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「終電行っちゃいましたね」
自分でも意外な行動だった。遠ざかる終電を見つめる女の子に、気が付けば僕は声をかけていた。
「あ、そうですね……」
女の子は僕の顔をちらと見て、再び遠ざかる電車のランプを見て呟いた。
「参ったな。明日も朝早いんだけど」
「………」
単に僕の独り言だと判断したのか、今度は反応しなかった。僕は気にする風でもなく、今度はちゃんと女の子に話しかけた。
「タクシーが使えるほどお金もないし……。
お金持ってます? 僕は全然ですが」
「あ、いえ。私もあまり……」
「もうバスもないし、ほんとに参ったな」
「あ、あの……」
女の子の方から僕に話しかけてきた。
「ここから南町までは歩いたらどれくらいかかるでしょうか?」
コミュニケーションが成立したかな、とここにきて僕はやっと溜飲が下がった。
「南町? 歩いたら一時間半くらいはかかるんじゃないかな」
「そうですか……」
女の子が再び電車が去って行った方に目を向ける。僕も彼女の目線を追った。
追った先に、街灯りを従えるようにして延びた線路が彼方まで続いている。
西暦2101年。22世紀を迎えた最初の年、都市部の多くの路線は高架化或いは地下化するように整備され、地面を直接走る路線は年々減っていた。
都心まで直接つないでいるこの路線も例外ではなく、眼下にはもっぱら夜にしか開いていない店の看板と街灯が、整然とした星の並びのように四方に広がっている。その街灯りを分断しながら、都心部へ、そして郊外へと、闇に飲まれ黒く染まった線路が延びる。
地上約100メートル、街に浮かぶようにして建てられたホームからは、常に1千メートル超の摩天楼が望める。
今、無情にも発車してしまった列車は、郊外へと帰るための最終便だった。それを恨めしく眺めているのは、僕以外には女の子と会社帰りと思わしきスーツの男性が二人。
ホームの端から、帽子を目深にかぶった駅員が敬礼を解き、こちらに歩いてきていた。
「南町ってことは、南駅まで?」
「え? あ、はいそうです」
僕は時計を見上げた。始発までは4時間半というところだろうか。
「明日の朝は早いんですか?」
僕は三度訪ねた。
「え……っと、まあまあってとこです」
ある程度は警戒心も解けたのか、女の子は少し困った顔で僕に答えた。
「用事で、朝一にはそこに行きたくて」
「朝一? それじゃあ家はこの辺に?」
わざわざこんな時間に出なくとも、それこそ始発まで家に居ればいいのではないのか。
そう口にしそうになったが、
「家も南町です。その、用事のある場所も家の近所なので」
ということらしかった。
「始発まではまだ4時間半はありますね。それまで時間を潰すんですか? それともやはり歩いて南町まで?」
歩いて帰るとなると、僕も方向は一緒だ。
女の子は時計を睨んで暫し考える仕草を見せた。
「歩いて行こうと思います」
少しでも家で休みたいし、と女の子は付け加えた。それなら、と今度は僕が続けた。
「少し大変ですが、歩くのなら近道があります。僕もそれを使おうと思うのですが、よければ案内しますよ?」
「本当ですかっ?」
女の子は驚いたように大きな声を上げた。
「ええ。貴女さえよければ」
こんな1日の最後くらい、誰かに親切にしたかった。そうすれば、この悪戯心も少しくらい許されるだろう。
思い返せば、それが彼女に声をかけた理由かもしれなかった。
「あの、近道って……?」
「簡単な一本道があるんですよ」
少しだけ危ないですが、と付け加え、僕は駅員がどこにいるか確認した。さっきの駅員にスーツの男達が何やら突っかかっている。
もしかすると彼等は酒が入っているのかもしれない。ここからははっきり聞こえないが、無駄に声の強弱が激しい。駅員も困ったように対応しながらも、こちらを見てきた。
「駅舎を閉めますので、申し訳ありませんが退去願います」
駅員はそう言うと、男達をその場に残し、事務室の中の誰かと話し始めた。
「行くなら今ですね」
僕は駅員の方を注視しながら言った。
「え?」
当然の反応だ。だが、僕もぐずぐずしているつもりはない。
「高いところは平気ですか?」
今度は顔を見ての問いかけ。女の子はそれが何を意味するのか分かったようだった。
「まさか……」
「嫌なら残っていて結構ですよ。僕は一人でも行きますので」
再度駅員の姿を確認する。男達と話すのに必死でこちらには背を向けていた。
僕は素早くホームから飛び降り、線路の中へと降り立った。
中腰で女の子を窺うと、僕の顔と駅員の方を交互に見比べおたおたしている。きっと今の彼女は、僕と一緒に行くべきか、それとも止めるべきか、それを悩んでいるのだろう。
我ながら失礼だなと思いつつ、僕には彼女の慌てた表情が妙に可笑しく見えた。
「ま、待ってくださいっ」
女の子は僕と一緒に行くことを決めたようで、徐に体を屈め、片足ずつ線路へと足を下し始めた。
かたん、と軽く鉄を叩く音がする。無事にレールの間に着地したようだ。
ホームの高さは目算で約1.5メートル。彼女の頭頂部がギリギリホームから出ていた。
「少し屈んだ方がいいですよ。万一見つかっても困りますしね」
「あ、はい」
女の子は猫背になって、僕へ近付いてくる。
「それじゃあ、行きましょうか」
僕は微笑みかけた。対する女の子の表情は、なおも困惑気味だ。多分、悪いことをしてしまっているという自覚があるのだろう。それでも黙って頷き、僕の後を歩き始めた。




