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文野幸子は原稿できない

執筆日:2015年12月18日(金)

お題 :苦い会話

 ドアを開けると、文芸部の部室には副部長しかいなかった。

「あれ、珍しいっすね」

「みんな委員会。会議の日だって」

 へー、と生返事をしながら、石塚は部室の中央に置かれたテーブルに、文野幸子とは対角線になる位置に座った。

 幸子の様子をうかがうと、ノートを開いてなにやらうんうん唸っている。よくよく見ると、原稿ではない。どうやら先に宿題を片付けているらしかった。

〝宿題は翌日登校してからする派〟の石塚は、お構いなしに書きかけの原稿を広げた。

 四百字詰めの原稿用紙が三十枚。部の方針として、初稿は手書きということになっている。律儀に守っているのは幸子くらいのもので、石塚は自宅のパソコンからプリントアウトした原稿も一緒に広げた。彼が手書きのルールを守るのは部活動中だけで、今から書くのは持ってきたパソコン原稿の続きである。手書きと手打ちを交互に繰り返し、最終的にパソコンで仕上げるのが石塚のやり方だった。

 書きかけの原稿を読み返してから、石塚は自分の世界に没入し、続きの執筆を始める。万年筆を使っての手書きは面倒ではあるが、キーボードを叩いているときにはない発想が出ることもある。その一瞬の閃きは、ややもすれば一文字を書いている間に消えてしまうこともあるが、手元に原稿とは別にメモ用紙も置いて、思いついた言葉はそこに書き捨てていく。

 没入感を高めていた石塚は、不意に集中が途切れた。

 視線を感じたのである。

 顔を上げると、じっと彼の方を見る幸子と目が合った。

「……なんすか」

「ずるいですね」

「はぁ」

 幸子はぷっくりと頬を膨らませてにらみつけている。

「俺なんかしましたか……」

「私を差し置いて楽しく原稿するなんて」

「いや、先輩を書けばいいんじゃ」

「宿題が終らないの」

「終ってなくたって書けばいいじゃないですか」

「途中で諦めるのは嫌です」

「諦めるって……ああ」

 石塚は〝はた〟と気づいた。教科は何か知らないが、要するに、解けない問題があるのだ。

 勉強が苦手なくせに真面目で、その上で負けず嫌いが揃っている。文野幸子は、一度やり始めた問題を途中で放棄することを良しとしない。

(ただの不器用で要領悪くて融通が利かない人だ)

 面倒くさい、と石塚は思った。

「まあ俺は書きますが」

「それがずるい。勉強教えて。教えてください。私の宿題が終るまで待って」

「後輩に教えを説いてどうしますか。あと横暴」

「あーあー書きたい。授業中あれこれめいっぱい書きたいことを溜め込んだのに。頭から流れる。耳から流れ出てしまう」

「うわグロテスク」

 幸子がぐだぐだし始めたので、石塚はため息ひとつして席を立った。

「ちょっと、どこ行くの?」

「そろそろ人も来るだろうし、ちょうどいいから休憩です。飲み物買ってきます」

「あ、私のもお願いしていい?」

「じゃあ自分の分のジュース代ください。何飲みます?」

「コーヒー。ブラックで」

「チビのくせに苦いものを」

「チビ言わない。ノッポくんめ。はいお代」

 手渡されたのは百円玉ひとつであった。

「お釣りはいらないよん」

「お釣りでねーよ」

 抗議の声を無視して、幸子はまた宿題と睨めっこを始めた。

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