び出したものの行くあてもなく彷徨っていたら小さな丘を目にし、自然と足が丘を登り、数分後にはシュテルの地を見渡せる高さに立っていた。
憧憬と郷愁に似た感慨を覚える景色も、今は苦痛しか感じなかった。
『フロラは私に似ている所があるな』
静寂を破ったのは一人になりたいと言っておきながらも、両腕の中に収めたまま連れてきてしまった《彼女》だった。
「レナちゃんとわたしが似てるの……?」
『私も母親を失った身だ。今も尚、母さんを助けられなかった悔いが残っている。そして失望感も消えてはいない』
「辛くはないの?」
『辛いさ。けれどそれで自分を否定してしまうのは間違っている』
「どうしてそう言い切れるの?」
『自分を否定しまえば、自分を守ってくれた母さんまで否定してしまうからだ』
決然とした声ではっきりと告げた。相手を気遣って言葉を選んだりはしない。思ったことを真っ直ぐに伝える。それが《彼女》らしいところで《彼女》なりの優しさなのだ。
だから純粋なフロラにとって《彼女》の言葉は大きく心に響くのだ。
「じゃあ今のわたしはお母さんを否定しているんだね」
『フロラ自身が否定しているなら、そうなる。大切な人を失った悲しみは月日が経とうとも消えないもの……。フロラは強くなろうと意識しているから無理矢理に抑えているに過ぎないんだ。誰だって後悔はするものだ。重要なのは、そこから立ち直る心があるかどうかだ』
「抑えないと自分が自分でいられない気がして……」
『抑える必要なんてないんだ。――あらゆる感情、想い、心境を全て受け止めればいい。無理に自分を演じるのではなく、自分を変えるんだ』
「自分を変える……」
呪文のようにして小声で何度も呟いた。
偽りでしかない強い自分を作ったことで不安定だった心の動きをなんとか保っていた。
それは外面的な変化なので、ちょっとでもひびが入ってしまうと簡単に壊れてしまう。
今のフロラが正にそうだ。
心を上手く制御するほどフロラは成長していない。
なのに演じてしまった。
簡単に、安易に《彼女》に見破られてしまっている。
その強さは取り繕っているだけなのだ。
『ゆっくりでいい。すぐに自分を変えようとしても無理だ。今は変わる為に何をすべきなのかを考えればいい』
穏やかな、ヒトの心を癒すような滑やかな声。
『もし一人の力では無理だと言うなら、私がフロラを支えてやる』
「わたしにそこまで優しくしてくれるの?」
『昔の私を見ているようで放っておけないからだ』
弱虫で、すぐに泣いて、弱音を吐くような子だったのかな。と思うが、これまでの《彼女》の言動を見ても、全くそのように感じられない。
「絶対嘘だよ」
『と言われても仕方ないかもしれないな。あの頃から比べると自分でも驚く程の変貌を遂げている。魔人を滅するという意思から自分を変え、一人の戦士として私は生き続けてきた。だが戦いの日々が続くにつれて感情は少しずつ希薄になっていった。混血ではあるが、私はニンゲンの心を持っている。なのに大勢のニンゲンが目の前で殺されても、私の心は無慈悲なまでに動かなかった。その頃から私は憧れていたのかもしれない……誰よりもニンゲンの痛みを知ることできる感情を持つ者を……』
「……」
『今のフロラには心がある。けれど己次第で心の色が大きく変わってしまうんだ。フロラにはニンゲンであって欲しい。だから私は君の傍にいるんだ』
一つ一つ丁寧に紡がれた言葉は素直に嬉しかった。
ほんの一瞬だげ、《彼女》が姉のような気さえした。
『フロラは凄く純粋な子だ。その純粋さには仲間を友を惹きつける魅力的な力がある。私には無い物を持っているから、どうしてもフロラを支えたくなってしまう』
それを聞いたフロラの顔がわずかに綻んだ。
「無理になったら、レナちゃんに頼るよ」
『尽力しよう』
《彼女》が女性の姿をしていれば、きっと暖かく、優しく、心地よく、心に染み入るような微笑みを浮かべているのだろう。
女神のような美しさを湛えてた。とエッジワースは言っていた。剣に魂を憑依した《彼女》に肉体は無い。遥か昔に失った肉体を蘇らせることなんて不可能だ。だけどもし、甦ることができれば、間近で《彼女》の美しさを体感してみたい。
こんな空想が考えられるってことは気持ちに余裕ができたから。
不安定だった心が《彼女》と話している内にいつの間にか重荷が外れたように軽くなっていた。
爽やかな気分に満たされたフロラは不意に地上への思いを馳せてしまい、つい胸中を溢した。
「わたしも世界を旅したいな……」
『ご老人の話を聞いたからか?』
「それもあるけど、いつか自分の足で世界を見て回りたいって大きな夢があるの。レナちゃんって旅をした事あるんだよね? 少し話を聞かせてよ」
『……地上は想像もしない壮大な景色に満ちている。自然が生み出した景観は芸術に値すると言えるだろうな。果てしなく広がる水たまりや雪に覆われた銀氷の世界、灼熱の砂丘、頂が見えない巨大な岩の柱が林立する岩山。どれもこれも私の目を奪ったよ」
「う、羨ましい……」
目をキラキラと輝かせながら心を弾ませた。
『機会があれば是非足を運んでみるといい。あと覚えておくんだ、世界を旅するということは残酷な一面も直視しなければならない。ご老人が話していた……希望のないニンゲンの未来をだ』
「本当に希望がないの……?」
『私が眠ってから世界がどれだけ理不尽に埋もれたのかわからない……今は何とも言えないな』
「五百年以上も経っているんだもんね。まさかレナちゃんがそんな昔のヒトだったなんてほんとびっくりしたよ」
『私も驚いたさ。何処かで見たことのある風景だと思っていたが、ここがシュテルの地とは……。これも因果なのかもしれないな』
発せられた声はどこか郷愁を感じさせるようだった。
「エッジワースさん感謝していたよね。自分が生きているのはレナちゃんがご先祖様の命を救ってくれたからって」
『大袈裟過ぎる。ただ私は魔人がこの地で暴れていたから自らの手で葬ったまでだ。称えられるようなことは一切していない』
「謙虚だね。わたしなら自惚れちゃうもん」
『フロラらしいな』
「褒めてるの?」
『そう受け取ってくれ。さて、これ以上の話は無用だ。憂心を抱いてフロラの帰りを待っている友人の下に戻ろう』
「ニサちゃんに心配掛けてばっかだよ。……申し訳ない気持ちで一杯」
『なら一刻も早く戻らなければならないな』
「だね」
頷いたフロラは、剣を抱えると駆け足で小丘を後にした。
エッジワースの生活拠点としている家屋で一晩を過ごした。
翌朝、支度を済ませたフロラとニサは家屋から出ると、思いつめた顔でエッジワースが待っていた。前日、フロラが飛び出したことに関して彼は何も追求をしてこなかった。彼なりの気遣いなのだろう。
寝床を用意してくれたりと初対面の相手に親切にしてくれたエッジワースに二人は感謝の言葉しかない。
「もう少しゆっくりしていけばいいのに」
残念そうに見詰めるエッジワースにフロラは言う。
「ヴァン・アレンにはわたし達を待っているヒトがいるんです」
「それなら仕方ないね。――ヴァン・アレンはここから西に向かって歩けば一時間弱で着くはずだ。この先にある扉をくぐり、階段を上れば地上に出られるよ」
エッジワースが示した方向に視線を向けると数十メートル先に大扉が構えている。見たところニンゲンの力では開けられない大きさだ。扉が開く仕組みが細工されているのだろう。おそらく魔人の侵入を防ぐ為に造られたと思うが、下部に大きな穴が空いているところから察するに壊されたに違いない。
「くれぐれも魔人には気をつけるんだよ」
「何から何までお世話になりました」
フロラとニサは同時に頭を下げると、エッジワースは二人の手を握った。
「このような形で君達に会えたのは偶然じゃないような気がするんだ。もしかすれば誰かがシュテルの地へ導いてくれたのかもしれないね」
「だとすれば運命を感じますね」
微笑んでフロラは言った。
大きく頷いたエッジワースと握手を交わし、二人は大扉へと足を向けた。
「出発だ」
ニサがフロラと顔を見合わせる。徐々に遠ざかるも手を振るエッジワースにフロラはそれに応えるように右手を振り続けた。




