東京信仰(未完)
執筆日:2015年12月1日
お題 :東京信仰
祖母は毎朝、太陽が昇るとその方向に向かって手を合わせていた。
子供の頃に一度だけ、どうしてそんなことをするのかと訊いてみたことがある。
「お日さんが昇る方向にはな、東京いうところがあんねん」
東京。それは、祖母の口から度々出てくる言葉だった。
私はその「東京」というものが何なのだか分からなかった。一緒に住んでいる両親に訊いても、二人はきちんと教えてくれたことはなかった。
母がいうには。
「それはおばあちゃんの作り話だから。あなたが知る必要はないのよ」
父がいうには。
「大昔にそんな地名があったようだね。今では古い文献にしか残っていないんだ。よく知ってるね?」
祖母のおいのりは、物心ついた頃にはすでに始まっていた。晴れの日も雨の日も風の日も、祖母は東京というものに手を合わせ続けていた。
その祖母が、二日前に死んだ。死因は心不全ということになり、要するにちゃんとした理由はわからなかった。
この地域では、死者は東の山の上に埋葬される。未だに土葬なのだ。外では火葬が主流になっていると聞いたことがあるが、人を焼くなんて想像できないし、おぞましいことだと思っていた。
慣例に従い、祖母の遺体は山の上に埋葬された。男手が必要とのことで、私も祖母の棺桶に土をかけるのを手伝った。昼過ぎから始まった葬儀が終る頃には、もう日が暮れかかっていた。
葬儀が終ると、葬列は当然山を降りる。なんとなく足が重くなり、私はその列の最後尾に陣取って、ゆるりと下山することにした。
そのとき、ふと祖母が東京というものに手を合わせていたことを思い出した。
祖母が向かってお祈りしていたのは、ちょうどこの山である。山の向こう側に東京はあるのだと。
私は、そこから太陽が昇る方角に目を凝らした。
濃い緑に侵食された、廃墟の町が見える。そこにはもう人は住んでいない。
七十年ほど前に起こった大災害によって、この国は壊滅的な痛手を受けた。国土が半分以上も失われ、このような廃墟はいたるところに野放図になっていた。
眼下にある廃墟に向かい、私は祖母とおなじように手を合わせた。




