26.ちょっとした実験です
人気のない放課後の図書室、その窓際のテーブルと入口。ずいぶんと距離のあるなかで話していたのは、別に、彼から逃げるつもりでいたわけではなかったのだけれど……一瞬、本気で逃げ出したいと思ってしまった。
綾香さんと呼びかけられたその声の持つ、どこか意地悪でちょっと甘い響きを聞いて、これを間近で聞いてしまってはやばいと思う。いじってもいいかだなんて、ダメという返答以外ないはずなのに、思わずその言葉を飲み込んでしまった。
好感度をいじる……それは、どういうことだろうか。単純に考えれば、私の好意を変動させる……それも、不正アクセスによる改造だ。数値を変えたことで、私の好意は増減するのだろうか、私の気持ちも増減するのだろうか……たとえば、聡くんへの思いも、簡単に消すことができてしまうのだろうか。これまでの気持ちもなにもかも、なかったことになってしまうのだろうか……。
気持ちが、そんなに簡単に変えることができてしまうのだろうか。
恐ろしい気持ちとともに、一瞬、そこに光明が見えたような気がしたけれど、そんなものに頼るのはいけないことだとわかりきっているし、なにより、自分にはその術がない。
「綾香さん、ちょっとした、実験ですよ?」
私が黙りこくってしまったことを、何と捉えたのか、彼は、少し慌てたように言い直してくる。
一歩、こちらに近づこうとしている様子を見てとって、思わず、一歩後じさりする。
「好感度の……数値、いじれるの?」
問い返したその声は、自分で思うよりもか細く、そして、震えていた。
聞いてどうするのか、自分でもわからぬまま聞き返した言葉に、彼は軽く頷いた。
「できますよ……でも、大丈夫、意味なんてありませんから」
「へ?」
神妙な気持で聞いていたというのに、彼は、思いのほか軽くそう答えてきた。知りたいという好奇心と、知らないほうがいいのではという恐怖心とに振り回されていた私は、思わず素っ頓狂な声を上げ、きょとんと彼を見つめてしまった。
「数値は、状況を表すものでしかなく、シナリオのトリガーとして存在しているだけのものです。行動結果や思考文章をカウントした蓄積データであり、あなたの本質を表したり、操作するものではありません……端的に言えば、数値をいじっても、何もありません」
安心させるようにそう言って、軽く肩をすくめて見せる。
思わずホッと安堵をするも、その表情を読み取ったかのように、彼がちょっと意地悪そうな笑みを浮かべて蛇足を続けた。
「……まぁ、僕の数値をいじってみた結果でしかないので、あなたの数値をいじった結果は、これから実験してみないとわかりませんけどね」
そういう、言わずもがなというか、そういう言葉をあえて言うのは、やはりこの人の性格なのだろう。
ゲーム中でも、そういうところがあった気がする。ゲームとまったく同じではないのに、現実ともとらえられるようなこの状況にあって、それでもそういうところがそっくりそのままなところがなんとも言えない。
彼自身ゲームのキャラクターなのか、この世界がゲームそのままなのか、それともやっぱり現実なのか……わけがわからなくなってくる。それを、教えてもらおうと来たのだから、ここで尻込みしていてはダメなのだろう。
「いいわよ、いじってみてよ」
おもいきって言ってみると、彼は、ちょっと驚いたように目を瞬かせた後、からかうようににやりと笑った。
「いいですねぇそのセリフ、ちょっとドキッとします」
「バカなこと言ってないで、どうするの?」
叱りつけるようにしてそう言うと、彼はひょいと肩をすくめて、自分の隣の椅子を引き、指し示す。
「こちらへどうぞ……座って、数値の変動を少し減らしててください……といってもわからないでしょうから、ちょっと、ぼーっとしてください。僕のこと考えるのは禁止ですよ……と言っても、まぁ、難しいですよね? こうして対面している以上……というか、今、すっごい勢いで僕のこと、考えているでしょう?」
「まったくもって考えてません」
思わず無意味な意地を張ってしまうものの、言ったところで考えていることはバレバレなのだろう。促されるままに彼の近くまで行き、彼が引いてくれた椅子に腰を下ろす。彼もまた隣に座ると、自分のカバンからノートを取り出し、そこにシャーペンでなにやらアルファベットの羅列を書いていく。
『com』からはじまる文章が多いことから察するに、それが、アクセスのために必要なコマンドなのだろう。聡くんも、位置情報を取るために、初めに『コム』を使っていた。かなり独自なものが多そうだが、基本的には英語にして半端に略した感じの命令文に、日本語まで織り交ぜたファイル名が使われているよう。その中に格納してある数値なり文章なりは、彼の操作で動かせるのか、簡単な足し算引き算でもって数値変更の指示をしている様子。
「本当は、パソコンが使えるといいんですけど……使うとさすがにバレバレなので、ちょっと、ズルしたコマンド入力方法を使います。ノートの記入は、ただの覚書です。入力は、僕自信の発生という入力を介して……」
「意味がわからないのだけど」
「つまり、外部PCに直接アクセスできるパソコンはあります。でも、それを使ったら、監視者にバレてしまう。それは、ちょっと困るので……今回は発言するという入力行動をとります。聡もやったでしょう? あなたの居場所を探る際に……あれと同じです」
言いながらも、ノートの上にはアルファベットの羅列が書き連ねられている。すでにノート1ページ半が書きつぶされているが、まだ終わらないよう。いや、どうやら一部を間違えていたらしい、数行まとめて×印で消してしまった。もう一文、書き上げては、また、二行ほど消してしまう。
「あれも、あなたが教えたの?」
試行錯誤を繰り広げている中、悪いかなと思いつつ、つい、その言葉に疑問を覚えて問いかけると、彼は、ノートに目線をやったまま、首を振って見せる。
「教えた……と言うか……。まぁ、僕がこんな感じに『COM』のついた命令文をいくつか記録していたときに、あいつがたまたまあなたのフルネームを呼んだのがはじめで……しまったと思ったときには遅くって、あいつ、面白がって色んな実験始めようとするから、少し使い方を教えてやっただけで……下手にいろいろ使ったら、まずいかって思ったからで……綾香さんのストーキングさせる気はなかったんですけどね」
言いにくそうに弁明してくるけれど、厄介なことを教えた事実は変わりない。たしかに、下手な実験されてしまって、何か起きたら怖いけれど、余計なことをしてくれたものだと思ってしまう私の気持ちもわかってほしいもの。
「我妻先生は……」
「あいつは……僕なんかより、もっといろいろ知っていて、なんかかかえてるような気がしますねぇ。一度接触してみたいものですが、藪をつついて蛇どころか、大蛇が出てきそうな勢いなので、ここは、静観しておいたほうがいいかと思いますよ」
「静観……させてはくれないのよねぇ」
「綾香さんは、顔に出ますからね……いろいろと」
「な、何を読み取れるっていうのよ」
問い返した途端、彼が顔を上げてこちらを見た。思わず、何を言う気なのかと構えてしまうが、どうやら命令文が仕上がったところらしい。
実験とやらを始める気なのかと思いきや、じっと見つめる瞳が私を離さない。
「綾香さん……僕のこと、実はけっこう気に入ってるでしょう? しかも、すでにずいぶんと気を許している……そんなことだと、付けこみますよ」
「そんなことより、実験はどうなのよ、実験は……」
「はいはい、始めますよ……僕への好感度マックスを経て、マイナス値まで……」
説明をくれた途端、朗々と読み上げる様子は、本当に魔法使いか何かのようだ。意味のわからないような、わかるような呪文の言葉、計算式が読み込まれ、不意に、私の視界の端に、チカチカとした光が見えた気がした。
「はい、今、マックスです……僕のこと、好きになりましたか?」
その問いかけに、ハイなんて答えるわけがないのは、自分が一番わかっているだろうに……。
姫崎凛?:ヒロイン:未遭遇 ・ 駿河裕司:学園王子様:お助けマン ・ 清水慶介:生徒会長:魔法使い
大野聡:ちょいワル:恋人 ・ 谷津タケル:後輩:未遭遇 ・ 我妻圭吾:英語教師:監視中?
高木遥:先輩:疑惑 ・ ???:監視者:嫌悪




