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 後ろでドアが閉まる。冷たく暗い部屋に、カーテンの隙間から夜光が差し込んでいる。

 荷物をベッドの上に投げ出し、普段通りそのままシャワーを浴びた。全身を洗い、歯も入念に磨く。最後に、冷たい水で全身を洗った。これは禊だ。僕自身に重い罪があるわけではないが、穢れと共にそれを洗い流す必要を感じていた。

 体を拭いて暗いままの部屋に戻る。机の上段、鍵のかかった抽斗を開け、中の封筒を取り出す。中身を確認すると、また元の抽斗にしまった。

 コップに水を注ぎ、ベッドに放った鞄からただ一つ入っていた荷物を取り出した。何のラベルも貼っていない赤銅色の瓶だ。夜光に透かして見ると、色のない数粒の錠剤が瓶の傾きに合わせて音を立てた。

 遅行性の薬だ。飲めば2、3時間で効果が現れる。蓋を開けて、薬を掌に転がした。数える程度しかないが、瓶はもう空になった。

 特別な感慨もないが、暫しそれを転がしながら眺める。それに飽きると、口に含んで水で流し込んだ。

 ―――これで終わりだ。

 夜が明ける頃にはもう終わっている。僕は空の瓶を台所のゴミ箱に捨てた。

もう一口だけ水を含んで、コップをそのまま流しに置いた。

 ベッドに寝転がり、飾り気のない天井を見上げる。

 無意識にため息が漏れた。全身が心地いい疲れに満ちている。久しぶりにあれだけの距離を歩いたからだ。このまま緩やかに眠りに就けるだろう。

 ―――これで終わりだ。

 また心で呟いた。

 眠気がゆっくりともたげてくる。それに逆らわないように瞼を閉じた。

 少しずつ思考がぼやけてくる。自分でも何を考えているか分からないが、気持ちだけはやけに落ち着いている。

 何を思い出すわけでもなく、いくつもの光景が断片的に変幻する。

 その中に、今日出会った名前も知らぬあの女の子の姿もあった。

 こんな一日の最後に出会えたのが貴女で良かった。―――こんな人生の最期に。

 思考の全てが彼女に埋め尽くされ、僕の意識は深い暗闇へと落ちて行った。


 冷たく重い暗黒の底で、誰かに呼ばれた気がした。

 眠気と倦怠が入り混じるような感覚。とても動く気にはなれなかった。僕は今、暗黒そのものに身体を縛られているのだ。できれば、このまま眠りに就きたい。

 それでも尚、誰かは僕を呼ぶのを止めようとしない。

 誰なんだろう? 意識を集中させた。呼んでいるのは誰だ? どこにいるんだ?

 必死に僕を呼ぶ声。覚えがない。残念だが、僕は君を知らない。これ以上僕に構わないでくれ。僕はこのまま眠っていたいのだ。

 声に悲痛さが混じってきた。

 仕方なく、また声に意識を傾けた。

 君は誰?

 目を開けてみた。視界には一条の光もない暗黒で満ちている。まるでずっと星のない夜が続いているかのように。

 尚も声は止まない。君は一体……?

 いつまでもそこから動こうとしない僕の手を、見えない誰かが引いた。それでも僕の身体は動かない。暗黒の鎖に繋がれ、僕自身身動きが取れないのだ。

 見えない誰かは必死に僕の手を引く。少し身体が動いた。少しだけ軽くなった気がする。

 どうして君はそこまでして僕を連れて行こうとするのか。

 僕はもうずっと眠ったままでいたいのに。

 身体がどんどん軽くなる。もうほとんど自分の意志で動けるのではないかと思った時、気が付いた。

 連れて行こうとしているのではない。暗黒が僕の背中を押しているのだ。ここから出ていけ、と言っているかのように。

 世界を取り巻く色が変化していく。

 真っ暗闇だった世界は、そのところどころに小さな光を散りばめている。

 光と僕を包んでいるのが濃紺だったと認識した時、いつの間にか眠気も倦怠も感じなくなっていた。

 改めて聴く誰かの声。

 すぐ近くで、声の主が僕の手を引いていた。

 暗黒から光の中に戻る寸前、一瞬だけ君の顔が見えた気がする。

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