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37.これで夢は終わりですね?

「それにしても、本当においしい……ですね」

舌にねっとり絡みつくように濃厚な味わい、そして、その合間に楽しむしゃっきっとしたサラダとそのドレッシングのさわやかな酸味、ピリリと辛いスパイスに出会った後の、柔らかな肉。はじめて食べる食事の感動は、不安と心配で半減させてしまいながらも、なお私の舌を楽しませる。

 その食感のリアルなこと、そして、感じる味はいったいどこから来ているのだろうか。実際の私の舌には、おそらく何ものっていないだろうに、その舌でほぐれるほど柔らかな肉の感触が、ありありと感じられる。

 私は、データによる行動である、食事……食べるまねごとをしているだけだろうに……いったい、何を食べているのだろうか。食べる実感だけいっぱい味わえて、実際には食べてはいないのだろうから、ダイエットには最適なのだろうか。いや、必要な栄養摂取を無視しちゃダメか。

「味覚や臭覚というのはどういうものか分かるか? 全て信号だ」

私の考えていることが分かったのか、我妻さんはニヤリと楽しげに笑い、ワインを舌先で転がした。なんとも満足げなその表情、さぞやおいしいのだろう……だけども、わたしもちろっと味見をした際に感じるのは、以前現実で飲んだ時と同じく、ワインの苦味ばかりで……これがお子様口というものだろうかと、うーん唸ってグラスを置いた。

「味覚には、いくつもの種類がある。甘味に酸味に塩味に苦味にうま味……その全てが、舌に触れて知りえた情報を信号にして脳に伝えているわけだ。つまりは、全ての味はその信号を擬似的に発信することにより再現できる。そして、脳はその信号を、匂いや目からの情報、そして記憶などを加味した上で、”おいしい”ないしは”まずい”と判断する。判断はともかくとして、味が信号である以上、こうして再現することも容易いということだ」

見た目……はともかくとして、記憶、つまりは、味は記憶に左右されるということだ。ワインがおいしいと記憶していれば、もしかしたら、極上のワインが飲めたのかもしれない。ふと、なんともおいしそうに味わう我妻さんの姿に、そんなことを感じてしまう。

「それじゃあ……もしかして、ワインはおいしいのでしょうかねぇ」

「ん?」

ぽろとこぼれた私の言葉に、我妻さんは驚いた様子でこちらを見た。

 別に、何かおもしろいことを言おうというわけではないのに、思い切り注目されたことに、少しばかり抵抗を感じるが……先を促す沈黙が居心地悪く、おずおずと口を開く。

「わっ……私、ワインが苦いって思ってるので……だから、その信号の中から苦味だけを敏感に選びとって……ワインのおいしさより、そればっか感じてしまうってことでしょう?」

「ああ、そうだ……そうだぞ」

「おいしいワインを飲んでも、私の記憶の中の……ワインが苦いという情報がなくならない限り、ワインをおいしいとは思えない……。つまり、私が感じるワインの味と、我妻さんが感じるワインの味は、同じなのに違うんですかねぇ」

「そうだ、うん、すばらしい」

何に感動したものか、我妻さんは身を乗り出すようにして私の言葉に耳を傾ける。

 特別なことを言ったつもりはないし、我妻さんの言葉を自分の中で噛み砕いて、確認しようもない疑問を投げかけただけなのに、なんとも嬉しそうな顔。まるっきり、少年がどでかいカブトムシでも見つけたような、そんな表情。思わずかわいらしいななんて思ってしまうのは、失礼なんだろうか。

 我妻さんは、目の前にワイングラスを掲げると、それをくるりと回して中のワインが踊るのを眺めた。

「同じ信号を受けながら、記憶により感じる味は異なる。わかっていたのに、なんで味の記憶を加味しなかったんだ? そうだ、信号の内容をこだわるよりも、味の記憶を付随することにより、どんなにか最高の味わいがあるか……ってか、むしろ味の信号をシンプルにして、記憶情報に凝ったほうが、よほどうまみを感じられるのか? ワインしかりコーヒーしかり、苦味の中に感じる芳醇な香は、知りえることのない者が感じることは難しいのだから……記憶あれば、絶品料理が……いや、待てよ……なら……ならば、むしろ……」

私に話しかけるというよりも自問自答、頭の中の処理を口に乗せているが如きぶつぶつとした呟き。どこかの思考トリガーにひっかかってしまったらしく、完全に考えに没頭し、私のことなんかもう忘れてしまったかのよう。

 仕事人間きわまれリというわけではないだろうが、どうしても仕事に頭が向いてしまうのだろう。果てはA波がどうの波形がという、理解のしようがないところまでいっているのだけれども……。

「そうだ、接触に関してもそれは言えるのだから……経験があるという記憶により……濃厚な……いや、むしろその記憶をないと塗り替え……そうか、何度でもしょっ」

「なんかストーップ! ……な感じですね」

接触とか経験とか、どこか妖しい方向に考えが向っている様子に気がついて、思わず大きな声で制止してしまった。

 ふと、周りの客の様子が気になるが、おそらく全てがNPCなのだろう、こちらの声を、その内容を、気にする風もなく楽しげに談笑を続けている。そういえば、結構声のトーンを気にせず話してしまっていたから、普通なら周りから睨みつけられてもおかしくなかったはずなのに……。そもそも、制服姿の少女とスーツの男が、2人きりで食事というシチュエーションに、奇異の目が一切向けられないというのもおかしなもの。ヘタすると、援交と間違われて、警察だって呼ばれかねない……いや、間違いなのか? 援助は受けていないけれど、助けて貰っているわけだし……。

 微妙な気持ちを抱えつつ、改めて我妻さんのほうを見れば、じっとこちらを見つめている。そして、つい広げて我妻さんの目の前に突き出していた私の手を握り、なんとも熱のこもった眼差しが向けられた。

「男のロマンだ」

その一言で納得できる人がいるわきゃないと思うのだが……その、どきっぱり自分の最低さを肯定する言葉に、思わずかすかカッコイイなんて……いやっ! 思っていません。自分の思考の迷走具合に疲れてしまいつつ、とりあえず開いている手で頭を抱えた。

「なんでそんな方向に進むんですか」

「何を言う、エロこそ文明を支えているんだ。芸術だって、見てみろ。どれだけ裸婦が描かれているか、裸が禁止されていた時にどれだけ透けるような布地が描かれているか」

芸術家に謝れと言いたいところだが、美しい裸婦像を見て綺麗だと思いつつも、ちょっと恥ずかしくなってしまうあたり、肯定しているような気がしないでもない。なんで、あんなに裸ばっかりなんだろうとか、なんかエロイと思ったことがないわけでもない。でも、それが主軸だと言われると、思わず反論したくなり口を開くが……。

「大体、パソコンやネットが普及したのはオヤジたちのエロパワーのおかげだぞ? わかっているのか? 普通にシューティングやテニスゲームが作られていたとき、ぜんぜん普及しなかったパソコンは、エロゲーができた途端に爆発的に売られたんだぞ。いつでもどこでもエロ画像というのが、どれだけ大切なことか分かるか? アングラサイトでだまされるエロオヤジがどれだけいるか、わかるか?」

さらにさらにと、畳み込むようにおかしな話題が溢れてくる。

 男はエロイを肯定して欲しいのか、というか、肯定したからどうというわけでもないだろうに、さっきより熱のこもった様子に、引いてしまった肩がイスにぶつかる。

「おやじといえば……そういえば、先生はおいくつなんですか?」

思わず話をそらそうと、あわてて選んだセリフは最低の一言だろう。おやじイコール我妻さんと思い浮かべてしまうあたりはかなり失礼だったと口に出してから気づいたものの、本音は、もう、おやじ以外の何者でもないと断言したい。

 男は女ほど年齢に気を向けないのか、おやじと言われたところで自覚しているのか、我妻さんはそんな私の気持ちなど知りもせず、そうだなぁなんて小さく呟いた。

「今年で43か。設定ではもっと若いが、実際の俺は、高校生の子供がいたっておかしくないだろうな」

「あ、わたしアラフォーなんで、むしろ、あれですね、大野くんたちより、年齢的にアリな感じですね」

何を言ってんだ私と思いつつにそんなことを言うと、我妻さんはにやりと笑う。

「じゃ、結婚するか?」

あまりに唐突なその言葉、脈略みゃくりゃくも何もあったもんじゃないそのセリフに、思わず頭の中が真っ白になった。

 何を言われた? なんでそんなセリフが出てくる? 何を言ってるんだ? ってか、頭大丈夫なのかと心配したばかりだったけど、やっぱり何かおかしいんじゃぁ……。

 絶句したまま思いをめぐらせていると、

「あっ」

不意に、小さく短いくせにはっきりと聞こえてくる声。低く響く我妻さんの声とは異なる、聞き覚えのあるその声に振り返れば、大野くんがじっとこちらを見ていた。

 ゲームの中では、「あっ」と一言いった後は、すぐ立ち去ってしまい、翌日校長室に呼び出され、退学するよう言われてしまう。それなのに、大野くんは立ち去る素振りも見せず、こちらを凝視していた。

姫崎凛?:ヒロイン:未遭遇 ・ 駿河裕司:学園王子様:お助けマン ・ 清水慶介:羽鳥啓太:魔法使い

大野聡:小野竜也:ニセ恋人 ・ 谷津タケル:武田くん:意地悪 ・ 我妻圭吾:我妻圭吾:デート中

高木遥:先輩:疑惑 ・ 小野ナツ:小林奈津子:嫌悪

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