35.振り返るとヤツがいた
我妻さんの運転する車は、滑るように軽やかに、ホテルの入り口に到着した。
夕暮れの中にそびえ立つ白いホテルはライティングされており、脇を彩る植木の側には、小さな噴水まであった。入り口の脇にはボーイが立ち、赤い絨毯が中まで伸びていて、ガラスの向こうにホールのシャンデリアが覗いている。ゲーム中でも見ることができるこの光景、デートスポットではあるものの、目的地がその中にあるレストランオンリーのストイックさ。まぁ、高校生で宿泊もないだろうが、その夕景を見ながらの食事というのは、ちょっと大人びすぎていやしないだろうか。夜景でないだけ、健全なのだろうか。
くだらぬことを考えている間に、我妻さんはエンジンも止めぬままに運転席から降りて、助手席のドアをあけた。エンジンがかけっぱなしであることに、思わず戸惑って振り向くが、これは、あれだろうか……ボーイが駐車場まで代行運転しといてくれて、彼のエスコートでホテルに入るってことになるのだろうかと、思わずどきどきしてしまった。
「ロビーのソファーにで待っていてくれ」
「えっ」
「駐車場に止めてくる。ほら、ここから見えるだろう? すぐそこのソファにでも座っていてくれ。レストランは最上階だが、先にうろうろされても面倒くさいからな」
なるほど……自分で運転して駐車場に行くから、エンジンかけっぱなしだったのか……なんて、ガックリしたわけではないけれど、ちょっとだけ肩透かしを食らった気分だ。……ここで逃げたらどうなるんだろうとか思いつつ、思わずサービスの重要性を実感してしまったりする。
「逃げたって無駄だぞ……今までパソコン使うのは控えていたが、あそこまで派手なことやったんだ。もう、お前の召還や捕縛に逡巡する必要すらねぇ」
はい、了解しました。位置情報の改ざんとか、そういうことする気まんまんってことですよね。ってか、それなら、いっそのこと、ぱぱっと目的地までワープさせてくれればよかったのになんて思ってしまいつつ、こくこく頷いておくことにした。いや、車だって、位置情報変更すりゃいいのだから、何も駐車場まで置きに行く必要ないのではないかとか思うものの、おそらく、車好きはちょっとの間も自分で運転したいものなのだろうなんて勝手な結論を下して、ホテルに向かい歩いた。
なんとなく、むなしさというか心細さというか、やっぱり、エスコート重要だよなんてことを頭の端に考えながら、ボーイに頭を下げられ自動ドアが開ききるのを待つ寂しさよ。コツコツという自分の足音がなんだかやけに響いている気がするし、なにより制服姿というのが、あまりに場違いな気がしてしょうがない。いや、制服は祭事だろうと着ていられるフォーマルウェアだと胸を張れども、意思も持たぬNPCだろうホテルマンたちの視線から逃げるよう、入り口すぐ近くのソファに腰を下ろした。
「ねぇねぇ、お前さぁ、佐藤綾香だろ?」
唐突に話しかけられて振り返ると、そこには奴がいた……いや、違う、谷津だ、谷津……谷津タケル。いや、本当の名前は武田だったか……まぁ、取り合えず、こいつも攻略対象者の1人に名を連ねる、ショタ担当の男の子だ。かわいい元気っ子後輩の谷津タケル、ゲームの一年前だから、現状中学三年生のはずだ。
セーラーカラーに紺のラインの入った白いシャツの左の胸ポケットと、紺色の半ズボンの右ポケットに学校のエンブレムが入っているあたり、私立中学校のボンボンっぽいというかなんというか……まぁ、うちの学校の制服に比べれば大人しいと言えるかもしれないが、十分奇抜な制服と言えよう。いや、まだ、小学校ならかわいいねで済むのだろうが、彼は中学生だ……とはいえ、似合っているのだからまた、なんとも言えなき気持ちにさせられる。ちなみに、中学校の制服姿はゲーム中の回想でよく出ていたから、見たことないわけではないのだけれど、似合っているのだけれど……違和感バリバリだ。
「それが年上に対して言うセリフ?」
思わず言ったところで、彼の中の人が年上である可能性もあるのかと思い当たるが、今、現状、ガキにしか見えないのだからしょうがない。
「なんだよ、一つや二つの差で……いや、もしかしたら、中身は四十のオバサン? だったら、しっつれいいたしましたぁ」
絶対わかって言っているのだろうその底意地の悪さに、ちょっと嫌な気持ちになるが、まぁ、ガキの言うことだ、しょうがないと飲み込んでおく。中の人はガキかどうかはわからないが……ある意味中身がガキなのだろう。あれだ、肉体年齢数十歳でも精神年齢五歳児というやつだ。
こいつ……いや、ゲームの中のキャラと比べてみたところで、別人格。わかっていても、思わず比べてしまうのは、やはり、相通じるところがあるせいだ。
谷津タケルは、羊の皮を被った狼とでも言おうか、ウサギの耳をつけたライオンと言おうか……かわいらしい外見を自覚して、笑顔で毒を吐くタイプだ。しかも、もう、どぎついヤツを……元気っ子とかやんちゃっ子とか表現されているけれど、はっきり言ってその腹どす黒いだろうとしか言いようがない。もちろん、乙女ゲームだからか、デレるととことんデレる……むしろ、病んでると思えるほどに。彼のルートに入れば、逃げ道が塞がれるというか、他の攻略対象者に「彼女」だと紹介されるなど、外堀が埋められいき「だって、そうしなくっちゃ逃げられちゃうでしょう? ただでさえ、1年置いてきぼりにされてるんだから」とか言われてしまう。「ねぇ、お願い、ボクが大人になるまで待って……」年下であることをやたら意識した口説き文句が多いが、はっきり言って私ぐらいの年になると、一年ぐらい関係ないだろとか、ついつい余計なことを考えてしまう。
「ねぇ、この世界がゲームだって、知ってるよね? しかも、ログアウト不可の……」
質問という形式をとってはいるが、確実に確信を得て言っているとしか思えない。しかも、分かっているのに、なんで何もしてないのとばかりの、バカにしくさったその態度。
いや、今、行動しているよ、と言ってみたところで、ドンくさいとかノロいとか、なんだかんだ言い出しやがりそうな感じだ。まぁ、事実、一番はじめに先生からモーションかけられた時に乗っていれば、もっともっと早くここまでたどり着いていたかも知れず、鑑みれば遅いとしか言いようがないだろう。
「普通、ログアウト不可なら、死ぬこと考えねぇ? この世界で死んだら、戻れるんじゃねぇかって。デットオーバー、バッドエンドもいいとこだけど、それが一番手っ取り早くねぇ? でも、そういうの、オンナノコはしないもんだよね。やっぱそういう発想って、野郎だな」
唐突に持ち出してきた恐ろしい解決方法に、だけどもそのことを考えもしなかった自分の間抜けさを思い至った。
死ぬ……方法なんていくらでもある。台所や調理室には包丁があるし、カッターぐらいなら筆箱にも入っている。首吊りしたいなら緞帳のロープから何からそろっているし、何より屋上から飛び降りれば一発だろう。でも、そんな解決方法は、頭の端にすら浮かんできたことはなかった。
今でも、そうしようと思えないのは、甘さだろうか、へなちょこだろうか。死ぬ勇気がないというのはもちろんだが、せっかく糸口が見えたところなのだから、まずはエンディングを目指したいとろだ。
「女はそんなこと考える頭もないって言いたいの?」
「いや、そうじゃねぇよ……」
ただ……と、何か続けようとした様子が、ふと、何事かに気がついたように途切れた。
姫崎凛?:ヒロイン:未遭遇 ・ 駿河裕司:学園王子様:お助けマン ・ 清水慶介:羽鳥啓太:魔法使い
大野聡:小野竜也:ニセ恋人 ・ 谷津タケル:武田くん:意地悪 ・ 我妻圭吾:我妻圭吾:協力的?
高木遥:先輩:疑惑 ・ 小野ナツ:小林奈津子:嫌悪




