第9話「シュテルの民」
二人が案内されたのは地下住居区域の中心部から少し外れた一帯の古い家屋だった。どうやらエッジワースはここで寝泊りをしているようで、室内は思っていたよりも綺麗に片付けられており、壊れていた家具を修理したのだろうか、直した痕跡が見られる。質素さはあるものの、逗留するだけと考えるなら十分問題は無いだろう。
やや緊張した面持ちで室内に入り、椅子に腰掛けて待つこと十分。隣りの部屋から芳ばしい香りが漂い始め二人の鼻腔を刺激させた。
「客人をもてなす料理の腕がなくてね。すまないが、これで許してくれ」
部屋から出てきたエッジワースは二人のために手料理を振舞ってくれるようだ。てきぱきと動き周り、わずか五分で文句の付けようのない食卓を整えた。
眼前の大皿には湯気を上げるシチューがたっぷりと盛り付けられている。野菜と肉が盛りだくさんの煮込み料理を目にした空腹状態のフロラは無意識に涎を垂らした。
「遠慮しないで食べてくれ」
二人の向かいに座ったエッジワースが目尻の皺を縮めるようにして笑って言うと、フロラはいただきますと言うのももどかしくスプーンを取って、柔らかく煮込まれた肉をあんぐりと頬張った。
肉汁が溢れるように迸り、充満する香りと熱が口内に広がっていく。
それを皮切りにフロラはスプーンを大皿に突っ込んでは口の中に運ぶ作業を繰り返した。
大口を開けて口いっぱいに食べ物を頬張る姿を――隣りに座るニサは呆気に取られていたことも知らずに。
やがて、きれいに跡形もなく煮込み料理を完食したフロラは充足感に浸りながら、息を吐いた。
「もーうお腹いっぱいだよ~」
「一人でどんだけ食うんだよ。つーか、あたし全然食べてないんだけど」
不満げな顔でニサは唇を尖らした。
「食べるのが遅いんだよ」
「フロラが食い過ぎなだけだよ」
「だってお腹減っていたし、それに凄く美味しかったから」
「喜んでもらえると僕としては非常に嬉しいよ」
二人の様子を静観していたエッジワースは終始微笑んでいる。
「あ、あのー見ず知らずのわたし達に料理を振舞ってくださってありがとうございます」
お礼をするフロラをエッジワースは、はは、と声を出して笑った。
「こうしてヒトと触れ合うのは久しぶりなもので嬉しかったんだよ。こんな辺境の地にヒトが訪れるなんて夢にも思っていなかったからね」
「エッジワースさんはこの地下住居区域の生まれなんですか?」
「僕の生まれた区域はここよりももっと東にある場所だよ。そういう君達はどうしてここに? 迷子というわけではないよね」
「……」
どう答えていいのかわからずフロラは黙った。
「あたし達、興味本位で地上を歩きまわっていたんです。けど魔人と遭遇して追われる羽目に……。一心不乱に逃げていたら、いつのまにかこの辺りの洞窟に入り込んでしまってずっと彷徨っていました」
ニサの口から機転を利かせた発言が紡がれ、フロラは感心してしまう。
「と、いうことは君達の出身地はこの周辺ということか?」
「ヴァン・アレンです」
「ほーう、ヴァン・アレンか……。僕が知っている限りではあそこは世界に数多くある地下住居区間の中でも平和に恵まれているところだ。まだニンゲンに尊厳や誇り、なにより自由がある。ヴァン・アレンの中だけ、ニンゲンの生活が保っているからね」
二人は思わず固唾を呑む。
「悲惨なところは地下だろうと関係なしにニンゲンは家畜のように扱われている。いや、家畜なんてものじゃない……玩具だよ……。好き勝手に弄ばれる。あれはニンゲンが生きるべき世界ではない」
「エッジワースさんは旅をしている方なんですよね。一体何を見たんですか?」
不安を顔に滲ませながらフロラが訊くとエッジワースの表情に悲しい影が走った。
「希望のないニンゲンの未来だよ」
「……」
フロラは無言になった。
「君達の環境はまだ恵まれている方だ。けれど、それがいつまで続くかわからない。きっと近い将来、ニンゲンは絶望を前にするはずだ。もはや手遅れなんだよ、世界は……」
世界を旅する。フロラの夢だ。しかし旅をするということはこの目でありとあらゆる真実と向き合い、受け止めなければならない。喜びよりも残酷な世界を目の当たりにすることの方が多いはずだ。
エッジワースはきっと想像もつかない悲惨な経験をしてきたに違いない。
だから彼の言葉は重くのしかかり、フロラの心を揺らしたのだ。
しばし重い沈黙が続く中、エッジワースは視線を遠くへと向けて言った。
「だから僕はシュテルの地へ赴いたんだよ」
「シュテルの地? ニサちゃん知ってる?」
見てみると、ニサは不審な視線をエッジワースに固定していた。
「……ニサちゃん?」
肩をポンと優しく叩くと、ニサは虚を衝かれたように慌てた。
「ど、どどどど、どうした?!」
「ん? ニサちゃん何かヘンだよ」
「……ちょっと眠たかっただけだ、ははは。さぁさぁエッジワースさん続けてください」
「うむ。今から五百年も昔の話だよ。かつてこの地はシュテルの民が築いた都市として繁栄したんだ。シュテルの民というのはね、わかり易く言うと魔人からの解放を望み、切実に自由を求める者達のこと。彼らは秘密裏に自分達が渇望するユートピアを築きあげていたんだよ」
「す、凄いですね。気持ちはわかりますが魔人に気付かれたら一巻の終わりですよ」
「それでもシュテルの民は魔人の束縛から解放される生き方を願っていたんだ。けれど……わずか五年足らずで彼らのユートピアは終焉を迎えたんだ」
「……つまり、それって……」
エッジワースの顔から表情が抜け落ちる。儚さが混じった瞳を一点に固定し、その先を告げた。
「シュテルの地が魔人の襲撃に遭ってね、多くのニンゲンの命が奪われてしまったんだ……。自分達が築いた自由と平和を尊重する街が瞬く間に崩壊し、共に信念を誓い合った仲間達が次々と葬られていく。シュテルの地は地獄と化したんだ」
「……シュテルの民の皆は……」
魔人相手に生き残る確率は極めて低い。
どう足掻いても魔人の前ではニンゲンの死は必然だ。
シュテルの民は根絶やしにされたんだ……。シュテルの地がこんな荒れ果てた地に変わってしまったことが全てを物語っている。
言葉にしてから、後悔をした。こんな失礼極まりないことを無意識にとはいえ、口に出した。フロラは自責の念を感じ、俯いた。
けれど、思いもよらぬ一言が返ってきた。
「生き残ったんだよ」
フロラの顔が驚きの色を示した。ほんの僅かにニヤっとエッジワースは笑うと、
「絶望を前に誰もが死を覚悟した時、一人の女性が刃を振るい、シュテルの地を襲った魔人を全て討ったんだよ。シュテルの民は誰もが驚いたもんさ、だってニンゲンが魔人を倒したのだからね。世界の理から外れた女性をシュテルの民は恐れるどころか神として崇めたのさ。そして彼女はニンゲンと魔人の血が流れている混血だと明かした。ニンゲンでもなければ魔人でもない存在にシュテルの民は希望を託したんだよ。この世界を変えてくれることを……。名の知らない女性。それは女神のような美しさを湛えていたと云われている。それ故にシュテルの民はこう名付けたんだよ――『混血の女神』と」
その女性が誰で、名前も知っている。
フロラは気付かれないように、そっと足元の剣に目をやった。《彼女》からの声は届かない。エッジワースの話を黙って聞いていた。そんな感じが見受けられる。
「生き残ったシュテルの民は、この地を手放した後、世界各地に散らばったとされている。実を言うと僕はね、シュテルの民の子孫なんだよ。だから混血の女神には感謝をしているんだ。彼女が先祖の命を守ってくれたから、今の僕がここにいる。シュテルの民の子孫達の命は混血の女神が授けてくれた誇り高き魂でもある、きっと誰もが混血の女神を敬い、称えている。僕もその一人だからね」
「あ、あのー例えばの話ですけど、もし……混血の女神が今も生存して、エッジワースさんの前に現れたら、どんな思いを伝えますか?」
「君は面白いことを言うね。うーん……そうだね……他にも伝えたことはあるかもしれないが、一番最初に言うのは、ありがとう、かな」
フロラは満足げに頷き、心の中で「良かったね」と呟いた。
「あくまで噂程度に過ぎないが、シュテルの民の子孫が何処かの地下住居区域に集っているらしくてね。事実なら是非お会いしたいものだが僕の旅はここが終点になるようで残念なんだよ」
「もう旅をしないってことですか?」
少し間を置いてから、深く頷いた。
「息子と旅をしていてね。僕達はシュテルの地を目指していたんだよ。けれど今の息子を置いて僕一人だけで旅をするわけにはいかない」
「息子さんもここに?」
「奥の部屋で眠っているよ。――正直、今の息子を誰にも合わせたくない。……だけど君達のように若く、地上に興味を持っているならばこの目で受け止めるべき世界の一部を知ってもらいたいんだ。……世界の残酷さ、というやつをね」
躊躇っていたエッジワースだが、決心がついたのか息を大きく吐き出すとおもむろに椅子から立ち上がった。
「僕の息子を紹介しよう。付いて来て」
フロラとニサは言われるがまま腰を上げて、エッジワースの後に付いていった。廊下に出た先の古びた扉に向かって歩いていく。木製の扉を静かに開けて、中に入ってみると、部屋の真ん中にベッドが置かれており、毛布にくるまって誰かが眠っているのが窺える。
「意識はあるが、ほとんど寝ている状態だよ」
ベッドの傍に近寄ったエッジワースは毛布を数回撫でた。小声で何かを喋っている様だが、ここからだと聞き取れない。
「先に言っておくが、あまり気持ち悪がらないでくれ。これでも僕の息子だからね」
自重気味に笑うと、エッジワースはゆっくりと毛布をめくった。
見えたのは頭頂部から肩にかけてほんの一部分だったが、フロラとニサは息が詰まるほどに驚いた。
皮膚から鉱石が数箇所生えている……。変異しているのか、硬化しているのか、見当もつかないが、ニンゲンの体が部分的に石と化している。
辛うじてニンゲンの原型を留めているが、もはやニンゲンと呼ぶに相応しいのか疑問が湧いてしまう。
「これでも息子は生きているんだよ」
「流行病とかですか?」
尋ねたのはニサだった。
「ニンゲンの心はとても脆い。魔人に屈服する今の生き方に苛立ちや憎悪を抱いてしまう。魔人に抗おうとしても、ニンゲンに勝目はない。諦める者もいれば、絶望する者もいる。特に後者はニンゲンの存在を否定し、最悪ニンゲンであることを否定する。いつしか魔人に憧れ、ニンゲンの魂を捨てる者が現れてしまう、そういう輩を魔落ちと呼ばれているんだよ」
ベッドに横たわっているエッジーワースの息子は何かのきっかけで、ニンゲンであることを拒み、道を踏み外したことになる。
だとすれば、肉体が鉱石に覆われるのとどのような関係があるのだろうか。
素朴な疑問をフロラが投げかけようとすると、先にエッジワースが話してくれた。
「ニンゲンの魂を捨てた者は己自身が魔人に変貌することを望むようになる。ある鉱石を体内に取り込むことで、ニンゲンは魔人に変異すると根も葉もない言い伝えがある地域に広がっているんだよ。そんなくだらない信憑性のない噂に息子は信じきって、こういう有様だよ」
ある鉱石――思い当たるフシは『魔石』しかない。《彼女》が言うには魔石は魔人の食料なので、ニンゲンが食べても……どうなるんだろうか? 考えてみれば、魔石は途方もない力が凝集している塊。もしそれをニンゲンが体内に取り込むとどんな反応を起こすのか?
『フロラ、それ以上は何も考えるな』
《彼女》の声が思考を制止させた。
「うん」
ニサやエッジワースには聞こえない声音で返事をすると話を続けるエッジワースに耳を傾けた。
「肉体が拒否反応を起こしてね、最初は小石のような斑点が皮膚に浮かび上がり、日に日に増え続けていくんだよ。一ヶ月ほどで全身が石のように硬くなって体中に幾つもの鉱石が生えてくる。病ではない以上治療方法も見つかるわけもなく、この地で息子の看病をしている。魔落ちの成れの果ての姿とはいえ、大事な息子だからね。一人にしておくわけにはいかないんだよ」
慈愛に満ちた瞳で息子を見詰めるエッジワースが、常に自分を優しく見守ってくれた母親にぴたりと重なる。
親というものは自分のことを顧みず、純粋なまでに子供に尽くす。
テミスに感謝の想いを伝えるべきだった。と後悔が湧き上がってきた途端――、
悔恨の刃が激痛を伴って胸の奥を切り裂くのを感じた。
テミスと同じ時間を共に過ごすことはもう二度できない。
母親の笑顔、手作りの料理、自分への愛情。
願ってもテミスは生き返らない。
忘れかけていたテミスと過ごした大切な思い出が鮮明に甦り、抑えきれない感情の波が胸の奥で広がる。
罪悪感と自己嫌悪に押しつぶされなりながら、必死で耐える。
けれど深く埋まる痛みは消えてくれない。
「っ……ぅ……」
喉の奥から、抑えきれない嗚咽が漏れた。
「具合でも悪いのか?」
目を閉じて項垂れるフロラにニサは憂色を浮かべている。
「……ちょっとね、お母さんのことを思い出しちゃって……」
「……」
言葉に詰まったニサはエッジワースに視線だけを送ってからすぐにフロラへ向き直った。
「今のフロラにとって親の愛情ってやつを目の当たりにするのは辛いものがあるか……」
「辛いって言うよりも後悔してるかな……」
「…そっか」
まるで自分を責め立てるような台詞にニサは困惑している。
これは自分の問題だ。親友の手を借りずに自分の力で解決しなければ意味がない。
どう心を整理させるのか、どのようにして痛み続ける悔恨の刃を引っこ抜くのか。
強くなると墓前で誓ったのに、このままだと後悔に押し潰されて自己崩壊してしまう。
今必要なのは心を落ち着かせること。
「……ニサちゃんごめん……一人になりたいの……」
掠れた声でニサに告げると、状況を呑み込めないでいるエッジワースにちょこんと頭を下げるや、勝手に飛び出した。




