ヘイト管理が出来ないタンクに『カチ』は無し
「…………ありがと。それだけ」
うさ耳を模したアリスの髪は、緊張している時の特徴であるピンと張り詰めた状態で微動だにもしていない。
アリスから言われるであろう説教めいた文句を覚悟していた俺は、その言葉に拍子抜けする。
今回の戦い方は、アリスがあまり好まない、よく知る相手だからこそ嵌めやすい性格の悪い罠。
ラストアタックを決めてきた際のアリスの台詞からも、そのお怒りのほどはひしひしと伝わっていた。
それが礼とは……
自分が勝ったから機嫌が直ったとか、嫌味で言ってきたわけでもなさそうだ。
長年の付き合いから、言い方はぶっきらぼうでも俺に心底感謝しているのは、肌で感じ取れるんだが、正直、この状況で礼を言われるような理由が思いつかない。
PCOを立ち上げた真の理由で礼を言っているかもしれないが、アリスの会社ディケライア社の窮地を脱出する為の人員確保案はまだ途上。
しがないサラリーマンの身からすれば実感は湧かないが、これが地球を救うという実に電波的な事案にも繋がっている以上、地球時間で百年近く先の話でその時には生きてはいないだろうが、間接的には俺自身の為でもある。
第一だ。
身の丈を超えた裏事情と窮地に対して、我ながら不謹慎の極みだが、楽しんでいる事を否定できない。
資金不足、人材不足、時間不足。
無い無い尽くしの状況は戦略ゲーの高難易度最初期を思い起こさせ、そこからどうやってやり繰りしてクリアしてやろうかという、マゾゲーマー心理と言えば分かり易いだろうか。
ゲーマーとしちゃ当然、人としちゃどうよという、俺の思考心理、性癖なんぞこの気心の知れた相棒にかかりゃ百もお見通し。
それらを踏まえた上で、アリスが何を考え、そして俺はなんて答えるべきか。
アリスの奴が真剣だからこそ、ちゃんと答えてや……
「あーいいよ。答えなんて端から期待してないから。通常モードお人好しシンタじゃ判らないでしょ。お礼の意味なんて」
……おい。こら。
人が頭をひねって考えているというのに、俺の膝を占拠した兎娘は、自分が言いたい事を言い終わると、先ほどまでの緊張と不機嫌そうな顔を解きやがった。
その顔に浮かぶのは、チェシャ猫のような笑顔だ。
この表情と含み笑い。
俺が答えに窮するのを最初から予想していやがったなこの野郎。
「ほんと。妙な所で真面目なんだから。女の子からのお礼の意味が判らないなら、気にするなの一言でも言って、適当にうけながしてればいいでしょ」
誰が女の子だ。推定年齢うん百歳のロリ婆が。
そう良い返したい所だが、誰が聞き耳を立てているか判らないVRダイブ状況下で、アリスの正体に関する事は、些細な情報でも漏らすわけにもいかない。
「……・この野郎。用意周到だな」
リルさん経由のWISで返せば外には漏れない。
そう思った俺が繋げようとしたが、アリスの奴は先読みして俺と創天の回線を一時不通にしていやがる。
この先アリシティア・ディケライアとその会社は、VR業界の風雲児として、先端技術を駆る先駆者として、名を馳せ、幅広い業界で人脈を築き上げていく。
宇宙での一期。
地球時間での百年後まで影響力を得る為には、広く根深い人脈は必要不可欠。
俺とこの兎娘が仕掛ける攻略は、まだ蓋を開けたばかり。
最初期から下手な勘ぐりを避け、どれだけ荒唐無稽な真実であろうと、疑惑の目を避けて通らなきゃならない。
そこら辺を十分に理解し、俺が返しに困るのを見越して、煽ってくるんだから、どっちが性格が悪いって話だ。
「ほっとけ…………ったく。余興は終わりだ」
反撃を仕掛けても、俺の不利は易々と変わら無い。
それに口喧嘩でアリスに勝つ為の論法を組み上げていくほどの時間も、お客様を外に待たせている現状では無いうえ、外には本日のラスボスもお控え中。
白旗を揚げた俺はアリスの攻略意識を次へと向けさせる。
「りょ~かい。んじゃボス戦参りましょうか。別ボスも居るからそっちはあたしね」
俺をやり込めた事にご満悦な笑みを浮かべるその背中を軽く押して、膝の上から強制排除しつつ、仮想コンソールを叩き、仮想体の座標位置変更処理を打ち込む。
変更ポイントはデモプレイが始まる直前までいた俺の司会者ブース。
「別ボス? ……あぁそういう事か。じゃあそっちは任せた。俺は元の位置からいく」
アリスが言う別ボスというフレーズで正体を察した俺は、そちらの対処はアリスに一任する。
「オッケ。任せておいてね」
親指を立てたサムズアップで、西洋兎娘がにこりと笑う。
やはりアリスとのコンビ戦は説明しなくても意図が伝わるし信頼できるからやりやすい。
そんな事を思いつつ、サブウィンドで俺が居た場所を確認すると、タキシードを着せた巨大な熊のぬいぐるみが置いてあった。
その首には『ただいまゲームプレイ中』の看板がぶら下がっている。
このファンシーさ加減は佐伯さんか?
というか何故に熊のぬいぐるみ?
そのぬいぐるみの横で、俺らが出てこないので何とか場つなぎの時間稼ぎをしてあたふたしている大磯さんがいた。
「基本路線はゲームとは? でいこうよ。さっきやり合った感じだとプライド高い負けず嫌いだよ。プレイヤーとして譲れないライン有り」
立ち上がったアリスは、狭いブース内で器用にクルリと反転して、俺の顔をのぞき込んでくる。
楽しげでそして好戦的な笑みは、昔から変わらない強敵を前にしたこいつの表情だ。
ちょいと刃を交えただけで、敵の特性やら行動パターンを見抜けるうちの相棒のアドバイスを今更疑うまでもない。
「だろうな。真っ正面からいくぞ。あっちの切り札は使わせない、使いにくい方針でいく。ゲーム論やらプレイで負けたから人格攻撃なんぞ、実質負け。ゲーマーにゃ最大の屈辱だ。あの御仁もこっち側だろうから通用するだろ。俺に対する誤解で潰されたらたまったもんじゃねぇ」
「誤解って言うか、実際に変なの見ようとしてた癖に……で、シンタのカウンターエースは? リルになんかやらせてたあれ? さっき届いたけど」
これだから男はと言いたげな胡散臭げな顔を浮かべたアリスは、懐に入れた人差し指と中指で封筒型データをつまみ出し、俺へと渡してくる。
「お。さすがリルさん仕事が早いな……お前と再会した日の天候状況から路線情報。あと周囲の宿泊施設の状況諸々完璧網羅と、最悪ドローに持ち込む最終兵器もオッケー。あとはこいつに、会社に送ったデータと回線使用ログをくくりつけてアリバイ証明完成と」
渡されたデータの目録をざっと確認すれば、俺が欲しい物が全て揃っている。
俺が指定したのは日時のみだが、リルさんはそこから俺が欲しかったその日の各種情報を用意した上に、さらに脳内ナノシステムのパスコードを使って、俺の脳に侵入して残った情報もきっかり吸い出してくれている。
人の脳に記録された情報を取り出し外部出力する技術は、地球でも研究され軍事技術としてある程度は成功しているようだが、成功率はまだまだ低く大規模設備と時間もかかる。
しかしそこは宇宙オバテク。民生品である脳内ナノシステムを使って俺が欲しかった、あの時確実に目撃したクロガネ様のリアルでの顔を取り出してくれていた。
画像データに映るのは痩せこけ、青白い顔の若い男。どこか狂った色を宿す目は俺を敵のように睨み付けている。
ネカマ。しかも完全に性別を偽って居るであろうクロガネ様にとって、このデーターが流出するのは最悪の状況だろう。
もとより有名人でカリスマプレイヤー。そいつがネカマだとばれれば、対PKKでやられた元プレイヤーは元より、面白がって遊び出す連中も出るだろう。
ばらまいて祭り状況に持っていくのは難しくない。
俺を社会的に落としいれようというなら、こっちも同じ手を使うまで。
クロガネ様の正体を曝く、これこそまさに光の玉。
あとが怖いが、先輩権限による後輩達を動員した強制労働で祭りを加速させ、リアル特定でリアルダメージまで持っていくことだって可能。
まぁ、さすがにそこまでやると、こっちのダメージも加速度的に跳ね上がり、会社にまで迷惑をかけそうなので、あくまでもクロガネ様に対する抑止力。
互いに使えない状態に持ち込む為の切り札だ。
「見ろアリス。これがクロガ」
「はい却下♪」
我ながら邪悪な策に満足しつつ、画像データを呼び出してアリスに見せた瞬間、最高の笑顔を浮かべた我が相棒が俺の顔面を鷲づかみにした。
「さっきも言ったよね♪ 悪役思考もいい加減にしろって♪ どーしてシンタはそうなんだろ♪ ……ぶち殺すよ腐れ外道」
細い指の隙間から見える顔だけは実に楽しそうですが、目が笑ってませんよお嬢さん。
というか最後の殺し文句に至っては、ついぞ聞いたことの無い悪霊でも乗り移ったようなドスの利いた低い声で鳥肌が立ちそうになる。
この間見たディケライア社内会議でのサラスさんと同様のやばさを感じる。
こめかみに筋が浮かばせ、ホラー映画のようにウサ髪が逆立ち威嚇してやがるアリスが一睨みするとデータが光の粒子となった。
データが消えた同時に俺の記憶の中からも、今確認したはずのクロガネ様のリアル顔がぽっかりと消失しやがった。
思い出そうとしても、その顔には靄が掛かってぼやけている。
どうやら俺の策は、アリスの逆鱗をついたようで、激怒したアリスがデータを消去すると同時に、俺の記憶を消去か封印したようだ……無茶苦茶だなおい。
「あーアリスさん。負けたらおしまいだぞ」
負けは許されないのは、こいつだってよく判っているはずだ。
第一俺とこいつの仲だ。
俺の考えなんぞお見通しだろうがおまえ。
あくまでも抑止力。
使わない使わせない最終兵器だってことは、よく判っているはずだ。
引き分け用の切り札すらも、にべもなく却下されるのは、ちとむかついたので反論するが、
「引き分け狙いでもなんか嫌な予感する。それにあたしの”パートナー”なら正々堂々で勝ちなさい。シンタなら出来るでしょ。要はあの狐にゲームをやらせたくすれば勝ちなんだから楽勝」
俺の頭から手を離したアリスは偉そうに腕組みしつつ、俺を睨み付けキーワードを口にする。
キーワードを使ったその言葉は命令口調ではあるが要は俺への頼み事。
クロガネ様をゲームの魅力だけで口説き落とせってか。
他人が聞けば、ちょいと無茶で理不尽な要求に聞こえるかもしれないだろうが、俺はアリスの勘には全面的な信頼を置いている。
それだけの実績と、俺を信じさせるだけの信頼がある。
そのアリスが嫌な予感がするってことは、切り札と思ったクロガネ様のリアル情報は、切り札たり得ないということだろうか。
本人的には一切気にしない豚か、最悪ババでクロガネ様と以前あった危ない男が予想を外して別人って線もありか?
だが兎にも角にも、相棒がご立腹なら俺はこの手を使う気にはならないし、使わない。
キーワードは普段は軽々しく口にせず、相手が口にしたときは、その意思を絶対に尊重する。
頼み事をするなら順番は交互で連続は無し。
相手の尊厳を傷つける行為はしない。頼まない。
3つの約束は俺とアリスがコンビを組んでいく上での決め事。
そして前回頼み事をしたのは俺。
「お前の勘かよ……わーったよ”相棒”」
不承不承ながらも、俺もキーワードで返し了承する。
こっちの武器はゲームの魅力のみかよ……こうなりゃ構想段階のアイデアもバンバン出しまくった総力戦。
クロガネ様の上げ足取りつつ、論争しつつ構想を煮詰めていくしかねぇな。
強敵相手に行き当たりばったり泥縄戦ってのは事前準備命主義に反するが、まぁそれはそれで嫌いじゃ無い。
「よろしい。じゃ10秒後に戦闘開始ね」
俺のやけくそ気味な返事に対して、我が相棒は今度こそ掛け値無しの笑顔で戦闘開始を宣っていた。
「はっ! 課金はそれこそ時間をあまり取れないユーザーへの救済案であり、同時に運営会社にとっても貴重な収入要素。だからこそ基本無料として裾野を広くして、ユーザーを多く取り込める。それを今時、月定額制で経験値効率アップアイテムなど一部のみでの課金導入。古くさいわね。第一そう考えているのは貴方のみでは。会社全体の収益に対する案件に軽々しく答えを出してよろしいの?」
動物の特徴を持つ仮想体を使うクロガネという人物は、PCOにおける料金システムが定額+一部課金で考えていると聞くなり、鼻で笑うと凍りつくような声で切り込んでいく。
その背後に展開されたスクリーンに映るのは、半年前までのVRゲーム業界での料金体勢のデータだ。
円グラフで表示されたその割合は彼女が言う通り、基本無料で主な収益は課金アイテムというゲームがほとんどの中で、定額制で高額な料金を取るゲームは極々少数となっている。
「もちろんPCOの素案は私個人の考えですが、課金要素をゲームプレイに重視しないのは、我が社の本筋からもさほど外れていません。ライトユーザーにとっては、強力なアイテムを期間限定といえど利用できる課金要素は魅力的でしょう。ですがそれはヘビーユーザーにとってはレベル差があっても、リアルマネー次第ですぐに覆され、モチベーションの低下に繋がります。かけた時間分だけ自らの成長、プレイヤースキルを実感できる形こそが、ゲームに限らず趣味の醍醐味。全てがかけられたお金だけで決まるというのは違いませんか?」
一方でその言葉を真正面から受けるミサキシンタも負けてはいない。
対峙するクロガネと同じように、背後に展開させたモニターで、過去に存在したMMO作品のレビューを中心にピックアップして表示していく。
「課金アイテムを強力にしすぎた所為で、ゲームバランス崩壊や、課金必須となり、世間一般やユーザー様からさえ非難されたゲームはいくらでもあります。課金アイテムの有無が、ユーザー間での諍いの原因となることもあります。さらに申せば、企業側としても課金収入を当てにした場合、収益の増減に安定性を欠いて年数単位での長期的計画に支障を生じます」
どちらも表示するのは、リアルデータを元にした理由理屈。
それが相反するのは、視点の差、多角的に見た場合における差異だろう。
「語るに落ちたわね。それこそ貴方が、長時間プレイが可能な一部のヘビーユーザーのみを重視し、短時間しかプレイが出来ないライトユーザーを軽んじている証拠ではなくて? これから先の時間規制を考えれば、悔しいですがライトプレイがメインとなります。プレイヤースキルを十二分に上げる事すらままならない時間でしか、プレイできないユーザーに取っては課金アイテムはゲームを楽しむ為に必要な物だと理解なさったらいかがです」
「クロガネ様のおっしゃる規制によるプレイ時間の低下は確かに一理あります。ですがそのライトプレイとはフルダイブに限った話です。時間や能力が規制されたのはフルダイブを用いたVR技術。ならその前身である仮想モニターを用いたハーフダイブや、前時代のモニターによるゲームプレイは規制の対象外となるのは確認済みです。だからこそPCOのゲームシステムは、それらの機器や技術でもプレイ可能としています」
「そこです。限定的フルダイブを用いての1日2時間という形でゲームを成り立たせようとしても、VRに慣れたユーザーにとっては不満が生じるのは目に見えています。それに貴方のやろうとすることは、VR規制をした愚か者達を援護する口実になるのでは。規制状況のままでもゲームが成り立つのだから、規制はそのままでも問題なしと言い出す輩が出てくるのは目に見えています。貴方は、あくまでも私たち多くのユーザーが望むのは、かつてのVR世界だということを判っていないようですね。規制の撤廃がまずありきで、署名活動や違法ソフトの撲滅をメインとした浄化行動を主筋にするべきです。それを中途半端に規制に対応したゲームを制作して妥協することは、VR世界に対する裏切り以外の何物でもないでしょう」
二人が重ねるゲーム業界の先行きに対して何をするべきかというのは、どちらが間違っている、どちらが正しいという類いの1つに絞りきれる話では無い。
議論を重ねているが、その道筋は平行線を辿り続けるだけだ。
妥協点を見いだすのは難しい。
己の常識で解釈しながら、ディケライア社経理部部長サラス・グラッフテンは二人の闘論者を分析する。
クロガネという人物のメイン路線は分かり易い。
三崎の提唱した遊戯や、その資質を真正面から否定し、妥協する様子は微塵も見せず打ち負かそうとしている。
問題は三崎の方だ。
三崎はクロガネに合わせたかのように、真正面から反論していくのみで、こちらも妥協しようという気概が今は見られない。
創天メインAIリルから得た三崎の人物像は、小ずるく狡猾という評判だったが、サラスから見て今の三崎は、ただ相手を否定して青臭い議論をぶつけるだけの若造だ。
落とし所を想定していない状況で議論を重ねれば、破綻は目に見えているはずなのに、何を考えているのだろうか?
「あら、岡本さんでしたか? ずいぶんご熱心に聞き入っていますね」
(おばさん発見と。どうシンタは?)
三崎の本質を見極めようとしていたサラスへと、いつの間にか近寄っていた人物が、聞き慣れた声を二重にして話しかけてきた。
地球の回線を用いた会話と、リルの支配下にある秘匿回線による会話による、問いかけに慌てるでも無く、サラスはゆっくりと横に振り向く。
「あぁ、アリシティアさんでしたか。いやいやあそこまで懸命に業界の先行きを心配できるお二人に感心しておりました」
(今の私がよくおわかりになりましたね。姫様)
頭髪が後退して広くなった額を胸元から取り出したハンカチで拭きながら恐縮した演技をしつつ、正体を見抜かれたサラスは秘匿回線で冷静な声で返す。
今のサラスが偽装するのは、小規模なVRイベント代理店の営業部課長岡本という50代の中年男性。
元の姿形どころか性別すら違うのに、アリシティアは迷うこと無くサラスへと接近してきていた。
勘のよいアリシティアのことだ。リルから正解を聞かされずとも、先ほど三崎に接触した段階でサラスの偽装姿に見当を付けていたのだろう。
二人の議論を無言で観戦している様子で隣に並びながら、アリシティアとサラスは水面下で会話を重ねていく。
(容姿変貌モンスター狩りは現役時代に散々やったからね。見抜くの得意だもん。それであっちの軽薄そうなお爺ちゃんがノープスお爺ちゃんでしょ)
サラスにはあまり理解できない理由を自慢げに答えたアリシティアが、ちらりと目線を向けた先では、『大磯』というネームプレートを付けた女性社員に馴れ馴れしく話しかけている、金ラメスーツを身につけたやたらと派手な老人が一人。
肩に手を回そうとセクハラまがいな行為のついでに、引きつった笑顔を浮かべるあの女性社員から一応いろいろ聞き出しているようだ。
業界の大先輩にして自由人であるノープスの行動に関しては、今更どうこういう気は無い。
あれで絡んだ相手方からは困ったお爺ちゃんと思われても拒絶や嫌悪されないのだから、一種の特異スキルといっていいレベルのキャラクターを作り上げているのだろう。
(ノープス老はどこでも変わりませんからね……それよりも姫様。先ほどのご質問のお答えですが。個人的な感想でよろしいでしょうか)
(うん。おばさんから見てシンタってどう?)
(目標が見えません。事前にこの業界の現状を囓った私の知識では的が外れているかもしれませんが、あの二人に妥協点を見いだすことは難しいと思います。ただお互いの思うことのみをぶつける論戦を彼は続けるおつもりですか?)
(ん~確かに妥協点は無理筋なんだけど、今のシンタがやってるのは下準備。属性変化させてのヘイト管理中)
……前半はともかく、後半は何かの暗号だろうか?
(姫様。私ではその説明は理解しかねますので、分かり易くお願いいたします)
文字通り命に代えても惜しくないほど可愛い姪が、たまに意味が判らない概念で語るようになったのはいつからだろう。
亡き兄夫婦に申し訳なさを覚えつつ、サラスはその複雑な感情を押し殺し冷静沈着な声のまま再度聞き直す。
(あーごめん。さっきまでシンタと話してたから感覚がずれてた)
ミサキシンタには今の意味不明な戯れ言で伝わるのか?
それ以前にあの男の仕込みだろうか?
(えとね、あのクロガネって狐っ子はシンタや所属するホワイトソフトウェアを誤解してるんだよね。簡単に言えば、VRMMO業界やユーザーを金儲けの手段として見下してるってね。まぁ一度でもホワイトのゲームをやってればそんな感想絶対に無いんだろうけど。だからまずはその誤解を解こうとしてるの。自分たちはVRMMOが大好きなんだって)
(……偽らない素をぶつけることで、あちらの娘に己を理解させようとしていると)
(正解。あたしの見立てだとシンタとクロガネって根っこは同じ。VRMMO業界の先行きに対して同じくらい不安を感じて、何か出来ることは無いかって常に考えてるんでしょ。クロガネの方は理由はわからないけど、その感情が行き過ぎて迷走してるっぽい。もっともシンタもちょっと壊れてるけどね。地球の危機だって利用して新作を作ろうってくらいには。で、これがシンタのPCOでの裏案)
肩をすくめたアリシティアが、サラスに対して1つの計画書を送付してきた。
送られてきたデータをサラスは要点を纏めざっと一読みする。
(地球人を使っての暗黒星雲調査計画ですか…………本気ですか彼は?)
PCOと銘打ったゲームと現実世界をリンクさせ、高レベルプレイヤーにゲームプレイと錯覚させたまま、無数の遠隔操作型探査ポッドによる暗黒星雲資源調査を実行可能な人材と人数を確保する。
言うのは簡単だが、コンマ秒単位で変化する苛烈な環境である暗黒星雲内で、的確な指示を機体AIに出せる人間がどれほど居るのだろうか?
(本気なんだよね。あたしも最初に聞いた時は無茶だと思ったけど、実際に考えてみると地球人って、原始的なナノシステムで異常な反応速度を叩きだすんだよ。あたしのギルメンだけでも、トップクラスの人達は慣れればたぶん出来る。日本全体で考えれば、最大なら数万人規模で確保できるかも。実際おばさんも見たでしょ。シンタなんて戦術込みだけど、あたしにすら対抗が出来るんだよ)
アリシティアの語ることは、パートナーであるミサキシンタへの過剰評価でも、サラスに好印象を抱かせようとする為の虚言ではない。
ディメジョンベルクラドとしての能力を最大に発揮する為に、創天メインAIリルとリンクするアリシティアが所持するナノシステム群は、個人所持としては銀河文明でも最高クラスの処理速度を誇るのは、純然たる事実だ。
(その能力があると仮定しましょう。ですが実際に行おうとすれば、クリアすべき課題は数多く存在すると思いますが。この企画はまだ素案段階なのですよね。それ以前に姫様が主導で動いても、このような荒唐無稽な案に、社内で賛成者が出るかは判りませんよ)
(あーそっちは心配してないよ。シンタに任せれば勝つから。とりあえずノープスお爺ちゃんだけだけど、PCO計画を聞いたら面白いって賛成してくれたし。ナンパ師だからねシンタは。仲間を作るの上手いんだ)
サラスの懸念をアリシティアはあっさりと否定する。
まだ計画の初期段階だというのに、すでに勝ちを見いだしているようだ
ミサキシンタという男をそこまで信頼できる確信があるようだが、サラスには今ひとつ理解できない。
だが1つ判ったことがある。
サラスをこの場に誘ったのは誰か?
何のことは無い。
アリシティア、ノープス。そしてリル。
その全員がすでに結託して動き出していたようだ。
(問題は起ち上げ後。こっちの話。確保した人材をどうやって合法的に上手く使うか。初期文明保護条約とか法律にいろいろ引っかかるでしょ。あたしもそこまで詳しくないし、リルはヒントはくれるけど正解はくれないし。シンタは能力調査名目で法律の網をすり抜けるつもりだけど、穴があるかもしれないから…………でも、おばさんならいろいろ手を考えられるでしょ。ほらシンタを、こっちに無理矢理連れてこようとしてたくらいだし)
今回は二人が仕掛ける手が、ディケライア社の為になるかを見極めるつもりだったが、どうやらそれだけではすまなそうだ。
アリシティアの言葉の裏には、サラスを煽るような成分が僅かなりとも含んでいる。
どうやら自分は罠の真っ直中に飛び込んでいたようだと気づく。
(そのお答えは、この場が終わったあとでよろしいでしょうか。まずはこの無茶な計画を立てた御仁の手腕を見せていただいた後に判断します)
アリシティアに素っ気なく答えながらサラスは、リルが語った三崎の人物像を思い出す。
純粋無垢であった姪が、いつの間にやら駆け引きを覚え始めたのは、あの悪辣で狡猾なナンパ師といわれた男の影響だろうか。
先ほどまでは、己の感情を愚直にぶつけるだけに見えた青年に対する評価を、サラスは一度リセットする。
地球人を使った暗黒星雲調査計画などという、荒唐無稽な案を実現に持っていこうとする彼の人物は、ただの愚者なのか、それとも……
仕草や顔の表情を含め全ての言動を再確認。
ミサキシンタは一筋縄ではいかない人物だと認識を改め再評価を始めていた。