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「止まってください」

 ようやく一つ目の駅が見え始めた時だった。僕がしゃがみこむと、女の子も僕に倣った。

「何かあったんですか……?」

 僕は顔前に人差し指を立てると、その指で前方の明かりを指した。駅のホームの端に駅員の男が立っている。コートを羽織り、携帯を弄りながら紫煙を燻らせている。この駅ももう終電が出ており、通常この時間まで人がいる事はない筈だ。恐らくこの時間まで事務室で雑談でもしていたのだろう。

 あの位置からであれば、こっちが目立つことをしなければ見つかる事はない。

「何をしているんでしょう?」

「駅員ですね。この時間まで残っているなんて、なかなか仕事熱心な人だ」

「残業してたんですか……」

 僕は皮肉のつもりだったのだが、彼女は真に受けてしまったらしい。素直というか馬鹿正直をいうか、真面目な子だ。

 男は吸殻を携帯灰皿に押込め、間を置かず懐から新たに煙草を取り出し、火を点けた。

 僕は女の子の肩を軽く叩いて、更にホームの四角になる位置へ移動する。女の子の緊張が僕にも伝わる。

 女の子は僕の後ろからそろそろと男を覗き見、すぐ首を引っ込める。僕はゆるりと首を振り、そっと頭を上げて男を様子見た。

 男はここに人がいるなどと夢にも思っていないだろう。手元を見つめたまま、片方の手は口元と腰の辺りを行き来している。

 暫く様子を待ってみたが、3本目に火を点けたところで諦めが付いた。

 僕は再度人差し指を立てると、女の子を手招きして、腰を屈めたまま徐に歩き出した。

 女の子も僕に続く。だが、余程緊張しているのか、どこか動きが硬い。

 駅までの距離が段々近くなる。ホームまでは目算で約十メートルといったところか。最後にちらと頭を上げる。男はしつこくその場にいた。こちらに気付く様子はないが、僕は念の為更に腰を落とした。ホームまで5メートル。4……、3……、2……、1……。

「………」

「~~~っ」

 彼女の限界か近そうだ。頬を伝う汗が僅かに光って見える。

 ホーム下の退避スペースに潜り、一旦足を止めた。丁度僕等の真上にさっきの男がいる筈だ。ここならば下を覗き込まない限り姿を見られることはない。

 女の子が静かに深呼吸し、OKサインを作る。頷いて僕は歩き始めた。彼女も続こうとしたその時、

 カタンッ

「んっ?」

 後ろから甲高い足音が響く。上からは男の反応する声。振り返ると、女の子が尋常じゃない量の汗を流して固まっていた。

 コツコツと靴音がホームの淵へ向かっている。これはもう諦めて走るしかないか――そう覚悟した。

「おーい、何やってるんだ。早く帰るぞ」

 突然の大声に、今度は僕の体も固まってしまった。あ、すいません、とこれは最初の男の声。

 僕は素早く靴を脱ぎ、彼女にも目で促した。

 靴を脱ぎ終わった彼女の手を取り、出来るだけ静かに、且つ素早く走り出した。

「なんか下で物音がしたもんですから」

 本当か、ともう一人の男の声も近付いてきた。ライトがどうのこうのと後ろから聞こえるが、もう気にする余裕はなかった。

視界に懐中電灯の明かりが少しだけ映ったが、直接こちらへ向けられているわけではなく、徐々に遠ざかって行く。

 ホームを抜けきったところで後ろを振り返る。ゆっくりとこちらから離れていく後ろ姿だけが見えた。程なくして、駅舎を照らしていた光がふっと消えた。

 僕は繋いだ手を放し、ほとんど止めていた息をどっと吐き出した。彼女もその場にへたり込んで、中に白い息を上げた。

「し、心臓が止まるかと思いましたっ」

「僕も今のは……あ、焦りましたよ……っ」

 二人で肩を上下させ、暫くその場から動けなかった。やっと呼吸が整った頃、女の子が失笑した。首を傾げる僕に、

「何だか、悪戯をしてる時に大人に見つかって、必死で逃げてる子供みたいだなって」

と説明した。実際、今やっていることは、決していい大人がすることではないが、それでも彼女の表現は上手く的を射たように感じた。

「じゃあ、もうひと踏ん張りですね」

 実際にはまだ数駅分歩かなくてはならないが、今の事態で、もう山場は越えただろう。

 靴を履き直し顔を見合わせると、僕も可笑しくなり、お互いに笑い合った。


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