穏やかなお茶会
展開した仮想コンソールを弾きながら、古い動画映像やアルバムの写真を視界に取り込んで修正を施しつつ統合して記録していく。
視覚で捉えた映像を脳内ナノを通じてケーブルをつないだ外部HDに記録するツールはカメラなどを持ち歩かなくても良いので便利であるが、盗撮等の悪用を避けるために首筋のコネクタが点滅発光する仕様となっているので、首元がちかちかと光って少し気になるのが難点だ。
俺が見る写真や動画に映っているのは全て一つの小学校の記録映像。
一生懸命に走る小学生が映る運動会や、文化祭と銘打った子供手作りのお祭り。
桜咲く入学式や、涙声の混じる卒業式。
それは老朽化したために十数年前に取り壊された、今ではこの世に存在しないとある小学校の建物で実際にあった日々だ。
今回の仕事はその小学校をVRで復活させる復元プロジェクト。
本社では親父さんが当時の設計図を元に校舎自体の復元を急ピッチで進めている。
俺の担当はそれをよりリアルに再現するために、壁に残った傷やヒビ、落書きの痕、窓の外から見える景色等を調査していくことだ。
依頼主でもある家主に借り受けた書斎でそのための作業をしていると、背後で扉をノックする音が響いた。
「どうぞ。あいてます」
「失礼しますね。マスターさん。お茶を入れたから少し休憩どうかしら」
扉を開けて入ってきた、白髪でおっとりとした感じの品が良い老婦人は紅茶のポットと茶菓子をのせたお盆を見せて休憩の誘いをしてくる。
そういえばちょっと喉も渇いて小腹も空いた。
断る理由は無いのだが、一つだけ勘弁してほしいことがある。
「ありがとうございます……でもユッコさん。お願いです。リアルでマスターって呼ぶの辞めてください。さすがに恥ずかしいんで」
「あら。ごめんなさい。でも三崎君ってお呼びするよりは、ずっと使ってたマスターさんのほうが言いやすいのよ。ほらマスターさんもユッコさんでしょ」
我がギルド『KUGC』不動の副マスであったユッコさんこと、三島由希子さんはほんわかとした顔で笑いながら断ると、少し早めのお茶会の準備をし始めた。
「それでどうマスターさん。作業の進み具合は?」
「順調です。とりあえず大体の感じはつかめました。ユッコさんがいろいろ記録を集めてくれたおかげで助かってます。なるべくご希望に合った形で仕上げますから」
上等なカップに注がれたお茶は、ほのかに甘く少しシナモンの香りがする。
茶葉の種類が判るような食通じゃ無いが、とりあえず旨いって事だけは判る。
そういえばユッコさんはVRでも時折お茶会を開いていたなと、少し懐かしくなった日々を思い出す。
「私はたいした事してないわよ。みんなに話したら面白がっちゃって、頼んでもいないのにどんどん送ってくるんですもの。VR同窓会みんなも楽しみにしてるみたいよ。でも、ごめんなさいね。納期とか無理を言って……あんまり長くないお友達もいるから」
少ししんみりした顔を浮かべたユッコさんが頭を下げた。
ユッコさんから我が社ホワイトソフトウェアが依頼されたのは、解体された思い出の母校である小学校でVR同窓会を行う為の校舎再現である。
終末治療で寝たきりになっている同級生と最後かもしれない同窓会を思い出の小学校でしたいと。
この復元計画の発起人はユッコさんらしいが……何というか凄いばあちゃんである。
同級生も高齢のためか医療用ナノシステムや視覚補助にVRシステムをいれていた者が多かったらしいが、まだいれていなかった同級生にも勧めて実際に施術させ、しかもやって良かったと全員から感謝されているらしい。
知り合った時のプレイヤー時代から、たぶん年上だろうと思っていたが、リアルで会うまでは、さすがにここまで年上なご婦人だとは思っていなかったので、失礼なことしていなかったかと恐縮しきりだ。
「ウチとしては正直ユッコさんに仕事を回してもらって助かっています。かなりかつかつなんで。社長なんかも少しは息をつけるって喜んでいます」
職場の経営状況など外部に漏らす物ではないが、どうにもユッコさんの前ではつい本音が漏れてしまう。
言葉の端々からもにじみ出る面倒見と人当たりの良さの所為だろうか。
この辺りがユッコさんが不動の副マスと多くのギルメンから慕われていた理由だ。
兎に角ユッコさんがかなりな金額でこの依頼をしてくれたので、目下蓄えを食いつぶしながら雌伏の時を低速飛行中のホワイトソフトウェアは今月は久しぶりに赤字が免れた。
そんな大金を惜しげも無く払えるユッコさんの本業は、疎い俺でも知っている大物服飾デザイナー。
というかリーディアンオンラインで大人気だった花婿、花嫁と立会人の衣装を作ったご本人。
社長からは例によって暇そうだからと直接担当にされたのだが、デザイナー三島由希子がユッコさんだとは聞いていなかった。
顔合わせの挨拶の時に『お久しぶりですねマスターさん。KUGCのユッコです』と言われたときはマジでびびってむせた。
社長は笑ってやがったし……面白そうだからって黙っていやがったなあの親父。
ユッコさんは自分が制作したデザインの花嫁衣装がVRゲーム内で実際にどういう風に見えるのか気になっていたらしい。
そこでリーディアンに入ってみたら気に入ってしまったらしい。
人が目にもとまらぬ早さで駈け、翼を広げた龍が空を飛び、水の底には都が広がる。
巨大なモンスターと、古めかしい鎧姿の剣士が激闘を繰り広げ、地形を変えるような魔術が飛び交う。
そんなファンタジー世界にVR越しとはいえ触れることで新しい感性とインスピレーションを感じて本格的にVRMMOを始めたとの事だ。
このお年でナノシステムやVRなど比較的新しい技術に一切拒否反応が無く、自己を高めるためにむしろ率先して試していくアグレッシブさを俺は尊敬する。
夏、冬前などが忙しく来られなくなっていたのは、通年その時期が新作デザイン発表時期だったからだそうだ……幕張かと思っていた。
「そんなに大変なの?」
「ヒス条。あーとVR規制条例のおかげで苦労してます。穴は多いんですけど、それを全部抜けてさらに面白くとなると少しばかり…………ただ何とかしますよ。新作を待ってくれているプレイヤーもいますから」
科学的根拠も無く、ただ感情的に危険だからといって、各種制限をしてくれたくそったれなVR規制条例。
これが発表されたときに開発部の佐伯主任が『二時間って巫山戯やがって! お偉方ってのはどこぞの母親か!』と怒鳴っていたことから、ヒステリーなママという意味でヒステリーママ条例。
さらに縮めて社内ではヒス条と呼んで忌み嫌っている。
ただ世論に押されて早々と決められた条例には、厳しいようで一つ一つにはいくつもの穴がある。
まずはスペック規制。
これこそ何の根拠も無く、現状最高性能と比較し8割まで性能を低下させるスペック制限となっているが、映像面では少しばかり解像度が落ちるくらい。
本物と変わらないリアルさから、限りなくリアルになる程度の違いだ。
それこそ夜や洞窟内などで周囲を暗くしたゲームデザインなら、全く気にならない程度には出来る。
さらに超高速の反応を可能とする最高スペックを求めるゲームは事件当時は、件のHFGOと他数種のみ。六年前に稼働したリーディアン基準なら余裕だ。
次にRMT禁止については、現状ですでにクリアしているVRMMO、MMO種が存在する。
所謂FPS等の戦争系。兵種別武装がいくつかのレパートリーで固定されたゲームだ。
誰もが同じ条件の武器を用いて、プレイヤースキルのみで優劣を競う彼の種のゲームにおいては、RMTに必要不可欠なプレイヤー間でのトレード機能がまず存在しない。
無論FPS系のゲームデザインをなんのひねりも無くRPG系でそのまま使える訳では無いが、この考えを基に武器やアイテムのレパートリーを増やしつつも、トレードの必要性が無いゲームは出来るのでは無いかという考え方で動いているゲーム会社もすでにある。
最後の二時間とする規制条例。
あれも手はある。
条例では娯楽目的”VR”の利用時間を規制すると明言されている。
つまりだ。ナノシステムを用いたVRのみを規制している。
少し昔の主流で、現在も僅かながらも稼働しているモニターディスプレイを用いた旧式の3DMMOなら何の問題も無い。
ナノシステムとそれに基づくVR機能はナノシステム手術への年齢制限があり、網膜ディスプレイも仮想コンソールも16才未満の子供は使えない。
未だにその年代では3Dディスプレイとキーボード、マウスが現役。
学習、娯楽用に親から与えられている者も多い。だから押し入れの隅に眠っている家庭も多いはず。
使い方も覚えていて、さらに大半の者は新規で買わなくても良い。
VRをもっとも恩恵を得られる戦闘のみに絞り、その他を全て旧式MMOのようにモニターでプレイする形に出来れば、二時間規制もすり抜けられる……はずだ。
最初にこれを会社の方針会議で提案したときは、『その穴をついた発想が三崎らしい』と異口同音に言われたのだが、結果その方面で我が社は動き出したのだから、ほめ言葉だったと思いたい。
最終手段にしてもっとも有効な手は、VR規制条例が国内でのみ通用することをついた海外への会社機能およびサーバ移転だ。
しかしそんな資金力と人材を持つ会社等本当に大手のみ。ウチでは望むべきも無い。
事件の大本であったHFGOは元々が米国製VRMMO。
規制の内容や事件の収束が見えるやいなや、さっさとデータの入ったサーバを国外へと移して、さらには支社まで撤退してしまった。
プレイヤーはデータがそのまま使える海外サーバに接続くださいということだ。
被害者遺族が薄情ともいえるビジネスライクな運営会社を訴えようとしているらしいが、相手側の親会社であるMaldivesが禁止されている違法改造によって自社製品の価値が傷つけられたと逆提訴をしそうな泥沼となっているらしい。
もっともHFGOが日本国内でNO.1の地位を保っていられたわけでは無い。
ライトプレイヤーはショッキングな事件の影響で激減。
さらに廃人級のヘビープレイヤーも、遠く離れた海外サーバへの接続で生まれる僅かなラグが原因で、脳内ナノシステムによる超高速反応が逆に仇となり、タイミングがずれてコンボを外したり、さらにMOBの高速攻撃に反応できず思わぬ痛手が増え、売りであった爽快感が無くなり不満が募りつつあるらしい。
国内最大手だったVRMMOが弱体化した今がチャンスといえばチャンス。
ここで一気にシェアを奪うことも不可能では無いはず。
ただ問題は条件を全てクリアしたときに出来るゲームが、映像がリアルと言えなくもなく、レア武器などが無く誰もが持っていて、戦闘以外はほとんど旧式のMMOということだ。
これではたして面白いゲームなど出来るだろうか。
相手はつい先日までのVRMMO全盛時代を知っているプレイヤー達。
行政などの決めた規制など、どうとでもして見せようが、顧客に満足してもらえるかそれが一番の問題だ。
プレイヤーあってのMMO。
プレイヤーに楽しんでもらえるMMOゲーム。
それが我が社の最優先の方針であることに変わりない。
今までのゲームシステムや料金体制を全て見直してさらに根本から作り直さなければならないから、リーディアンオンラインは他のMMOと同じく運営停止という最悪の選択を選ばざる得なかった。
俺より長く関わってきた先輩方や、開発期から関わってきた中村さん、須藤の親父さん、佐伯さん。そして社長の心情を想像するのは難しくない。
自分が培ってきた六年が全て消えてしまうことになった古参のプレイヤーもいれば、始めたばかりでわくわくしていた新人プレイヤーもいるだろう。
プレイヤー時代とGM時代が半々の俺は、その決定があった日は怒りと悔しさから自棄酒をあおり悔し泣きをした。
だが誰一人諦めていない。
今はVR関連の細々とした仕事をこなし糊口をしのぎながら、再び最前線へと舞い戻るためにホワイトソフトウェアは活動を続けている。
しかしそれは芳しくないというのが現状だ。
ゲームの基本設定。
一体どういうゲームにすべきかの骨子すら定まらず、出口の無い闇の中を彷徨うような状態だ。
「ふふ。大丈夫そうですね」
やる気はあっても先を考えると暗雲たる気持ちにしかならないはずなのだが、ユッコさんは、考え込んでしまった俺を見てなぜか楽しげに笑っていた。
「あー……正直。大丈夫じゃ無いんですけど」
会社が潰れて収入が無くなり家賃滞納で追い出される事も考慮し、その場合は親に土下座しようか、姉貴に泣き付こうか真剣に考えたくらいです。
「あら? マスターさんがそういう顔をしているときは楽しんでいるときですよ。ボス戦で追い詰められて、それでも逆転していったときと同じ顔。だから大丈夫でしょ」
いやあの時はゲームです。死んでも大丈夫です。でもこっちはリアルでやばいんですけど。
ユッコさんの発言には突っ込みたいことが多かったが、それ以上に心に引っかかった事がある。
「……アリスみたいなこと言わないでください。あいつも最後に会った時、同じようなこと言ってましたけど、そんな顔をしてますか」
リーディアンオンラインが停止した日以来、姿を消した元相棒であるプレイヤー『アリシティア・ディケライア』ことアリス。
『シンタは苦労しているときが一番楽しそうなんだって。しかも無理矢理に仕事を押しつけられたりとか、追い込まれれば追い込まれるほど才能を発揮できるタイプ』
アリスが最後に残した台詞を思い出す。
「ふふ。可愛らしい方のマスターさんにもまた会いたいわね。マスターさんもアリスちゃんとは?」
「えぇ。会ってません。ラスフェスにもあいつ、最後まで来ませんでしたから」
リーディアンオンラインは終了を決めたときにそのまま終わったわけでは無い。
規制が公布され終了が決定したあと、毎日2時間ずつずらしてサーバを無料オープンし2週間、計28時間の特別解放を行う『LastTwoWeek Festival』を開催した。
全てのボスキャラが即沸きとなり、全プレイヤーに全ての武器、アイテムが解放され、レベル、スキルも自由に設定変更できる最後の最後の大騒ぎを開催した。
数多くのプレイヤーが集まり、楽しみ、悲しみ、笑い、怒り、そして泣いた。
だがその中に俺が知る兎娘の姿は最後まで無かった。
死ぬほどに文句を言われて、切り札であるキーワードを切ってきたアリスに何とかしろと頼まれるかもしれないと覚悟を決めていた。
しかしそれは杞憂に終わった。
祭りが過ぎ去った後もギルドの掲示板にアリスからの書き込みは無く、ギルメンも誰もリアルを知らないのでアリスの連絡先を知らない。
あいつが最後に仕事が忙しくなると言っていた事が気になる。
変なことに巻き込まれているのでは無いか。
リアルで何かあったのか。
どれだけ考えても判らない。
「でもアリスちゃんならゲームがまた始まれば戻ってくるかもしれませんね……もちろん私も次のゲームを期待しているプレイヤーですから。老い先の短い年寄りをあんまり待たせないでくださいね」
俺の不安を感じ取ったのかユッコさんが冗談めかした言葉をつぶやき微笑んだ。
「……善処します」
とっさに返す言葉が思いつかなかった俺は、曖昧な返事と共にカップに残った茶を飲み干した。