灰色に映る影の人
執筆日:2015年12月15日
お題 :団地妻の感覚
地の底まで抜けるような、鈍い風の音が唸っていた。
増築し、改築し、歪になった巨大な団地は、今は朽ち果てて廃墟になっている。その様はさながら迷宮である。ところどころ崩れかかったコンクリートの床や天井、大きく崩れた壁の穴は、暗い風しか通らない。どの階にも、ガラスや壊れた家具、食器類や、子供のおもちゃといった、かつて大勢の人々が住んでいた痕跡が散乱している。
しかし今も、この団地には住人がいた。
遠藤は、たびたびここにやってくる。その住人に会いに来るのだ。
最初はよくある退廃趣味が高じて、こうした廃墟探索に繰り出していた。それが、彼女に会いに来る、という目的に変わったのはいつからだろう。決して自宅からは近くない場所にあるが、月に一度のペースで、遠藤は廃墟に通っていた。
手には撮影用の一眼を携えて、遠藤は廃墟を徘徊する。かつての生活の匂いを辿るよう、ここにいる住人の足取りを追うよう、下から上へ、上から下へと。このうら錆びた建築物の中にいると、遠藤は、乾いた高ぶりを感じずにはいられなかった。
遠藤は何度もシャッターを切る。薄暗い、灰色の世界に、フラッシュが幾度も輝く。雨漏りの跡、壁のひび割れ、崩れた階段、床に積もった埃、植物に侵された窓辺。そういった、見るものが見ればなんの面白みもなく、けれど彼のような一部の趣味人が見ればある種の芸術と化すものを、一眼に封じ込めるように。何度も、何度も。
遠藤はそれだけで満足する。
自宅に戻って、廃墟の空気をたくさん取り込んだカメラを現像すると、何十何百枚も撮った写真の中に、たった一枚だけ、彼女の姿を捉えることができる。あの朽ちた団地に住む、たった一人と思しき住人。偶然カメラに映ったその影に、遠藤は心から焦がれていた。
その女性のことが知りたくて、あの廃墟についても調べた。いつごろに建てられたのか。どういった人々が住んでいたのか。どうしてあのように朽ちてしまったのか。
独自にも調査し、現地を探索し、そうして、全てではないが、少なくとも写真に写る彼女のことは突き止めた。
我ながら狂っている、と遠藤は自嘲せざるをえない。
決して届かぬ人を相手に、こんなにも執着してしまう。
その理由も、彼は知っている。
遠藤には両親がいない。幼少の頃に施設に預けられ、ひとりで生きてきた。
家族というものを知らない彼は、どこかでそのぬくもりに飢えていたように思う。
それが、この執着に繋がっているのだろう。
遠藤の自宅には、あの廃墟の写真のほかに、古い写真もあった。とある筋から入手したその写真には、夫婦と思しき男女と、その間に、二人の子供が中睦まじそうに映っている。撮影したのは、大きなコンクリート建築の入り口らしい。
入手先の話では、その子供は遠藤の母親らしい。
その子の母は、廃墟に移る女性の影に似ていた。




