B面 出陣
時間流遅延フィールドで覆われている地球と、宇宙の平均時間流の流れは現状では大体7倍の差がある。
簡単に言えば地球で1日が経つ間に、宇宙では7日が過ぎているってわけだ。
廃神の高いプレイヤースキルを用いた暗黒星雲調査が大元の企画だったPCO計画において、こいつはデメリットが多い。
ゲーム開発期間が7倍になる上に、そのままではプレイヤーの反応速度が1/7となるからだ。
だが地球の時間流を遅くしたのは苦肉の策。
送天による大跳躍で、主星たる太陽を失った我が母星は、その膨大な熱量やら、地球を留めている重力の恩恵を失っている。
保護フィールドが無ければ、あと百年所か、10秒後には全地球生命全滅となりかねないそうだ。
その保護フィールドの維持に膨大な資材を消費するから、PCO開発時間とのバランスを取って最大効率となるまで地球の時間を遅くして消費を減らしている。
開発途中の他惑星のように、星を固定したら、居住区域だけフィールド展開で維持が出来れば良いんだが、んなことすれば、崖っぷちな地球人類の現状を全人類が知る事になる。
暴動必死、狂乱必死。間違いなく地球人類史最大の事件の幕開けだ。
宇宙側の事情が原因で、原始文明壊滅危機となりゃ、銀河を統べる統治機構である星系連合が出張る大義名分が成り立つ。
星連の全てが保護精神に溢れた神レベルの善人なら、それにすがるのも手なんだが、んなわけは無い。
列強星系ほどえげつないのは地球と同じ。
弱みにつけ込まれて、銀河帝国時代の実験生物な地球人はケツの毛までむしり取られて、良いように使われるだけだ。
ディケライア社倒産阻止=地球売却阻止が絶対勝利条件であるけど、敗北条件が無数に山積みな現状。
タイトロープなこの状況で、いくら可愛い愛娘といえど、少しばかり放置となるのは仕方ないと思うが、本人からすりゃそんな物は関係ないのが、どうにも困ったもんだ……
「……タ! シンタ! 起きなってば!」
耳に響く相棒の声と、身体を揺さぶられる感触に、泥のように眠っていた俺の意識は這いずるように覚醒し始める。
「お、おう…………あ、あとコード千行で終わりだ……」
しまったいつの間にか寝落ちしていたようだ。
まだ終わっていない作業が……
「終わってるから。寝ぼけてないでとっとと起きる」
昨夜というか、つい数時間前まで修羅場の中にいたためか、どうにも頭が追いつかない俺に、呆れ声のアリスが蒸しタオルを被せてきた。
ほどよく温かい蒸しタオルが心地いい。
「……あー……そういや終わってたな」
エリスのトラップによって難易度が跳ね上がったPCOを、高難度、通常難度の二面ワールドにする突貫作業は終わっていた事を思いだし、ベットに身を横たえたまま俺は安堵の息を吐く。
あぶね……ここで寝落ちしてたら、時間流完全停止にでもしないと間に合わないかと思った。
つーか作業中に寝落ちなんぞしてたら、親父さんにどやされるし、完全停止で経費がかさんで金庫番のサラスさんからの説教コンボに繋がる。
「アリス……終わってるならもうちょっと寝かせろよ……こっちは修羅場の連続で」
気が抜けると、次に浮かんでくるのは相棒にしてうちの嫁への不満だ。
せっかく終わったのだから、もう少しゆっくりと寝かせてくれたって、
「だーかーらゆったりしない! 今日は何の日か忘れたの!?」
蒸しタオルを顔から剥がしたアリスがタオルで俺の顔を軽く叩く。
何の日か?
あ、そんなの……!?
「今何時だ!?」
アリスの言葉で一気に目が覚めて、跳ね起きる。
無理矢理な日程の理由は、PCO正式オープンである時刻に合わせて、ワールド二面を実現するため。
つまりは地球時間の本日10:00がPCOの正式オープン時刻。
リアル・VRの両世界でオープン記念イベントやらで予定が満載。それこそのんびり寝ている暇なんてない。
地球と宇宙を直接に行ったり来たりしているのは、現状では俺一人しか、星連の許可が出ていない。
地球側の人間をこっちに連れてくる事は出来ず、逆に死んで再生した人らも、地球に行く事が出来無い。
地球で活動できる宇宙側の人材は、ナノセル義体を用いた少人数のディケライア社必須要員と、そして生粋の地球人であり、公式に死んだ記録の残らず例外として生体移動できる俺だけ。
前後の矛盾を無くすために、宇宙へと飛んだ場所に戻る事が決められている。
「地球時間で朝7時。あっちのシンタの最終セーブポイントはアパートでしょ。これでもギリギリまで寝かせてあげたんだから。はい。着替え。せっかくの晴れ舞台に新調したんだから無駄にしないでよね」
セーブポイントいうなゲーム脳。
その突っ込みも惜しく、アリスの差し出した着替えを引っ掴み着替え始める。
「あたしと一緒に直接に行くならまだ余裕はあったのに。だから泊まれば良いのにって言ったでしょ」
ベットに放り投げた寝間着をみて行儀が悪いと言いたげな目を浮かべたアリスが、手にとって壁際のランドリーシューターへと放り込む。
ナノセル義体を使うアリスの場合は、地球側に用意したディケライア本社で直接イベント会場入りだから余裕の表情だ。
「アホか。お前が目立つのは良いけど、こっちは裏方だっての」
オープニングイベントは衆目を集める為ってのには、諸手を挙げて賛成だが、その内容を思い出して俺はウンザリする。
何かと派手好みな佐伯さんとアリス原案、そこに社長とこっちにいる大佐の悪のりで実現する辺り、俺よりよっぽど質が悪いぞ、うちの首脳陣。
「裏方っていうわりには名前と悪行が知れ渡ってるくせに。ほらこれ」
アリスが見せる仮想ウィンドウに映るのは、地球の某掲示板。
急遽発表した難易度別二面ワールドの情報や仕様で、AIレベル変更騒ぎにさらに拍車がかかった状態のようだ。
経験値、ドロップ率、1.4倍だが、AIが鬼畜仕様のハードワールド。
オープンβ状態のままのノーマルワールド。
賞金目当てで入賞などを狙わず、ゲームを楽しもうって連中には、難易度制ワールドはおおむね好評のようだが、問題はガチの廃人やら事情持ちの方だ。
どちらで始めた方が、スタートダッシュが出来るかで激論を交わしている。
従来の攻略法が通じるが、攻略法が知れ渡っているので多数の競合相手が予想されるノーマル。
初期攻略からスタートしなければならないが、基本情報はノーマルと変わらず、競合も少ないと思われるハード。
賞金を狙うような連中は、うちのギルドみたいに元々のゲーム繋がりで結託している連中も多いが、賞金額が賞金額。
ガチ勢の激論は真剣味を帯びていて、仲間内でも意見が割れて喧嘩腰になっている模様。
そしてこの状況を企てた……開幕直前のAI変更に、当日の早朝にワールド二面発表というサプライズ仕様変更をぶち込んで、プレイヤーへのダイレクトアタックを仕掛けてきたのは、あの外道GM(俺)だろと断定される流れは、もはや様式美なんだろうか。
「日頃の行い悪いからやってない事も疑われるんだよ。反省しなよ」
「うっせ。そのままハードモード全開で初心者クラスが止めちまったら、目も当てられないだろうが」
実際にあのまま行ったら俺が目にかけている清吾さんちの娘さんの美月さんら初心者に極めて不利になる。
贔屓するというわけじゃ無いが、さすがに慣れてないプレイヤーに対してバランス調整は必要だ。
「そうだけどさ。これ見てエリスがまたお冠なんだから」
アリスが指し示した先には、俺の話題になったときのテンプレな『アリスと別れろ腐れGM』の一言。
ゲーム内キャラクターを指して生まれた言葉だし、言った連中でも本気でいっているのは少数だろう。要はノリだノリ。
しかしまぁ俺らの一人娘さん的には、両親に別れろって暴言が吐かれているわ、父親、後たまに母親の悪口が書き込まれている状況は、実に腹立たしいらしい。
嫌なら見なければいいやら、むしろ悪評を楽しめれば良いんだが、さすがにエリスの精神年齢的には無理があるようで、地球人嫌いの一因になっている。
「仕方ねぇな。エリスは?」
ご機嫌伺いに行った方が良いかと思って尋ねると、アリスは肩をすくめる。
「カルラちゃんの所。こうなったらゲーム内で地球人全員ぼこぼこにするって、その打ち合わせ」
何かと我が儘なエリスにいいように振り回されているサラスさんちの次女で、エリスの妹分に俺は同情を覚える。
いくら親戚とはいえ、もうちょっと相手の都合を考えてやれとエリスに言うべきだろう。
ただ今回に関しては、純粋な戦闘種族であるカルラの嬢ちゃんの戦闘能力は期待できるので、あえて無視だし、予想の範囲内。
社長に頼んだエリスとカルラちゃんの分の枠は無駄にはならなそうだ。
「しかし……さすがお前の娘だな。なんやかんや言いつつもゲームやる気になったみたいだな」
「それ言うならシンタの娘でしょう……ほらネクタイ。ちょっとしゃがむ」
アリスが最後に取りだしたネクタイ片手に俺を手招きする。
宇宙の時間感覚ならたいした期間じゃないが、地球でいえば半世紀近くも夫婦やってんだし、もうちっと互いにさばさばしても良いと思うんだが、どうにもうちの嫁さんは俺のネクタイを締めたがる。
アリス曰く、旦那さんの身だしなみを仕上げ、チェックするのは奥さんの義務であり特権との事。
アリスが手に持つネクタイの柄は、地球のトップデザイナーであり、俺らの盟友であるユッコさんデザイン。
兎とコンソールが向かい合った絵柄が紋章風に仕立て上げられたこいつは、俺とアリスの間じゃ、ちょっと特別な時用の物だ。
「はいよ」
昔に比べりゃ背が伸びたがそれでも俺より頭1つ分は低いアリスに合わせ、俺は少ししゃがみ込み首を差し出す。
楽しげにウサミミを揺らすアリスは、慣れた手つきできゅっとネクタイを手早く巻く。
「はい。完成と」
緩すぎず、きつすぎず。
俺が一番落ち着く〆心地を把握している辺りさすがアリス。
長年の付き合いと思うべきか、それとも首輪をつけられた家畜状態な自分だなと思うべきなんだろうか。
姿見で確認しなくても、装備は完全に揃ったのがわかる。
眠気も抜けてきたし、時間もあまり無い。
「じゃあ先にいくぞ”相棒”」
宇宙で一番信頼している相棒におれは手を突き出す。
ここまできたなんて俺らは思わない。
ここからだ。
ゲームが完成したから終わりなんじゃ無い。
ゲームが完成したから始まる。
俺の。
俺とアリスの。
俺らの全てを掛けて、地球を救って、銀河全部を巻き込む大クエストが。
なら出陣前の挨拶はこいつしか無い。
「オッケ。あたし達”パートナー”の力を見せてやりましょ。地球のプレイヤーに、銀河のあまねく人々に」
幼さは抜けたが昔と変わらない好戦的な笑みを浮かべたアリスが、俺に合わせ手を突き出し俺達は世界中に響けとばかりに高らかな音をたててハイタッチを交わし、次いで固く握った拳を打ち合わせる。
何かと拘るアリスがギルド独自の挨拶として考案し始めた拳礼。
こいつをやれば一気に気力十分。ハイモードな辺り、俺も相当毒されているようだ。
しかしだ。一世一代の大勝負に出ようって夫婦が出陣前に交わすのが、ゲーム内での挨拶って辺りが、俺とアリスらしい。
「んじゃいってくら。リルさん。地球のアパートへ」
「あ、そうだシンタ。忘れ物」
リルさんにいって地球への転送準備に入ろうとした俺をアリスが不意に呼び止める。
「なん…………お前ね。不意打ちは止めろよ」
背伸びしたアリスが、軽く触れるだけのついばむようなキスを交わしてきた。
どうにもこういう不意打ちの直接的な愛情表現は、俺は未だに耐性が低いが、アリスの方は長年の夫婦生活で耐性値アップしてやがるので、分が悪い。
「ダメだよシンタ。気を抜いちゃ。敵は強大なんだから」
悪戯に成功してしてやったりという小憎らしい笑顔を浮かべるアリスが、俺にとって宇宙最大最強の敵だ。
最大最強の敵が、相棒で味方なんだから、負けは無しだなこりゃ。